第三章 楓の『終』幕 PART4

  6.


「こんにちは、ちょっと近くまで寄ったので差し入れを持ってきました」


 リリーが椿の店をノックすると、彼は立ち上がり快く迎えてくれた。


「こんにちは、冬月さん。わざわざありがとうございます」


 椿に紙袋を受け渡すと、奥に入るよう促される。紙袋を見てどこの店のものかわかったらしい、顔が綻んでいる。


「ちょうどお茶してた時だったんですよ、嬉しいなぁ。さあどうぞ、冬月さんも座って」


 桃子は席を立ち、リリーの椅子を持って来てからお茶を入れ始める。


「餡パンですか? リリーさん、お気に入りになっちゃいましたね」


「そうなのよ。あそこのはいくらでも入りそう」


 事実、ここに来る前に二つの餡パンを平らげているのだが、椿の前でいえるわけがない。店員に薦められて買い過ぎたということもある。


「はい、お茶どうぞ」


 椅子を勧められ座りながらお茶を飲む。お腹が出っ張りすぎて飲むことですらきつい。

 椿と桃子は袋を開けて餡パンにかぶり付いていた。二人とも美味しそうに食べている。


「後一個ありますけど、冬月さんどうぞ食べてください」


「いえいえ。私は大丈夫ですよ、春花さんこそ食べちゃってください」


 これ以上は無理だ、とテレパシーを送ると、桃子は不安そうな顔をした。


「リリーさん、どうしたんですか? 餡パンには目がないのにお腹の調子でも悪いんですか?」


 お腹の調子はすごぶるいいとはいえず、おすそ分けは二つにすればよかったと後悔する。結局三個目を食べた彼女は苦しくて動けずそのまま少し雑談に加わることになった。


「そういえば春花さん、来週出かけるって聞いたんですけど、どちらに出かけるんです?」


 椿は目を合わせず頬を掻いている。視線は右往左往している。


「ああ、特に用事っていう、よ、用事ではないんですけど」


「えっ? そんなに挙動不審にならなくても。もしよかったらでいいんですよ」


 慌ててフォローしたが遅かった。桃子がすでに椿の姿を捉えている。


「店長、嘘つくの苦手ですもんね。怪しいお店にでも行くんですか?」


「いやいや、そんなんじゃないよ。ちょっとね。二日だけなんだけど僕が行かないといけなくてね」


「ふうん。遠距離の彼女でもできたんですか?」


 桃子の目線はなぜかリリーの方に移っている。


「相手ができたらちゃんと桃子ちゃんには報告するっていってあるじゃないか」


「そうですか。よかったですね、リリーさん」桃子は前のめりになっていた体を戻し緑茶をずずっと啜っている。


 ……なんで私が喜ばないといけないのよ。


 心の中で突っ込むが、内心はほっとしている自分がいる。


「そういえば店長、去年もこの時期にお休みとりましたね、毎年行ってるんですか?」


「そうだね、毎年行こうと思ってるよ」


「恒例行事みたいですね? そういえば去年もたくさんコスモスの花を仕入れてましたね? それと関係しているんです?」


 桃子の目つきが鋭い。何か怪しい匂いを嗅ぎ分けている警察犬のようだ。


 コスモスという言葉が心に反応する。


「そうそう、それだよ。毎年の恒例行事」そういって椿は落ち着きを取り戻した。「そういうわけで桃子ちゃんもゆっくり楽しんできてね。屋久島に行けなかったんだしさ、その分満喫してきたらいいよ」


「……店長、怪しいなぁ」


「そんなことないよ。そういえば桃子ちゃんはどこに行くの?」


「店長が隠すので私も隠しますっ」


 桃子はムキになってハムスターのように顔を膨らませた。その姿も愛らしい。


 突然ドアの開く音が聞こえた。どうやら客が来たようだ。


 ……そろそろお暇しなければ。


 彼女は一礼して膨らんだ下腹部を押さえながら早々に立ち去ることにした。

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