第三章 楓の『終』幕 PART2

  2.


「こんばんは。お久しぶりです」


「久しぶりってほどでもないけどな。それで話っていうのはなんだい」


 テーブルの上にはティーカップがすでに三つあった。しかし彼のものには少し残っている。蘇鉄は一人で飲んだのかなと疑問に思っていると、彼が唐突に口を開いた。


「君達が来る前に来客があってね。それで俺はその前のカップを使わせて貰ってる」


 そういって蘇鉄は二人のカップに紅茶を継ぎ足した。


「そうでしたか。すいません、お忙しい中……」


「いや忙しくなんてないよ。大丈夫、まあ座ってくれ」


彼に会うのは綾梅の初盆以来だ。以前会った時よりは蘇鉄の顔色はよさそうだった。


 桃子が蘇鉄に写真を見せると懐かしむように顔を綻ばせた。

「これは楓が作った建物じゃないのか? 確か五重塔と呼ばれる仏教の建築物だと思うぜ」


「やっぱりそうなんですね。この写真、お母さんのノートに挟まっていたんです」


「ああ、そうか……」彼は頭を下げた。「そうだよな、本当に辛い思いばかりさせてすまない」


「いいえ、蘇鉄さんが悪いわけじゃないです。どうか頭を上げてください。謝って貰いたくて来たわけではないので」


「そういって貰えるのはありがたいんだけどな。やっぱり俺の教育が悪かったんだと思ってる。しかし今日はそんな話をしに来てるわけじゃなかったんだよな」


 蘇鉄の声は太いようで細かった。きっとこうやって桃子に顔を合わせるだけで神経が削られていくのだろう。


 桃子にしても同じだろう。蘇鉄が無関係とはいえ嫌でも皐月を連想するに違いない。


 部屋の空気が重く話が円滑に進まなかった。リリーは新たな風を入れる気持ちで話題を変えた。


「そういえば、蘇鉄さん煙草を止めたんですか? 灰皿がないみたいですけど」


「実はな、酒と煙草を一緒に止めたんだ。こんな話をしてもしょうがないだろうけどさ、俺もそれくらいは罰を受けようと思ってね」


 桃子にそんな話をしなくても、と舌打ちしそうになったが彼女の様子を見ると問題なさそうだった。彼女の手は震えているが顔の表情は変わらない。


「私はもう大丈夫ですので、遠慮しなくていいです。その五重塔というのはどこにあるかご存知ですか?」


 蘇鉄は頭を抱えるようにかぶりを振った。


「本当にすまない、その場所はわからないんだ。最後に楓と話した時は京都にいたみたいだった。京都で修行をしている話をしてくれたんだ。ただ宮大工っていう職業は一つの建物で飯が食えるわけじゃないから、転勤が多いって話でね」


「宮大工? 普通の大工とは違うのですか?」


 リリーの問いに蘇鉄は勢いよく答える。

「宮大工っていうのは寺専門を修復する大工のことだ。修復する建物が決まれば五年から十年、その近くで暮らしながら仕事をするらしい。だからこの建物を突き止めれば探すのは楽になるな」


 僅かな希望が沸いてほっと胸を撫で下ろす。桃子の顔にもぱっと明かりが点いている。


「写真の方は私が何とか調べてみます。もう一つお願いしていいですか?」


「もちろんだ。俺にできることなら何でもいってくれ」


「お父さんの写真を見せて貰えませんか? 不思議に思うでしょうけど、私、今までお父さんの写真を見たことがないんです」


 蘇鉄は驚いた表情を浮かべながら、アルバムを持ってきた。


「俺が持っている中では、これしかないが見てくれ」


 蘇鉄が取り出した写真には四人が写っていた。左から蘇鉄、桜、楓、綾梅の順だ。そこには背の高い男性が腕を組み満開の笑顔を見せていた。体は細いが華奢な感じが全くしない。カモシカのようにすらっとした人物だ。


「中々男前だろ? あいつは昔からモテてたんだ」


「確かに格好良いですね」


 桃子はじっとその写真に釘付けになっていた。無理もない、初めて父親の写真を見たのだ。


 写真の中では蘇鉄も笑っていた。今と変わらず短髪でさっぱりした印象だ。だが今では年齢以上に陰りがあった。それは事件によって纏った闇のせいだろう。


「ありがとうございました。リリーさん、夜遅いし帰りましょうか」


「そうね。では夏鳥さん失礼します」


「おう。こちらこそ来てくれてありがとう」


 蘇鉄の家を出て車を発進させた。皐月の元いたアパートの前を通った方が早いが敢えて遠回りすることにした。助手席の窓には目頭を抑えている桃子の姿が映っているからだ。


 ……殺人事件というのは本当に終わりのない迷路の中にいるのだな。


 ガラス越しに桃子を見るとそう思わずにはいられなかった。  

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