第三章 楓の『終』幕 PART1

  1.


 サクラの青々とした葉が色鮮やかな臙脂(えんじ)色に変わった季節に、リリーは先週買った鉢物に水をやっていた。桃子に注文したクワズイモの葉だ。


 もののけの森に車で登る途中自然に生えていたこの葉っぱにリリーは心を奪われた。地面からひょっこりと出ている根が丸みを帯びていて可愛らしい。熱帯系の植物なのであまり水を必要とせず彼女にも管理がしやすいものだ。


 ドアの鍵が開く音がした、桃子が帰ってきたのだろう。玄関に向かうと買い物袋を置いて肩の力を抜く彼女の姿が見えた。


 最近の夜ご飯は桃子にまかせっきりになっていた。彼女が作る料理は種類も豊富でなおかつ味もいいからだ。


「おかえりなさい、今日のご飯は何かな?」


 桃子に尋ねると彼女はマフラーを外しコートを合わせて掛けた。


「ただいまです、今日は唐揚げにしようと思って鶏肉を多めに買ってきました」


「そっか、それは楽しみね」


 ビニール袋に入った食材を台所まで運ぶ。彼女にいわれるがままに動き料理を作った後、テーブルの上に並べた。

 テーブルの上には白ご飯、豆腐の味噌汁、鳥の唐揚げ、レタスとトマトの野菜サラダが乗っている。ほとんどが彼女の手料理だ。


「いただきます」


 手始めに唐揚げにかぶりついた。冷凍食品とは違い中までしっかり揚げられており美味しい。今まで外食がほとんどだったが、桃子が家に来て以来彼女の手料理を満喫していた。


「どうですか?」


「うん、美味しいよ。桃子ちゃんの料理を食べていたら仕事の疲れが飛んじゃうね」


「それはよかった」彼女は満面の笑みを零した。「足りなかったらどんどんいって下さい。おかわりはたくさんあります」


「ありがとう」唐揚げを堪能した後、味噌汁を啜る。ほどよい塩加減が絶妙だ。


「リリーさん、実はお願いがあるんです」桃子は親指を擦り合わせながら上目遣いにリリーを見てきた。「ちょっとこの写真を見て欲しいんですけど」


 写真を手に取って眺める。大分古く汚れていて詳しいことはわからないが、何かの建築物だということはわかる。



「うーん、なんだろうね。どうしたの、この写真?」


「この間、実家に帰って荷物の整理をしていたら、出てきたんです。お母さんが昔書いていた日記の中に挟まっていました」


「そっか。今日してたマフラーも実家から持って帰ってきたのね?」


 桃子はびっくりしたように口を開けている。

「さすが、リリーさん。伊達に刑事をしていませんね」


「誰が見てもわかるわよ。桃の花が入ったマフラーなんて中々売ってないだろうし」


「それもそうですね」桃子はぽんと手を叩いて一人で納得した。「実はこの写真、父が関わった建物だと思ってます」


 桃子の父親・楓(かえで)は大工だ。リリーは綾梅の事件の時に調べたことを思い出した。彼は二十年程前に突如失踪していたのだ。


「父がどこにいるのか全く知りません。不自然かもしれませんが、私はお父さんの写真すら見たことがないんです」


 改めて桃子の家に行った時のことを思い返す。確かに楓の写真は見当たらなかった。それどころか男の匂いがするものは全くなかったような気がする。


 確かに不自然だ。全く父親の痕跡がないのはおかしい。事件の時には文字でしか彼の存在を確認していない。


「そうね。私もその点には疑問を持ったわ」


 ……母親のことについて調べたいのかしら。


 心まで回復したかわからないが、頭で理解できるようにはなったのかもしれない。父親の存在を確かめようとしているのだろうか。


「桃子ちゃんはこの建物の場所を探そうと思ってるの?」


「……正直迷っています。私には一度も父と会った記憶がないんです。今更建物を探すのもどうかとも思ってるんです」


 ……ここは何といって答えるべきか。


 一緒に暮らしているとはいえ家族の問題だ。こればっかりは思いつきで述べることはできない。


 だが自分の父親も建築家だ。今はイギリスで一流の建築家として名を売っている。今の自分なら彼の作ったものも冷静に見ることができるかもしれない。


「確かに……それは迷うわね」


「そうなんです、リリーさんならどうするかなと思ってですね」


 ……自分だったら、迷わずに行くだろう。


 もしこれが母親が関わっている写真なら必ず突き止めるだろう。現に休みの日には母親が撮っていた写真の整理をしている所だ。


 しかしそれは母親が好きだったからに他ならない。会ったこともない肉親を調べるというのはまた別の話だ。


 その時、頭に一つ案が浮かんだ。だが提案していいかどうかわからない。ひょっとすると再び彼女を傷つけることになるかもしれない。


「リリーさん、今、何か思いつきましたね、遠慮しないでいって下さい」自分の表情を見抜いたのか桃子は真剣な目で訴えている。


 ここは正直に答えた方がいい。


「私が桃子ちゃんの立場なら、蘇鉄(そてつ)さんに一度訊いてみるかな。それで関係なさそうなら諦めもつくし。関係があればその時にまた考えるかな」


「なるほど、やっぱりそれが一番ですよね……。実は私もそう思っていた所なんです」桃子はぼそりと呟くようにいった。そして懇願するような目つきでリリーに迫った。「リリーさんに時間がある時でいいんです。私と一緒に蘇鉄さんの所に行ってくれませんか?」


「え? 私も?」


「駄目ですか?」桃子は今にも泣きそうな顔で見つめてくる。


 事件が終わったとはいえ蘇鉄の顔を見るのは忍びない。自分の捜査で息子を刑務所に送ったのだ。

 だが彼女の方が心配なのは変わりない。


「もちろん、いいわよ」


 リリーが余裕の表情を見せると、桃子は胸を撫で下ろすように吐息をついた。


「ありがとうございます、一人じゃ途中で逃げちゃいそうな気がして……踏ん切りがつかなかったんです」


「そっか……、そうだよね……。じゃあ一緒に行こう」

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