第二章 『花』火の閃き PART15
17.
食堂の外にある自動販売機でビールの缶を二本だけ買いエレベーターに乗り込んだ。正直にいえば、まだ飲み足りず一人でも飲みたい気分だ。
リリーは写真を自分の部屋に置いた後、彼の部屋に行き尋ねた。
「まだ飲めます?」
「もちろんですよー、その一本、僕に下さい」
ふらふらな椿と乾杯する。今の状態なら何でも答えてくれるに違いない。先ほどの会話を思い出すと、未だに怒りが残っている。
「春花さんはなんで花屋になったんです?」
「何ででしょうねー。そんな昔のこと、忘れました、えへへ」
ボケ老人のように呆けている顔を見ると、溜息をつかざるおえない。
「もう、しっかりして下さいよ」彼女は優しく訊き直した。「他の職業についていても花を扱うことはできるじゃないですか? なぜ花屋になったんです?」
「確かに。そういわれるとそうですねー」椿は遠くを見つめるように上を向いている。しかし全く焦点が定まっておらず口まで開いている。「何でだったのかなー、色々な理由があって思い出せません」
「家業が継げなかったといっていたじゃないですか。それで自分で花屋を開いたと」
「そうです、そうです」椿はグラスに残ったビールを飲み干して手を合わせた。「僕の実家が葬儀社をやってまして、それを継ぐのを断られたんです」
なるほど。思い当たる点はある。綾梅の葬儀は社葬にも負けない程の立派な祭壇が組まれていたのだ。そこには何かしらの縁があったに違いないと踏んでいた。
「そうでしたか。私は別に葬儀社に偏見は持っていませんけど」
誰だって最期はお世話になる所だ。今の時代、大手の会社が参入し不透明な所が多かった部分にもきちんと光が当てられている。特にやましいと思う部分はない。
「僕も別に家業が嫌いで継ぎたくなかったわけじゃありません。ただ妻が花屋をしたいといっていたので」
妻?
リリーは意味がわからずもう一度訊いた。
「妻というのは? 誰のことですか?」
「ああ、そうでした。冬月さんには伝えてなかったんですね。実は僕、結婚してたんです」
椿は苦笑いを浮かべながらいった。
「結婚してからわずか半年で逝ってしまったんですが。もう去年のことになってしまったんだなぁ……」
「去年に……亡くなったんですか?」
「そうなんです、交通事故で逝ってしまいました」
……酔っ払って聞ける話ではない。
自分の頬をつねり冷静になる。椿が結婚していたなど想像もつかなかった。
だが彼は思い返すかのように熱を持ちながら無情にも続けていく。
「秋桜美(あさみ)とは大学で知り合ったんです。彼女は本当に花を愛していてどこに行っても自然がある所を選んでいました。
僕は最初家業を継ごうと思っていたんですが、妻の両親に反対されて別の仕事なら結婚を許してくれるといって貰えました。それで二人で考えた結果、花屋をすることにしたんです」
……まさか、結婚していたなんて。
急速に心が渇いていく。秋桜美という名が胸の中でぐるぐると反芻し続けていく。
「花屋を始めるにしても、もちろん技術はないし何もわかりませんでした。それで僕は両親の葬儀社に入っている花屋に勤め、彼女は別の花屋に勤めました。それから五年近く働いてから、ようやく店を持つことができたんです。そこで正式に結婚しました」
「そう、だったんですね……」
「ええ。ですから、こうやって二人で来ることになると聞いて正直迷ったんです。でも来てよかった。冬月さんが自然を好きになってくれて、それだけでも来た甲斐がありました。ここに妻がいたら喜んでくれていると思います」
……自分はなんて馬鹿なんだろう。
得体の知れない感情が自分を侵食していく。なぜそんなことも考えずに椿に思いを寄せようとしていたのか。いつもの自分ならきちんと調べて傷つかないようにしていたのに。
感情を塞いでいたガラス玉がなく、苦しみが二倍にも三倍にも膨れ上がる。息を吹き返した感情が再び萎んでいく。
……聞きたくなかった、それでも訊いたのは自分だ。
感情を取り戻すことに必死になっていたのに、今ではその感情を放棄しようとしている。全く自分自身が再び嫌いになりそうだ。
リリーの表情に気づいたのか、椿はばつが悪そうに席を立った。
「すいません。なんか夢中で話しちゃって……。ちょっと風にでも当たってきますね」
……あの写真は、桃子のためではなく妻のためなのだろう。
椿の嬉しそうにシャッターを切った姿を思い出す。そう考えると窓に映った自分の姿が別の誰かに変わりそうな気がした。
ドアが開く音が聞こえ、再び自分自身を咎める。この部屋は椿の所なのだ、ここにいては彼の帰る場所がない。
「……ちょっと外にでも出ませんか?」
彼は手に持ったビニール袋の中身を取り出した。
「後味の悪い話をしてしまったので、お詫びに花火でもやりませんか?」
暗い夜の中、一筋の光が灯る。線香花火に火を点けると蒲公英(たんぽぽ)色の閃光が躑躅(つつじ)色に変わり始めた。
「いいですね、こんな所で花火をするなんて思ってもいませんでした」
リリーは光に目を奪われて心が高鳴っているように演じた。
「冬月さん、花火の光が変わるのはなんでかご存知ですか?」
「もちろん知ってますよ。火薬に含まれている金属が関係しているからですよね」
「お見事。さすが現役の刑事さん」椿はにやりと笑って続けた。「では線香花火の移り変わりの花の名を聞いて下さい」
椿は先ほどの出来事を掻き消すかのように説明を続けた。
最初の状態を牡丹(ぼたん)といい、松葉、散り菊と形状が変わる毎に名称があることを告げる。
「これが牡丹……」
花火の先端に小さな玉ができ、ほんのりと光っている。自分の心も先ほどまでこの状態で高鳴っていたと思うと、やるせない。
「次が松葉です、松の葉が散っているみたいでしょ? これから光が弱くなってくると柳といって垂れ流れるような光になります」
火花は勢いよく散っていたがしばらくすると細い光のようになりぽつぽつと光った。
光はいつしか消えそうになり微かな火花になっていく。
「最期の状態を散り菊というんですよ」
微かな光は棒から離れ、ぽとっと音がするように落ちた。
「線香花火の状態にも名前があったんですね」
リリーは最後の光をじっと眺めながらいった。火の玉はゆっくりとアスファルトに溶け込むように音をたてながら消えていく。
……今日の所は諦めよう。
肩の力を抜いて散った花火に思いを込める。彼との旅で感情の大切さを取り戻して貰ったのだ。それ以上、望んではいけないような気がする。
……それに私には母親の写真がある。
新しい線香花火に火を点けると、百合の写真が蘇った。あの小さな花だって大切な繋がりだ。それは言葉で言い表すことができない宝物だと断言できる。
「こんな小さな花火でも、ずっと作られてきてるのですよね」
「そうですね。大きな花火だって、小さな花火だって、花火師は頑なに伝統を守ってきています。『一子相伝(いっしそうでん)』の繋がりだけで守られているんですよ」
……私も、お母さんの思いを守っていきたい。
携帯電話で取った写真を眺める。言葉ではなく唯一、同じ感情で結ばれた花があれば、私はまた元に戻れるだろう。
この思いだって、一子相伝だ。
……その時には、きっと。
二人はもう一度、線香花火に火をつけた。闇の中で光る線香花火は彼女の心に再び感情の火を灯した。
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