第二章 『花』火の閃き PART14

 16.


「お疲れ様でした。それでは乾杯しましょうか」


 鈴虫の鳴き声を聞きながらリリーはお互いのグラスにビールを注ぎ込んだ。勢いよく口に流し込むと、心の中は達成感で一杯になっていく。


 屋久島の夜も今日で三日目。明日、帰ることを考えると、少しだけ寂しい気持ちになる。


 椿の顔を見ると、すでに真っ赤になり高潮していた。普段飲まないというのは本当らしい。


「春花さん、顔が真っ赤になってますよ」


「そうですか? いや、まいったな」椿はグラスを空にしながら目の前にある唐揚げをほうばっている。「冬月さんも真っ赤に見えますよ。照明のせいかな、ぼんやりしてみえます」


 手で確認してもほとんど熱を帯びていないし、近くの窓で見ても赤くなっていない。すでに彼は酔っ払っているらしい。


 ……たった一杯飲んだだけなのに。


「大丈夫ですか、春花さん。お酒は止めときましょうか」


「大丈夫ですよー、いざとなったら冬月さんがいるじゃないですか」


 普段の椿からは想像がつかない姿だった。だが自分のことを頼りにしてくれるのは嬉しい。


「今頃訊くのもなんですけど彼氏とかいらっしゃらないんですか? 確かめもせず二人で来てる時点でおかしな話ですけど」


「もちろん、いませんよ」リリーは大きく首を振った。「いたら来るわけないじゃないですか。春花さんはいないんですよね?」


 春の時、パン屋の店員が独身だということをいっていた。彼女がいないとはいっていなかったが多分いないのだろう。


 椿はグラスを空にして頷いた。

「残念ながら……。でも独り身も楽でいいですよ」


 どうやら椿は酔うと笑い上戸になるらしい。

 普段から笑顔を絶やしていなかったがそれは接客から来る作り笑いのようだ。今の笑みは完全にいやらしい目つきそのものになっている。


 ……正直いって気持ち悪い。


「冬月さんは結婚など考えていますか?」


「相手がいたら考えますが……今の所は」


「そうなんですね。なんだか冬月さんには似合わない気がします」


 淡々と述べる彼に怒りを覚える。普通、お世辞でもフォローするのではないかと思うが、彼にはそんな考えが浮かばないようだ。

 リリーが睨むと、彼は慌ててフォローしてきた。


「あ、すいません。リリーさんには結婚相手がいないという意味ではなくて、家庭生活が似合わないというか……料理などしている姿が全く浮かばなくて……子育てしているイメージが全く沸かないんです」


 フォローになっておらず、余計に腹が立っていく。酔うと本性が出るというが、普段の姿は全て嘘で固めているのではないかと疑ってしまう。


「それ、フォローのつもりですか?」彼女が強い口調でいうと、彼は再び頭を下げてきた。


「すいません、よく気遣いが足りないと怒られるんですよ。次は気をつけます」


「お楽しみの所、すいませんね。ここは二十一時までになっているんです。もしよろしかったら売店でお酒が売っていますので、お部屋で飲んで頂いてもよろしいでしょうか?」


 食堂の女将が声を掛けて来た。時計を見るとすでに二十一時半を過ぎていた。


「すいません、すぐに出て行きますね」


 ぐでんぐでんの椿と一緒にエレベーターに向かう。まだ飲み足りないが、彼の様子を考えると飲める状態にはなさそうだ。


 シャッターの閉める音が聞こえ振り返ると、オーナーが見えた。


「お連れの方、大分酔っ払っていますな。今日は縄文杉でしたね。途中から雨が降っていましたが大丈夫でしたか」


「ええ、山頂に辿り着いてからだったので。とても素晴らしい所でした」リリーは携帯を開いて小さな花を尋ねてみた。

「そういえば見て欲しいものがあるのです。この花を見たことありますか? とっても小さかったんですけど」


「すいません、ちょっと失礼」彼は首に掛けてある眼鏡を掛け画面を覗き見た。「んーこれは先日あなたが気にいっていた写真の花ですよ。オオゴカヨウゴレンという花です」


「えっ?」

 改めて照らし合わせてみる。写真の映りからしてかなり巨大な花だと思っていたが、よく見ると同じ特徴をしている。


「でも冬の花じゃないんですか? 今日咲いていたのを見たんです」


 二人の様子を見て女将が会話に加わってきた。


「ああ、珍しい。今の時期に咲いていたんですか?」


 リリーの携帯を目の前にし顔を綻ばせている。


「ええ、そうなんです。洞窟の中に咲いてました」


「綺麗ですね。あなたもこれくらい綺麗な写真が撮れればいいのにね」


「何をいってるんだ、これは俺が撮ったんじゃないか」


 オーナーはそういって額縁に掛かった写真を指差した。


「違うわよ。これは現像を頼まれていた写真でしょう? 結局、その方は帰って来なかったから、うちで飾ることにしたんじゃない」


 心臓がドクンと高鳴る。

 まさか、この写真は……。


「それはもしかして二十年くらい前の話じゃないでしょうか?」


 リリーが尋ねると女将は首を振って頷いた。


「そうそう。確かそれくらいです。女性の写真家でした。ご家族が見えていたんですが、結局ここに飾って欲しいということだったので飾っていたんです」


 もう一度写真を見る。その時の記憶はなかったが、この情熱は百合から来るものだったのだ。それが言葉を通さずとも自分の心に伝わった。

 母親と今、時間を越えて繋がることができたのだ、一枚の写真を通して―――。


「すいません。この写真を私に譲ってくれないでしょうか?」


「え、もしかして……」女将とオーナーはお互いに顔を見て頷いた。


「そういえば父親は外国人だったな……そうか、あなたが……」オーナーは鼻を擦りながらいった。「もちろん構いませんよ。この写真はあなたが来ることをずっと待っていたのかもしれないね」


 写真を受け取ると百合の思いまで胸の中に入り込んできた気がした。花を見つけた時に感じた温もりが再び舞い込んでくる。


「それにしてもよく雨の中、こんな小さな花を見つけることができましたね。本当にお花が好きなんですね」


 女将の言葉を受けて首を振る。

「本当にたまたまです、でも……」


 リリーは胸に手を当てて本心を告げた。


「私にとっては一番の思い出になりそうです」  

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