第二章 『花』火の閃き PART2

  2.


 色とりどりの紫陽花(あじさい)が全て小豆(あずき)色に変わってしまった季節に、リリーは紅茶を冷やしていた。暑い日にはさっぱりとした独特の香りがするアールグレイに限る。ミルクを入れるのが定番だがストレートでも十分美味しい。砂糖はもちろんなしだ。


 クーラーの温度を下げて本を広げると桃子が台所から口を開いた。


「リリーさんは盆休みとかないんです?」


「そうねえ、取れないことはないんだけど……どこか行きたい所があるの?」


 秋風桃子(あきかぜ ももこ)は現在リリーの家に居候している。一度は被疑者として疑った身だが真犯人が見つかったため自由の身となったのだ。


「実はですね、一つだけあるんです。ただ行く相手がいなくて……」


 事件は解決したが桃子が母親を失ったことには変わりない。父親は桃子が生まれる前から行方不明、つまり両親は不在だ。


 桃子の母親・綾梅(あやめ)の初七日の時、リリーは桃子の身を案じて家に来ないかと誘った。大きな一軒家に一人で暮らす彼女の姿を想像すると胸が痛み良心の呵責に負けてしまったからだ。


 今ではもう、サクラの木は全て花びらを散らして、葉がどっしりと生え若々しい姿になっている。


「ここに行きたいんです。鹿児島にある屋久島(やくしま)という所です」


 屋久島。

 リリーの頭の中にもその言葉の記憶はあった。だが嫌な記憶しかない、トラウマといってもいい。


 桃子に促されるまま鹿児島のガイドブックに目をやる。そこは見渡す限り全てがエメラルドグリーンに染まっていた。木だけでなく地面全体が苔に覆われており石にまで張り巡っている。


「凄いわね。本当に映画みたいな所ね」


「そうなんですよ。もー行きたくって、行きたくって」


 桃子には現在彼氏がいない。その彼氏が桃子の母親を殺害したのだ。今の現状を最も理解しているのは椿(つばき)とリリーだけだろう。現実逃避をしたい気持ちもわかるが、さすがにそれは無理な提案だった。


「行くとしたらどれくらい日数がいるの?」


「そうですね。最低でも二日はいりますね」桃子は眉間に皺を寄せた。「もののけの森には絶対行きたいですし縄文杉も見たいんですよね。フェリーでしかいけないから、やっぱり四日はないと厳しいと思います」


「屋久島には空港があるわ。そっちの方が早いと思うけど……」


 そういって後悔する。桃子がその言葉を見逃すはずがない。本を盾にして彼女の視線を防御しながら続ける。


「テレビでそういった情報が流れていたのを覚えていただけよ。どうしてフェリーがいいの?」


「私、飛行機は怖くて乗れないんです」


「え? そうなの?」


 思わず噴き出した口を塞ぐ。桃子が飛行機に搭乗し震えている姿が容易に想像できたからだ。


「でも三泊四日は厳しいね。私も行きたいんだけど事件が起きたらそこから戻らないといけないし、迷惑掛けると思うわ」


「……そうですよね。無理をいってすいません」


 ……く、くるしい。このまま見過ごすことはできない。


 桃子の小さな溜息を見て鋭い棘が刺さったような痛みを覚える。血塗れの畳の上で座り込んだ彼女の姿が一瞬にして蘇ってくる。


「……む、無理かもしれないけど一応訊くだけ訊いてみるわ」


 良心の呵責に負け、そういうと桃子の顔はぱっと賑やかになった。


「本当ですか? リリーさんと一緒に行けたら楽しいだろうなぁ」


 気分をよくした桃子は鼻歌を歌いながら洗物を片付け始めた。その姿を見てリリーは溜息を飲み込みながら、再び本のページをめくった。

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