第一章 一『瞬』の輝き PART16 (完結)

  16.

 

「こんにちは、また凄い量の花束ですね」


 リリーが尋ねると、椿は笑顔を見せながら応えた。


「ええ、そうなんです。卒業式シーズンは終わったので、退職用です」


 店のテーブルには花束が無造作に置かれ、メッセージカードが散乱していた。繁盛期なのだろう。


「凄い量でして、二人でも中々捌ききれないでいるんですよ」


 二人? 店の奥に目をやると桃子の姿があった。


「刑事さんお疲れ様です。この間は告別式に来て頂いてありがとうございました」桃子は花束を掴みながらにっこりと微笑んだ。


「いえいえ、とんでもないです。確か初七日は自宅でされると聞いてますが、その時にまた伺ってもいいですか?」


「一応そのつもりにしています。式の後やってもよかったんですが、自宅でお経をあげて欲しかったので」


「そうですか……。秋風さんはいつから働いているんですか?」


「昨日からです。今の時期は退職される方が多くてお花の注文がたくさんあるんです」


 ……本当に気丈な人だ。


 桃子がすでに働いていることに驚きを隠せない。一昨日に綾梅の告別式をしたばかりだというのにだ。突如、式中に耐えている彼女の姿が頭に浮かぶ。


「強いですね……、秋風さんは」リリーは吐息を漏らしながらいった。「私だったらあなたのように芯を持つことはできないと思います」


 桃子の花束が完成したようだ。彩りもよく爽やかな春の花で満ちている。きっちりと紐で縛り花束のラッピングに入っている。


「強いわけじゃありません。辛いことがいっぱいありましたけど、こう、何かしてないと落ち着かないんですよ。それに一人で家には入れないので……」


 確かに皐月の話を聞いた後にはとても一人ではいられないだろう。自分の心の方が折れそうだった。桃子は涙も流さず無表情で頷くだけだった。


 ……事件を解決しただけでは被害者の心は解決できない。


 改めて自分の無力さを思い知る。何でもいい、桃子の力になりたいと思うが自分には何もできない。こうやって彼女に顔を合わせることしかできないのだ。


「ごめんなさい、それもそうですね」


 再び沈黙が訪れる。沈黙を破ったのは椿の一声だった。


「刑事さん、何か用件があったのでは?」


「ああ。そうです」リリーは我に返りながら用件を話した。「春花さんに事件を解決して貰ったお礼に――」


「ああ、もうお昼の時間だ。刑事さんご飯を一緒にどうです?」椿は慌てたような口調でリリーの言葉を遮った。


「それじゃ桃子ちゃん、店番お願いね」


「わかりました。いってらっしゃーい」


 桃子は精一杯笑顔で見送ってくれた。その姿が妙に痛々しかった。



「刑事さん、いきなりすいませんでした」椿は不意に振り返って彼女の前で両手を合わせた。「僕は事件に関わっていないことにしてもらえませんか」


「それは……確かにその方がいいかもしれませんね」


 椿のことだ。自分が皐月の鋏を見つけたことを知られたくないのだろう。もしこれがバレれば、桃子のことを少しでも疑ったと思わせるからに違いない。

 彼にそんな気持ちがないことはわかっている、彼自身だって危ない橋を渡っているのだ。


「秋風さん、大分元気になられたみたいですね」


「そうですね、少しほっとしています。当分出勤しなくていいといったんですが、本人が働かせてくれといってきかなかったんですよ」


 さきほどの彼女を見れば止めることはできないだろうなと思う。


「そういえば、葬儀の時の写真まわりの飾りつけは春花さんがしたんですよね? とても素晴らしかったです」


 綾梅の葬儀は庭園風な花飾りでとても豪華だった。椿の知り合いということで一番立派な祭壇を組んでもらったらしい。そこに椿は菊のラインで桃子の家の庭を作ったのだ。


 凄い、という感情しか沸かなかった。一本の菊が点となり重なり合うことでなめらかな曲線に変わっていったのだ。椿はその菊のラインの隙間に春の花を生け、ウメの枝を豪華に差し込んでいった。


「ありがとうございます。花の修行をしていたお店が葬儀会社と提携しておりまして、そこで一通り技術を学ばさせて頂いたんです」


 仕事柄葬儀に立ち会うことは多かったが、あれほどまで完成された祭壇は見たことがなかった。思わず声が漏れたくらいだ。


 無表情だった桃子がその祭壇を見て一気に泣き崩れた。床の上でわんわんと泣く桃子を見てリリーは花の力を知った。言葉で伝えられなくても花で伝えられることがあるのだ。改めて自分の無力さを思い知った。


「今日はいい天気ですね。本当に御一緒にどうです? 刑事さんは餡パンが好きでしょう? こっちのパン屋も餡パンがおいしいんですよ」


 鋏を受け取った時に袋の中にフランスアの餡パンが入っていた。その時は特に何も考えることなく桃子に受け渡した。


「すいません、なぜ私が餡パンが好きだと? 話してもいないのに」


「僕の勘違いかもしれませんけど、二回目お会いした時、服に胡麻がついていました。パン屋に聞き込みに行くとおっしゃっていたので、そのときに買われた餡パンの胡麻かなと思って」椿は呆気らかんとした顔で言い切った。


 二回目ということは……。

 リリーの顔が一気に赤みを帯びた。


「ああ、そうですよ。同じ服をそのまま次の日も着ましたよ。胡麻がついた服で何か問題がありますか?」


「ええっ? いやいや、そういう意味ではなくて。すいませんすいません、気遣いが足りずに」


 椿は必死に謝り始めた。その様子を見て彼女の口元は緩んだ。


「……いいんです。捜査に入ると、他のことを考える余裕がなくなるので」


「申し訳ありません。僕は本当に気遣いが足りないとよく怒られます」


 誰にといいたかったが、そこは聞かないことにした。刑事の悪い癖だ、何でもかんでも訊くことは。


「そういえば刑事さん。気になっていたので一つ訊いてもいいですか?」


「何でしょう?」


「刑事さんは流暢な日本語ですが、日本人の顔立ちじゃないですよね? 両親は外国人ですか」


 ……この男は、先ほど何のために謝ったのだろうか。


 そう思いながらも彼女は正直に口にした。

「そうです。父がイギリス人です。母が日本人ですので、ハーフになりますね」


「なるほど。綺麗な顔立ちをされているので、日本人らしくないなと思ってたんです。どちらに似ているといわれます?」


 ……どちらに似ているのだろう。


 母親の面影を背負いながら父親の考えを受け継いでいる。今の自分はどちらにも似ているとはいえない。


「あ、すいません。また余計なことを訊いちゃいました」


 彼の謝っている姿を眺めているとクロヤの看板が目に入った。どうやらこのお店にツバキのお勧めの餡パンがあるらしい。


「いらしゃいませ。ああ、春花さん、こんにちは」


 店員が椿の顔を眺めて会釈している。


「今日は桜餡パンがお勧めですよ、サクラの花びらを一枚載せただけですけど、あはは」店員は意味もなく笑った。

 その笑みに椿も微笑んでいる。


「じゃあ僕はそれを二つ貰おうかな。刑事さんはどれにします?」


「私は普通の餡パンでいいです」店員は頷き、袋に詰めた。


「春花さん、ついに彼女ができたんですか? なかなかの美人さんじゃないですか」店員はぼそりといった。


「違います。お友達です」


「なんだぁ、面白くない」店員は残念そうに溜息をつきながら袋詰めしている。「お友達さん、餡パンひとつ多めに入れておきました。是非また来て下さいね」


「えっ、いいんですか? ありがとうございます」


 リリーが笑顔で返すと、店員はにやりと笑いながら椿の方を指差した。


「春花さん、相手がいなくて寂しい独り身なので、また付き合ってあげて下さいね」


「別に寂しくはないですよ。独り身ですけど」


「またまたそんなこといって」店員は椿の言動を軽々しく遮った。「この人は背が高くてスマートに見えるんですけど、ぼけっとしてるんですよ。このままフワフワしていたらおじいさんになっちゃうんじゃないかと心配しているんです」


「いえ、見た目どおりスマートな人ですよ」リリーは素直に告げたが、嫌味も込めた。「気くばりが上手で、し過ぎるくらいに」


「お、これは脈がありそうですね」店員はひひっと笑いながら口に手を当て袋を差し出してきた。「是非また来て下さい。その時にはまたサービスしますよ」



 店を出て近くの公園のベンチに座った。人通りもなく静かだ。風がゆらゆらと吹いていて、心地いい。


「はい、どうぞ」


 椿から餡パンを受け取る。「先ほど失礼なことをいったのでこれは僕が奢りますよ」


 ……そんなことをいったら、これからもずっと奢り続けなければいけませんよ。


 そう思いながらもリリーは頭を下げて餡パンを手に取った。


「ありがとうございます、では遠慮なく」


 小さく一口かぶりつくと、つぶあんの持つ独特な渋みが濃厚な味を作っていた。噛み締める度に深みのある味がする。


「うん、やっぱり美味しい」椿は花びらを左手で掴んで一口、二口で餡パンを食べ終えた。


 二つ目に入ろうとする彼を見ると、こちらを見て微笑んだ。


「本当においしそうに食べますね」


 リリーが尋ねると、彼は無邪気に微笑んだ。

「美味しいものを食べれるのは幸せなことですよ。この食べ物はなんだか刑事さんみたいですね」


 意味がわからない。悩んでいると、彼は言葉を継ぎ足した。


「餡パンは和洋折衷(わようせっちゅう)ですよね。餡子とパン、日本と外国のいい所を合わせた食べ物です。素晴らしいと思いません?」


 椿は幸せそうな顔を浮かべながら力説した。その横顔を見ていると妙に納得してしまう。きっと自分に対してもさり気なくフォローしているつもりなのだろう。


「……刑事さん、生きているお花は好きですか?」


「正直にいうと、あまり好きではありません」リリーは小さくかぶりを振った。「日持ちだってしないし水を替えたり面倒です。さっきの餡パンにも花びらを追加するというのは不要だと思います」


「なるほど。……僕はですね、生きている花が大好きです。もちろん面倒ですけどね」椿は微笑みながら答えた。「夏場なんかは一週間も持たないし手入れも大変です。でも季節ごとにしか味わえない『一瞬の輝き』があるんです。それは生きているからこそ放つ輝きなんです。この餡パンに載っている花びらのように」


 一瞬の輝き。リリーの心臓がその言葉を捉えた。


「刑事さん、あの庭を見てどう思いました?」


「私は寂しいと思いました。三本の木が枯れていたので。春花さんはどう思ったんです?」


「僕はですね、暖かいなって思ったんです」


 彼の言葉に納得できない。四方に四本の木があったが、一本の木しか咲いておらず自分の目には物寂しい感じがしたからだ。


「確かに今の状態だけでいえば寂しいですが、木は生きています。季節も変わります。季節を変える毎に大きな木達は表情を変えるんです。ウメ、サクラ、ソテツ、カエデと表情を変えた庭を想像すると、幸せな家庭が見えてきたんですよ」


 驚きを隠せない。あの一瞬の間に椿はそこまで感じたというのか。それで、暗闇の中でもいい庭だといったのか。


 リリーはゆっくりと目を閉じて秋風家の庭を想像した。



 どっしりとした四本の木が立っており、その中に子供のような低い木々があった。そこには四人の両親が小さい二人の息子と娘を授かったことを喜び、共に分かち合っているように見えた。


 花が咲く季節はバラバラだが、一年を通して見ると子を思う気持ちには変わりはない。



 その空間は文字通り、『家庭』だった。



 再び目を開けると、大きなサクラの木が目に入った。サクラの花びらが風に舞い、春の季節が体に染みこんでいくようだった。


 リリーは手に持っていた餡パンに食いつこうとした。しかし食べることができずに、そのまましばらく眺める形になった。花より団子という諺があるが、今はそれとは正反対の気分かもしれない。


 隣にいる店主の顔には微笑がある。やはり彼の仕業らしい。


 餡パンの上には薄桜色の花びらが二枚重なっておりハートの形になって寄り添っていた。


 確かにここには一『瞬』を生き抜く、命の輝きがあった。 

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