第一章 一『瞬』の輝き PART15
……あの女に復讐してやる。
それは俺が大学病院の庭の仕事を引き受けて二年目のことだった。枝切りバサミで松の形を大雑把に整えていた時だ。後ろから声を掛けられ振り返ると、背の小さい可愛らしい女の子が立っていた。近くの花屋でバイトしているという。
その子は自分の名前を名乗らなかった。その時に苗字さえ、名前だけでも訊いていたら今の犯行は起こらなかったかもしれない。
彼女はコロコロと玉が転がるように笑う人だった。ただ松を切っている姿を見るだけで感心し素直に凄いと褒めてくれた。荒んだ心に水を蒔いてくれる天使のようだと思い始めていた。
苗字を訊いた時には耳を疑った。自分の父親と不倫している母親の娘だと信じたくなかった。
自分は五歳の頃から父親を信用していない、なのに彼女は自分の母親を尊敬し立派な母親だといっていた。俺の母親は苦しんでこの世を去ったんだぞと鬱憤を晴らしたかった。母親の話を聞かされるたびに細い首を握り締めたい衝動に駆られた。
しかし今、それはできない。今のままでは復讐の味は薄いからだ。たっぷりと味わせてやる、満腹で反吐が出るくらいになるまでだ。この時から復讐に取り付かれた日が始まっていた。
時間はたっぷりある。計画はそうだな、母さんが亡くなった命日に行なうとしよう。ちょうど一年後だ。母さんの命日にこの家族を地獄の底に叩き落としてやる。
やるからには計画を完璧なものにしなければならない。俺は着実に目標を立て遂行していった。
当日に着ていく服、荷物、殺害時間、殺害場所、証拠の廃棄場所、アリバイ、全てを機械式時計を作るように一本一本のネジとして組み込んでいくのだ。
途中で一つでも間違えれば復讐は果たせない。
母親への思いが俺に火をつけた。その火はきっと禍々しい黒い炎だろう。構わない、覚悟はできている。復讐が果たせれば俺自身燃え尽きてもいい。
毎日考えるたびに一つずつネジは順調に仕上がっていった。一つ新しい考えが浮かぶ度にその日は気分がよかった。しかしアリバイにおいては一人では無理だと悟った。捨て駒がいるなと思った時には大学に足を運んでいた。
雨の日は桃子に合わせなくてよかった。俺の仕事がないからだ。時間を作っては大学の食堂に向かい、学生の真似をしつつアリバイに協力できる友達を物色した。大学の食堂には俺と似たような年齢が集まっており、部外者が入ってもおかしくない格好の餌場だ。自分と同じ体格、顔つきのものを探し続けた。
三ヶ月ぐらい経ってからだろうか、色が黒いが自分と似ている人物がいた。梅雨のおかげで食堂に向かう機会が増えた時期だった。ターゲットを決めそいつを観察することにした。
しばらくして一人で食事をしていた日を狙って声を掛けてみた。初めの第一声を聞いて俺は少し落胆した。あまりにも自分の声のトーンとは違うのだ。しかしまあいいだろう。喋らせなければいいのだ。
名は若葉榎樹(わかば なつき)といった。
榎樹は最初疑わしい目でこちらを見ていた。当たり前だ、自分に似ているからといって話しかける奴はいない。
俺は上手いこと声色を変えて同情を装うように話を始めた。俺には双子の弟がいてここの大学に通っていた。榎樹はぼんやりと話を聞いてくれた。俺はさらに演技に熱を入れた。
その弟には持病がありそれを克服するために医療関係の大学に進んだと説明し、最後にはその持病で亡くなったと話した。
榎樹は全くもって疑わず俺の悲しみに同調さえした。こんなやつが将来医療関係に進んで大丈夫なのだろうかと妙な不安が湧いた。
榎樹は看護科の一年だという。看護士になりたい人間は男より女の方が圧倒的に多いらしく、クラスの男女比は一対九くらいの割合だという。そこで気のあう男友達は中々できずたまに一人で食べているという。
俺は身分を隠してもしょうがないので庭師だと告げた。一人で仕事をしているのでご飯はいつも一人だともいった。すると向こうから友達になろうといってきた。
俺は大袈裟に驚き礼を口にした。その時の榎樹の得意げな顔は今でも脳味噌にこびりついている。本当に単純な奴だ。
それから雨の日は榎樹と飯を食った。晴れている日は仕事が忙しく休憩がないというと榎樹は大変だねと慰めの言葉を掛けてきた。働いたことがないやつにいわれる筋合いはないと悪態をつきたがったが我慢した。
榎樹はサーフィンが趣味だといった。しかしバイトもしていないので金はない。ボードを買うだけで精一杯だといった。ついにつけ込む隙を与えてくれたと俺はほっとした。金のことなら心配しなくていい、俺も榎樹とサーフィンがしたいといった。
話し終えた後、榎樹とボードショップに行くことにした。榎樹は嬉しそうにショップで俺のボードを選んでいる。榎樹が選んだのは自分のボードの色違いだといった。俺は満面の笑みで応えた。
榎樹はその後、長袖のウェットスーツを覗き込んでいた。冬にもサーフィンはできるらしい、専用のスーツを買えばだ。そこで俺はボードを選んでくれたお礼にスーツをプレゼントするといった。彼は最初の一回だけ断ったが、その後はすぐにスーツ選びに夢中になった。お互いの体格が似ていたため、スーツ選びでも話題は尽きない。
嬉しそうな榎樹の顔。潰してやりたいと思った。しかしそれは綾梅を殺害した後だ。俺は策を練った。
……そうだな、サーフィンをしている間に不慮の事故というのはどうだ?
三月であればまだ寒いだろうしスーツを着なければならないだろう。その時に体が冷えるのを防ぐためホットジェルを塗る。このジェルは体を暖めるものではなく筋肉の動きを止める弛緩剤に変えるという案はどうか?
俺は榎樹になるべく密着性の高いスーツを選ばせることにした。榎樹は驚嘆の表情を作ったが侘びもせず結局高いスーツを選んだ。
殺害場所は人手が少なく波が強い場所がいい。慣れていない上級者用のショートボードもついでに買い与えればもはやいうことはないだろう。俺は笑みを浮かべて妄想に浸った。しかし、これは後日の楽しみにとっておこうと決めた。
榎樹は幸せものだな、と俺は考えを改めることにした。サーフィンをやりながら死ねるのだ、最高だろう。この考えが俺の仮面を強固なものにした。
二人でサーフィンに行くようになってから半年、俺達は太陽の光を浴びてほとんど瓜二つになった。仕事中に巻くタオルが無ければ兄弟以上の関係に見えるだろう。そろそろ計画を話してもいい頃合いだ。俺は榎樹に計画を話すことにした。
計画の内容はこうだ。
親父に島根に行けといわれている。しかし俺は行きたくない。そこで偽装工作を行いたいといった。榎樹は最初、冗談半分で聞いていた。しかしその計画の報酬の話になるとすんなりと承諾した。やはりこいつを選んでよかったと心の中で嘲け笑った。
計画の実行は三月と話した。
榎樹は早くも報酬について考えているみたいだった。新しいボードが買いたいなといっていた。今まで持っているのはロングボードで、ショートのボードが欲しいといっていた。
もちろん俺が二重の意味で喜んだのは間違いない。榎樹の殺害計画にもぴったりだなと思い、俺がプレゼントしてやるというと驚嘆の声があがった。
計画は全て予定通り完成した。一本のネジの狂いもなく順調に針を進めていった。
決行当日、桃子と一緒に食事をした。しかし、それも今日で最後だ。島根に行くことは話してある。見送りに行きたいといわれたが、アリバイ工作の邪魔になるとはいえず仕事のために行くことを強調して断わった。
代わりに公園に夜しか咲かない花の話をした。桃子は話に夢中になった。本当に花の話題なら何でも犬のようにくいついてくる。純粋なのか馬鹿なのか、それともどちらともなのか。俺は桃子が夢中になれるよう優しく嘘の情報を流した。
その花の咲く時間帯は二十二時頃まででぼんやりと光を放っていると告げると、桃子は今日の夜探してみると意気込んだ。
他にも色々桃子のアリバイ対策を練っていたが、これですみそうだと安堵した。そして単純な思考の持ち主だと憐れに思った。
仕事を終え早速準備にとり掛かった。赤いシャツを着込みその上にオレンジとブラックのリバーシブルのジャケットを重ねた。計画の要になる鉄鋏をばらした。
代用品はない、毎日の包丁砥ぎの成果が問われた。予め盗んでおいたナイフは研いでおいた。それに合わせて慎重に研ぐ。結果、練習の成果が実った。
きっちりと図ると、ナイフと同じ厚さに成功していた。俺の体は歓喜に震えた。予定通り、綾梅と八時半に自宅で待ち合わせでいい。
初めて綾梅と電話した時は自分を抑えるのに苦労した。声を聞くたびに虫唾が走る。だが計画を止めることはできないため、奥歯をかみ締めながら我慢した。
桃子と付き合ってちょうど一年になる。そこで三人で食事をしたいといった。もちろん、桃子に内緒でだ。
すると綾梅は自宅で料理を作って三人で会うことを提案してきた。もちろんそうなるように仕向けるつもりだったが、すんなり自分の思い通りにことが運ぶとは思わなかったので、驚きの声を出した。
外で食べるといわれた時にはサプライズにならないと言い訳しようと思ったし、親父の家で食事をしようといったら親父には変わった形で報告をしたいと告げようと思っていた。
時間は桃子の仕事に合わせて二十一時とした。
綾梅に初回と同様、公衆電話から連絡した。予定より早く仕事が終わったので準備を手伝いたいというと、綾梅は快く承諾してくれた。何か買っていくものはないかというと、桃子の誕生日も一緒にやりたいのでケーキを買ってきて欲しいといった。
誕生日から日数がだいぶ経っているが、本当に親子なのだろうかと疑いたくなった。
母さんならそんなことは絶対にしない。誕生日の日に一日掛けて思いっきり祝ってくれる。母さんの優しい微笑みがふいに蘇った。その思いが沸々と俺の心に棲んでいるものを再び燃やし始めた。
俺は桃子が喜びそうなケーキを買っていこうというと、綾梅は電話口で嬉しそうな声をあげた。
……馬鹿め、確実に殺してやる。
俺の殺意は最高潮に達した。母親以上の苦しみを与えて殺してやる。
その日、綾梅は全く動じなかった。俺がどんなに激しい感情をさらけだそうとも、勘違いの一点ばりだった。逆に蘇鉄とそんなことになるのは願い下げだとさえいった。証拠の写真を見せた時には笑ってさえいたのだ。
これが桃子が尊敬した母親だと思うと滑稽だった。泣いて懇願さえすれば楽に殺してやったのに、最期まで自分の罪を認めないとは。綾梅が言葉を発する度に、一年掛けてきた計画はなんだったのかという焦燥感を何度も味わった。
頭を掻き毟りたい衝動に駆られたがニット帽が外れてしまい髪の毛が落ちる可能性がある。必死に我慢するしかない。
綾梅と話したことで感情を大分揺さぶられたが、一年掛けてシミュレーションをしてきた結果が実を結んだ。ナイフに化けた鋏を取り出し、いつもの利き手でスムーズに正面から綾梅の喉元を切り込めた。意識を左側に集中した、後ろから鎌で切り込むイメージだ。
綾梅の悶えるような叫びには本当に興奮した。一撃で葬ることができた感触は生涯忘れることができないだろう。
その後、血にまみれた綾梅の首を持ち上げ、桃子のナイフで切れ目を入れナイフを畳んで庭の池の中に放り込んだ。机に置くよりも警察は嬉しがるだろう。
血で汚れたダウンジャケットを脱ぎ、着込んだシャツで血を拭き取った。そのまま持ってきたビニール袋からシャツを交換して着替えジャケットを翻す。これだけで榎樹と同じ格好になるのだ。後は俺の痕跡を消せばそれで終了になる。
部屋を一瞥して綾梅に出して貰った湯のみを忘れずに洗わなければならないと思った。指紋がつかないようにきちんとゴム手袋の上から洗った。やりすぎだとは思うが水回りもきちんと布巾で拭いておいた。
テーブルを眺めると、ご丁寧に茶碗を三つ用意していたのでそれも直した。稚拙な飾り付けを毟り取り、クラッカー等の不要なパーティーグッズは予定通り持ってきた可燃物用ごみ袋に突っ込んだ。
特に異常がないか意識を集中し観察する。二階に上がるかは迷った。何しろ桃子がいつ帰ってくるかはわからないからだ。
彼女がしたと思わせるためにはどうしたらいいだろう。頭の意識をもう一度集中した。前もって考えていたが、やはり現場でもう一度考える必要がある。
その時に思いついたことがあった、綾梅の日記だ。綾梅が今日のことをどこかに書いてあってはまずい。アリバイは作ってあるがうすっぺらい紙のような絆だ。榎樹を殺す前に尋問されて破綻する可能性もある。
刑事の立場で考えると、榎樹との繋がりは身体的特徴だけでなくお互いの携帯を調べれば一発でわかることだ。後で榎樹に公衆電話で連絡しなければならないし、繋がりを切ることはできない。
時間を五分と決めて捜索した。
綾梅の携帯を見つけた。メモ、メール内容を見たがそれらしいことは書いていなかった。公衆電話の履歴を消したかったがここで消しても電話したことは消せない。そのままにしておこう。
綾梅の日記はあったが、かなり古いものだった。昔の物で最近のことは書かれていなかった。だがそこに俺の名前が書いてあることを発見した。
俺の五歳までの記録が少々残っていた。母さんのことも書いてあった。このまま持って帰って日記を読みたかった。殺した相手とはいえ母さんの友達だったのだ。母さんのことが少しでも載っているのなら欲しい。
しかし犯行を完全なものにするためには我慢しなければならない。その場でページを最後までぱらぱらとめくると一枚の写真が挟まっていた。何かの建物のようだったが汚れが目立ち完全には把握することはできなかった。そのままノートを閉じ元あった場所に戻した。
大学ゲート前に辿り着く頃に、桃子からの電話が掛かってきた。予想通りだ、前もってバスに乗る時間を説明しておいてよかったと俺は安堵した。これで花が見れたか確認の電話を入れる必要はなくなった。後は榎樹と合流するだけだ。
一年掛けた復讐は果たせた。
……しかしなんだろう、この虚脱感は。
復讐の味は甘くはなかった。俺の中に棲んでいる炎は消えることなくそのまま心自体を灰にするように燻っていた。
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