第一章 一『瞬』の輝き PART14

  14.


「どうなさいました?」


「まさかとは思うんですが、こいつは綾梅さんの事件に関わっているのでは?」


「仰る通りです」


 蘇鉄は落胆を隠しきれず肩をがっくりと落とした。

「俺にも話をさせて下さい。お伝えしなければならないことがあるんです」


 蘇鉄は真剣な顔でリリーを見た。その瞳には皐月とは対照的に強い力が宿っていた。


「親父は黙ってろ。関係ないだろっ、親父は!」


「いいや、お前は勘違いしてる。そして俺も大きな勘違いをしていた」蘇鉄はすぅーっと大きく息を吸い込んだ。


「刑事さん、俺は今回の犯人が別にいると思っていました。通りすがりの強盗だと思っていたんです。けど事件翌日、何気なく皐月のアパートを通り過ぎたら、皐月の車がありました。その時にある考えが浮かびました」


 蘇鉄は皐月を睨みながら続けた。


「もしかしたら、桃子ちゃんが皐月のアパートにいるのかもしれないと思いました。実はこいつが桃子ちゃんと付き合っていたことは知っていたんです。綾梅さんから、うちの子とあんたの子は出来てるよって聞いていましたから。俺もこいつが誰かと付き合っているのはわかっていました。なんせ子供の時からわかりやすい奴で」


 ……やはり知っていたのか。


 皐月と桃子が二人で並んでいる写真を見せても彼は全く動揺しなかった。それが当たり前のように眺めていたのだ。


「こいつがいきなり休みが欲しいなんていうから、嘘をついて彼女と旅行に行くつもりだと思ってました。そんな時に秋風さんの所で事件です。綾梅さんは結構気性が荒い所がありましてね。俺に対してもひどく叱責する所がありました。庭の手入れでよく怒鳴られましたよ。素直でいい人なんですけどね」


 皐月を見ると父親の姿に釘付けになっていた。しかし、そこには何の表情もなかった。


「今回の事件はもしかすると、桃子ちゃんが起こしたのではないかと思ってました。もしそうなら桃子ちゃんが出てこないのは皐月が匿っているだろうとも考えていました。皐月が島根に行ってないことはわかっていたんです。こいつは小さい頃から乗り物酔いがひどくてね。行くのなら自分の車で運転しないといけないでしょうから」


 蘇鉄の思惑は想定内だ。


 リリーが黙って聞いていると、皐月が声を上げた。


「親父、何をいってるんだ?」


「いいからお前は黙っとけ!」蘇鉄は刃を振るような鋭い声で皐月を制した。一瞬にして周りの空気が冷たくなる。


「お前は俺と綾梅さんとの間に関係があると思ってたのか?」蘇鉄はぎろりと皐月を睨んだ。


「親父、もういいんだよ。隠さなくて。母さんが亡くなる前日まであの家の庭を手入れしてたんだろ? 母さんが亡くなったのはあの女のせいなんだろ?」


 リリーは帳簿に挟まっていた写真を思い出した。蘇鉄と綾梅の二人だけで写った写真だ。


「皐月、もう一回いうがお前は勘違いしている。綾梅さんとは不倫をしていたわけじゃない。もちろん桜が亡くなった後もそんな付き合いはない。俺と桜、楓と綾梅さんは元々友達だ」


 皐月は唇を引きつりながら反論した。


「また、そうやってごまかすのか。じゃあなぜ秋風家で仲良く二人で撮った写真があるんだ? 母さんが亡くなる前日の日付だったぞっ」


「……そういうことか。お前はあの写真を見て、そう思ってたんだな?」


 皐月は狂気を帯びた目で父親を睨みながら怒鳴った。


「あんな写真があったら誰だってそう思うだろうよっ」彼は近くの壁を叩いて続けた。「俺は親父を憎んだよ。母さんは苦しんで死んでいったのに、親父は仕事先の女と仲良く写真を撮ってるんだぞ? あの時から俺は早く一人前になって、親父が安心した所で店を潰してやろうと思ってたよ」


「そうか……。お前はあんな小さい頃からそんなことを考えていたんだな」

蘇鉄は徐(おもむろ)にタバコを取り出し火をつけた。煙はぼんやりと浮かんでは消えていく。

「すまない。本当にすまなかった。お前が母親を亡くして一生懸命頑張ってるって桜に報告してたわ。俺は馬鹿だな……」


「ということは認めるんだな、秋風綾梅と不倫をしていたことを」


 蘇鉄は大きくかぶりを振った。

「いいや、違う。お前に対する気持ちで謝ったんだ。俺は不倫をしていたわけじゃない。いいか誤解するなよ、俺は秋風さんの庭をお前にまかせるつもりだった。俺の仕事を見て覚えて欲しい気持ちもあったが、お前にあの庭を見て欲しかった。だから必ず俺一人で庭の手入れを毎月かかさずにやっていたんだ。お前はあの庭を見たのか?」


「ああ、見たよ。立派なウメが咲いていた、それだけだ」


「確かに今の季節はウメしか咲いていない。しかし後十日もすればお前は母さんが好きだったサクラが見れていたのにな……」


 リリーは秋風家の庭を想像した。確かあそこには三本の枯れた木が立っていた。その一本は確かにサクラの木だった。


「だからなんだよ、母さんの花が咲いたのを見て二人で笑っていたのかよっ」皐月は激しい口調でいった。


 それでも蘇鉄は冷静に話を進める。しかし彼の目には涙が溢れていた。


「お前は初めから綾梅さんを殺したかったわけじゃないんだろうな。桃子ちゃんに会ってからだろう? 楽しそうに夢を語る桃子ちゃんと出会ってからじゃないか? 桃子ちゃんと話をする度に自分の気持ちを掻き回されたんだろうな。もちろん、俺は何も気づいてやれなかった、本当に申し訳ない……」


「ああ、そうだよ。桃子が憎くてしょうがなかったよ。だから俺が母さんのためにやった」


 蘇鉄は大きく深呼吸をし皐月に諭すように思いを告げた。


「皐月、あの家はな。桃子ちゃんが生まれる前に建てた家だ。桃子ちゃんの父親は大工でな。あいつが家を建てて庭は俺と桜で作った。俺と桜の話題は専らお前とあの庭だったよ。


 桜は元々体が弱かった。それは結婚する前から知っていた。だからこそ桜は俺よりセンスがあったんだろうな。俺よりも植物に対する愛があった。


 楓の家ができて五年、桜の体は限界がきていた。いつか来るとは思っていたよ。桜の口数が少なくなってきて食欲もない。寝たきりの状態が長く続いた。俺はできる限り傍にいたかった」


 皐月はそんな話は聞きたくないといわんばかりに、蘇鉄に背を向けていた。だが蘇鉄は止まらない。


「ある日、桜はいきなり思いついたようにいったんだ。楓の家の庭を背景に俺と綾梅さんの二人で写った写真を撮ってきて欲しいとね。俺は嫌だった。こんな時にまで仕事なんかできるかってね。息を引き取るまで一緒にいたかった。


 だが桜の目は真剣だった。あいつは自分が作った庭を目に焼き付けたかったんだろうな。最期にあの庭が見たい。それだけを俺に続けていった」


 蘇鉄の表情が大きく歪んでいく。彼の思いがこの空間を支配していく。


「桜の命懸けの頼みだ。俺は気合を入れた。あれから毎日庭にいって血眼になって手入れをした。綾梅さんも気を使って慣れないながらも手伝ってくれたよ。そして庭の手入れが終わり、綾梅さんと二人で写真を撮ったんだ。その時にはすでに楓は消息不明になっていたからな。


 だから俺と綾梅さんの二人だけの写真になってしまったんだ。無理やり二人で笑顔を作ったよ、桜のために」


 皐月は焦燥しきっていた。冷たい風が辺りを覆っており彼の表情までも奪っていった。


「それは本当なのか、親父?」


 不意に雷がなった。空を見ると、雲が灰色から黒色に変わっていた。


「ああ。俺は桜しか愛していない。確かに不倫をしていないという証拠はない。だけどなお前が素直な心であの庭をみたら絶対にわかるはずだ。今のお前の技術なら俺達がどういう気持ちで庭を作ったか見ればわかるだろう」


「嘘だろ。嘘なんだろ……なあ」


 皐月は膝をつき、そのまま両手を地面につけて嗚咽し始めた。その様子を見て、蘇鉄は再び頭を下げた。


「本当にすまなかった。俺は父親失格だ。本当にすまない……」蘇鉄の顔からは涙が零れ落ちていた。雫が流れるのと


同時に、雨がぽつぽつと降り始めた。


「親父……くそ、くそぉ。嘘だといってくれ。嘘だといってくれよぉぉぉっ」


 皐月は声をあげて泣き叫んだ。

 空一面の雲は皐月の声に応じるように涙を零し始め、首筋の血を優しく流していった。

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