第一章 一『瞬』の輝き PART13

  13.


 リリーが青々とした庭園に踏み込んだ時には、冷静さを取り戻していた。深呼吸し迷いなく目的地に向かう。空を見上げると灰色の雲が浮かんでおり今にも降り出しそうな天候に変わっていた。


 皐月は外の庭の手入れをしていた。雨が振る前に終わらせたいのだろう、恐ろしく仕事が早い。声を掛けるとこちらに気づき、無表情に頭を下げて来た。


「こんにちは、夏鳥さん。ご報告がありまして立ち寄らせていただきました」


 もう迷いはしない、リリーの目は夏鳥皐月を掴んでいた。


「またですか、刑事さんっていうのは本当にしつこいんですね」


「申し訳ありません。しかし、今日で最後の訪問になると思います」


「そうですか、じゃあやっぱり……」


「はい、あなたに御同行して頂くために来ました」


「え?」皐月の顔に歪みが生じた。「何をいってるんです?  犯人は桃子じゃ……」


「桃子さんではないですよね?」


 リリーが鋭く睨みつけると、彼は微笑んだ。


「どうしたんですか、犯人は桃子ですよね? 何か他の証拠でも見つかったんです?」


 いきなり証拠ときたか。自然と唇が上を向いていく。やはり父親とのコミニケーションはうまくいってないらしい。


「先日は夜遅くに失礼しました。今度はちゃんと証拠があります」


「そうですか。それで証拠とは?」


 蘇鉄が遠くからこちらを見つめているようだ。リリーが建物内に目をやると、建物の中で作業していた彼の手が止まっていた。


「ええ、あなたの鋏です。ネジの部分に微量ですが被害者の血が認められました。自宅に行ったことはないとのことでしたが、これはどういうことでしょうか?」


「は? 僕の鋏を何であなたが持っているんですか? 意味がわからない。というか僕は無関係ですよ」


 震えている唇からにしてはきちんと言葉が出ている。彼女は口元を緩めて続けた。


「わかりました、お伝え致しましょう。あなたが捨てたという鋏は蘇鉄さんがあなたのためにもう一度拾ったのです。研ぎ直してあなたにまた使って頂くためにね。しかし皮肉なものです。あなたは一流の研ぎ師ですよ」


 皐月の表情はセメントのようにガチガチに固まっていた。頭を垂らして足を震わせている。


「この鋏は桃子さんが使っていたナイフとほとんど誤差がないくらいの厚さになっています、両刃ともです。鑑識官もびっくりしていました。ナイフ一本の犯行だと考えていましたからね」


「たまたまじゃないんですか? 一年間使って来た鋏なので磨り減って、たまたまナイフと同じ厚さになることもありえるんじゃないんですか?」


「残念ながらそうなる可能性は非常に低いようです」


彼女は穏やかな笑みを浮べたまま告げた。

「鋏を使っていると、どちらかに力が片寄るので全く同じ厚さになるということはありえません。綺麗に研がない限りは」


 ……ここから切り込むことにしよう。


 ぐっと手に力を込める。先ほど掴んだ桃子のぬくもりが未だ残っている。


「夏鳥さんのアパートには綺麗な包丁がたくさんありましたね、あれは練習用に買ったんじゃないんですか?」


「いいえ、料理なんて――」皐月はリリーに話した内容を思い出したのかそこまでいって黙った。


「詳しくは署で話を伺えませんか?」


「わかりました。ではその前に真実を話しましょう」


皐月は力を抜いて観念したような表情を見せた。


「確かにこの鋏は僕が処分しました。しかしですね、これは桃子の意志なんです。桃子は母親に昔から恨みを持っていました。母親は自宅に男を呼んで不倫をしていたみたいです。母親と二人だけの生活なのに、母親と反りが合わなければ歪みが生じますよね?

 ある日、僕に鋏を貸してくれといったんです」


「つまりあなたは殺人に関与していないと?」


「そうです。事件後の夜に、桃子から鋏を返して貰いました。そして僕は父親にこれを処分して貰おうと思い、ゴミ箱に捨てました」


「……そうですか、それで言い逃れができると思っているんですね」


 リリーは全く動じなかった。そんな考えはすでに想定済みだ。


「あなたの心はすでに枯れています、自首して下さい」


 彼女の冷めた瞳が彼を追い詰める。皐月の表情が灰色に染まっていく。


「えっ? 刑事さん、本当の話なんですよ。信じて下さい」


「ではなぜ鋏を貸したんですか? あなたに危害が及ぶんですよ」


「お、俺は……彼女を愛していた。初め、俺が身代わりになろうと思っていました」


皐月は恋焦がれる乙女のような憂いに満ちた表情を作り遠くを見つめながらいった。だが先ほどよりも表情が硬く顔色が悪い。

「しかし彼女は考え直し自分の罪を認めるため出頭したんです」


「秋風さんは罪を認めていないのですが」


「それは、途中で怖くなったからではないですか。自分の犯した罪を認める勇気がなくなっただけでは。それに……俺にはアリバイがあります。どうやっても綾梅さんを殺害することは無理ですよね」


 自分の顔が綻んだのを感じる。その言葉を待っていたと思わず口がにやけてしまう。


「では、そのアリバイについてお話をしましょう。あなたは二十一時三十分頃バス停にいましたね」


「ええ、その通りです」


「年配の運転手といっていましたが、実は若い運転手でした」


 皐月はごくんと唾を飲み込んだ。だが表情は揺るがない。


「当日の運転手の話によると、年配の運転手は休みをとって交代していたみたいです。代わりに派遣の方が来られたみたいですよ」


「ええっと、そうでしたっけ」皐月の眼は泳いでいる。「ああ、そうそう。その時の運転手は若かったです。すいません、うっかりしていて」


「うっかりなら仕方ないですね。続けさせて貰います。バスを離れた後、あなたはタクシーに乗ったといいましたよね、そのタクシーの運転手に時間を訊いたんじゃないですか」


「時間を訊いたのは確かです、間違いありません」


「中は熱かったんでしょうね、ジャケットを脱いでいたと運転手はいっていましたよ」


「そうだったんですかね。桃子の話を聞いて落ち着かなかったもので」


 あくまでも白を切るつもりらしい。熱を込めて彼を追い詰めていく。


「しかし二人でタクシーに乗った時、あなたは暖房の入った中でジャケットを脱ぐことはしなかった。いや脱げなかったんでしょうね。ジャケットの中は血の匂いが残っているでしょうから」


 皐月の顔が変色しだした。血色が悪くなり青くなっていく。


「ジャケットの中になぜ血の匂いがあるんです?」


「それはあなたが一番ご存知のはずでしょう?」


 皐月は大きくかぶりを振った。

「いいえ、わかりません。ジャケットの中には綾梅さんの血が付いていたというんですか」


「違いますか?」


 皐月は当たり前だと大きな声でいった。

「違うに決まってるじゃないですか。仮にですよ、俺が殺人をしたら、その血はジャケットの中には入らず表につくんじゃないんですか」


「普通のジャケットでしたらそうでしょうね」


「普通のジャケットって何ですか、普通じゃないジャケットがあるんです?」


皐月は突然笑い始めた。しかしその中に動揺の色が隠れている。

「あの時はオレンジ色のダウンジャケットを着ていましたよ。バスの運転手さんもご存知だったと思いますが」


「そうでしたね。でもそれだけじゃ説明不足ですよ。中が黒のリバーシブルのジャケットといった方が正確です」


 皐月の足が再び震え出した。


「あなたは殺人を行なう前、ジャケットを裏地にしましたね。色鮮やかなオレンジから目立たないブラックに変えたんです。もちろん、綾梅さんの自宅に行く時に明るい格好で行けば目につくことも考慮してです」


 皐月は言葉を発しなかった。立っているだけでも辛そうだ。


「あなたにはお好きなブランドがあるみたいですね? そのブランドは北九州では一つのお店でしか扱っていません。約半年前に購入履歴がありました」


 皐月はすでに陥落していた、顔の表情がなくなっている。


「是非、自宅を拝見さして頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」


「……ええ、もちろんいいですよ。ジャケットから血が出なければいいんですよね?」


 皐月は急に勝ち誇ったように笑みを浮かべた。その顔は正気の顔でなく悪魔のように歪んでいた。


 ……やはり交換していたか。


 唇を噛んで彼を睨む。ここからどうやって粘るかが最も肝心だ。


「もちろん出なければ結構です。確かジャケットは二着購入されていましたね、なぜ同じものを二着買ったんですか」


 皐月は安心したのかとぼけ顔になって答えた。

「そうでしたっけ? 半年前のことですから覚えていないなぁ。もしかしたら友達に頼まれて同じものを買ったのかもしれません。別に二着買うことはおかしな話ではないでしょう?」


 こちらの予測を読んでいる。やはり決定的な証拠がなければ皐月の壁は崩れない。目に力を入れ揺さぶりをかけようとした瞬間だった。突如、携帯のメールが届いた。


 ……いいタイミングだ、まさかどこかで見ているんじゃないでしょうね? 万作。


「話は終わりですか?」


「いえ、もう一つだけあります」


 携帯に目を通し文字を記憶する。


「僕も忙しい身なので次の質問に答えたら終わりでいいですかね?」


「ええ、構いません。榎樹

なつき

さんという人の話だけしてもらえれば結構です」


 ガチャッという金属音が響いた。皐月の手から鋏が零れ落ちアスファルトに響いた音だった。どうやらアタリを引いたらしい。


「し、知りません。そんな奴」


「奴ということは男と認識していると推測していいですか?」


「えっ、いや、知りません、そんな人」


 リリーは深呼吸し皐月の瞳を見つめた。その目には狼狽の光が宿っており淀んでいる。


「半年前からサーフィンを始めたといっていましたよね」


「は、はい……」


「その時はどなたと行っていたんですか?」


「……」皐月は何かをいったが言葉にはなっていなかった。


「榎樹さんですよね、こういった方がいいですか? 秋風綾梅を殺害するために作った友達だと」


 皐月の膝はすでに容疑を認めていた。後一押しで桃子を開放することができる。


「あなたの心はすでに枯れています。今すぐに自首して、彼女を救って下さい」


 彼は落とした鋏を取り、首に掻けようとした。首からゆっくりと血が滴っていく。

 もちろん、このまま死なせるわけにはいかない。


「……私の心もすでに枯れています」


 彼に伝わるよう、冷静に胸の内を述べる。


「あなたの気持ちもわかります、どうしてあなたがこんな犯行を行ったのかも……。それでも、生きなければなりません。ここまで生きてきた以上、あなたの命は、自分だけのものではありませんから――」


 皐月を取り巻く環境を考慮して述べる。計画的犯行であり、ほとんど穴がない。それは熟考を重ねた結果だ。

 彼の憎しみが、彼を狂わせた。その思いは計り知れないが、だからといって殺人で解決する道はない。


 皐月を説得しようとした時に蘇鉄の姿が見えた。彼は手刀を切って謝ってきた。

「刑事さん、すいません。俺にも少しお話をさせて頂けませんか」  

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