第一章 一『瞬』の輝き PART12

  12.



「えらい遅かったね、間に合ったのかい?」


 部屋に戻ると、蘇鉄は笑顔でいった。


「女性にそんなことを訊くのは失礼だと思うんですが」


「すまんすまん、あまりに遅かったからね。ええと何の話だったっけ?」


「鋏の話です」


「そうそう、鋏っていうものはね――」


 リリーは急いで話を遮った。


「夏鳥さん、ナイフを二本ネジで止めてある鋏をご存知ですか?」


「ああ、知ってるよ。普段俺達が使っている鋏だ」


「それはどういった形なんです?」


 蘇鉄は右手でピースの形をとりながら付け根部分に拳で丸を作って乗せた。

「こんな形だ。普通の鋏みたいに指を入れる所がないんだ。枝切りバサミを知ってるかい、あれを片手で扱うような感じだね」


 そういって蘇鉄は親指を立てるポーズをとりながら四つの指を重ねて折り曲げたり戻したりした。


「なるほど、それでどういったものを切るんですか?」


「そうだな。花屋だったら茎を切ったりして長さを調節するだろうし、庭師だったら細かい所を剪定するのに使うかな」


 蘇鉄はそういうと思い出したかのように続けた。

「そうそう。皐月がその鋏を捨てていたんだよ。きっと病院の仕事が終わってひと段落つくと思ったんだろうな」


 自然と体が前のめりになる。今、最も重大な話題が来たと気を引き締める。


「その時は皐月さんが捨てるのを見たんですか?」


「いや、見てないよ。目の前で捨てていたら怒鳴りあげてやろうと思ったんだけどな。鋏っていうのは研げば新品同様に使えるんだ。なのにアイツは使い捨てにしてるから、俺が研いで教えてやろうと思ってるんだよ」


 ……も、もしかして?


 あらぬ期待に胸が膨らむ。つまり蘇鉄は皐月の鋏を取っているということだ。これ以上の収穫はない。


「すいません、その鋏はどちらに?」


 リリーが身を乗り出していうと、蘇鉄は頬を掻きながらいった。

「それがな、今、ある花屋さんに貸してあるんだ」



 署に戻ると、花屋の店主である椿がリリーの方に手を振っていた。


「先に謝らないといけませんね、すいませんでした」彼は手提げ袋から鋏を取り出した。


「春花さん、きちんと説明して頂けますよね?」眉間に皺を寄せて睨むと、彼は焦る様子を見せながらも頷いた。


「いつこの鋏を手に入れたんですか?」


「二日前ですね、事件があった次の日に」


「それではおかしなことになります。私は昨日、お話しました。その前に知る術はないはずです」


「確かに事件の全容を知ったのは昨日ですが、僕は事件があった次の日に皐月君を疑っていました」

 椿は真剣な表情で答えた。

「花屋は朝早くから市場があるのですが、桃子ちゃんは勉強のためについて来ていました。なので連絡がつかないことで、何かあったのかなとは思っていました」


 なるほど、桃子の異変には初めから気づいていたわけだ。


 リリーは頷いて先を促した。


「市場で花を仕入れている時、桃子ちゃんの自宅近くで殺人事件が起きたという話を聞いたんです。それでもしかすると、何かに巻き込まれているのかなとも思いました。桃子ちゃんは近所付き合いを大事にしていましたから」


 枯枝美空の表情が蘇る。桃子のことを孫娘のようにかわいがっていたのだ。仮に近所で事件が起きたとしても、桃子なら首を突っ込むかもしれない。


「でもそんな時だからこそ、桃子ちゃんなら連絡をすると思ったんです。あの子が連絡をいれないのには自分が関係しているからだと思いました。その時、思い浮かんだのが病院の庭師でした」


「なぜですか? 皐月さんを調べたのは一昨日ですよ?」


「実は蘇鉄さんとは元々知り合いだったんです。僕のお世話になった花屋さんと付き合いがあったので」


「もちろん、きちんとした理由があって私に話してないんですよね」椿を強く睨む。警察を何だと思っているのだろうか、この男は。


「も、もちろんです」


 椿の顔に動揺の色が見えた。少しだけ気がおさまるが、処分は事実確認が終わってからだ。


「蘇鉄さんに連絡を入れると、皐月君が島根に出発したとの話を聞きました。その時にピンときたんです。皐月君は予め計画を立てておいて桃子ちゃんに近づいたのではないかと」


 リリーは黙って聞くことにした。椿だけではなく、蘇鉄にも疑問を持ったからだ。


 蘇鉄は事件の翌日には内容を知っている素振りを見せていたが、警察に情報を提供していなかった。それは皐月が桃子を説得していると思っていたからだろう。


「蘇鉄さんは皐月君が一仕事終えて捨てた鋏を見つけたみたいで、無理をいって借りたんです。桃子ちゃんから皐月君が料理が得意で、きちんと包丁を研ぐことを聞いていたので」


「なぜそれを最初におっしゃってくれなかったんですか?」沸々と湧き上がる怒りをぶつける。「最初に伺った時、何も知らないで通していたじゃないですか。最悪、捕まる可能性だってありますよ」


「すいません。最初にこれをいうと、桃子ちゃんに疑いがかかると思ったんです」


 意味がわからない。冷静に考えることができず、彼に対する怒りが増していく。


「警察は桃子ちゃんを疑っていましたよね、当たり前です。事件があって被害者の子供が行方不明なんですから。桃子ちゃんを探すのは当然といえます。しかしこれが桃子ちゃんと皐月君の作戦だったらどうでしょう? 皐月君と二人で組んでいたとしたら」


 二人は元々組んでおり、綾梅を殺害した後、皐月のアパートに篭城することを決めていた。確かにそういった考えもある。


 だが――。


「それはありえません。桃子さんは一人で出頭してきているんですよ。もし桃子さんが犯人なら、皐月さんの鋏がなければ自分の無罪を主張できません」


 椿は強く頷いた。

「そうなんです。だから、桃子ちゃんは犯人ではないといえます」


 彼の言葉で頭の中は冴え渡っていった。桃子は証拠になるような物を知らなかった。当然だ、犯人ではないのだから鋏を使用しているかどうかわからないはず。


 この鋏が綾梅の殺人に使われた形跡があれば……桃子は関与していないということになる。


「刑事さんは皐月君に鋏のことを聞いたんですよね?」


「ええ。皐月さんは仕事が落ち着いたということで鋏を処分したと証言しました」


「よかった」店主はほっと吐息をついた。「これで皐月君が自ら鋏を処分したことが確定しましたね」


 頭の中に浮かんでいた暗雲が消えていく。皐月の鋏を見つけることができていても、皐月が自ら捨てたことを認めなければ桃子の疑いは晴れないのだ。椿自ら訊くことはできない、そこで私にその役が回ってきたということか。 


「……なるほど、私を駒に使ったわけですね」


「すいません、こうしなければ桃子ちゃんの疑いが晴れないと思っていたので」


 気分は悪いが体が熱を帯びていく。これでやっと皐月を追い込む鍵が見つかった。


「では、すぐに鑑識に回して確認します」


「お願いします。それとこれもどうぞ。できれば桃子ちゃんにも」


 椿から手渡された袋からいい匂いがした。しかし鋏の方が先だ。自然と足が速くなりヒールの音が徐々に加速を増していく。

 


 鑑識の結果を待っている間、万作から連絡が来た。推測通り、一つの証拠を見つけたみたいだ。


「先輩のいった通りです。次はどうしたらいいんですか?」


「鈍いわね、次は大学に行くしかないでしょ」


「で、ですよね。しかしどうやって調べれば……」


「皐月はどうやってこの犯行を考えたと思う?」


 少しの沈黙の後、万作は口を開いた。


「それは……そういうことですか。了解です」


「時間がないのよ。急いでね」


 ……次で決めなければならない。


 万作との電話を切り桃子の様子を見ると、すでに焦燥しきっており限界が近づいていた。


 中途半端な形では皐月を追い詰めることができない。彼と対峙するイメージを何度も膨らませミスがないか確認する。


 鑑識の結果が出た。リリーの推測通りの結果が出たとのことだった。後は万作の結果を待つのみだ。


 ……だがこのままでは桃子が持たない。


 再び思考に集中する。ここで万作の結果を待っていては皐月が次の手を打ってくるかもしれない。


 判断に迷いが生じ始めていた。今のまま向かったら間違いなくトドメを刺すことができない。しかしここで何もしなくてもタイムリミットは近づいていくのだ。万作を信じていくしかない。


 後は私のやり方一つで全てが決まる。


 ……あの時のような思いはしたくない。


 母親の後ろ姿が目に浮かぶ。ここで逃げたら、母親の影すら失ってしまう。桃子のためにも、自分のためにも前を向きたい。


「秋風桃子さん」


 桃子が留まっている部屋に入り椿から貰った袋を差し出す。

「どうぞ、春花さんから預かったものです。私の大好物でもあるんですが、よかったら私の分も食べて下さい」


 桃子は俯いたまま何の表情も出さなかった。


「今から私は真犯人を捕まえに行きます。成功するかどうかまだわかりません。だけど、どうか諦めないで欲しい。あなたのことを信じている人がたくさんいます。今のあなたにこんなことをいうのは酷かもしれませんが、私の正直な気持ちです」


 桃子は何も口にしなかったが、首だけで返事をした。それだけで十分だ。


 ……よし、行くか。


 リリーはポケットから車のキーを取り出しぎゅっと握った。


 逃げることは、もう許されない――。

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