第一章 一『瞬』の輝き PART11

  11.


 リリーはそのままタクシーで再び『和盆栽』に向かった。皐月はどうやら出かけているらしく、蘇鉄が一人残っていた。


 ……話をするのには丁度いい。


 彼女は胸を撫で下ろしながら庭園に踏み込む。タオルを頭に巻いている大男がこっちに向かって手を振ってきた。


「やあ、刑事さん。何か掴めたかい?」


「ええ。だいぶ事件の概要が掴めました」


「そうか、それで?」


 リリーは厳しい口調に切り替えて、蘇鉄の顔を見つめた。


「桃子ちゃんではない犯人が見つかりそうなんです」


 蘇鉄は大きく笑顔を見せた。

「そりゃよかった。どうぞ上がっていってくれ」


 蘇鉄の案内にしたがって応接室に入る。


「すまねえな、あいつは今仕事に行ってるんだ」


「いえ、今日は蘇鉄さんにお聞きしたいことがありまして」


 蘇鉄は驚いた様子をみせたがすぐに切り替えた。

「そうかい、あいつは足立美術館について何かいってたか?」


「そちらの話は聞いていないので息子さんから直接訊かれた方がいいと思いますよ」


「本当に行ったのかなぁ」蘇鉄の顔が曇る。「アイツからその話を聞いてないんだ。俺からあいつに話し掛けるのは苦手でね。なんせあいつはこの家から十年離れていたんだ」


「その話は……訊いてもいいのですか?」


「ああ。あいつは花屋になりたかったらしい。それで十歳の頃から親戚の花屋に預けていたんだ。そこの夫婦には子供がいなくてね、お互いがすんなり納得しちまったから、そのまま預けることにしたんだ」


 ……なるほど。


 父親の技術を評価しないというのは花屋としての視点があるからだろう。皐月のいう通り親子関係は上手くいってないらしい。


「こちらに戻ってきたということは庭師として跡を継ぐ気になったんです?」


「そうだ。皐月の中では両天秤に掛けていたんだろうな。それで結局は庭師になると決めたわけだ。やっぱり俺の子だ。わはは」


 リリーが溜息をつこうとすると蘇鉄が切り返してきた。

「それで話っていうのはなんだい?」


「実はですね、綾梅さんの犯行に鋏が使われた形跡があったんです。鋏といってもたくさんの種類がありますので参考に話を訊きたくて伺いました」


「そうかい、鋏の話かい。俺は鋏の話だったらいくらでもできるぜ。鋏っていうものはな――」


 蘇鉄が話し始めて二十分後、お手洗いに行きたいといって話を中断した。いくら何でも長すぎる、このまま鋏の話を聞いていたらいくら時間があっても足りない。万作にこっちに来て貰えばよかったなと後悔する。


 ……それにしてもこの家は広い。


 彼の案内どおりに歩いても洗面所が見当たらない。日本家屋なため、扉が無数にありなかなか目的地に辿り着かない。


 扉のプレートの一つに桜と書かれていた。その字体には見覚えがある、秋風家の表札と似ているのだ。鍵が空いているのを確認して扉を開けていく。


 ……花の香りがする。この花はサクラ? 


 部屋の隅々まで見渡してみる。桜は故人のはずなのに人の気配が感じられる。両端には園芸用の本がたくさん並び、季節毎にきちんと並んでいる。目の前には大きな机があり綺麗に生けこまれたサクラの枝が入った花瓶と帳簿が置いてあった。その帳簿に写真が二枚挟まっている。


 一枚は秋風家の庭で家族三人で写っている写真だった。


 若い頃の蘇鉄に儚げな笑みを見せている大人の女性が立っている。きっと奥さんだろう。その両親に囲まれて小さな少年が笑顔でこっちに向けてピースサインを作っていた。皐月だ。今の様子とは違い純粋そうな笑みを見せている。


 ……同い年くらいだろうか。


 自分の母親を思い浮かべると、心のガラス玉がギリリと音を立てて胸を圧迫する。あの頃はこんな風に無邪気に笑っていれたかもしれない。


 彼女は少しだけ昔に遡ることにした。


 

 ――あれは父親と屋久島の山荘で暖かいミルクティーを飲んでいた時だ。母親の百合(ゆり)が宮之浦岳(みやのうらだけ)で雪崩に合い遭難したという電話が入ったのだ。


 父親のストックは雪山に登るための準備を始めたが、自分が彼を止めてしまった。一人になることが怖く、父親に泣いて縋ったのだ。


 結局、父親は山に登らず、母親の身元は出てこないまま、捜査は打ち切りになった。自分がいなければ、父親を止めなければ母親が助かった可能性がある。そう思うだけで心がぎりぎりと軋んでいく。


 百合は花が好きだった。季節を巡る毎に新しい花を一緒に植え、庭には雑草が生える隙間がない程花で埋め尽くされていた。それを母親と一緒に眺めることがとても楽しくて心が安らいでいた。


 百合が亡くなってから父親は苦しみから逃れるように仕事を変えそれに打ち込んだ。暖かい家庭は崩れ去り、季節を巡る毎に庭の花は全て枯れ果てていき、アスファルトで埋め尽くされた。


 リリーはその重圧に耐えることができず心にガラス玉で蓋をした。花のように弱いままでは生きていけない。信用できるものは全て数字で表せる理論だけだ。


 感情はもう、いらない――。

 

 ……今考えるべきことではなかった。


 彼女は意識を集中してもう一枚の写真に目を通した。


 そこには蘇鉄が桜とではなく、被害者の秋風綾梅と二人だけで写っている写真だった。

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