第一章 一『瞬』の輝き PART7
7.
……さて、これからどうしようか?
車の中で頭を捻る。首にピンポイントで切り傷、庭に落とされたナイフ、荒らされていない部屋。どう考えても身内の可能性が高い。
しかし桃子には動機はない。近所の住人からは親子間の仲は良好だと聞いているし、確執があったようには見えない。
……今度はどこから攻めたらいいだろう。
そう思っていると、知らない番号から連絡が掛かってきた。出てみると花屋の店主だった。
「お疲れ様です、刑事さん」
「お疲れ様です。どうされました?」
「実はですね、さっき桃子ちゃんの友人が買い物に来たんです」
リリーの胸がざわついた。きっと写真に映っていた女友達に違いない。旅行から帰ってきたのだろう。
「それは助かります。是非お話を訊かせて貰いたいですね」
「話したいのは山々なんですが。電話ではお伝えしにくい内容なんですよ。よかったら会って話をしませんか?」
どういった内容なのだろう。事件に関わる内容には違いない。それに自分としても会った方が交渉がしやすい。
「わかりました、それでは私がそちらに向かいます」
時計の針は二十時を差し、空は夜の顔になっていた。店主は店のシャッターを下ろしており、外に置いてあった蕾のついたウメやサクラの鉢を店の中に仕舞っている途中だった。
「どうぞ、お入りください。お客さんが来ないようにしておきますから」
こちらにとっても都合がいいので、礼をいいながら店が閉まるのを待つ。花を見ないようにしていると、壁に貼られた写真が目に入った。
「これは……」
「屋久島の縄文杉です」店主は片付けをしながらいう。「刑事さん、行ったことあるんです?」
「いえ……ありません」
心の中の冷えた記憶が自分を凍てつかせていく。忘れたい記憶でありながら、忘れることなどできない。
母親を最後に見た場所だからだ――。
「春花さん。実は今日の朝、秋風さんが出頭してきているんです」
慌てて話題を変えると、店主は一瞬驚いた顔になったが表情は緩かった。
「そうでしたか、それで?」
「もちろん自分ではないと供述しています。しかしその証拠が全くなく手詰まり状態なんですよ。いえ、悪いといった方がいいでしょう」
それでも店主は表情を変えることなく屈託のない笑顔を見せた。
「そうですか。でも本人がそういってるんなら、そうなんでしょう」
反論したかったが、店主の機嫌を損ねないために同じ意見だと同調した。
「実は私もそんな気がするんです。根拠がなく刑事としては失格になりますが。桃子さんと話をして殺意を持てる人ではないなと感じました」
この気持ちは本当だ。だがただの感情であり被疑者の身を守る盾にはなり得ない。理論と証拠がなければ彼女を救うことはできない。
「そうですね、桃子ちゃんに人殺しなんかできませんよ。蚊を叩く時にですら、声を上げるんですから」店主は再び笑みを見せる。
「それでお友達の話とは?」
ここに来た目的を質問すると、店主はぽんと手を叩いた。
「お友達の話によると特に問題なさそうです。母親に対する愚痴は聞いたこともないらしく、逆に尊敬していたみたいです。父親がいなかったので、お母さんが二つの顔を持っていたと」
「え……、それだけですか」
大きく溜息をつきそうになりながらも堪える。電話で訊ける内容だが問題はそこにはない。友人の連絡先を手に入れるためにここまで足を運んだのだから、よしとしよう。
「そうでしたか。一応確認の手続きをとるために、そのお友達の連絡先を教えて貰えませんか」
「いいですよ」店主はメモしていた紙をリリーに手渡した。
ようやくこれで確認が取れる。リリーはほっと胸を撫で下ろした。桃子が本当に犯人でないのなら、彼女にも連絡をしているはずだ。
「刑事さん、桃子ちゃんは犯人ではないですよ」店主は先ほどと変わって強い意志を持って告げる。「もしよかったらですが、僕に事件の全容を教えて貰えませんか? 桃子ちゃんの力になりたいんです」
「しかしですね……」
言い訳を考えながらもいうことができない。彼にはなぜか正直に話さなければならないような気がしてしまう。
それは彼の眼にあると思った。母親の面影を感じるのだ。純粋で誰よりも花を愛した彼女の瞳が色濃く映っている。
「……わかりました。全てを伝えることはできませんが……」
肩を落とし頷く。捜査上の秘密があるとはいえ話せる範囲だけなら構わないだろう。
話し終えた後、彼はゆっくりと微笑んだ。もちろん彼女の有利な情報などない。
「聞けてよかったです。犯人はやっぱり桃子ちゃんじゃなさそうだ」
彼の確信した顔を見て驚愕する。どうみても事件解決の手がかりとしては不十分だろう。
「今の話の中で、決定的な証拠があったんですか?」
「もちろんありませんが、手がかりは見つけることができそうです。できれば事件現場を見れたら、確実なんですが……」
「それは、困ります」
もちろん中に入ることは段取りさえ取ればできるが、だからといって一般人を入れるわけにはいかない。
困惑の表情を見せていると、店主の手が彼女の腕に絡まった。
「刑事さん、桃子ちゃんには時間がないんです。今のままでは真実を知らないまま、母親と別れることになってしまうんです。それでもいいんですか?」
……そんなこと、いいはずがない。
彼の言葉を皮切りに心の葛藤が始まっていく。しかし規則を破るわけにはいかない。破りたくない。
破れるわけがない、心の中のガラス玉がそういっている。理論で考えなければ、殺人事件は解決しないのだ。
「現場に一般人を入れるわけにはいきません。理由があれば別ですが。私にも立場というものがあるんですよ」
「では一つお聞きします。綾梅さんは桃子ちゃんより大分身長があるんじゃないでしょうか?」
話していない内容だった。なぜ店主にそれがわかるのか。
「その通りです。でもあなたが綾梅さんに会っていた可能性があります」
「確かに。ではもう一つお聞きします。綾梅さんが倒れていた状態はうつ伏せで足を伸ばした状態ではないでしょうか?」
リリーの表情を見て、店主は微笑んだ。
「単純なことですよ。フローリストナイフで犯行を行なうためには、鎌で刈るように背後をとらなければならない。だけど、桃子ちゃんには綾梅さんの首に届くほどの身長はない」
店主は顎に手を当てて続けた。
「なので桃子ちゃんが行なうには綾梅さんが座った状態でないといけない。しかし足が伸びているということは綾梅さんは立った状態で切られたことを指します」
「それはどうしてですか?」
「和室ということは畳でしょう?」
畳という言葉を聞いてリリーはぴんときた。習字の先生ということは座る時、間違いなく正座だろう。正座の状態で切られたのなら寝る体制で倒れることは無理だ。
「その後に足を伸ばしたとも考えられます」
そういった後、リリーは後悔した。綾梅の体は倒れた後、動かされた形跡はなかった。首筋から血が出ているのだ、動かせば必ずその形跡が残る。
店主は追い討ちを掛けるように促してきた。
「そこまで頭が回る人物であれば池にナイフを投げたりしませんよ」
店主のいう通りだった。確かにこれは計画的でありながら穴がある行為だ。
「それに背後をとらない状態なら深い切り傷は残すことはできないと思います。桃子ちゃんの身長では無理です」
彼女の身長で裏に回っても綾梅の喉元を切ることは不可能だ。初めに現場を見て違和感を覚えていたが、今回の犯行はやはり彼女にはできない。
思わず絶句していると店主は頭を下げて懇願してきた。
「桃子ちゃんのためなんです。どうか」
「……わかりました。でも一つだけ条件があります。決して―――」
それを告げようとすると店主はそっと自分の口に人差し指を添えた。
「もちろん、誰にも話しませんよ。大丈夫です」
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