第一章 一『瞬』の輝き PART2
2.
「ええ、びっくりしましたよ。夜遅くに秋風さん家に灯りが点いてたんです。それで昨日頂いたお裾分けのお皿を返しに行ったらね……」
隣人の
「いつもはその時間に電気は点いていないんですね?」
質問すると、彼女はのろのろとかぶりを振った。
「いえ、それがですね。綾梅さんはこの時期になると、習字の展覧会のため作品を作っているみたいなんです。だいたい電気を点けていますね」
「なるほど。つまり起きているのがわかっているから、お皿を返しにいったということですね」
美空はこくりと頷いた。
「それでは次の質問をさせて頂きます。昨日はずっとご自宅におられたんですか?」
「ええ、いました。といっても誰も証明するものがいませんが」
……証明する必要はない。
彼女には無理だ。このご老体にナイフを扱うこと自体、難しいだろう。殺人ができる体ではない。
「構いませんよ。昨日の夜、習字教室は行われていましたか?」
「それがですね、その時間は寝てたのでわからないんです」
「……そうですか。ちなみにお裾分けというのは」
「昨日は鳥の唐揚げを頂きましたね。その前はお味噌汁を頂きましたし、その前にはざぼんの砂糖漬け、その前は―――」
「ああ、もう結構です。昨日は鳥の唐揚げですね」
メモ帳に書くまでもないが、一言だけ唐揚げと書いた。
「すいません、僕からも。家の扉は開いていたんです?」
万作が腰を曲げて上目遣いで訊いた。
「開いていました。一瞬戸惑ったんですけど、開けた時に鼻につく匂いがしたんです。ただことじゃないと思って玄関を上がらせて貰いました。すると目の前に誰かが吐いた後があったんです」
娘が嘔吐したものだろう。次を催促すると、彼女はそれに応じる。
「電気の点いた部屋を覗くと、綾梅さんが倒れていました。それを見たらもう、足が竦んでしまって。お電話をお借りして警察に電話した次第です」
「そうでしたか。御協力感謝します」
美空は突然大粒の涙を蓄え嗚咽を漏らしながらいった。
「桃子ちゃんは悪い子じゃありません。花屋さんに勤めるくらい心が優しい子なんです。どうか、刑事さん。早く桃子ちゃんを見つけてあげて下さい。犯人に拘束されているのかもしれません。じゃないとあの子の命が……」
誰かと暴れまわった形跡はないですよと反論したかったが、彼女に説明してもしょうがないと諦め、作り笑いで対応する。
「わかっております。早急に事件を解決できるよう努力します」
桃子の命が掛かってることはわかっている。だがそれは別の意味でだ。自殺でこの世を去られてしまったら警察の汚点だと貶される恐れがある、それだけは避けなければならない。
……そろそろ切り上げて他に行こう。
万作に車を回すように手で合図をする。彼もそれを首だけで了承し、足早に駆けていく。
……次は娘の職場だが、正直行きたくない。
花屋を想像すると、億劫になるが仕方ない。早急に事件を解決する他、道はない。
◆◆◆
秋風桃子が働いている花屋は大学病院の通りにぽつんと佇んでいた。学生通りで若者向けの飲食店が並ぶ中、色鮮やかな鉢物が外に並んでいるのですぐに見つかった。
花屋の扉には『
店の中に入ると、背の高い男性が鉄の
「お尋ねしたいことがあります。お時間よろしいでしょうか?」
警察手帳をかざすと、背の高い男は即座に了承してくれた。
「構いませんよ、どうぞお入り下さい。とても狭いので窮屈でしょうが」
男は店主のようで
「こちらのお店で働かれている秋風桃子さんのことについてです。今日は出勤だったんじゃないですか?」
店主は困った顔をして頷いた。
「そうなんですよ。今日は出勤のはずだったんですが連絡がつきませんでした。いつもはそんなことはないんですけどね。昨日はいつも通り出勤していたんですよ」
「早退はしてませんか?」
「ええ、いつもは十九時までなのですがこの時期は忙しいので二十時半まで仕事をしてから帰りましたよ」
アリバイありとメモ帳に書き込んだ後、再び尋ねることにした。とりあえず彼女の居場所を突き止める何かを探らなければならない。
「秋風桃子さんがどちらにいるか心当たりありませんか? もし同僚がいれば、その方からも話を聞きたいのですが」
そういうと店主は乾いた笑みを浮かべた。
「実は桃子ちゃんと二人だけなんです。花屋は中々儲からなくてバイト一人いれるのがやっとなんです」
「……そうですか。では彼女の友人はご存知ないですか? 何でもいいんです、何か行方を捜す手掛かりが欲しいのですが」
「やっぱり今朝の事件に巻き込まれたんですね、困ったなぁ……」
どうやら事件については知っているらしい。彼女の情報の続きを催促すると、店主は頭を捻りながら話し始めた。
「桃子ちゃんはここで働き始めて二年くらいになるんですが、お友達はよくお花を買いに来ますね。ただ連絡先は知りませんが」
先程桃子の部屋から撮った写真を見せると、彼は頷いた。
「そうそう。この子です。最近はちょっと店に来てないんですけど……」
どうやらその友人は近くの看護大学に通っているらしい。友人から彼女への手がかりを探す方法も検討した方がよさそうだ。
「では質問を変えさせて貰います。秋風桃子さんは母親と仲がよさそうでしたか?」
店主は首を縦に振った。
「そうですね、桃子ちゃんから毎日お母さんの話は聞いていたのでよかったんだと思います。お母さんが書道家ということも知っています」
母親との関係は良好と書き込む。娘が加害者であれば、怨恨での殺害ではないことになる。何か別の理由があるのかもしれない。
「もう一つ別の質問を。桃子さんがよく利用するお店なんかはご存知ですか? どんな場所でも構いません」
「そうですね、桃子ちゃんはパンが好きで、よくお昼御飯を近くのパン屋に買いに行きますね」
「そのパン屋はどちらに?」
「近くにあるんですが、この近くにはパン屋が二つあるんです」
店主は席を離れ、紙とペンを用いて丁寧に地図を書き始めた。
「桃子ちゃんが行くパン屋は歩きで二十分くらいにあります。この道を十分くらいまっすぐ行くと、病院のゲートが見えますので、次に病院ゲートを通り抜けて左に曲がって十分後に見えますよ」
「もう一つのパン屋は?」
「この通りにあるパン屋ですよ」
店主は人差し指を突き出した。
「反対側の道を辿っていけば五分でつきます」
どうして娘は遠いパン屋で買っているのだろうか。片道二十分、往復で四十分掛けてまで行くほど美味しいのだろうか。
「あの……僕の意見をいってもいいでしょうか?」
頷くと、椿はぼそぼそと語り始めた。
「桃子ちゃんは確かに怪しい立場にあると思うんですが、僕は犯人ではないと思っています。彼女は夢を持って働いていましたから。何かわかったら、僕にも連絡を頂けませんか?」
店主の気持ちに負け、話せる範囲でよければと自分の名刺をそっと置いた。
◆◆◆
被疑者の通うパン屋の名前はフランスアという名前だった。車を駐車するスペースがないため、万作を車に留まらせ一人で店に向かう。
「いらっしゃいませ。今の時間帯はチーズパンと餡(あん)パンが焼きたてですよ」
笑顔が可愛いらしい店員の接客を受けながらパンを購入する。もちろん情報収集のためだ。店員のオススメのチーズパンと餡パンを二個ずつトレーに載せてレジに並ぶ。
「お仕事中すいませんが、お尋ねしたいことがあります。この方をご存知ないですか?」
写真を見せると、店員は目を丸くした。
「ああ、いつも買いに来てくれるお客様です。昨日も来られましたよ。男の方とよく一緒に来られますよ」
男の話を催促すると、170~175cmくらいの男性で長い金髪の褐色肌だそうだ。先程の店主とは間逆な感じなのだろうとイメージを膨らませる。
「凄く格好よかったんです。私の好きな服のブランドを着ていたということもあるんですが」
「二人はお付き合いをされている感じだったんですか?」
「そうですね、そんな感じだと思ってました」
「どれくらいの頻度で来ていました?」
「ほぼ毎日でしたね。ただ、雨が降った時はあまり来てなかったですね」
なぜ雨の日にパンを買いに来ないのだろうか。公園などで食事ができないという理由からなのだろうか。
「そうなんです。もちろん雨が降ればお客さんは減りますけど、雨の日にお二人が来たのは見たことないですね」
「ご協力感謝します。ではまた何かありましたら、立ち寄らせてもらってもよろしいですか」
「もちろんです。その時はまた、よければパンを買っていって下さいね」
◆◆◆
店を出ると万作がハンドルを握りながら待っていた。腹を空かせているのか、リリーが掴んでいる紙袋に目が釘付けになっている。
「万作、ちょっと飲み物買ってきてくれる?」
「いいっスよ。いつものでいいんですよね」
了承すると、万作はだるそうに頭を掻きながら近くの自動販売機に向かった。
彼が視界から消えたことを確認して先に餡パンを二つ掴む。
「はいどうぞ。店員のお勧めらしいから、きっと美味しいと思うわ」
「ありがとうございます。あれっ? 同じ物を二つ買ったんスか?」
「何か文句でも?」
睨みをきかせると、万作は口を閉じて静かにチーズパンを食べ始めた。
早速買って来てもらった紅茶を手にすると、ミルクティーだった。無言で彼に押し付け、彼の飲み物を催促する。
「私、これ嫌いなの。あなたのと換えさせて」
「えっ、冬月さん、紅茶なら何でもいいっていってたじゃないですか」
再び睨むと万作は牛乳を差し出してきた。
無言で受け取りながら一気に飲み干す。娘に男がいることを告げると、彼は表情を変えずにいった。
「ということは匿って貰っているというのが妥当ですね」
「もちろん、そうなるわね。問題はどこにいるかよ」
……パン屋での待ち合わせ場所はどこだろうか。
十二時前後、人通りは悪くないはず。褐色肌で長い金髪を照らし合わせると、大学生が妥当だろう。
「人通りが多いのは大学しかないわね」
「そうですね。若い方ならば、それが妥当かと」
この付近には大学と病院が一つになった大学病院がある。秋風桃子の年齢からいっても釣り合いは取れる。それに彼女の友人もその大学にいる可能性が高い。
次のルートと同時に、もう一つ別のルートを探ることにした。秋風綾梅の習字教室の生徒にも話を聞いて置く必要がある。本来なら習字教室がある時間に犯行が起きているのだ。教室の生徒のアリバイは取れているが、休んだ理由はまだ聞いていない。
万作に習字教室の生徒を任せ、リリーは秋風桃子の友人を探すことにした。
……この調子なら、すぐに娘は見つかるだろう。
刑事特有の勘がそう告げていた。
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