第一章 一『瞬』の輝き PART1
1.
「お疲れ様です、
「おはよう。じゃあ、説明を始めてくれる?」
「では概要を説明させて貰います。ガイシャ・
いつものように捜査官の説明を受けながら、頭の中で事件の構想をイメージしていく。
場所は民家。二人家族で父親はおらず、母親が殺され娘は逃亡。親子喧嘩の慣れの果てというのが自然な流れだろう。
「ガイシャは秋風桃子と二人で生活しておりまして、父親は二十年ほど前に行方不明となっています。 第一発見者は隣の方で、夜の二十三時にお裾分けして貰ったお皿を返しに行ったら、ガイシャが倒れていたとのことです。
事件当日、習字教室が予定されていましたが、実際にはやらなかったみたいです」
「教室の生徒のアリバイは?」
「ええ、今の所、問題なさそうです」
「そう。父親が関わっている可能性は本当にないのね?」
「今の所ありません。この家には仏と娘の痕跡しか残っていません」
捜査官は慎重に手帳に書かれてある文を読んだ。
「父親はこの家が建ってからここには来ていないようです。それに行方不明となって二十年。生きている方が珍しいかと……」
「……そう。とりあえず娘を探すのが優先ね。それでお隣さんはなぜそんな夜遅くにお皿を返しに行ったのかしら?」
「詳しくは聞いていないのですが、何でも毎日の習慣になっているとかで……」
「そう、後で聞いておくわ。それでガイシャの死因は?」
「ガイシャの首筋に切り傷が見られ出血性ショック死となっています。傷の深さは3~4cmと深いです。右から左に大きく切られた感じですね。凶器と思われるものはナイフでした」
「ナイフ?」
違和感を覚える。この家にナイフといえば果物ナイフがあるくらいではないだろうか。ナイフでの殺人は素人には難しい、犯人は娘ではないのか?
捜査官は鞄からビニール袋を取り出した。
「何でもフローリストナイフと呼ばれるものらしいです」
そのナイフは把手の中に納まっており折りたたみ式だった。赤い絵柄の裏には白の十字架が刻まれてある。
ナイフを広げてみると、ナイフの刃渡りは8から10cmほどでそれほど長くはなかった。刃の形はカーブを描いており、鎌のような形状で先端は尖っている。
「フローリストってことは花屋のナイフっていうこと?」
「そうみたいです。娘の指紋がついていることは確認済みです」
……やはり犯人は娘なのか?
綾梅の娘・桃子は花屋で働いている。桃子の指紋があるとすればこれは最重要証拠となる。
だが心の中では違和感を覚える。仕事道具でかっとなってやってしまった、ありえない話ではない。
「このナイフ、庭の池の中にあったようです。距離にしておよそ10mくらいですね」
襖から池までの直線状の道を目線だけで辿ってみる。庭の中が荒らされているような形跡はないし、血痕も見当たらない。
昨日は雨が降っていなかった。痕跡が消されていなければここから投げたのだろう。
「ナイフに血痕は?」
「ありました。微量ですが、ガイシャの血で間違いないとのことです」
池だけでなく庭全体に焦点を合わせてみると、左手前に一本の木が花を満開に咲かせていた。
……あれは確か、梅の花。
鴇(とき)色に染まった梅の花が静かに佇んでいた。庭全体を見回すと他にも三本の巨木がある。三本とも枯れ果てており、満開の木と合わせて庭の四隅に配置されている。
「もう一つ、報告があります。畳の上に松の葉が落ちていました」
「松の葉?」
ビニール袋に入った松の葉を眺めると、葉の下半分が血に染まっていた。
「それと和室を出た所には嘔吐した後がありました。おそらくこれも被疑者のものだと思われます。ほとんど唾液と胃液のみだったらしいですよ」
「……ということは事件当日に帰ってる可能性は高いわね。ガイシャの携帯電話は?」
「こちらです、事件当日の十九時くらいに公衆電話での着信が一件ありました」
「……そう。娘の携帯電話は?」
「残念ながらありませんでした。二階の中央に被疑者の部屋があります」
携帯電話が手元にない場合でも発信受信記録を調べることはできる。しかし手間が掛かる上、時間が大幅に掛かるのだ。個人情報保護法に基づき被疑者としても例外ではない。電話会社経由で調査するには最低でも三日は掛かる。
やはり今日は自分の足で歩くしかない。
「ありがとう。それじゃあ後は自分で中を拝見させて貰うわ」
和室を出た後、手袋をはめ直し万作と共に他の部屋を捜索した。隣の部屋はリビングのようで大きなテーブルが真ん中にあった。テーブルの上には鳥の唐揚げが大量に盛られた皿があり、二人分では多いようにみえる。
二階に上がってみると、三つの部屋があった。
中心にある娘の部屋に入ると正面にはベッドがあり、その横には木で出来た学習机があった。机には小さな写真立てに女性が二人で近づいてピースサインをとっている。
……おそらくこれが娘の写真だろう。
携帯電話で写真を撮りデータを保存する。背丈は低く愛嬌のある顔だ。万作の携帯に照らされた写真と比べ間違いがないことを確かめる。
他の部屋は事件とは関係がなさそうだった。右の部屋は倉庫のようになっており物が散乱しており、左の扉は鍵が掛かっていたようだった。鑑識の話では二人の指紋以外は付いておらず、捜査に役立つものはなかったとのことだった。
……ナイフでの衝動的な犯行にしては問題が多い。
捜査を終えて推理する。部屋の外で嘔吐、争った形跡はない。本当に被疑者は娘なのかさえ疑わしい。どうにもこの事件、違和感を覚えずにはいられない。
――リリー、数字が全てだ。数字は嘘をつかない。
父親の声が頭で反芻する。今の所、根拠になるものはない。
……もしかすると母親殺しではないと願っているのだろうか。
不意に心のガラス玉が動き出す。被疑者を見つけて本心を知りたいという歪んだ感情が溢れてくる。
不幸な事故で母親を失ったことにして、彼女がどう感じているのかを知りたいのではないか――。
……感情ではなく、数字で見なければ。
母親への思いを断ち切りながら、リリーは隣人に聞き込みを開始することにした。
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