依存性

こころがわだかまる。消された記憶より、今後の不安と現状の把握が伴わない。ぐるぐると視界が回るような、恐ろしくも誰もがただ人の波にのまれていくだけだと知りながら歩く道こそが運命だ。誰もが自己を特定できず、周囲の色を伺い知ることを世界だとでも?それはちがう、思い出せばいい。何を?なにをだ?あれ、おかしいじゃん。ぼくがぼくを特定できない。見えるものが見えないのに、見えないものが見えるきがする。ぼくがいる部屋が音もなくくずれ始める。それは天井から始まった。うねり。光のうねりがみえる。ただ長いだけの光線が左右から虹色にあふれ出す。見上げていたはずの内壁は外壁と入れ替わり今僕はへやを上から見下している。身体感覚が伴わない移動。心の移動。ぼくはぼくが肉体を持たない精神だったことを思い出した。意識が安定しない。どこを向いても誰かがぼくを見ているのだ。目に見えるものが見えなくなる。暗闇。混乱。不安。焦り。自己嫌悪。憔悴。いらだち。喜びと悲しみ。怒り。いろんな感情が押し寄せる先は勘違いした心臓で、おかしなことにぼくは鼓動を感じていた。臓器なんてないはずなのに。そうだ。そもそもぼくは目も持っていない。つまり今まで見えていたものはぼくが作り出した偽物なんだ。ぼくは自分の感覚がどんどんと内側に広がっていくのを感じた。それは肌が泡立つような興奮と、身の毛もよだつ無関心に挟まれて、熱をおびる。内へ内へと延びていく触覚のツルは、離陸する飛行機の轟音に似た聴覚を伴って、ぼくの昔のニューロンに沿って幾何学的な模様を描く。自分という概念はうねうねと収縮して単なる精神としての範囲にとどまったが、手足は外界とつながるための新しい器官となった。器官はすべてを感じると同時に、そのすべての感覚は単純な信号としてぼくの心に直接ささやきかける。

__薬が切れてきたようだね__

声?違う。意味か!!外から与えられた意味を感じる!!

__ぼくを感じるかい?__

あなたは立会人だ。ぼくはあなたの存在をぼくの外側に感覚しているぜ。でも意味は内側から流れ込んで、思考を混ぜっ返す。やめてくれ、迷惑です。

__あなたはひどく混乱しているね、こっちまでノイズがあふれてきたよ。無理だと思うけど、どうだろう少し落ち着けるかい?__

落ち着く?おちつくってなにがだい?ぼくの世界は完全に外とつながったわけだよワトソン君。アラビアの空に続く一筋の朝露をみただけで、ぼくは発狂しそうだ。わからないのはぼくのナニが勃起することに慣れすぎているせいで、全然思考が安定しないんです。他人は自分で、自分は他人なんですよ。神に近い存在なんだ。

__気持ちはわかる、とりあえず安定を君に与えたいので、精神を広げるのをやめてもらう__

彼はぼくから意識を切り離し、疎通をやめた。ぼくは依然として混乱んの極みにあってむせかえるような緑の妬みを練りこんだ床を打ち砕く衝撃に耐えていた。すると急に白いもやが感覚を包む。なにも見えない。ぼくの精神はすべての情報を遮って、流体としてのつながりが無くなった。まるで石。固められたぼくは、ぼく自身の認識を残して、宇宙の彼方へ連れ去られた。もはや意識はかろうじてある程度で、意味は消失していた。自分を感じることができない代わりに、彼がぼくの感覚を引き受けてくれた。ぼくは一時的に彼の一部になった。

__おちついたかい?__

彼はぼくに訊いた。彼の中は驚くほど静かで、ゆっくりと回転している。多分これが本来の精神の在り方なのだろう。ぼくはすべてを一度に感じすぎた。

__それは仕方ないことだよ。君には記憶がないんだ。普通の人に比べて、自己を定めることがはるかに難しいはずだ。でも君は精神としての個をかつて体験してはいる。記憶は消したけど、精神が独立した状態ってのは自転車と一緒で、経験がものをいうからさ、ちょっときついだろうけど少しずつ慣れてもらうよ__

ぼくは簡単に感謝を伝えると、しばらくの間彼の中で自閉した。

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