そとの世界

降りた先は応接間のようになっていた。おとこに促されて、ぼくはやけにふかふかしたソファーに腰を下ろした。ほこりが舞う。白い部屋だ。ソファーと机が置いてある。おとこは紙でできた資料をこちらに持ってきた。

「気分はいかがですか?」にこりとも笑わないで男が訊いた。ぼくは不思議と気分がよかった。なんだか夢の中にいるみたいだ。普通なら取り乱したり、落ち込んだりするのだろうか?そもそもこの男はどうやって記憶を消したのか。ぼくは素直に疑問を男にぶつけてみた。

「記憶の消去は薬剤によるものです。投与の期間や薬の種類である程度効果の強弱はつけられます。ちなみに今のあなたの落ち着き、それは薬の影響です。意識の安定剤の副作用ですので、あまり気になさらないでください。」男は資料を選別しながらそう答えた。

「それでは少しお話させていただきます」男は契約書や投薬の進捗表や請求書をぼくに渡しながら切り出した。

「多分あなたは私を覚えているのではないでしょうか?なぜなら私はあなたの立ち合い人だったからです。投薬中も私はあなたのそばにいたので記憶がこびりついてしまっていると思います。申し訳ありません。しかし記憶の消去は当人に危害が及んだり金銭的なトラブルが多いため、このように立会人がつくことが慣例となっています」

「ちょっと待ってください。あなたとぼくの関係は?友人ってわけでもなさそうだし」

「私はあなたに雇われたのです。ですから契約期間中はあなたが記憶を消した後の、今のあなたにしてみれば記憶は消されたわけですが、とにかくその後のことはサポートいたします、さしあたってなにか質問はございますか?なければ手続きに入りますが」

質問というか、ぼくにはわからないことだらけだ。そもそも世界の表裏からして、ぼくの持っている知識と彼の話す常識の間には大きな隔たりがある。高次元宇宙の干渉によって空間のところどころにクラックが発生し始めたのが確か二世紀ほど前だったはず。しばらくしてクラックは宇宙中に細かく入り、地球の半径一光年の範囲にも大小合わせて10000以上の一時的亀裂と100程度の恒久的亀裂が確認されていた。そのうちの一つが海洋上に発見されたのが100年ほど前。そしてその20年後。クッラクは突如その範囲を広げ、我々の世界を表面と裏側に引き裂いてしまった。引き裂かれた世界は厚みを失って表の世界は裏の世界を内側に巻き込んでくるんと渦を巻いてしまったのだ。

「そもそも表裏世界の行き来ということがぼくには信じがたい。裏と表で物質が交換されたりして均衡が崩れれば世界そのものが崩壊する危険性があると思うのですが」

「心配いりませんあなたは物質的に表裏を渡ってきたのではなく、精神的に世界を突き抜けてきたのです」男はため息交じりに続ける。

「いいですか。あなたの使った精神浮遊機はとんでもない旧型だったんです。この世界に来た時点であなたはほとんど意味を失いかけていました。なので複製をとるためにあなたは世界を横断せざるを得なかった。そもそもこれに関する記憶は消す必要がなかったんですが複製の段階で虫食いが多くなりまして、不安定化を避けるためにすべて消したはずなのですがね、忘却をモニターしていた時から私は異変にきづいていました。世界の認識について、あなたの記憶はどうもめちゃくちゃになってしまっているようです」

男は悲しそうにそういうと、ぼくの反応を待った。ただし、残念ながらぼくは彼に反応することができなかった。話の半分も理解することができなったのだ。世界はぼくを置いてけぼりにしたらしい。

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