第94話 200年前へ その2

「いや、行かないよ!てか、何でまた行きたいんだよ」


「だって前の時は全然観光出来なかったんだもん。お母さんにお土産も買えなかった」


 このいつきの言い分に、ヴェルノはハァとため息をひとつ吐き出して呆れながら反論する。


「それ以前に魔界のお金持ってないだろ……」


「べるのが奢ってよ。持ってんでしょ向こうのお金」


 彼のその言葉にもめげず、いつきは笑顔でヴェルノに資金の催促をする。言われた側の彼はぷいと顔をそらすと、彼女の幻想を打ち砕く一言を告げる。


「お金は家を出る時に全部置いてきたよ、どーせこっちの世界じゃ使えないし」


「そーなの?ま、それもそうかあ」


 その言葉に一応納得したいつきはうんうんとうなずいた。これで話を理解してもらえたと実感したヴェルノはゴロンと寝返りをうつ。


「だから僕はこっちの世界にいるよ。里帰りなんてしない」


「いいじゃん、行こーよー!」


 さっきのやりとりで魔界行きを諦めたのかと思ったら全然そんな事はなく、彼女は横になっているヴェルノを前後にごろごろと動かして催促を続けた。

 あんまり体を勝手に動かされるものだからそれが気に触ったヴェルノは、体を触っているいつきの両手を振りほどく。それから抗議の意志を込めてきっと彼女の顔を見上げた。いつきはさっきからずうっと笑顔のまま。

 そんな邪気のない顔を見ていると、彼の怒りもすうっと消えていく。


「……本当に魔界が気に入ったんだな」


「うん、だって色んな住民の姿は見ていて飽きないし、気候も快適だし!いいところだよね!」


 彼女は魔界のいいところしか知らない。そう実感したヴェルノは真剣な顔をしてじいっといつきの顔を見つめた。


「一応国の外はたまに戦争とかもあって危険なんだぞ」


「そんな危ないところに行く気はないよ。べるのの家の周りの街は平和なんでしょ?」


「……そりゃあね」


 忠告しようとしたものの、その言葉に全く意味がない事に気付いたヴェルノは思わず素で返事を返していた。その言葉でいつきの勢いは更に加速する。


「じゃあ行こうよ!」


「そんなに行きたきゃひとりで……」


 度重なる催促に嫌気が差した彼は投げやりに返事を返そうとした。

 しかし全部言い終わる前に、その言葉に反応したいつきからの反撃が始まる。


「べるのがいないと行けないじゃないの!そっちがその気なら考えがあるんだからね!」


「な、なんだよ……」


 彼女の発する得体の知れない圧にヴェルノは謎の恐怖を覚える。それから数分後、2人は家を出てゲートのある例の丘に向けて歩き始めていた。


「ふー、やっぱ外は暑いねー」


「こらー離せー!魔界猫権侵害ー!」


「うふふ、何とでもお言い。所詮は猫と人間。体格の差は埋めようがないでしょ」


 そう、いつきはヴェルノを胸に抱いて出発を強行したのだ。対する彼も必死に抵抗はしたものの、強く抱きしめられてしまってその動きは完全に封じられてしまう。

 彼女は有無を言わさずにずんずんと歩いていき、ついには丘の入り口に差し掛かる。その間にも陽射しはどんどん暑くなり、その影響もあってヴェルノはついに観念した。


「もうここまで来たら僕も負けを認めるけど……魔界に行っても家には寄らないからね!街をブラブラするだけだからね!」


「うん、それでいいよ」


「はぁ……」


 ヴェルノが何を言ってもいつきには暖簾に腕押し状態。それもあって彼は大きくため息を吐き出した。そうして2人がゲートのある丘の上にまでやってきたところ、彼女はそこに見慣れない人影を発見する。


「あれ?人がいるよ?」


「いや、人はそりゃいてもおかしくは……え?」


 最初は普通の人がそこにいると思ったその人影、近付いていくとその正体が段々とはっきりしてきた。こちらの世界ではコスプレ以外では見かけない、見慣れない服を着た長い耳の老人がそこで謎の機械をいじっていたのだ。

 その奇妙な老人の姿にヴェルノは見覚えがあった。そう、彼は魔界の住人エルフ族だったのだ。


 エルフの老人は眼鏡をかけて、薄汚れた科学者のような服を着ている。見た目の年齢は人間の年齢で言うところの70~80代くらいだろうか。エルフは長命なので、実際は数百年の歳月を生きているのだろう。服装と言えば、こちらの世界のセンスでは見られないような面白いデザインの帽子もかぶっていて、その間から見える髪は美しい銀色をしていた。年老いているとは言え、その眼光は鋭く、まさに研究一筋に生きる頑固科学者のそれだった。

 そんなエルフの爺さんは近付いてくるいつき達に気付くと、少しも躊躇する事なく早速質問を飛ばしてきた。


「お主!いいところで出会ったぞ!ここはどこじゃ!」


「えぇ……」


 いきなりハキハキと力強く記憶喪失の人が言うような質問をされて、流石のいつきも困惑する。戸惑う彼女の様子を目にした老人はくいっと首を傾げた。


「何じゃ?言葉が分からんのか?」


「何で魔界の住人がここにいるんだよ」


 戸惑う彼女の代わりに抱かれていたヴェルノが返事を返す。その言葉で彼の存在に気付いた老人は、びっくりして目を丸くした。それから掛けていた眼鏡を動かして、何度も何度も注意深く彼を観察する。

 そこで何かに気付いたのか、勢い良くポンと手を叩いた。


「おお、お主はヴェルム殿の……確か御子息は異界に家出したと……」


「ここがその異界だよ」


「なんと!」


 図らずも自分のいる世界がここで判明した事で、エルフの老人――博士は驚きながらも納得したようで、顎に手を当てて考え込み始める。この会話を聞いていたいつきは、博士に向かって事実の確認をした。


「お爺さん、魔界の人なの?」


「なんじゃ此奴こやつは?原生住人か?」


「うわー、失礼な言い方。私はべるのを住まわしてやってるいつきって言うのよ。お爺さんこそ誰なの?」


 博士の言い方に憤慨した彼女は、ふんぞり返って精一杯偉そうな態度で自己紹介をする。

 しかしのその付け焼き刃の威厳は彼には全く通じなかったらしく、それよりも自分が知られていない事に落胆していた。


「ふん、魔界なら有名人のこの儂もここではただの魔界人か……」


「いや、僕も知らないんだけど」


「そんな、ご子息様まで!」


 ヴェルノにも冷たい対応をされた博士はがっくりと項垂れた。そんな老人の言葉遣いに嫌悪感を抱いた彼は異議を訴える。


「そのご子息様って止めてくれよ。僕はヴェルノだ」


「そうですかヴェルノ様。父上にはいつも可愛がって貰っておりますぞ」


 博士はそう言ってニコニコと笑う。この2人がいい感じで会話を続けているので、そこに疑問を持ったいつきは胸に抱いているヴェルノを覗き込む。


「知り合い?」


「いや、だから知らないって。父様の仕事の事はほとんどノータッチなんだ」


「ふーん」


 つまり真相は、博士が一方的にヴェルノを知っていると言う事らしい。大体の事情が飲み込めた彼女は、目の前のエルフの老人を興味本位で観察する。

 その博士はと言うと、会話も途切れたのでまた顎に手を当てて考え込み始めた。


「しかしここが異界となると……そうか!そう言う事か!」


 ひとりで勝手に納得した爺さんは、すぐに一緒に転移してきた装置をいじり始める。真剣な眼差しで作業を始めた博士はちょっと近寄りがたい雰囲気になったものの、いつきはそう言うのを気にせずに軽く声をかけた。


「で、さっきから聞いてるんだけど、爺さんは何者なの?」


「ん?今作業中じゃ、後にせい!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る