第88話 里帰り その3

 向こうが自己紹介をした事で、今度は自分の番とばかりに彼女も簡単に自己紹介をした。


「えと、私はいつき。安西いつき」


「いつき様。兄から話は聞いております。それで、今よろしいですか?」


「別にいけど。何か用なの?」


「ええ。実は……」


 リップはいつきに事の顛末を簡単に説明する。まず、どうしても兄に実際に会いたい事、普通に話してもそれは無理な事、ならば周りの説得でそれを後押しする事で兄の心は動くだろうと考えた事、その為にはいつきと直に話せる環境が必要だと言う結論に達した事――。

 つまり、いつきを含めた彼女の家族にヴェルノの里帰りをプッシュして欲しいと言うお願いだった。懇願するリップの声を聞いたいつきは、このいじらしいお願いを快くふたつ返事で聞き入れる。


「ああ、うん分かった。何とかしてみるよ」


 通話を切ったいつきはキリッとした顔でヴェルノの方に顔を向ける。その奇妙な雰囲気に彼は謎の緊張感を覚えるのだった。


「いつき、一体妹と何を……」


「べるの、一緒に魔界に行こう!」


「は?」


 その唐突な宣言にヴェルノは困惑する。それから彼女はヴェルノを置きざりにして母親に何かを話しに行った。そこでも謎の不安感を抱いた彼は、すぐにいつきを追いかける。ヴェルノがいつきを見つけた時、既に母娘で話はついたらしく、母親は娘に向かってニッコリ笑いながら声をかけていた。


「うん、行ってらっしゃい。向こうの親御さんにもよろしく言っといて」


 その言葉に全てを悟った彼は、自分の意志を無視して勝手に話が進んでいる事に対して憤慨する。


「ちょ、何で話が勝手に進んでるんだよ!」


「やっぱお盆には実家に帰らないといけないでしょ」


 どうやらいつきは母親にお盆の里帰りの線で話を進めたらしい。戦略の読めたヴェルノは大きくため息を吐き出した。


「いやいやいや、それはこっちの世界の話……」


 魔界の生まれだからお盆は関係ないと話す彼に対して、調子に乗ったいつきがその言葉をからかい気味に否定する。


「安西家に籍を置く以上は安西家のルールに従うのだ~」


「それを言うならいつきも里帰りしなきゃじゃん」


 ヴェルノは反撃代わりに彼女に言葉を返す。上手く言い返せたと彼がほくそ笑んでいると、いつきはニヤリと笑ってそれを否定した。


「ウチはいいんだよ!」


「なんでだよ!」


「だってウチはここが里だもん、実家だから何も問題ないんだなこれが」


 いつきの家は先祖代々住んできたもので、お盆になってもわざわざ帰る必要はなかった。この事実を前にヴェルノは返す言葉を失いがっくりと項垂れる。

 話がいい具合に区切りがついたところで、母親がヴェルノに優しく声をかけた。


「そんな訳だからさ。ヴェルノ君はいつきと一緒に実家に帰って、元気でいる姿を御家族に見せてあげてきてね」


「いいんですか?」


「あれ?魔界ってそんな危険なの?」


「いや、そんな事は……」


 母親に上手く言いくるめられて、ヴェルノはもう何も反論する事が出来なくなってしまう。その様子を見て満足げにうなずいた彼女は8月のカレンダーを眺めながら今後の予定をあっさりと決めた。


「じゃあ決まりね。旅立ちの日は……次の日曜?」


「いいね、ちょうど時期もお盆だし」


「う……ハメられた」


 こうして安西家の女性陣2人になし崩し的に説得されてしまい、ヴェルノはいつきを連れて実家に里帰りする事になった。それからの日々は何事もなく早く過ぎていき、あっと言う間に当日がやってくる。

 あまりやる気のないヴェルノと精一杯のおめかしをしたいつきは、母親から手土産を持たされて意気揚々と家を出た。


 ヴェルノは魔界から人間界にやってきたと言う話だけれど、その事について今まで詳しく聞いた事がなかった彼女は前を行くヴェルノに話しかける。


「ねぇ、魔界ってどうやっていけばいいの?」


「ゲートがあるんだよ。魔力のない人間は通れないけど」


「じゃあ変身だね!」


 普通の人間では通れないと聞いたいつきはすぐに変身する。まだ早朝で人通りもなかったので、この変身の瞬間を目にした人はいなかった。変身が完了した後で彼女はヴェルノに声をかけた。


「これで通れるかな?」


「ああ……。うん」


 魔法少女姿になったいつきを見てヴェルノはぎこちなくうなずく。いくら早朝とは言え、このまま空を飛んだら何か問題が発生するかも知れないと考えて、彼女は徒歩でそのゲートがある場所までいく事にした。

 先導する彼は黙々とゲートのある場所を目指して歩いていく。こうして2人が街の外れの小さな丘に辿り着いたところで、ヴェルノは突然振り返った。


「ここだよ」


「え?でも何も……」


 パッと見、そこは何の変哲もないよくある見晴らしのいい丘の広場だった。彼の言うゲートらしきものはどこにも見当たらない。いつきがそれらしきものを探してキョロキョロと周りを見渡していると、ヴェルノが突然宣言する。


「じゃ、今から開けるよ」


 その宣言の後、彼はいきなり何もない空間を爪でこじ開けていく。空間はヴェルノの手によって簡単に引き裂かれ、その先には謎の異空間が広がっていた。その手慣れた鮮やかな手つきに彼女は感心する。


「おお、すごい。ゲートって自分で開けないといけないんだ……」


「それが魔力がないと行けない理由だよ」


「なるほどね~。じゃ、いこうか」


 ゲートはいつの間にか人間が通れるくらいの大きさの穴になっていた。初めて見るこの異空間に、流石のいつきも少しだけ入るのを躊躇したものの、虎穴に入らずんば虎児を得ずと言う事で、覚悟を決めてエイヤッとその中に入っていく。

 ゲートの中の異空間は人間界と魔界とを繋ぐもので、全ての感覚が正常に機能しなかった。


 その不思議な感覚に酔って気を失いかけたところで突然目の前に光が現れ、段々とその光に包まれていく。完全に光に包まれた彼女が次にまぶたを開くと、そこには初めて見る光景が広がっていた。


「おおお~。すごい~」


「変わらないな……」


 興奮するいつきに対して、元々その世界の住人であるヴェルノの反応は実に冷めたものだった。珍しさ全開の彼女は見るもの全てに新鮮な感動を覚えている。

 彼女の訪れたこの魔界は山や空などの自然こそ人間界と殆ど変わらなかったものの、周りの生き物、生態系は全然違っており、人間界では見た事のない異形のモンスターなども当たり前に生きている世界。まるでゲームの世界に入り込んだような感覚をいつきは覚えていた。


 空を飛ぶ生き物も鳥ばかりじゃなくて、初めて目にした空を優雅に飛んでいくそれを、彼女は興奮しながら指を差して喜んだ。


「あ、ねぇ、あそこにドラゴンがいるよ!私ドラゴン生で見たの初めて!」


「……だろうね」


 ヴェルノはいつきの興奮する声を右から左に受け流した。そうして一路目的地である彼の実家へと2人が歩き始めたところで、2匹の――いや、2人の可愛らしい羽猫がものすごいスピードで近付いてきているのが2人の目に飛び込んできた。


「お兄様ァ~ッ!」


「あ、お出迎えだよべるの!リップちゃんとローズちゃんでしょあれ!かわいい~。想像よりも可愛かった」


 すぐにそれがローズとリップだと分かったいつきは、興奮しながらヴェルノの身体をグイグイと揺さぶった。2人の双子の妹はすぐにいつき達の前に到着して、人間界からのお客様に向けて丁寧に挨拶をする。


「いつき様、ようこそ魔界へ!それでは早速我が屋敷にご案内いたしますわ!」

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