第77話 普通の休日 その6

「やっぱヴェルノ君って真面目なんだね」


「えへへ……」


 雪乃に褒められたヴェルノは照れくさそうに前足で顔を洗う仕草をする。その様子が可愛くて、彼女はずっとヴェルノを眺めていた。いつきが海の冒険を存分に堪能した頃、そろそろ頃合いだと感じた雪乃は彼女に聞こえるように口の両脇に両手を沿えて大声を出した。


「そろそろ帰ろっかーっ!」


 その声が聞こえたいつきは合図代わりにとびっきりの海面ジャンプをする。で、人魚のまま戻ろうとしたのでヴェルノがしっかり彼女に釘を差した。


「いつき、人魚解除して」


「ぶー、つまんなーい!」


 一向に人魚バージョンを解除しない彼女をずっと待っていても仕方がないと、2人は強硬策を取る。そう、先に帰ってしまうと言う作戦だ。ヴェルノと雪乃はお互いに顔を見合わせてうなずき合うと、タイミングを合わせてその作戦を実行する。


「僕ら先に行くからね」


「あ、ちょ……」


 いつきが止めるのも聞かずに2人は仲良く元いた人のいる海の方に泳いでいく。この光景に彼女が呆気に取られていると、その内魔法可動範囲から離れ、いつきにかかっていた魔法は強制解除された。


「いつの間にかゆきのんと仲良くなりやがって……」


 人間の姿の戻ったいつきは仕方なく、2人の後を追いかけた。浜辺に戻った3人を目にした母親は嬉しそうに手を振って彼女達を出迎える。


「お、お帰り。じゃ、宿に戻ろっか。美味しいご飯と温泉が待ってるぞお」


「おお、やった!楽しみぃ」


 友達に置いていかれて不機嫌気味だったいつきは、母親のご飯と温泉という言葉にすぐに機嫌を直した。水着の2人はシャワーで海水を洗い流して普段着に着替え、楽しい思い出が出来た海を後にする。


 宿に着いた4人は一旦自分達の部屋まで戻るとくつろぎ始めた。窓から入ってくる風が心地良い。そうして大体落ち着いたところで母親がみんなに向かって声をかける。


「で、どうする?先に温泉入る?」


「えー?ご飯の前にお風呂入るのはちょっと……」


 いつきは母親の提案をすぐに否定した。何故なら普段から入浴は寝る前の最後の行事と言う癖がついていたので、そうしないと気持ちが悪かったのだ。


「じゃ、私もそうします」


 いつきのこの返事を受けて、雪乃も彼女に従う事に。賛同者が得られなかった母親は途端に表情を曇らせる。


「何だ、先に温泉に入りたいのは私だけかい。そうだ!じゃあヴェルノ君を貸してもらうよ」


「え、ちょ」


 この突然の事態にヴェルノは困惑する。自分もくつろぎたいと思っていた彼は助けを求めようといつきの方に顔を見けて必死でアピールする。その視線に気付いたのか気付かなかったのか、彼女はニッコリ笑うと母親の方に顔を向ける。


「うん、母さんに貸したげる」


「いつきぃ……」


 哀れヴェルノは自分の意志とは無関係に、母親に連れられて一緒にお風呂に入る事になった。ひょいと彼は彼女の肩に乗せられる。


「大丈夫よ、可愛がってあげるから~」


 肩に乗せられたまま何度も何度もヴェルノは背中を撫でられていた。そうして2人は民宿自慢の露天風呂へと消えていく。部屋が静かになって、雪乃は改めていつきに話しかけた。


「良かったの?」


「うん、母さん前からべるのとスキンシップ取りたがってたしね。こんな時くらいは……」


「へぇ、いいとこあるね」


 彼女に褒められたいつきは照れくさくなって顔を真赤に染める。


「わ、私だってそのくらいの感情はあるからっ」


「うふふ」


 雪乃はそんな母娘の微笑ましい関係に優しい笑顔を向ける。その頃、露天風呂に着いたヴェルノ達は産まれたままの姿になって浴場に足を踏み入れていた。


 いくらペット可の宿とは言え、彼女以外にペットと一緒にお風呂に入る人はいない。て言うか、時間帯が時間帯だったからか他の入浴客は誰もいなかった。なので母親は遠慮せずにヴェルノをわしゃわしゃと洗い始める。一応洗われるのはそこまで苦手ではなかったみたいで、彼は母親のなすがままになっていた。


 ヴェルノが綺麗になったところで彼女も同じように体を洗う。綺麗になった2人は改めて露天風呂に足を踏み入れる。


「どうだい、温泉は」


「何だかとっても気持ちがいいです」


 普通の入浴も嫌いじゃなかった彼は母親の問に素直な気持ちを口にした。入浴剤の経験はあっても天然の温泉は初めてだったので、その刺激にヴェルノは感動している。温泉の気持ち良さに浸ってまぶたを閉じていると、彼を抱いている母親から労いの言葉が届く。


「いつもあの子と遊んでくれて有難うね」


「そんな、僕の方こそ……」


「うちはあの子ひとりだけだからさ、やっぱ淋しい思いをさせてるんじゃないかって、そう思ってたんだ」


 母親はこんな時だからと、自分の気持ちを全てヴェルノに吐露していた。


「でも、君が来てくれた。それから笑顔が増えたんだよ。毎日楽しそうに話してくれるしね。感謝してる」


「僕も……安西家に拾われて良かったです」


「ヴェルノ君、君はいい子だ」


 しっかり話を聞いてくれて、その上でちゃんと気遣ってくれる素直な態度が気に入った彼女は気持ちの高ぶるままに彼を抱きしめる。


「うわわわ~。ちょ、苦し……」


「もっとモフモフさせろ~」


 その後、ヴェルノは無茶苦茶モフモフされた。2人がいちゃついている間にポツポツと他のお客さんが姿を見せ始め、2人は温泉を出る事にする。湯上がりでいい感じに出来がった母親と弄ばれたお供の彼は娘達の待つ部屋に帰還した。


「あ、お帰り~」


「ぐえ……」


 部屋に着いたヴェルノは母親の肩から離れるとすぐにグロッキー状態になって畳の上に倒れ込む。それを見たいつきが心配して声をかけた。


「どしたの?のぼせた?」


「そうみたいなのよ。案外やわいのよね~」


 ヴェルノをそうした張本人は悪びれもせずにそう答える。この言動に気を悪くした彼女はすぐに母親に抗議した。


「母さん、べるのに無茶させたらダメだよ!」


「そうだね、ごめん」


 娘に怒られて母親はしょぼんと小さくなる。それからまた時間が過ぎて、夕食の時間になった。豪勢な料理が次々と部屋に運ばれてくる。


「さ~、待ちに待ったご飯だよ~」


「おお~これはすごい」


 テキパキと並べられる料理にみんな目を輝かせていた。旅の醍醐味はその場でしか見られない景色とその場でしか食べられない料理と言う事で、地元の美味しそうな名物が並ぶこの御馳走は見た目だけで合格点だった。この時、料理を並べていた給仕の人が料理の数と部屋の人数が合わない事に疑問を抱く。


「あの、もうおひとり様は?」


 この質問にはいつきの母が機転を利かせる。


「うん、今席外してて、また後で来るから……」


「そうですか、ではどうぞごゆっくり」


 テキパキと料理を並べ終わった給仕の人はペコリと頭を下げて部屋から出ていった。


「上手くごまかせたね」


 いつきはピンチを脱した事に対して母親に称賛の声を上げつつ、部屋に戻ってからずっと気を失ったように寝ているヴェルノの体を揺さぶった。


「べるの、ご飯だよ!起きて!」


「むにゃ、もう食べられな……はっ!」

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