第78話 普通の休日 その7
彼は恥ずかしい寝言を喋っている途中でびっくりしたように飛び上がった。
「……僕、何か言ってた?」
このヴェルノの言葉を聞いたいつきはニタァ~っとにやらしい笑みを浮かべる。
「うん、もう食べられないって言ってた」
「うわ~忘れて忘れて~」
恥ずかしい寝言を聞かれた彼は両前足をデタラメに動かして証拠隠滅を図る。その様子を他の3人は面白がって眺めていた。ある程度その状態は続き、ほとぼりが冷めた頃、ようやく待望の食事の時間がやってくる。
「それよりべるの、ご飯だよ!」
「うわ……すごいね」
テーブルに並べられていたのはこの宿自慢の豪勢な夕食。地元の海産物を含む各種贅沢な料理がずらりと並び、その豪華さに思わずヴェルノもゴクリとつばを飲み込んだ。お刺身に天ぷらに焼き物にそれから……。
美味しそうな食べ物を前にすると、彼もまた一匹の獣に戻る。みんなが食事を食べる体勢になったところで、いつきの母親が音頭を取った。
「さ、頂きましょ」
「いただきまーす!」
こうした楽しい夕食の時間が始まった。みんな思い思いに好きな料理を口に放り込んでいく。そこには好みや性格によりそれぞれの個性が色濃く現れていた。好きなものから食べるいつきに、逆に好物を最後にする雪乃。手前から順番に片付ける母親に、思いついた順に口に放り込むヴェルノ。
食べ方は全員面白いようにバラバラだけど、共通しているのはみんなこの食事を大いに楽しんでいると言う事だった。
「美味しい美味しい」
「最高だね!」
食べながら雪乃はここでも律儀に御礼の言葉を述べる。
「本当に、今日は誘ってくださって有難うございます」
「さあさあ、遠慮しないでどんどん食べてね」
目の前の料理が本当に美味しかったのと、昼間動き回ってお腹が空いていたのも重なって、テーブルの上の料理はあっと言う間に綺麗に空っぽになっていった。
「ふー、まんぷくぷー」
食べ終わって満足したいつきは、食べすぎたのかしばらくその場でまったりとしていた。日の長い夏とは言え、すっかり夜になって空を星空が見事にキラキラと飾り始めた頃、何かを突然思い出したみたいに彼女はすっくと立ち上がる。
「じゃ、温泉だね!ゆきのん行こっ!」
「あ、ちょっと待って」
思い立ったが吉日とばかりにいつきは素早く準備をしてお風呂――この民宿自慢の露天風呂へと向かう。少し遅れる形となった雪乃もすぐに後を追った。
「いってらあ……」
その後ろ姿を眺めながら、先にお風呂を頂いたヴェルノは気楽に前足を振って2人を見送る。そんな彼の背後で目を光らせる影があった。
「さ、私達も行くよ」
「え、ちょ……」
そう、それはいつきの母親だ。結局ヴェルノは夕食前と夕食後の2回お風呂に入る羽目になった。観念した彼を肩に乗せて母親が脱衣所から出ると、いつき達は浴槽に浸かっていてすっかり出来上がっていた。体を洗った母親は2人の近くに割り込んで湯船に浸かると、気持ち良さそうに背伸びをする。
「温泉は何度入ってもいいものだ~」
「夜の露天風呂って風情がありますねぇ~」
その言葉に呼応して雪乃が返事を返す。彼女もこの滅多にない体験を満喫しているようだ。見上げれば満天の星空。もう最高のロケーションだった。
「やっぱ露天風呂は最高だね」
「何で僕まで」
このお風呂で唯一不満げな顔をしたヴェルノは湯船に使った瞬間にいつきに引っ張られ、今度は彼女の玩具状態になる。いつきは彼の体をクルッと回して向き合う形にすると、その顔をじいっと覗き込んだ。
「でも、気持ちいいでしょ」
「そう何度もオフロに入ってたらふやけちゃうよ」
「あはは」
それからみんなは湯当たりする直前まで湯船に浸かってこの露天風呂を大いに楽しんだ。この時間、露天風呂には他のお客さんも大勢いたものの、ヴェルノが喋っても誰ひとりそこに違和感を感じる人はいなかった。きっとこのお風呂の雰囲気が良くて細かい事は誰も気にしなかったのだろう。
「ふう、いいお湯でした」
お風呂から出て戻ってくると、部屋はもうすっかり布団が敷かれていた。その光景を見ていつきはポツリと言葉を漏らす。
「後は寝るだけか、でもまだちょっと早いよね」
これでいつでも就寝OKな状態になったものの、普段はまだバリバリ起きている時間であり、すぐ寝てしまうのはもったいない雰囲気だ。そこで彼女は同じく手持ち無沙汰をしている雪乃に声をかける。
「ねぇ、ちょっと夜の散歩に出かけない?」
こうして3人は夜の散歩へと繰り出した。お風呂から出てまたグロッキー状態だったヴェルノは、有無を言わさず無理やりいつきが自分の肩に乗せていた。浜辺を歩きながら、いつきと雪乃は頭上の星空を見上げる。
「夜の海もいいねぇ、星もキレイだし」
「この星空はここじゃないと見られないよね」
夜の浜辺は昼とはまたガラッと趣を変えていて、それはそれでまたいいものだった。満天の星空と天空の光を反射して静かに輝く海。波の音がまた夜の浜辺を訪れる人の心を優しく抱きしめるよう。
いつきはじいっと美しい星空を見上げ、肩の上で眠りかけている彼に話しかける。
「本当、いい星空……。べるの、今ならいいよね」
「ほえ?何?」
突然話しかけられたヴェルノは半分意識が飛んでいた為、意味が分からずただただ困惑する。そんな彼の態度にいつきは気を悪くした。
「空の散歩!」
怒りに任せたその言葉に彼は驚いてすぐに眠気がふっとんだ。どうにか彼女の機嫌を取ろうと、ヴェルノはすぐに彼女の変身をサポートする。魔法少女になったいつきは思いのままに空の散歩を楽しんだ。
昼間却下された分、そのフラストレーションを発散するかのようにアクロバットに飛び回り、星空の空中散歩を思う存分に満喫する。
「気持ちいいね~。幸せな気分だよ。べるのも楽しい?」
「楽しいよ。海の上を飛ぶのもなんかいいね」
最初こそ付き合いで飛んでいたヴェルノも、飛ぶのに慣れてくるともうすっかり夜の空中散歩の虜になっていた。地元より自然が豊かなこの場所は人工的な明かりも少なくてしっかりと夜が暗く、その分星の明かりがはっきり見えてすごく神秘的な雰囲気だ。ずうっと頭上を見ていると、まるで星の海に泳ぐ魚になったみたいでそれもまた楽しく感じていた。
いつき達が空を飛んで、それを雪乃が見守っていると、その光景に近付いてくるひとつの影があった。
「お~飛んでるね~。へぇ~。いつきが飛んでるの、初めて見たよ」
「あ、おば様……」
そう、それはいつきの母親だった。彼女は手に何かを持って夜の浜辺に現れる。空を飛びながら母親がやってきた事に気付いたいつきは、何事かと空中から声をかけた。
「お母さん、どうして?」
「ほら、折角だし、花火しようかなと思って、実は用意してたんだ」
母親はそう言って手に持ってきたものを空に掲げる。それはコンビニでも売っている家庭用の花火セットだった。後始末用のバケツを宿で借りて、事後処理に対する用意も万全にしている。花火セットを目にしたいつきは興奮しながらヴェルノに声をかけた。
「花火だって!戻ろっ!」
「花火?」
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