第76話 普通の休日 その5

「たーのしいねー」


「プールと違って広いのがいいよね」


「その代わりウォータースライダーみたいなのはないけど」


 軽く泳ぐ2人にヴェルノが並走していると、そんな彼を見たいつきが突然無茶ぶりをする。


「そだ!べるのの魔法でなんか面白い事しようよ!」


 彼女の言葉ならもしかしてヴェルノも実行しかねないと一抹の不安を感じた雪乃は、素早くそれを静止する。


「ちょ、今昼間で大勢の人がいるんだから!」


「じゃあ人のいない所に行けばいい?」


 雪乃の言葉に問題の打開策のヒントを見つけた彼女は、ひと気のない所へと泳ぎ始める。

 しかしそれは海泳ぎでも一番やっちゃいけない事。人がいない所は潮の流れが荒く、泳いではいけない場所だからこそ人がいないのだ。調子に乗っていたいつきはその海の常識がスポーンと抜けていた。

 この彼女の行動に悪い予感を感じた雪乃は、それを止めようと声をかける。


「危ないって!戻って!」


「へーきへーき!」


 雪乃の忠告も聞かずにいつきは泳ぎ続ける。彼女のスイミング能力は一般人レベルのそれであり、危険区域で泳ぐ事は自殺行為に等しい。ヴェルノが近くにいるならいざとなった時に魔法で助ける事も出来るのだけれど、彼といつきとの距離はどんどん離れていく。

 その事にヴェルの自身もまた危機感を覚え始めた。


(いつきっ!僕から離れたら!)


「ヴェルノ君、追いかけよう!いつきをひとりには出来ないよ!」


 残された2人はお互いに視線を合わせてうなずきあった。それから離れていく彼女を追いかける。


「ふう、ここら辺ならいい感じかな」


 その頃のいつきはうまい具合に人のいない海域に無事に辿り着いていた。そのエリアに着いた時点で立ち泳ぎをしながら体勢を整える。彼女はすぐに雪乃とヴェルノが追いかけてくるだろうと踏んでいたので、2人が来るまで余裕の態度をとっていた。


(いつきーっ!)


「待ってーっ!」


 ちょうどその時、いつきの視界に急いでやってくる2人の姿が目に止まる。彼女は立ち泳ぎしながらここだと手を振った。


「おーい!こっちこっ……ガボゴボッ……」


 この時、急に流れが変わっていつきはその流れに翻弄される。この突然の異常事態にヴェルノは彼女を助けようとテレパシーを送った。


(変身だよ!僕の魔法なら!)


「わかっ……」


 その応答の後、いつきは海に沈んだまま姿を見せなかった。ヴェルノが彼女に何をしたのか分からなかった雪乃は彼に説明を求める。


「ヴェルノ君、何を……」


(まぁ、見てて)


「ひゃっほーい!」


 沈黙が続いた次の瞬間、いつきが海の上をジャンプする。上半身はいつもの魔法少女の衣装だったものの、下半身は見事に魚のそれに変わっていた。


「いつき!」


「見て見て!人魚になっちゃった!」


(間に合って良かったよ)


 それはヴェルノの変身魔法バージョンその2、魔法人魚誕生の瞬間だった。この姿に変わった事で彼女は水の中で自由に泳ぐ能力を手に入れる。魚の能力を手に入れたいつきは海の中を自由自在に泳ぎまくった。その嬉しそうな挙動を目にした雪乃は苦笑いをしながら小さなため息をひとつ吐き出す。


「ったく、ちゃんとヴェルノ君に感謝するんだよ」


「べるの、ありがとっ!」


(海は怖いんだから舐めちゃダメだよ)


「ほーい、気を付けまーす!」


(本当に分かってんのかなぁ……)


 海の中を自由に泳げて息継ぎも必要なし。海の中では無敵状態の彼女はまるで空を飛ぶように水中を縦横無尽に楽しそうに泳いでいく。そう、それはまるで元気なイルカさながらに。すっかりこのバージョンが気に入ったいつきは、満足そうな笑みを受けべて何度も海面をジャンプした。


「この人魚バージョン、いいね。これでずっと泳いでいい?」


(いいけど人目についたら騒ぎになるからここにいる間だけだよ)


 変身の条件はいつもと変わらない。ヴェルノの至近距離半径100m。そこから出ると魔法は解けて人間に戻る。だからいつきはその狭い範囲をぐるぐると何度も飽きるまで泳ぎ続けていた。

 それから何か思いついたのか、様子を見守っている雪乃の側までやってくる。


「そだ!折角だしゆきのんも人魚になる?」


「わ、私はいいよ……」


「全く、ゆきのんは遠慮しいだなぁ」


 そのやり取りを聞いていたヴェルノは思いっきり呆れていた。何故なら、魔法少女になったばかりの時に彼が言った注意事項を彼女がすっかり忘れていたからだ。


(や、いつきこそ僕の能力の限界忘れてるよね。変身させられるのはひとりだけなんだって……)


「あれ?そだっけ?忘れてた!ごめーん」


 人魚になって楽しく泳ぐ彼女とは対象的に、雪乃とヴェルノは泳ぐのに疲れて一旦近くの陸地まで戻る。それから一番沖に近い磯に腰を下ろし、その場所からいつきが泳ぐのを見守った。


「いつき、楽しそう」


(あの性格は羨ましいよ)


 ここで雪乃はさっき初めて見たいつきの新しい姿について考えを巡らせる。何故ならいつも何かあるとすぐに報告してくれる彼女が、この事については全く報告がなかったからだ。聞きたい好奇心が臨界値を越え、雪乃は思わず声をかける。


「そう言えば人魚バージョンって初めて見たんだけど、いつから?」


(僕もさっき思いついてね、出来ると思ってやってみたんだ)


「そうなんだ、すごいね!」


(てへへ……)


 ずっとテレパシーで会話をする彼に対し、彼女は気遣うように優しく声をかけた。


「あ、そうだ。ここなら普通に喋ってもいいんじゃない?周りに誰もいないし。それともテレパシーの方が楽?」


「いや、普通に喋る方が好きだよ、有難う、雪乃」


 口を開けて喋るヴェルノはとてもイキイキしている。まるでずっと息を止めていたのをもういいよって解除されたような、そんな開放感を味わっているかのようだった。そんな彼の顔を雪乃はとても愛しそうに眺めていた。


「いつきの相手は大変でしょ?」


「大変だけど、悪くはないよ。彼女は僕を助けてくれたし、大変な日々も結構楽しんでるかも」


「そっか。それならいいんだけど」


 心配をする雪乃に彼は大丈夫アピールをする。その言動をじっくり観察し、そこに嘘がないと感じた彼女はそこでようやく安心する。

 一方でいつきの方はと言うと、さんざん海の中の飛行を堪能しつくして、それに少し飽きてきたようだった。ひょこっと海面から顔を出すと、磯でくつろぐ2人の側に寄ってくる。


「ふー。やっぱ泳ぐよりは飛ぶ方が好きかなぁ」


 その言い方から空を飛びたそうな雰囲気を感じた雪乃は改めて彼女に質問する。


「こんないい天気だと空を飛びたくなる?」


「なるね……今空を飛べたら気持ちいいだろうなぁ」


 そこまで話していつきはある事実に気付く。景気良くポンと手を叩くと、世紀の大発見をした科学者のように声を張り上げた。


「あ、飛んじゃえばいいんじゃん、ここなら……」


「うん、でもさ、何かの拍子に見つかったらやっぱりね」


 この彼女の提案も、ヴェルノは見つかるリスクを考慮して決して許可はしなかった。その判断にいつきは頬を膨らませて抗議する。

 けれど頑として彼が首を縦に振らなかったので、彼女はもう説得は諦めてまた海の中の冒険に戻っていった。

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