第69話 秘密結社への誘い その2

 そう、いつきの好きなものなら彼も好きだろう――と、言う事も言えなくもないからだ。


 そう都合良く考えた彼女は、自分の好みを信じて目に入ったケーキ屋さんに入っていく。そこで自分の分とヴェルノの分を適当に選んで包んでもらった。

 いつきはレアチーズケーキを、彼にはモンブランをチョイスする。無難な選択だけど、こう言う時は無難が一番正解に近いものと相場は決まっている。


「これで喜んでくれるといいんだけど……」


 ケーキ屋さんから出た時点で彼女はふと不穏な気配を感じとる。今までの多くの経験から、彼女は謎の予知能力のような鋭い勘を身に付けていた。


「あれ?何だかまたやばい雰囲気……何でいつもこうなんだろ……」


 きっとまた知らない誰かに待ち伏せされている。そういつきの第六感が告げている。この感覚が外れますようにと願いながら慎重に彼女が歩いていると、残念ながらまたしてもその予感は当たってしまう。突然目の前に見た目20代後半から30代前半っぽい大人の男性が営業スマイルを顔に貼り付けて現れたのだ。


「安西いつきさんですね?」


「はぁ……。そうですけど?」


 当然のように彼はいつきの名前を知っている。この調子だと、名前以外の事も調べられているのだろう。男性は身長180cm近くあり、近付かれるとかなりの威圧感があった。いつきは155cmなので30cm近くも差がある。


 顔はどちらかと言うとイケメンの部類なものの、その表情から本心は読み取れない。体型はどうやらかなり鍛えてありそうで、清潔感のある白い服を来ていたものの、服越しにもその肉体美は容易に想像出来る程だった。

 漂わせる雰囲気は聖職者のような静謐さを漂わせているけれど、それもどこか作られたもののような雰囲気で――つまりは胡散臭かった。


 この謎の男性はキョトンとするいつきの顔を見て爽やかな笑顔を向けると、極自然に右手を差し出してきた。


「失礼、俺の名前はマルク。どうかお見知りおきを」


「それ、本名ですか?」


 どう見ても東洋人の癖に西洋人っぽい名前を名乗る目の前の男性を、彼女はあからさまに訝しむ。それはまぁ当然の話だろう。大体、いつきとこのマルクと名乗る男性は今初めて会ったのだから。

 何の接点もない2人の男女は、その感情の温度差もかなり乖離していた。


「はは、流石数々の修羅場をくぐり抜けただけはあるね。冷静で素晴らしい」


「私の事、知ってるんですか?」


「ああ、何もかもね」


 何もかも知っている――普通なら警戒されて簡単には口に出せないようなその言葉を、マルクは当たり前にように口にする。この普通じゃない対応に彼女は底知れない何かを感じ、それを確かめる為にカマをかけた。


「あなたもまともじゃない人なんでしょう?」


「ほう?どうして?」


「だって私の前に現れる人はみんなそうだから」


「あははっ!いやあ、君、面白いね!」


 いつきの精一杯の口撃にマルクは突然吹き出した。どうやらこの程度では目の前の不審者はびくともしないらしい。軽くあしらわれていると感じた彼女は両の拳を強く握りしめ、その感情を爆発させる。


「茶化さないでください!一体何が目的なんですか!通報しますよ!」


「や、ちょい待ち!通報はやばいよ通報は!」


 流石に目の前の百戦錬磨っぽい彼も通報と言う言葉には弱いらしい。そんな焦る姿を見たいつきは、ようやくマルクの人間らしい姿を目に出来てホッと一安心した。こう言う時はやっぱり国家権力を盾にするに限るね。

 と、言う訳でここから勢いに乗った彼女のターンが始まる。


「通報がやばいなら関わらないでくれますか!あなたがどんな人なのかは知らないですけど!」


「まぁちょっと待ってよ。別に君に危害は加えるつもりはないんだ。少しでも話を聞いて欲しい」


「こっちには聞く義理はありませんから!失礼します!」


 最後までしつこく追いすがる彼を無視していつきは家路を急いだ。少しでも歩を緩めると追いつかれそうな気がして早歩き、いや、競歩のレベルでずんずんと彼女は呆然とする彼を置き去りにしていく。

 すっかり姿が見えなくなってしまったところでマルクは軽く頭を掻いた。


「なるほど、流石にガードが硬いね……」


 無我夢中で帰ってきたいつきは、気配を感じなくなったところで一応振り向いてさっきの不審者が付いて来ていないか確認する。

 どこにもその姿が見えない事で安心した彼女は、そのマックスにまで上昇しきったテンションのまま、勢い良く玄関のドアを開けた。


「べるの!ケーキ買ってきた!」


「え?僕に?」


「一緒に食べよっ」


 いきなりお土産を買ってきたその行動に対して、頭の中に幾つものはてなマークを踊らせたヴェルノは戸惑いながら彼女をリビングまで案内した。

 箱からケーキを出す間に彼はお茶の準備をする。そうして準備が整ったところでささやかなティーパーティが始まった。


「一体どう言う風の吹き回しなのさ。いつきが奢ってくれるなんて」


「今日の昼休みにゆきのんに怒られたんだ。もっとパートナーを大切にしろってね」


「なーんだ。自分で僕の大切さに気付いてくれたのかと思ったのに」


 ヴェルノは友達に指摘されたと言うその動機に少しだけ落胆する。これだけ頑張っていてもいつきに届いていなかったと言うのがその理由だ。

 けれど、当の本人はバカにされたようにその言葉を捉えてしまう。機嫌を悪くしたいつきは声を荒げた。


「あー!そんな事言うならケーキ没収だよ!」


「食べかけなんだから最後まで食べさせてよ!」


 ケーキを取り上げようとする彼女と、必死にそれを阻止しようとするヴェルノ。2人のやり取りはしばらく続き、それからお互いにおかしくなって笑い始める。ひとしきり笑って2人はケーキをまた普通に食べ始めた。

 いつきの予想通り、彼はモンブランを美味しそうに平らげている。自分の選択の正しさを実感した彼女はひとり自己満足の笑みを浮かべていた。


 そうして2人はケーキを食べ終え、食後のお茶をゆっくりと飲み干す。砂糖たっぷりの甘い紅茶を喉に流し込みながら、お互いに今食べたケーキの味をゆっくりと反芻していた。


 その時、急に空が曇り始め、それが気になったいつきは窓の外を見つめる。雲の厚さはどんどん増していき、全体的にかなり暗くなった。やがて――。


「あ、雨だ。ちょ、これ……」


「洗濯物ならもう取り込んでるよ」


「そっか、ありがと」


 雨の降る前にちゃんと仕事をこなしていたヴェルノを彼女は褒め称える。ポツポツと降り始めた雨は短時間でかなり大粒の本格的な雨に変わっていた。

 激しくなる雨音を聞きながら、彼はポツリと気になる事をつぶやく。


「でも結構雨脚が強くなってきたね。テレビの言った通りだった」


「え?べるのって自力でテレビ見られるの?リモコンとか触れたっけ?」


「ふふん、僕は魔法が使えるんだよ。仕組みが分かればリモコンなんていらないんだなこれが」


 ヴェルノは得意気にテレビに意識を向けてその言葉の実演をする。それが彼の魔法なのだろう、何もしていないのにパチっとテレビの電源が入った。

 この光景を目にしたいつきは興奮しながら声を上げる。


「うおっ!まさかの脳波コントロール!」


「いや、だから魔法だって……」


 分かってるんだか分かっていないんだかいまいちよく分からない彼女の反応にヴェルノは落胆した。

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