第49話 土地神様 その2

 ヴェルノは白猫であり、そこでたむろしている無数の影は黒猫のようにも見えた。そう、いつきは彼と勘違いして黒猫を追いかけていたのだ。

 しかしこれだけ走っても動いていたものを目にしたのはこの黒猫達だけで、他の生き物は人も含め全然彼女の視界には入っては来ていない。自分と黒猫しか動くものがいないこの空間、何か分かるかもと走って来たのに結局全く謎が解けないまま――この状況にいつきは落胆してしまう。


 そんな時だった、彼女の背後から突然話しかける声が聞こえて来た。


「よくぞお越しくださった。まぁ座ってくだされ」


「え?誰?」


 それは人の良さそうな老人の声だった。この空間に入って初めて聞く人の声にいつきは何も考えずに振り返る。そこにいたのは声のイメージとぴったり同じ雰囲気の御老人だった。腰は曲がっていないものの、ちょこんと立っていて背の高さも身長155cmのいつきよりちょっと低いくらいで実に可愛らしい。


 服装は還暦を迎えたおじいさんのそれっぽくてニコニコと笑うその顔は七福神の大黒様とかそんな感じのようにも見えた。


「この場にお前さんを呼んだのは儂なのじゃ」


「え?え?」


 この老人は彼女に衝撃の事実を伝える。流石のいつきもこの言葉をすぐには飲み込めず困惑してしまう。それで思わず周囲を見渡すとさっきまでの駐車場の姿はなく、どこかの部屋のような場所に彼女は立っていた。

 そして老人がさっき喋ったようにそこにはちょうどいいソファがあって、さあどうぞ座ってくださいと言わんばかりにその存在を主張している。この状況にも戸惑いを隠せなかったものの、彼女が一番気にかかっていたのはまた別の問題だった。


「あれ、黒猫さん達は?」


「あれらは儂の放った影じゃよ」


「えっと……」


 老人が言うには、さっきまでそこにいたはずの無数の黒猫は何と彼の放った影なのだと言う。それが真実かどうかも分からないまま、いつきは目の前の老人に対し、どんなリアクションを取っていいのか全く分からず、ただ突っ立ったまま適切な言葉を探すばかりだった。


 信じられないような言葉を次々に口にした老人はニコニコと笑いながらその場に用意されていたイスによっこらせと座る。促されるように彼女も背後のソファに恐る恐る腰を落とした。


「ふぉっふぉっふぉ。びっくりさせてしまったかの?」


「だ、誰……です……か?」


 少し落ち着いたいつきは絞り出すような声で老人に尋ねた。老人は笑顔を崩さずにウンウンとうなずくと自身の顎に手を当てて自己紹介を始める。


「儂の名前は……そうじゃのう、ただのジジイじゃよ」


「いやいやいや……」


 流石にこの言葉には彼女も突っ込みを入れる。すると老人は細まった瞳を少しだけ開くと、身を乗り出して語り始めた。


「ならば幻龍と呼んでくれるかの?お前さんに話を聞いて欲しくてのう……」


「は、話を聞いたら返してくれますか?」


「勿論じゃとも。なぁに、難しい事は何もないのでな」


 老人は幻龍と名乗リ、いつきに話を聞くように懇願する。物腰は柔らかいけれど、その声には有無を言わせない迫力を秘めていた。いつきは老人のその底知れない迫力にたじろぐ。


「あの……幻龍……さんは何者なんですか?」


「ふぉっふぉっふぉっふぉ。若者は好奇心旺盛でいいのう。儂はな、ただのジジイじゃよ」


 何度訪ねてもとぼける幻龍に流石のいつきも付き合いきれなくなり、我慢出来なくなった彼女は思わず声を荒げる。


「誤魔化さないでください、私だって雰囲気で分かります!あなたもその……悪魔とか……なんですか?」


「ほうほう、儂を悪魔とな?中々鋭い娘さんじゃ」


「こんな事が出来るなんて、普通の人間には……」


 そう、いつきは今までの経験からこの老人をアスタロトと同じ悪魔か何かが姿を変えているのではないかと推測し、怯えていたのだ。この彼女の攻勢を老人は変わらない笑顔で受け止めていた。


「そうじゃ、察しの通り儂は人間ではない。流石魔法少女じゃのう」


「ど、どうしてそれを?」


 いつきはまだ自分の事を一切喋っていない。それなのに魔法少女の事までバレていた事に戦慄を覚える。幻龍は一呼吸置くと目を見開き口を開いた。


「儂はお主を見ておったのじゃ、ずっとな」


「それは……どう言う?」


 その言葉が受け止められず、彼女は動揺する。老人は口角を上げると後ろ手に組み、ようやく自分の正体をいつきに伝える。


「それは儂がこの土地を司る土地神だからじゃよ」


 この衝撃の真実に彼女は混乱する。目の前の好々爺の老人は悪魔ではなく、本人曰くこの土地を司る土地神だと言う。


「とちが……え?神様?」


「そうじゃ、よく言われる氏神のようなものじゃよ。なぁに、そこまで格の高くない、ご近所の神様じゃ」


 神様ならば、いつきが今まで何をして来ているのがお見通しでもおかしくはない。逆に何も説明していない事がすでに知られていたと言うのが、老人の言葉を証明する結果となっていた。

 こうなると更に分からないのが、何故そんな偉い存在が自分に接触を図ってきたのかと言う事だった。彼女は目の前の相手がとんでもない存在だと分かって態度を改め、恐る恐る自分の中に生まれた疑問を口にする。


「そ、その神様が、私に何を?」


「うむ、情けない話なのじゃが、今の儂は力をかなり失っておる……そのせいでこの土地もこの有様じゃ」


「土地神様が力を失うとどうなるんですか?」


「幻龍で良い、土地神が力を失うとその土地の活気は失われてしまうのじゃ。祭りで派手に祝うのは土地神に力を与える意味もある」


「はあ……」


 いつきの質問に対し、幻龍はまず土地神の理を説明する。この手の話に特に興味のない彼女は老人が語る話に相槌を打つのが精一杯だった。


「それで頼みは言うのはの。いつき殿、どうか儂を助けてはくれぬか」


「はい?」


 話半分で聞いていたいつきに幻龍はいきなり本題を突きつけた。この急展開に思わず彼女は聞き返す。さらに老人は笑顔を崩さずに言葉を続ける。


「お主にならきっと任せられると思うのじゃよ」


「いやいやいや、私が神様を助けるなんてそんな事……」


 幻龍の頼みに対し、いつきは何とかそれを回避しようと言葉を探る。いつもなら何でも試したがりの彼女の事、この話の流れにすぐに同調するものだけど、流石に今度の相手は神様、要求するレベルだって高いはずだし、失敗したらどうなってしまうのかも分からない。そう考えると簡単に首を縦に振る事は出来ないのだった。

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