猟奇なドール

高尾つばき

第1話、でございます 「夏は、やはり浴衣ですわね」

 気象庁は過日、東海地方の梅雨明けを発表した。

 とはいえ、今年は例年に比べるとカラ梅雨に近く、すでに夏本番の気温、そしてねっとりする湿気にどっぷりと包まれている。


 愛知県あいちけんナゴヤ市は元々高温多湿の地域であり、市民は不快指数にうんざりした表情を浮かべるのであった。

 

 別地凜子べっち りんこは地下鉄植田うえだ駅の、改札口をながめる壁際に背を預けていた。

 

 凜子はナゴヤ市昭和区しょうわくにキャンパスを構える、私立中京都ちゅうきょうと大学の文学部英語学科の二回生である。


 ショートヘアにくりくりとした大きな瞳、ちょっぴり上向いた小鼻がチャームポイントだ。

 日焼け対策なのか、ピンク色のキャップをかむっていた。

 黒地のフェミニンフリルスリーブTシャツに、白いショートパンツ、腰に巻いたデニムシャツが、凜子の躍動感をさらに演出している。


 肩から下げた布地のバッグは、使い慣れた通学用である。

 教科書類を入れる以外に、いつもバッグの中には、スケッチブックを入れていた。

 どんな時も絵心を忘れない、という絵師のこだわりだ。


 凜子は大学で、漫画研究会なる文化系クラブに所属しているのである。


 今日は土曜日。

 だから、講義もクラブ活動もお休み。

 凜子の下宿先は植田駅の隣り、塩釜口しおがまぐち駅から、徒歩五分の学生専用アパートだ。


 凜子はスマホをバッグから取り出し、時間を確認する。

 まもなく約束の午後三時。


 この時間帯でも地下鉄を利用する市民は多い。

 電車が到着したアナウンスが聞こえてくる。サラリーマンや学生らしき若者、町中へ買い物に行っていたのか百貨店の紙袋を持った主婦、さまざまな人々が改札を抜けていく。


「あれ、今の電車に乗っていなかったのかな」


 アーモンド型の目をさらに見開き、凜子は自動改札を出る人たちに視線を向けた。


 乗客のほとんどが改札を抜けたあと、とぼとぼと歩いてくるオカッパヘアを見つける。


「ヤッホー! ヒメちゃーんやーいっ」


 手を振りながら、凜子は改札口へ歩き出した。


 待ち合わせの人物は、人ごみを避けるように、あらかたの乗客が出た後を見計らって地下ホームから上がってきたような気配だ。

 

 オカッパヘアの若い男性であった。

 凜子の声に、その若者は顔を上げて手を振った。


 凜子と同じ文学部英語学科二回生の、設楽姫二郎したら ひめじろうである。彼もまた、漫研部員だ。


 大きく突き出た立派なお腹の持ち主で、二十歳前後の若者には絶対見えない。すでに中年のメタボ体型である。


 メタル・フレームの眼鏡をかけ、強度の近視のためレンズが重いのか、小指を立てた右手で頻繁にずれる眼鏡を持ち上げる癖があった。

 

 手にはハンドタオルを握りしめ、盛んに顔をぬぐっている。確かに蒸し暑いが、これほど汗をかく気温ではない。陽射しのない地下なのだから。


 姫二郎は、リアルな日本人形の顔部分だけをアップにしたプリントTシャツを着ている。

 シャツはすでに大量の汗を吸っているようだ。


 本来は清楚な日本人形であろうが、お腹部分が思いっきり広がっているために、人形の顔が横に膨らみやや気味が悪い。

 

 凜子は立ち止まり、怪訝けげんな表情を浮かべた。


 姫二郎の胸元には太い布紐が交差している。何か背負っているようなのだ。リュックサックとは違うようだ。それに姫二郎は片手にいつもの紺色マジソンバッグを持っている。


 自動改札に切符を入れて、姫二郎が凜子の前に立った。


「ご多忙の中、ご同行の依頼を快諾たまわり、おそれいります」


「いやいや構わないって、ヒメちゃん。どうせ暇をもてあましていたしさ」


「ありがとうございます。独り暮らしの女子の部屋に、男である僕がひとりで訪ねるのはいかがなものかと思いましてな」


「ははっ、さすがヒメちゃん。そういう一般常識的な考えを持っているから、わたしも快くお付き合いさせていただくんだよ」


 凜子はくったくなく笑顔を浮かべた。


「ところでさあ」


 片眉を上げながら、凜子は姫二郎の背に視線を向けた。


「何を背負ってきたのよ」


 好奇心むき出しで凜子は顔を突き出した。


「えっ! 赤ちゃん?」


 姫二郎は抱っこ紐で赤ん坊を背負って来ていたのだ。白いベビー服のフードで頭部が覆われている。


「ま、まさか、ヒメちゃんの隠し子? それとも誘拐?」


 一歩身を引きながら、凜子は姫二郎を指さす。


 よいしょ、と姫二郎は片手で背負っている赤ん坊のお尻部分を持ち上げ、位置を正す。


「あははーっ、僕はこう見えてもまだ独身ですぞ、凜子さん。それにこの体型からよくロリコンに間違われますが、僕は幼女にはまったく関心はありませんしな。

 そもそも、なぜロリコンに僕のような体型が多いのか。ロリコンだからぽっちゃりなのか、ぽっちゃりだからロリコンなのか。炎上覚悟でネットにて問おうかと考えております」


 丁寧な口調で姫二郎は言う。


 確かに。ヒメちゃんの興味の対象はヒトではないし。


 凜子は眉を寄せながらも納得する。


 姫二郎は漫研部員として活動しているが、実は無類の人形オタクでもあったのだ。


 下宿先は厳重に施錠され、マニア垂涎の人形が保管されている。


 日本人形、海外のアンティーク・ドール、それにアニメのロボット・フィギュア等々。だが人形の世界に素人である者は、絶対に足を踏み入れてはならないと言われている。


 あらゆる類の人形に占拠されたワンルーム。

 

 百体を軽く超す人形たちの視線がすべて部屋の真ん中に集中するように並べられており、深夜二時になると人形たちがヒソヒソと囁き始めると噂されているからだ。日本人形の中にはお決まりの、髪が伸びる心霊人形もあるらしい。


 漫研部員からは『恐怖の人形魔窟』と恐れられる部屋の主、それが姫二郎だ。


「ということはだね、これは赤ちゃんの等身大人形ってこと?」


「ピンポーン、ですな」


「へえっ。どれどれ、おねえさんにお顔を見せてごらん」


 凜子は口調を変えながら、ベビー服の頭部を覆った白いフードをめくり上げた。


 一瞬世界の時の流れが凍結する。


 直後、「ヒーッ!」と悲鳴を上げながら、凜子はその場で失神してしまうのであった。


 ~※※~


 地下鉄の出入り口を上がり地上に出ると、太陽はやや西に傾いているものの、ムアッと澱む空気に全身が包まれる。


 改札口で倒れ伏した凜子に、姫二郎はマジソンバッグから麦茶のペットボトルを取り出し、「エイッ」とばかりに凜子の顔にぶちまけた。


 むせながら息を吹き返す凜子。だがあまりの恐怖に脳が自己防衛のためか、先ほど見た映像を記憶からシャットダウンしていた。


「あれ? わたし、どうしてたんだろ」


「びっくりしましたぞ、いきなり倒れるんだから」


「もしかして熱中症かなあ」


 凜子は麦茶に濡れた顔を左右に振りながら、姫二郎の手を借りて起き上がったのであった。


 同期二人は植田の国道から南側に向かって歩いていく。


「えーっと、ヒメちゃんが背負っている赤ちゃんは、もしかして隠し子? それとも誘拐?」


 凜子は同じことを口にした。姫二郎は細い目をさらに細める。どうやら微笑んでいるらしい。


「はっはっは。これは等身大の赤ちゃん人形ですぞ」


「なーんだ、人形なんだ。どれどれ、おねえさんにお顔を見せ」


 ここまで何気なくしゃべり、強烈な既視感デジャブに見舞われた。


「い、いや、ちょっと待って。このシチュエーションに覚えがあるわ。わたし、同じ質問をさっきもしたような」


「うん、二回目」


 歩きながら姫二郎が答える。


 ぱたっと凜子の足が止まった。じーっと記憶を手繰るような視線でアスファルト道を見つめる。


「イヤーッ!」


 絶叫が我知らずにほとばしった。


 往来を歩く人々が何ごとかと振り返る。

 凜子はあわてて自分の口を両手で押さえた。思い出してしまったのだ。


「ヒ、ヒメちゃん、その人形って」


 声を震わせながら凜子は後ずさりし始める。姫二郎も立ち止まり、眼鏡のフレームを指先で持ち上げた。


「ぐふふっ、いいでしょ、これ」


「いいでしょって、どこからそんな怖気おぞけの走る人形を入手したのさ!」


「いやあ、苦労しましたぞ、さすがにね」


 鼻の穴をふくらませ、姫二郎は得意げに語り出した。


「凜子さん、あの超有名なカルト映画である『妖魔は子煩悩こぼんのう・戦慄する廃村』ってご存知ですかな? ああ、ご存じでない。いやあ、かなりマニアの間では話題になったのですが。はあ? わたしはマニアではない? なるほど。

 五年ほど前に我が国で製作された映画でしてな。

 まあ内容はチープだったのですが、撮影に使用された造形物つまり人形ですな。これがもう超リアルで、観る者の心臓をねじ切るくらい怖かったわけですなあ。

 配給先の海外のある国では、全編上映禁止にまでなったほどなのです。

 ところが公開直後から製作関係者や出演者の間に、相次いで不幸な事故が起きたのですよ。これは何かのたたりか、などとまことしやかに噂が広まりましたわけです。

 しかもですぞ、製作会社自体が資金繰りの悪化によって倒産。よってさまざまな品が競売なんぞにかけられるわけですが、主役とも言える赤ちゃん人形は真っ先にオークションで人の手に渡ったわけですわ」


 腕組みをしながら空を見上げる姫二郎。


「それもそのはず。人形制作は、かのピエール喪断坂もだんざか氏。人形師フィギュア・アーティストの中でもカリスマ的存在でありますからして」


「それはわかった。充分わかった。夏にピッタリの話題をありがとう。

 で、なにゆえその人形をヒメちゃんが持ってるわけ?」


「これは以前より、どうしても手に入れてほしいと頼まれていたのですよ」


「誰に? ってまさか、今から向かう」


「さよう。つばめさんにですわ、墓尾はかおつばめさん」


 墓尾つばめ。

 凜子たちと同じ中京都大学文学部国文学科の二回生にして、漫画研究会の同期である。


 納得した。凜子は大きく納得した。

 あのつばめなら、こんな気色の悪い人形を嬉々として可愛がること間違いなしだ。


「ようやく入手できましたので、それを今日お届けに上がるわけです」


「つばめは独り暮らしだからねえ。それでわたしに一緒に行ってくれってわけだ」


「凜子さん、ご明察。さあ、行きましょう。暑さで倒れる前に」


 ハンドタオルで顔を流れる汗を拭き、姫二郎は歩き出した。


 つばめの住む「ゴールドクレストマンション・UEDA」は、地下鉄植田駅から徒歩十五分の住宅街にある。


 マンションと名称にはあるが、築三十年は軽く超えた二階建ての木造コーポだ。


 北海道のセレブ令嬢であるつばめが、よりによって何故そんな倒壊寸前のボロ屋に住んでいるのか、同期の凜子は不思議でならない。しかも借りている部屋はいわゆる「」らしい。


「あら、住めば都、ですのよ凜子さま」


 つばめはとびっきりの笑顔で答える。


 凜子は身長が百六十八センチあるが、つばめと話す時は常に顔が上向く。天然ウエーブの髪をセミロングにし、長い脚でさっそうとキャンパスを歩く姿は凜子から見ても断然恰好よい。間違いなく十頭身以上のスタイルだ。


 初雪のようなきめ細やかな白い肌。西洋の血が混ざったような切れ長二重の目元に、すうっと通った鼻梁。少し厚めの小さな唇。それらのパーツがものの見事に小顔に配置されている。しかも、ボン! キュッ! ボン! の理想の体型。


 ノーメークでありながら、あでやかなその表情は誰もが感嘆のため息をもらす。


 はっきり言えば、そんじょそこらには存在しない、超絶美形の女子であるのだ。


 もちろん流行の整形おなおしなどは一切していない。神さまの手により、完璧な黄金比フィボナッチ数で成り立っている。


 鈴を転がしたような心地よいソプラノボイスで、真っ白な歯並びの良い口元を開いてそう言うつばめ。


 凜子は何度か遊びに行ったことがある。好きな漫画や、制作中の作品について語り合ったりする。

 だが凜子は、なるべくつばめの部屋には長居したくなかった。


 怖いのだ。


 姫二郎の下宿先も怖い。だがつばめの部屋は、本能がレベル・マックスの危険信号アラームを鳴らし続ける怖さがあった。


 壁一面を覆う、日野日出志ひの ひでしが描いた「蔵六ぞうろくの奇病」の額縁入りの画は無論気味が悪い。


 だがそれよりも、言葉にできない恐怖感に何故だか襲われてしまうのだ。

 得体のしれない何かがいそうなのだ。


 つばめは「都」と言うが、他人からすれば魔界へ通じる異空間に閉じ込められた恐怖感を抱いてしまうのである。


 やはり「事故物件」というのは事実であったのか。

 だが、そんな失礼なことは絶対に言えない。


 国道から枝分かれした道路を、人形をおんぶした姫二郎と、次回発行の機関紙について意見し合いながら凜子は歩く。


「あと少しだね、ヒメちゃん」


 凜子は西陽に目を細めながら、姫二郎に言った。なるべく姫二郎の背後を見ない位置を選択しながら、少しだけリードして歩く。


 ふうっ、ふうっ、姫二郎はボタボタと全身から汗をしたたらせながらあえぐように歩いている。


「見えてきたわよ」


 元気よく、同志を鼓舞こぶするように凜子は明るい声を上げた。


 五十メートルほど先に見える木造コーポ、「ゴールドクレストマンション・UEDA」。その前には宅配便のトラックが停車していた。


 二人はどちらともなく、いったん歩を止める。それぞれのバッグから立体タイプのマスクを取り出すと無言で鼻と口元を覆った。それもにしてだ。むろん風邪気味というわけではない。防衛策、なのだ。


 本当は顔全体を覆うガスマスクが欲しいくらいだわ、と凜子は思う。


 凜子がコーポの二階へ上がる階段に足を掛けようとした時、ドダダダッ! と階段を転がり落ちるような勢いで青い縞のシャツを着た男性が走り下りてきた。

 あわてて凜子と姫二郎は道を空ける。


 どうやら宅配便のドライバーらしい。三十歳代の男性は一気に走り下りてくると、両手を膝に置き、とんでもない荒い呼吸を繰り返した。


 ゼエッゼエッと、空気を貪るかのように肺に新鮮な空気を送り込んでいる。目から涙が、鼻からは鼻水がとめどもなく流れ落ちていた。しかも驚くことに、シャツのお腹部分が赤黒く染まっているではないか。


 まさか、刃傷沙汰っ!


 男性ドライバーは凜子たちの存在にまったく気付かず、ヨロヨロと酔ったような足取りでトラックの運転席に向かう。どうやら怪我をしているわけではなさそうだ。


 では逆に返り血をあびたのか?


 トラックがタイヤを軋らせながら走り去っていく。


 二人は塗装が剥げ、錆の浮いた鉄板製の階段を急いで上がった。


 凜子は二階へ上がると、マスクの掛け具合を確かめる。つばめの借りている部屋は一番奥だ。


 以前は狭いむき出しの廊下に、他の住居人たちが洗濯機や植木鉢を所狭しと置いていたはずだが、なぜかスッキリと何も置かれてはいなかった。


 顔を背後の姫二郎に向けた凜子は、無言でうなずく。姫二郎もうなずいた。

 

 廊下を早足で奥へ進む。

 太陽がまともに射してくる。

 二人は突き当りの玄関ドア前で立ち止まった。


 何やら危険な刺激臭がドア前に停滞している気分に陥った凜子は、目をパチクリと数度瞬きし、合板のドア横にある丸いブザーを押した。


 ジッ、ジジジジッ。


 臨終間際のセミが、最後の力を振り絞って鳴くようなブザー音。


「はーい、ただいまぁ」


 不快指数をさらりとすくい上げてくれる、爽やかな声が聞こえた。


 ホッと肩の力を抜く凜子。さすがに考え過ぎであったようだ。

 

 ドアノブを回す音と共に、しなりかけた合板ドアが錆の軋む音を響かせて開けられた。


 ブワアッ! 


 室内の空気が物理的な暴力臭を伴って、凜子に襲いかかる。


 反射的に両目を固く閉じる凜子。ところが姫二郎は油断していた。マスクさえあればなんとかなると、タカをくくっていたのだ。


 強烈な刺激臭が鋭利な針となり、眼鏡フレームで屈折し細い目に矢継ぎ早に突き刺さった。


「ぐえっ!」


 姫二郎は押しつぶされた蛙のような悲鳴を上げて、廊下でのたうちまわる。


「まあっ、凜子さまにヒメさま、ごきげんよう」


 そこにはニコリと天使の微笑みを浮かべる同級生、墓尾つばめが立っていた。


 だが一目見るなり、凜子は「ヒッ!」と喉を鳴らしてその場に腰を抜かす。


 つばめは真っ赤な鮮血が飛び散った白い経帷子きょうかたびら姿であったのだ。


 ~♡♡♡~


 あらまあっ、いったいどうなさったのかしら?


 ヒメさまは廊下でうめきながら転がっておられ、凜子さまは顔面蒼白で震えながらしゃがみ込まれてしまって。


 そうだわ! この症状、わたくし存じております。

 熱中症、とやらに違いありませんわ。


 とにかくお部屋に入っていただいて、なにか冷たい物でもお出ししなければ。


 機転の利くわたくし。


 瞬時にそう判断すると、首を振ってイヤがるそぶりのお二人を、急いで玄関先からお家の中へ入っていただこうと動きます。


 熱中症の初期症状に確かありましたもの。イヤイヤをするように、無意識のうちに首を激しく横に振って頭部に溜まった熱を放出する、自己防衛本能が垣間かいま見えるって。


 敬愛する友人たちのピンチ!


 わたくしはまず凜子さんの首根っこをムンズッとばかりにつかみ上げ、放り込むように我が部屋へ。


 ヒメさまにいたっては身体が硬直なさっておられるのか、廊下の手すりにしがみついて離れようとしません。

 

 でもこのままではお命に関わるかもしれぬと判断。

 

 わたくしは、きゃしゃな細腕をヒメさまのやや太めのお首に絡めますと、柔道で言います処の裸締めで(いやですわ、なにやら頬がほのかな桃色に)頸動脈を圧迫しつつ、すかさずお似合いのオカッパヘアをグキッと九十度回転させます。


 ヒメさまがブラックアウトなさる寸前に、そのままお部屋へ引きずり込みました。


 ふうっ、間一髪でしたわ。


 そうだわ! 熱を冷やさなければ。


 冷蔵庫に夏向けの清涼飲料水がありますから、グラスに注いでっと。


 失礼してお顔のマスクをぎ取ります。

 ささ、キューッと一気に喉をうるおしてくださいな。


 まあっ! お二人とも口に含んだ途端、勢いよく吹き出してしまったわ。


 こんなサッパリした飲み物もお身体が受け付けないなんて。

 田中さまから頂戴したタマネギをすりおろして作った、百パーセント還元野菜ジュースですのに。


 もしやあの、ジカ熱も併発しているのではないかしら?


 そういえば凜子さまもヒメさまもマスクをしていらっしゃったわ。これはわたくしに感染しないようにとのお計らい。非常時ゆえ、抵抗されるのを無理やり引っ剥ひっぱがしましたけど。

 

 ただごとではありませんわね。呼吸が尋常ではないくらい激しいわ。


 ちょうどよかった。先ほど実家から荷物が届いたの。その中にお薬が。

 

 うふふ、宅配便のおにいさまったら、わたくしが玄関を開けるなり思いっきりお顔を伏せられて、酸欠状態みたいにお口をパクパク。

 

 罪な女ですわね、わたくしは。

 そんなにむせ返られるほどの器量よしではございませんのに。


 そういえば、受け取りの印鑑もサインも受け取られずに、足早に去って行かれましたけど。よほどお仕事ご多忙なのね。


 はい? この衣装でございますか?


 お笑いにならないでくださいまし。


 実はママが定期的に宅配便で、色々な生活必需品を送ってくれますの。

 ですから、ほらご覧になって。テーブル横に大きな段ボール箱がございますでしょ。


 えっ? 箱の下半分が赤黒く染まって、床に血が流れているですって?


 何か動物の死骸でも梱包されていたのか、とお訊きになっておられるのですわね?

 ブッブーッ、はずれ、でございますわ。


 ママはいつも手作り白菜キムチをタッパーに入れて、他の品と一緒に送ってくれるのですけど、タッパーの蓋がちゃんと閉まってなかったようなのですわ。

 ですから、漬け汁が運送中にこぼれてしまったみたいなのです。


 いくらママでも動物の死骸を送るなら、いつも必ずきっちりと、真空パックを利用いたしますもの。おほほっ。


 えっ? キムチの匂いが強烈で呼吸困難だから、窓を全開にしてほしいですって?


 大丈夫ですわ、凜子さま。

 キムチからにじみ出た乳酸菌が、くまなくお部屋に充満して、それこそ悪玉菌を根こそぎ退治してくれますから。どうかお気になさらず。


 そうそう、この衣装ですわね。

 はい、ご明察ですわ、ヒメさま。

 返り血のように染まっておりますのは、キムチの漬け汁でございます。


 はい? どうして死装束を着ているかとのご質問ですわね?


 うふふ、これもママの失敗談なのですわ。


 ママがわたくしに夏用の浴衣を作ってくれて、荷物の中へ入れてくれていたのです。


 えっ? どう見ても浴衣には見えない? もちろんですわ。


 これは遠い親せき筋に頼まれて、ママが縫いましたの。

 それで送る際に、わたくし用の浴衣と、この経帷子を間違えてしまったようなのです。


 ですからその遠い親せき筋のおじいさまは、仕方なくわたくしの浴衣を着せられて出棺されたそうなのです。


 はい、綿紅梅めんこうばいの涼しげな生地に染め抜いた、色とりどりのアサガオ柄だったそうです。


 そのおじいさまは小柄なかたであったらしく、浴衣のすそがひらめいて、妖怪一反木綿いったんもめんみたいでしったって。

 アサガオ柄の一反木綿って、なにやら可愛いらしゅうございますわね。


 先ほどママから電話があって、教えてくれました。


 それでわたくしはと申しますと、せっかくママが送ってくれましたから一度袖を通してみようかな、なんて思って現在に至る、ってところですのよ。


 どうかしら? 似合いますでしょうか、うふふっ。

 見様によっては、白地に赤く、ヒガンバナに見えませんこと?


 えっ? かえって不吉だとおっしゃいますの? ヒガンバナはお嫌いですか?


 まあ、わたくしったら、すっかり失念しておりましたわ。

 届きました品の中に、ママがお薬を入れてくれておりましたのよ。


 はい、ママが通信販売で手広く全国の会員さまにお分けしております、万能薬でございますの。ジカ熱どころか、身体中のウイルスを良い悪い問わず、完膚かんぷなきまで根こそぎ死滅させてくれますのよ。


 えっ? 以前に部活中調子の悪くなった部員に、無理やり飲ませたアノ怪しい薬かと仰いますの?


 服用したとたん超ハイテンションになって、鼻血を吹き上げながら三日三晩、不眠不休で踊り続けてそのまま病院に担ぎ込まれた、同期の戊馬笛人ぼば ふえとさまのことでしょうか。


 あの時は、水薬でしたわね。

 本来は千分の一に希釈いたしまして服用いたしますのよ。それをわたくしが誤って原液のまま一ヶ月分相当の分量を、一気に飲ませてしまいましたからなの。うふふ。


 それに今回は、ママがさらに試行錯誤して改良いたしましたの。飲みやすいように糖衣錠にしました新薬ですのよ。

 

 えーっと、これこれ、この小瓶に入っておりますのよ。

 ご覧くださいまし。

 七色の原色で、綺麗な錠剤でございますでしょ。


 凜子さまは何色がお好みかしら。 赤? それとも紫。


 絵の具よりも色が濃いと仰いますの? 大丈夫ですわ。効能はどれも同じでございますゆえ。


 ささ、ヒメさま、どうぞお飲みくださいませ。

 ご遠慮なさらずとも、同じ漫研のよしみじゃございませんこと?


 そうですかぁ、宗教上のご制約がおありであればいたし方ございませんわね。


 凜子さまはご先祖さまから、一切の薬を服用することなかれと、代々申し渡されておられるならば、それを破るわけには参りませんものね。


 はい? やっと香りに慣れてきた? やはり乳酸菌の力、侮れませんわね。


 それではわたくし、とっておきのお紅茶をれさせていただきますので、奥のお部屋でおくつろぎくださいませ。


 でもヒメさま、あまりジロジロと眺めないでくださいまし。


 わたくしも嫁入り前の乙女、恥じらいがございますゆえ。

 

 お紅茶を淹れる間、どうぞお楽にご歓談くださいませ。


 つづく


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