ヴァージニアと願いのナイフ 前編


 これは今からひと月とちょっと前

 痩せっぽちな「サリタの子」に初めて出会った時のお話




「あのネ、カシムは怒テルヨ、なんでかワカル?」

「だってぇ、ここにあるナイフ、どれもこれもぴんとこないっていうかぁ」

「ヴァージニア!」

「はいはい、ごめんなさいってば」


 髭面をしょんぼりさせながら、カシムはテーブルの上に広げられた多種多様なナイフを片付けにかかった。筋骨隆々な彼が扱うと、軍用ナイフでさえ上品なフォークのように見える。


「あんな事件のあとデ、カシムがこれだけ集めるノ、どれだけ大変ダッタカ……」


 むっちゃ怪しまれタンダカラネ! と憤慨する彼の言葉は決して誇張ではないだろう。

 なんたって今、ここサンゲルタ連邦は謎の「獣」の話題でもちきりだ。

 二日前から突然この地に出没し始めたそれは、郊外にある集落のいくつかを襲撃し、その鋭い爪と牙で惨殺のかぎりを尽くしたという。


「獣の正体をナイフが暴ク……ヴァージニアの占いニハ、ソウ出てるんデショ?」

「んー……そうだけど、わたしの直感ビジョンだから、カシムがそこまで気にかけることはないのよ?」

「緑の魔女が視た直感ビジョンヲ、無視できるワケナイヨ」


 琥珀のあしらわれた細身のナイフ、というなんとも曖昧な魔女の直感ビジョンだけを頼りに、短期間で方々手を尽くして集めてくれたのだ。これまで何度か一緒に仕事をしてきたサンゲルタの魔術師は、ヴァージニアの能力に全幅の信頼を置いてくれているらしかった。

 ナイフを除けたそこに「ハイドウゾ」繊細な装飾の施されたカップを置いて、テーブルを挟んだ真向かいの椅子にちょこんと大男が収まる。香ばしいコーヒーの匂いが鼻をくすぐった。

 リーゼが淹れてくれる紅茶も大好きだけど、この乾いた風の吹く国で飲むコーヒーもヴァージニアのお気に入りだ。


「谷の年寄りどもはなんて?」

「イツモ通りのお達しが届いテル」


 いつも通り、つまりは「秩序の守護者たる白き谷の結社として、可及的速やかかつ円満に問題の解決を図り、余計な損害を出さないこと」


「ヴァージニアが気をつけレバイイダケダヨ、カシムいつも穏ヤカダヨ」

「嘘つけ!」


 ヴァージニアの突っ込みと同時に、窓のほうでなにかが潰れる湿った音がした。

 素早く立ち上がったカシムが日除けを上げると、いつも彼が磨きあげている窓ガラスにべったりと生卵がついているのが見えた。


『どこの……』


 肩の筋肉を一層いからせて玄関に向かったカシムを横目で追いながら、ヴァージニアはそっと両手で耳を塞いだ。


『どいつじゃああぁ!』


 落雷のような一声に、門の前へ集まっていた人々が揃って身を縮める。

 カシムに続いて外へ出ると、白茶けた土と建物が反射する強い日差しにやられて目がくらりとした。

 大きな三角帽に黒いマントというヴァージニアの奇矯ないでたちに衆目が集まる。

 館の前にいたのはざっと二十人ほど。建物の窓から顔を出して何事かとこちらを見ている者たちもいた。


『お前らの仕業じゃねえのか! この胡散くせえ魔術師め!』


 前列にいた痩身の男が声を張り上げ、それに同調する声がぱらぱらと後に続く。積極的な敵意とまではいかないものの、訝しげな顏の下には同じような疑いの根が張っているらしい。


 この街でもまた、大抵のおかしなことは「魔術師の館」から来るというわけだ。


 国土のほとんどが岩石の転がる荒涼とした砂漠地帯であるサンゲルタは、もともとマナの少ない地だ。戦争が長く続いたために「マナなし」になる者も多い。時折まじない程度の術が使われるだけで、大半の人々は魔術というものに関わりなく暮らしている。

 そんな中、連邦政府にわざわざ大金を積んでまで館(出張所)を置く白き谷の結社——魔女と魔術師たち——は、彼らにとってまことに胡散くさい余所者でしかない。

 不可解な事件に対する不安や憤りの矛先が向くのも、まあ、しかたないよねとヴァージニアは思う。胡散くさいし、実際。

 カシムはまったく臆することなく、自分に向けられる非好意的な視線の波を巨体でまっぷたつに割りながら進んでいく。

 その先、群衆の背後でうろついていたらしい少年がカシムを見て身をすくめた。彼の売り物である卵ひと籠分の硬貨を握らせて、『今日はもう危ねえから帰りな』と追いやる。


『でぇ?』


 ぐるりと睨みを利かせると、その圧で一斉に人々が後ずさった。


『卵泥棒が俺になにを言いてえって? あぁ?』


 最初に声を上げた痩身の男が悔しそうに顏を歪ませる。人々を包む剣呑な空気が揺らいだ隙を逃さず、分厚い手のひらを打ち合わせる音が割り込んできた。


『ほら、ばかな集まりはお仕舞いだ! さっさと仕事に戻らんか!』

『サイード』

『魔術師が人を殺して何の得になるって? 商売道具のマナを失えばこいつはただのいかつい大男だ。うちで雇ってやらんとな』


 カシムよりもひと回り小さい(つまりヴァージニアよりふた回り大きい)年配の男が、人垣を追い散らしながら近づいてきた。縁の細い眼鏡越しの眼光も鋭くこちらを見る。


『よお、カシム。そっちは……ヴァージニアだったな、ひさしぶりだ』

『おひさしぶり』


 相変わらず羽振りのよさそうなお腹だこと。サイードは土木会社を経営していて、この辺りの顔役でもある。結社とは過去にお互い何度か助けたり、助けられたりした間柄だ。


『ちょっとお前さんたちに頼み事があるんだが、いいか?』

『すまないが、サイード。俺たちも今取り組んでる仕事があってな……』

『例の獣の件を調べているんだろう? 俺が知らないとでも思ったのか。こっちの用事ってのもそれ絡みだ』


 どうせだから聞いていけと、話の早さはさすが海千山千の男だけある。ヴァージニアとカシムは肩をすくめて、主より堂々とした態度で館に入っていくサイードのあとに続いた。

 その背中へ向けて、


『魔術師にだって使にされる奴はいるだろうよ!』


 鋭い罵声を浴びせた痩身の男は、振り向いた三人の顔を唾でも吐きかけそうな勢いで睨みつけたあと、左足をひきずりながら去っていった。


『……彼も、元兵士?』

『そうさ。悪く思うなよ。この国にゃ、マナ持ちは赤ん坊か権力者しかいないんだ。どっちも食い物を他人に口まで運んでもらわなきゃ生きていけんからな』

『マナ持ちねぇ……知ってる? ウェルカニアにはマナなしって言葉があるのよ』

『おお、神聖なるウェルカニアンよってやつだな。こっちに言わせてもらえば、マナ持ちしかいない国ってのは想像するだけで落ち着かないがね』


 お前さんたちみたいなのがうろうろいるんだろ? と言われてヴァージニアはカシムと顏を見合わせた。同時にお互いを指差して言う。


『いや、こいつみたいなのは滅多にいないから』



    ■



 稼働二九五日目/現在地不明/各種計器や駆動系に異常あり/戦果未だゼロ



 雨の音がする。乾いた大地を遠慮がちに刷毛で撫でているような、薄い音の膜に包まれながら、やっぱり私はダメダメなんだなあと「獣」はぼんやり考える。

 ここはどうやら崖下の少し窪んだ空間であるらしい。ちょっとした雨や日差しを避けるにはいい場所だ。なにかを隠すのにも。

 軽い足音が近づいてきて、獣の体を覆っていた布が取り払われた。嬉々とした琥珀色の瞳が覗き込んでくる。


「よう」


 笑う口元に綺麗な犬歯が覗いた。

 オリーブ色の作業着でくるんだ荷物を地面に下ろして、少女は畳んだ布の上に座った。細い肩にそのまま作業着を羽織り、ずた袋の中身が濡れていないかを確かめる。

 小さなランタンに火が灯り、穏やかな光が広がって雨に濡れた少女の肌に反射した。

 暖かそう。懐かしいその感覚を思い出そうとするけれど、たぐり寄せたい実感はするすると指を逃れていって掴めそうにない。

 ずた袋から様々な道具を取り出して整頓した少女は、


「ちょっとごめんな……」


 慎重な、しかし躊躇いのない動きで手早く獣の右後ろ足を外してしまった。しばらくそれをためつすがめつしたあと、なにか確信を得た顔で同様に左後ろ足も外しにかかる。

 全身をバラバラに解されながら、獣は成す術もなく横たわるしかない。胴から外れた頭を持ち上げられて、丁寧に解体され並べられた自分の体を見下ろすことになった。


魔法工芸品マギカクラフトなんて滅多に見ないからどうしようかと思ってたけど、案外手持ちの部品で替えが利きそうだ。魔法陣も傷ついてないし、これならあたしの修理だけで動くぞ。よかったなぁお前」


 目の前に近づいた少女の顔が無邪気に笑いかける。


 全然よくない。


 獣は内心でかなりショックを受けていた。どこの誰とも知れない小娘に、所詮は量産品、特別な存在ではないのだとはっきり告げられたのだから。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。獣は特別な存在になりたかった。ダメダメな自分と決別するために「テスト」に応募して、訓練をくぐり抜けてここまで来たというのに。


「マナ石はかなり安いのになっちゃうけど……ま、動くには十分だろ」


 この上さらにチープな存在になるのだという。もういっそこのまま全て壊してしまってほしい。屈辱を烙印された生が続くのだと思うと目が眩むようだった。

 少女は静かに獣の頭を地面へ戻すと、袋からざら紙と下敷きの板を取りだした。熱心に部品を観察しながら鉛筆を動かす。細かいものにはひとつひとつ目印を付けていく。



 それからしばらくは、薄い雨と、鉛筆の動く掠れた音だけが小さな空間に満ちていた。



 ランタンの揺れる灯りを受けて、瞬きをする度に濃い睫毛が複雑な影を落とす。

 なにかに没頭している人間が醸し出す独特の空気に、獣はひと時だけ考えることを忘れてひたすら見入った。

 やがて獣の視線に気づいた少女が、柔らかな目でこちらを見返す。

 冷えて固いだけの、今は動かせもしない頭に手を伸ばし、指の背でくすぐるように撫でてきた。


「強くて頑丈で無駄がない、壊れたっていつでもどこでも直せる……」


 歌うような節をつけてひとりごとを言う。獣が聞いているかどうかなんて、おそらくどうでもいいのだろう。


「お前、本当にいい設計されてるよ。あたし好みだなぁ」


 大きな目を細めて笑うと、ますます幼く見えるのだった。

 無駄のない修理の手際や、目を伏せている時の非常に大人びた横顔との落差が激しい。

 崖の底に落ちていたのを拾われここに連れて来られてからずっと、自分のことばかりでいっぱいだった獣の頭に初めての問いが浮かんだ。

 

 あなたは、誰?




 稼働二九六日目/現在地不明/オーバーホール中(不本意)/戦果未だゼロ



 謎の少女は今日も勝手にやって来た。

 さっそく修理に取りかかるものと思っていたら、作業着のポケットから地味な包装の小袋を取り出してもそもそ中身を食べ始めた。畳んだ布の上にちょこんと座ってひたすら口を動かす様は小動物のようにも見える。

 彼女が食べているのは多分、軍用のレーションだ。民間に安く払い下げられていると聞いたことがある。

 そんなものばかり食べているから貧相な体になってしまうのだ。獣は鼻で(気分だけ)せせら笑った。


「そういえばさ、市でちょうどよさそうなマナ石を見つけたんだ。明日の給料が入ったらすぐ買って見せてやるからな」


 気に入るかなぁ? とか言いながら、おいしくなさそうにレーションを咀嚼する。


 ちょっとだけ、申し訳ない気持ちになった。




 稼働二九七日目/現在地不明/オーバーホール中(継続・不本意)/戦果未だゼロ



 体はだいぶ組み上がってきた。

 今日も今日とて、少女の指先が器用に道具を操り、獣を構成する部品ひとつひとつを噛み合わせていく。

 それだけではただ無意味な存在にしか思えなかった歯車が、軸が、彼女の手にかかって複雑に作用していく様を獣はいつしか夢中になって見つめていた。

 魔法みたい。

 そんなことを言ったら、この子は笑うだろうか。それとも嫌な顏をするだろうか。


「そうだ」


 ちょっと休憩、と言って大きく伸びをした少女が、下ろした手をそのままポケットにつっこんで白い布を取り出した。

 黒く汚れた指で慎重にめくると、親指の爪ほどの石が顏を覗かせる。

 少し赤みがかった、綺麗な飴色の石。

 琥珀だ。


「おそろい、とか、どうかなって」


 自分の目を指差して、ふぇへへ、と照れたように笑う。

 これは最後に付けるやつだからなーと、また白い布に包んで戻す。マナ石をそんな雑に扱っていいのとちょっと不安になった。

 あの石が獣の額に嵌れば、この小さな修理工場は店じまいとなる。

 動けるようになってしまえばこちらのものだ。もう勝手に体をいじくられることも、鼻歌やひとり言を聞かされることもなくなる。

 でも、そうか。


 おそろい、かぁ。




 稼働二九八日目/現在地不明/オーバーホールほぼ完了/戦果未だゼロ



 今日はまだ来ない。

 トカゲが一匹、布の隙間からこちらを覗いてつまらなさそうな顔をして去っていった。




 稼働二九九日目/現在地不明/オーバーホール完了間近/戦果未だゼロ



 日も落ちる頃になって、ようやく聞き慣れた軽い足音が近づいてきた。

 ブーツの底がせわしなく地面と擦れる。最初はまた雨に降られているのかなと思った。

 崖下の窪みに駆け込んできた少女は、獣の前にうずくまるとそのままじっと動きを止めた。

 荒い呼吸の音だけが続く。


「…………っ」


 意を決したように息をのんだ少女が、獣を覆う布を勢いよく取り去った。

 両膝を付いてランタンの灯りを近づけ、なにかの痕跡を探すように獣の前足や口回りを念入りに確認する。組み立て作業をしている時とはまた違う迫真のまなざしに気圧されて、獣は自分が呼吸を止めているような錯覚に陥った。


「………………ない」


 つぶやいた一言で空気が漏れてしまったかのように、少女はへたりこんだ。

 もしかして。予感めいたものが獣の脳裏をよぎる。

 少女がポケットから折り畳まれた白い布を取り出す。じっと手元を見つめる表情に、それは確信へと変わった。


 


 呼吸の音が落ち着いてからもなお、少女はしばらく目を伏せたまま動かなかった。



「いつから、マナなしになるんだと思う?」



 やっと開かれた少女の口から溢れたのは、そんな問いかけだった。


「相手の心臓が止まった時、心臓が確かに止まるだけの傷を負わせた時、弾が飛び出した瞬間、引き金を引くと決めた時、もしかしたら……銃を握った時点で」


 手に乗せた白い布を固く握りしめる。


「あたしは覚えてない。生まれた村から攫われて、大人の指示通り人を撃つように仕立て上げられた。なんのために撃つのかとか、撃たれるのかもわかんないまま、死にかけてる所をサリタに拾われて、救われた」


 細い指が布を開く。少女の目の光が琥珀のなめらかな表面に映り込む。


「サリタが育ててくれなきゃ、確かにあの時あたしは死んでた。そんなあたしがこの先誰かを殺したら、サリタもマナなしになるのかな?」


 つまみ上げた琥珀ごしに、まっすぐ獣を見つめる。


「そんなことをずっと、考えてる……多分、これからも」


 獣のなめらかな額をなぞって、


「あたしはお前を」


 窪んだそこに石が嵌ろうとした時だった。



「……!」



 近づいてくる車の音に気づいて、少女が弾かれたように振り返る。


『こんな所にいたのか』


 降りてきたのは、少女と似たような作業着を着た若い男だった。地面に横たわる獣を見つけて目を丸くする。


『マキナ、そいつは……?』

「……」

『お、おい、どういうことだよ……まさか、そいつが集落を』

『違う! こいつをバラしたけど、誰かを襲った跡はなかった』


 マキナと呼ばれた少女は獣を背にしてかばうように男と向き合った。困惑した顔の男にマナ石をかざしてみせる。


『事件が起きる前からこいつのマナ石は壊れてた。今も外れてる、動けないんだ』


 そのままじっと姿勢を崩さないマキナを前に、男は頭を掻いたり額を押さえたり、ひとしきり動揺してから痩せぎすな肩を窄ませて嘆息した。


『……昨日からなんか様子がおかしかったから、心配で見に来てみりゃ……まったく、お前は、まったく』


 来い、と手を振る。


『ひとまずサイードのおやじに報せなきゃ。そいつを車に積むぞ、手伝え』



    ■



『お前さんたちに見てもらいたいものがある』


 そう言って、サイードはヴァージニアたちを東の街外れにある採掘場へ案内した。

 車から降りてきた魔女に作業員たちの視線が集まる。カシムのようなむくつけき男が多いかと思いきや、老人や女子供の姿もちらほら見られた。


『とにかく今は働き手が足りないからな』と彼らの雇い主であるサイードは言う。『危険だが、払いはいいぞ』


 サンゲルタは大気中のマナに乏しいかわり、地中から採れる鉱石がマナを蓄えていることが多い。マナ石と呼ばれるそれから力を取り出す魔術が他国で発達したのち、安定したマナの供給源として急速に採掘が進められるようになった。現在ウェルカニアに流通している石もほとんどがサンゲルタ産だ。高値で取引されるため様々な争いの火種になったりもする。

 サイードは簡素な造りの事務所へ二人を通すと、人払いをして窓の日除けを下ろした。


『結界でも張っとく?』

『いい。連れ立って来た時点で秘密もなにもないだろう』


 ただ作業員たちが妙なことに巻き込まれるのは避けたいと言うので、会話はウェルカニア語を使うことにした。古代神聖語からほとんど変化していないと言われる難解なそれは、ウェルカニア国外で使われることが滅多にない。


「それデ、カシムたちに見テほしいモノって?」


 ウェルカニア語になると妙なカタコトになるカシムが口火を切ると、難しい顔をしたサイードは金庫の中から筒状に丸められた紙を取り出した。端が黄色く変色したそれを机の上に広げる。


「これハ……人形、違ウナ、鎧?」


 黒い線で描かれていたのは、丸みを帯びた胴とそこから伸びる関節のある手足。虫のようにも見えるけど、頭部がないことを除けばそのシルエットは人間のものに近い。カシムが鎧と見間違えるのも無理はなかった。


「………………」


 体の内側から溢れそうになる黒い不安を、ヴァージニアは皮膚の下で必死に押しとどめる。

 こんなものを、今ここで見ることになるなんて。


「大きさはこれくらいだ」


 俺をこいつとして、と葉巻を絵の横に置いてみせる。だいたい膝下の部分までの高さにしかならない。


「ソンなモノガ、ドコに?」

「このずっと下さ」


 サイードが踵で床を鳴らす。


「掘ってた穴のひとつがこいつにぶち当たった。だいたい二十年くらい前だったか。はじめは珍しい骨董品のつもりで片手間に発掘していて……こいつの表面にある紋様を村のじいさんに見せたら、途端に血相を変えやがった」


 とんでもない事態だ、と言う。


「俺も最初は信じてなかったんだが、なんとまぁ、すぐに七星会議が開かれてな」


 カシムが息を飲んだ。サンゲルタ七氏族の長が一同に会する七星会議は、氏族同士の対立が深まった五百年前を境に絶えたとされている。


「そこから今までは、会議に言われるままなんとかあちこちの諍いを収めるために費やしたみたいなもんだ。二年前に立ち上げた連邦政府も最近ようやく落ち着いてきて、のらりくらりするじいさんたちを本格的に問いつめようと思った矢先にこの獣騒ぎが起きた」


 濃い眉毛の下の目が、眼光鋭くヴァージニアを射抜く。


「関係ないと思えるような呑気な奴は、ここじゃとっくにみんな墓の下だ。緑の魔女よ。お前の目は、これをどう視る?」


 大仰に両手を広げてみせる。ヴァージニアは表情を変えずに問い返した。


「……サイードは、獣についてどう考えてる?」

「生き物じゃないな」


 おそらくだが、こいつと同類のモノだと思う、と紙に描かれた鎧もどきを示す。


「爪はある、牙もある、だが襲った人間を食っている様子はない。糞尿も見つからない。あれはただの兵器かなにかで、誰かが操って襲わせている可能性がある」


 そしてそいつはこの鎧を狙って駒を動かしているのではないか。それがサイードの読みだった。

 先に郊外の集落を狙って軍を分散させるのが嫌らしい手口だ、と忌々しげに言う。ここの警備は普段なら政府軍が担っているが、今は他の集落の住民を都市部へ避難させるために出払っている。地下の鎧のことは新政府も知らない。こちらに守備を割けと言えば当然怪しまれるだろう。基本的に無頼漢の集まりである傭兵を秘密に近づけるわけにもいかず、各氏族の戦士を動かすには時間がない。


「かといって、怪しげな魔術師を招くのはますます良い手とは言えないわね。獣を操っているのが魔術師である可能性を、あなたが考えなかったとは思えないんだけど」

「考えないもなにも! 魔術師の仕業だろうが、間違いなく」

「さっきミンナニ言っテタことト違ウヨ」

「連中を落ち着かせるための方便だからな。俺には仕業でないことはわかってる。しかしこの国の人間は魔術師のってものをほとんど見分けられないんだ」


 まあ、あそこにひとりはいたがな。と鼻の頭を掻く。脳裏に浮かんだ痩身の男が鋭く叫んだ『魔術師にだって使にされる奴はいるだろうよ!』


「兵士だろうが魔術師だろうが同じだ。命やマナを失うとわかっていて使い捨てにされる者はいる。そしてお前たちは、そういった魔術の使い方を許さないための組織なんだろう? なら、存分に働いてもらおうじゃないか」


 サイードが日除けを上げると、さっきまでいた作業員たちの姿が消えていた。


「今日は俺が戻ったらすぐ仕事を切り上げて誰も近づけさせないよう、監督に伝えてあった」

「大シタ狸だヨ」

「ここに敵が狙う餌があり、守るべき者は皆避難した。そしてお前たちには力がある。本当の願いを告げるぞ、魔女と魔術師よ。俺たちの大地を踏み荒らす獣を狩ってほしい」


 白き谷の結社が鎧の存在に気づいたと知れば、相手はすぐさま動くしかない。サイードの用意したタイミングで、彼の狩り場と化したこの場所に。

 これは早さが肝心の勝負なのだと狸おやじは言った。危険を承知で先手を取らなければ破滅する。


「鎧の処遇もお前たちの手に委ねる。獣退治のどさくさ紛れに壊すなり持って行くなり好きにしろ。アレは魔術の領域にあるモノだろう」

「それはあなたの一存ね、サイード?」

「そうだ。七星会議にも連邦政府にも口出しさせず、うやむやなままアレをこの地から処分できるのは今しかない」

「わたしたちにすべて押しつけようってわけ」

「人聞きが悪いな。他の連中の反発を受けながら、なんのために俺が館をここに呼んだと思う?」

「コウイウ時に、使イ捨テやすいカラデショ!」

「いいや。さっき言った魔術師のってやつを、この目で確かめたかったからだ」


 そう告げる声は思いの外穏やかだった。勢いを削がれたカシムが目をしばたかせる。


「カシム、なんの縁故もないお前さんがこの街に赴任してきて、どう俺たちと関わっていくのかをつぶさに見させてもらった。その上でお前を信じるべきだと決めたんだ」

「身内よりも余所者である私たちを信じるの?」

「身内だからこそ深まる愛もあれば、憎しみもあるさ」


 机に置かれていた散弾銃を手に取る。手入れの行き届いたそれは、サイードの体の一部のようにも見えた。


「理解も深いぞ。七星会議にしろ連邦政府にしろ、腐肉あさりのようにうろつく諸外国にしろ、邪心ある者にあの鎧が渡ればさらなる災いを呼ぶだろう」


 正しい予言だ。サイードはヴァージニアよりもよっぽど魔女の仕事に向いている。


「そしてこの地はもうそれに耐えうるだけの体力がない……神代の孤児たる魔術師よ、だからこそ俺はお前たちにアレを託す。弱き者を守るのは俺たちに共通して課せられた使命のはずだろう?」

「あなたは強い人だわ、サイード」


 ヴァージニアの感嘆に、サイードは髭の下で苦笑いを作った。それが弱き者を必要とする強さなのだと、彼は薄々気づいているのだろう。


「そう、俺は強い。だがお前たちは俺とは別の次元の強さにあって、なににも縛られず独立した「個」の存在だ。それとも独立しているからこそ強いのか? 実に不自然で……ずるい存在じゃないか、魔術師ってのは。だが」


 戸口のほうでガタガタと物音がする。完全に日が落ちて暗くなった窓の外に、大型の肉食獣に似た気配が動いた。


 サイードがゆっくりと銃を構える。


「そろそろ高みの見物はやめにして、俺たちを救ってくれてもいい頃合いだ」

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