リーゼと秘密のレシピ


 かぼちゃのケーキを焼こう。


 そう決意して目覚めた朝、施薬院の子供たちをそれぞれ学校や仕事へ送り出してから、リーゼはさっそくケーキ作りの準備に取りかかった。

 人の心は目に見えない。まだ出会って日も浅い間柄であれば尚更に。だから気持ちを伝えるには、確かなものを贈るのが一番だと思うのだ。

 泣かせてしまってごめんなさい。

 あのあと何度も謝ったけれど、マキナさんは「リーゼのせいじゃないから」と取り合ってくれなかった。ならどうして、という問いはあまりに踏み込んだものに思えて口に出せず、なんとなくあやふやなまま話が終わってしまった。

 多分あのピアノのなにかが、リーゼの知らない、マキナさんの見えない傷に触れてしまったのだ。

 体の傷は、目に見える。実際マキナさんの細い体はあちこち傷だらけなのを知っている。

 けれど先日の涙は別の、手では触れられないくらいもっと奥深くにあるものが痛んだように感じてならない。


「…………」


 結局は安心したいだけなのだろうなと自嘲気味に思う。彼女が元気よくなにかを食べている姿を見ているとほっとするから。

 かぼちゃのケーキは作り慣れたレシピだし、何度も子供たちに作って好評を得ているから味に自信はあるし、きっと喜んでくれるはず……あれ? 大丈夫だよね? 味の好みを確認していなかったことに今更気づいて愕然とした。いや、前に食べられないものはないって言っていたから大丈夫なはずだけれど。

 ぐるぐる考えを巡らせる頭とは別に、体は慣れた行程を淡々とこなしていく。かぼちゃの種を取って、切って蒸して、潰して。そうしていると、だんだんまぜこぜにされているのはかぼちゃなのか、自分の頭の中なのかわからなくなってくる。

 リーゼとそう年は変わらないはずなのに、薄くて細い張りつめた背中。そこへ縦横に走った傷のことを、強く思い出していた。




 ひと月前のあの日もやっぱり、おかしなことは「魔女の館」から訪れたのだ。


「リーゼいた! ちょうどよかった! こいつお願い!」


 突然館の玄関ホールに現れたヴァージニアが、掃除中だったリーゼに向かってなにかを放り投げた。 


「え、うわっ!」


 なんとか抱きとめはしたものの、衝撃で尻餅をついてしまっては抗議の声を出す暇もない。   

 最初はぼろぼろの布の塊だと思った。よく見ればそれはヴァージニアがいつも纏っているマントで、なぜか焼け焦げてあちこち裂けた酷い有様だった。次いでマントの間から煤まみれの黒い毛が見えて、大きな猫か、さてはヴァージニアめ南の国あたりから勝手に拾ってきたなと思ったのだ。


「……ぅ、ぇ」


 黒い大きな猫が苦しそうに呻いたところで、ようやくリーゼは腕の中にいるのが人間の女の子だと理解した。


「はっ? ちょっとヴァージニア、なに拾ってきたんですか!」

「あ、気をつけて! そいつ転移魔法でげろげろになってんの!」


 ヴァージニアの忠告はいつだって遅い。


「あー……あああ……あー」


 気づいた時には、思いっきりエプロンの上に嘔吐されていた。

 今のは避けようがなかった。しかたない、この子は悪くない。胸元に広がる生暖かさに耐えながら自分に言い聞かせる。そう、悪いのは全部ヴァージニア。

 私も初めての転移の時はひどく悪酔いしたなあと同情しながら、苦しそうにえずく背中に触れた指が、やけに高い温度とぬるぬるした感触に気づいた。よく見ようと近づけた指先に赤茶けた液体がくっついてくる。

 それが血だ、と気づいた時には吐瀉物なんてどうでもよくなっていた。


「ヴァージニア!」

「げろげろ以外にもそいつ色々と今アレで、わたしもすぐ戻んなきゃだし……リーゼお願い、なんとかしてやって!」


 説明にもなっていないことを一方的にまくしたてると、ヴァージニアはまた転移魔法を使って跡形もなく飛び去ってしまった。

 局所集中すぎる夕立に見舞われた気分だ。

 しかし呆気に取られている暇はないと、体にのしかかる熱い重みが訴えてくる。燃えているのかと思うほど体温が高い。まずはお湯をたくさん沸かして……院長先生にも知らせて手伝ってもらわないと。


「わぁっ!」


 ひとまず少女を横たえようとしたリーゼの眼前に、突然またヴァージニアが現れた。今度はなぜか右手に剣を持っている。柄ではなく刃のほうを握って。

 煙臭いヴァージニアはリーゼにつっと顔を近づけると、左手の人差し指を口元に当てた。誰のものとも知れない血をべっとりと手首まで滴らせたまま。


「そうそう、院長とか村の連中にはまだちょっと秘密ね。そいつ……マナなしだから」


 その言葉にはっとしたリーゼの額にごつ、と自分の額をぶつけて、


「頼れるのはリーゼだけなの。お願いよ助けてやって、いい子ちゃん」


 こんな身勝手で、無茶苦茶なお願いがあるだろうか。


「……なにしてるのか知りませんけど、ちゃんと無事に帰ってくるならね、いい子ちゃん! これ以上患者を増やさないで」


 リーゼの返事に満面の笑顔を浮かべると、ヴァージニアはまた一瞬で姿を消した。

 静けさを取り戻した玄関ホールに、ひゅうひゅうと苦しそうな呼吸音だけが響く。


「あー……………………よしっ」


 この子誰? とかなんで怪我を? とか、なにしてたのこの人たち? とか。

 そういう余計なものを頭の中から一旦すべて追い出して、広くなったそこにやるべきことを並べて順番に組み立てる。やると決めてからのリーゼの行動は素早く迷いがなかった。

 なにがなんでも助けるしかない。だって、ヴァージニアのお願いなんだから。




 そこからほとんど寝ずの三日間が明けて。


 ポットを抱えたままふらふらと扉に体当たりして客室に入ると、「動くな」掠れた声と共に首元になにか尖ったものを当てられた。驚きに声を上げる間もなく危険を察知して背筋が固まる。

 扉のすぐ脇に待ち伏せていたその人は、リーゼの見立てならあと二週間は目の前のベッドで安静にしていなければならない容態のはずだ。苦しそうに荒い息を吐きながらも、リーゼの手から静かにポットを取り上げて床に置く。少なくとも、意識や行動は最初の頃よりはるかにはっきりしているようだった。


「ここはどこだ」


 質問というより、教師が生徒に答えさせるために尋ねているような響きだった。


「ウェルカニア王国、リーチ領の南アンカシア山麓にあるアンダートン村です。大きな地図には載らないような田舎なので、あなたがご存知かは知りませんが」

「……あんたは?」

「ヴァージニア……えっと、あなたを連れてきた赤毛の魔女の友人で、リーゼといいます。あなたのお世話を頼まれました」


 その時に盛大にげろげろされましたとは言わないでおく。


「あの魔女もあんたも、リーチ訛りが薄いようだが」


 あ、そこ突いちゃうんだ。

 そう言う少女が使うのは、流暢なウェルカニア公用語だ。コンプレックスを刺激されながらも渋々口を開く。


「……私は……お、おらの喋り方は、その、本さ読んだり院長先生に教わっただよ……ヴァージニアがそもそもどこから来たとかは知らね。おらが小さい時からずっとこの魔女の館にいるから……」


 恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。耳まで熱くなってくる。

 訛っていることじゃなくて、訛りを必死に隠して公用語を使っているって知られるのが恥ずかしい。でも仕方ないじゃない、院長先生は昔からなぜか言葉遣いに厳しいんだもの。

 田舎者めと笑わば笑え。そんな気分でぎゅっと目を瞑っていると、首に当たっていた刺の気配が音もなく離れた。

 そっと横目で伺う。少女が構えているのは陶製の水差しの持ち手部分だった。枕元に置いてあったものから折り取ったのだろう。

 リーゼに対して鋭い破片の先を向けたまま、注意深く視線を配って部屋全体を観察している。立っているだけで気絶してしまいそうな苦痛をこらえているのだろうに、琥珀色の瞳は窓から射す朝の光を反射して不思議なほど輝いていた。

 生きようとしているんだ。


(…………きれい……)


 長い黒髪はぼさぼさで、顔だってまだ土気色。筋肉はついているけれど華奢で直線的な体つきは年端もいかない少年のよう。寝間着がわりに着せたヴァージニアのシャツの下には、リーゼが手当したものとは別の、大小様々な古い傷がたくさんあった。

 それでも、彼女の強い瞳は今この瞬間も生き延びてやると叫んでる。

 無垢の咆哮がリーゼの全身を打って、まぶしくて息もできないほどだった。


「なにが目的だ?」

「……ヴァージニアがなにを考えてるかなんて、こっちこそ知りたいです。私の目的なら、今すぐあなたをあのベッドに引き戻して薬湯を飲ませること」


 少女はゆっくりと床からポットを持ち上げ、中の匂いを嗅いだ。


「なんなら毒味しましょうか?」

「いや、いい」大体わかったと静かに首を振る。リーゼは目を丸くした。薬効を引き出すために様々な薬草を組み合わせたり、抽出の仕方だってかなり工夫してあるのに。


「へえ……なんだかあなたのほうこそ魔女みたいですね」

「それはない……あたしに魔法は使えないから」


 自分自身を砂漠に突き落とすような、冷たくて乾燥した声だった。


「あんたの患者はマナなしだ」


 それでもなお助けるつもりなのかと琥珀の瞳が言外に問いかけてくる。脅しではなく、ただ事実を告げているだけなのだろう。奇妙な誠実だ、とリーゼは思った。

 人は生まれながらにして大なり小なりマナを操る力を持つ。それを失った者は、神様の祝福を取り上げられるようなことをしたのだと言われている。

 例えばそう、人殺しとか。


「あの魔女は教えていったみたいだな」


 驚きもしないリーゼを見て少女がひとり納得する。リーゼがただ利用されているだけの村娘なのか、魔女の片棒を担いでいるのか測っていたらしい。


「ヴァージニアを信用できないのなら私だって疑ってくれて構いません。でももし私を信用して介抱させてくれるのなら、ヴァージニアのことも信じてあげてください。あなたのことを助けたのは、彼女のほうが先だから」


 あのものぐさ魔女が、血まみれ埃まみれのどろどろになりながら助けてあげてと言ってリーゼに託したのだ。相手が人殺しだろうがなんだろうが、それを途中で放棄することなどできない。

 覚悟を決めて、リーゼはブラウスのボタンに手をかけた。


「…………お、まえ」


 顔を赤らめた少女が初めて動揺を見せた。下着まで全て床に落として一糸まとわぬ姿になったリーゼが正面から向き合うと、たじろくように後ずさる。


「なに、いきなり」

「ご覧の通り、武器になるようなものは持ってないですし、そもそも持ってても使いこなせるように見えます?」


 力仕事をしないわけではないけれど、そこらで薪を割ってるおじいさんのほうがリーゼよりよっぽど筋力はあると思う。


「あと、私は看病で散々見たのにこっちが見せないのは不公平かなって」


 リーゼの肌は、自分で言うのもなんだけど少し荒れた指先を除けば傷ひとつなくなめらかだ。村の公衆浴場で会うおばさんたちにもいつも褒めてもらえる。

 だけどそれはこの村が平和で、飢えたことがなくて、誰かに武器を向けなければならないような目に一度も遭っていないからだ。そんな幸運に生かされてきただけのリーゼが善きものであるという証明にはならない。

 看病のため少女の体に触れながら、リーゼはできる限り想像した。自分と年もそう変わらない女の子が、これだけたくさんの傷を負いながら生きていく世界を。固くなった手のひらと、俊敏に動くために必要な筋肉以外はすべて削ぎ落としたような細い体ができあがるまでを。

 マナなしであることは、ひとまずこの子が悪人であることの証明にはならないんじゃないか。そんなことをずっと、考え続けていた。


「……………………」


 リーゼの体を見て、この村が差し迫って危険な場所ではないとわかってもらえたのか。はたまた単に毒気を抜かれただけなのか。少女の周囲から張りつめた緊張感が薄れて——


「うわっ!」


 突然膝から崩れ落ちるのを慌てて抱きとめる。はずみで指を離れた陶器の欠片が、リーゼのこめかみを薄く擦った。


「やっとおとなしくなってくれた……」


 茹ですぎた麺みたいにくたくたになった少女の体を、苦労してベッドの上に転がす。安堵と疲労で深いため息が出た。

 さすがに裸のままでは恥ずかしいのでブラウスを拾って羽織り、傷の様子を見ようと汗で貼り付いたシャツに手を伸ばす。脱いだり脱がしたりめまぐるしい日だ。

 ぼんやりと潤んだ瞳がもの問いたげにこちらを見ていたので顏を寄せた。震える右手を上げた少女がそっと、リーゼのこめかみを拭う。ほんの微かな血が指先に付くのを見て苦しそうに顏をゆがめた。


「……ごめ、ん」


 囁くような声でそうつぶやいて、少女は意識を手放した。




「ごめんってばぁ、ねぇリーゼ〜」

「自分が拾ってきた怪我人を〜、三日も放っとく極悪魔女に〜、食べさせるごはんはありません〜」


 お腹すいた! の一声と共にやはり突然帰ってきたヴァージニアは、三日前に見た時よりさらに全身汚れて酷い有様になっていた。

 ただ本人に怪我はなさそうで、なんか食べさせてとまとわりついてくるのが煩くて仕方がない。あいにくとこちらにはお説教する気力すら残っていないので、ソファに寝そべって適当にあしらう。元気ならごはんくらい自力で調達すればいいのだ。


「で、なにしてたんですか」

「ん? これ探してた」


 ヴァージニアが三角帽の中から取り出したのは、一冊の手帳と短銃だった。


「あの子それしか荷物なくってさ、他にもいっぱいあったらわざわざ回収したりしないんだけど、ほんとそれしか持ってなかったからさぁ」


 もーめんどくさかったー、と愚痴を言う。普通は逆なんじゃないのかな。よくわからない理屈なのがヴァージニアらしいとリーゼは思った。

 もっと詳しく聞かなきゃいけないことがあるはずだけど、もう明日でいいやと流されることにした。この疲れきった頭では話もろくに入ってこないに決まっている。

 表紙に油紙が貼られた手帳を手に取って中をパラパラとめくる。始めの数ページは何語かもわからない文字で埋め尽くされていた。ようやく読める文字が出てきたのでざっと目を通す。


「鶏のオイル漬け……豚肉のソテーとアップルソース……いんげん豆のトマト煮……」

「はぁ? なによ嫌がらせ?」

「違います! ここに書いてあるの」


 癖のない筆跡で料理名から素材の調理の仕方、ちょっとしたコツや味の感想が書き付けてある。数ページに渡って詳細にまとめているものもあれば、ちぎった紙片に走り書きしたものをそのまま貼り付けているページもあった。


「どれ……うわほんとだ、これ全部料理のレシピだわ」


 ヴァージニアいわく、いろんな国の料理がすべて現地語で記されているらしい。


「なにあいつ、レシピマニア?」

「ねえ、このページはなんて書いてあるの?」

「えーと、羊の脳みそ煮込み」

「えっ」


 どこの料理なんだろう。ちょっと想像もつかない。


「………………」


 もしかしたら、あの子はこれを全部食べてきたのだろうか。

 一冊の手帳と銃だけを携え、行き着く先々で気に入った料理だけをそこに書き記して。

 ひと処に留まることなく次また次と違う国へ。


「そうそう、マキナっていうのよ」

「?」

「あの子の名前。ありがとね、助けてくれて」


 墓に刻むことにならなくて良かったわねーと、能天気に笑う悪い魔女の鼻を思いっきりつまんでやる。


「マキナ……マキナさんか……」


 耳慣れない不思議な響きだ。琥珀色のざらざらとした表紙を撫でながら、なじませるように何度も胸の中で繰り返しつぶやく。

 ふうん。


「マキナさんは、お料理が好きなんだ……」


 それが、彼女についてふたつめに知ったことだった。




 かぼちゃのケーキは我ながらいい出来になったと思う。それでも初めて食べる人の感想を待つというのは緊張するもので、フォークに刺さった小片がマキナさんの口に消えるのを、リーゼは固唾を飲んで見守った。


「うん、うまい」

「えっ、ほ、ほんとに……?」

「嘘なんかつかないけど……いや、本当にうまいよこれ」


 前に別の場所で食べたことのあるかぼちゃのケーキとは味がかなり違っているそうで、なんでだろう、かぼちゃの品種かな? とかなんとか、しきりに分析している。どうもそれが彼女の癖であるらしかった。

 あっという間に空になったお皿が嬉しくて、すかさずおかわりの一切れを乗せてしまう。施薬院でこれをやってしまったら一大戦争だ。


「あ、甘やかしすぎ……」

「いいんですー。それに、ヴァージニアが帰ってきたら全部食べられちゃいますよ」


 出会った当初と比べて色差しよく、ほんの少し輪郭が柔らかくなった気がするマキナさんを見るのが最近のリーゼの楽しみなのだ。

 この館がひとまず安心できる場所だと判断したらしいマキナさんは、あのあとひたすらリーゼに身を委ねて体の回復に専念した。それが幸いしてか酷かった傷も綺麗に塞がり、今では体力を戻すために館の細々とした用事を片付けてくれている。

 ちょっと前にマキナさんが修理した台所用椅子は、あれ以来すっかりマキナさんに懐いてしまって、彼女以外が座るとうるさく騒いで抗議するようになった。リーゼもヴァージニアもその忠誠心を汲んで(めんどくさいので)別の椅子を使っている。知らないうちに自分専用となった赤い脚の椅子に腰かけ、せっせとフォークを動かしていたマキナさんがちらちらとこちらを伺い見てきた。とってもなにか言いたげだ。


「……あのさ」

「はい」

「よければなんだけど、このケーキのレシピ、教えてくれないか……?」


 椅子でも持ち手の折れた水差しでも、なんでも自分で修理してしまうマキナさんは滅多に誰かに頼ることをしない人だった。ご飯の支度や掃除洗濯だっていつの間にかヴァージニアの分まで手際よくこなしてしまう。おかげでリーゼはすごく助かっているけれど……あれ、あの魔女働かなさすぎじゃない?


 だからピアノを弾いてほしいと言われた時は、内心で小躍りするくらい嬉しかったのだ。

 マキナさんにできなくて、自分にできることがあればなんでも叶えてあげたい、そう思った。


「いやです」

「えっ」

「だめです」

「な、なんで」


 あまりに堂々としたリーゼの拒否に動揺してか、マキナさんはきょろきょろと落ち着きなく目を泳がせた。


「まさか、一族秘伝のレシピだとか……?」

「そんな大それたものでは……」

「商売上の秘密だから?」

「お裾分けすることはあっても、お金をもらったことはないですね」

「じゃあなんで」

「とにかくだめ」


 頑に断られる理由がわからないマキナさんは、意地になったようにリーゼにとって的外れな推測を挙げ続ける。

 そのことごとくを否定されてついに混乱が極まったのか、


「い……っ」

「い?」

「いじわる、かよ……」


 頬を赤くして、きらきら光る琥珀の目で睨めつけながらそんなことを言うものだから、リーゼは思わず全身の動きを止めてその顔を注視してしまった。ついでに心臓も止まるかと思った。


「マキナさんって」

「な、なに……」

「……………………」

「なんだよ!」

「いえ、なんでもないです」


 激しい鼓動に押し流されて渦を巻く感情は、どんな言葉にしても誤解と警戒を生みそうで口にするのは憚られた。癖になったらどうしようなんて、ばかな心配を紅茶と一緒に飲み込む。


 多分、リーゼのかぼちゃのケーキが手帳の一ページに加わることはないだろう。

 マキナさんが食べたい時は、いつでもリーゼが作ればいいのだ。

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