第8話

 自分が実体化できるほどの、力。元々呪われたような石ころ。

「私に……混ざって、ないよな? その、悪意の精霊の力は……」

「ないない、ないと思うけど」

 変なものが混ざった石で、自分を実体化させたと言われたら、気持ち悪い。

「そうか、違うならよかった」

「さすがに、協会の太母に降りてる精霊だったら、浄化しそこねたりしないだろ」

 ベリルは、そよぐ風に目を細めた。そうか、それほど力のある者であれば、何の問題もない――。

「何だって?」

「え? だから、協会の上の方」

 魔術協会の上の方。

 おそれ多くも云々と呟きだしたベリルに、メリンダは肩をすくめる。

「もったいなくはないよ。元々、相性が悪いから早く捨てようと思ってたとこだったし、使い道があってよかった」

 それに、とメリンダが続ける。

「私が術で実体に固定すれば、もしお前が悪い魔術師だったとしても、私に左右されるようになる。私がお前を拘束し続けているから、いつでも消滅させられるってこと。善意じゃないから、ありがたがらなくてもいいよ」

「それほど私は疑わしかったのか」

「今はわりと違うよ」

 ベリルは西に怪我人がいれば飛んで行き、東に荷物が運べないで立ち往生している人がいれば小さい体で頑張って運ぶ――悪意を疑うのもばからしいほど、真面目な人間だった。

 メリンダはベリルの頭を軽く撫でる。

「それと、お前にはもうちょっと人間としての楽しみを知ってほしいなと、お節介ながら思うよ」

「楽しみ? 貴殿には、パンもおやつももらったし、宿にも泊めてもらった。過分なほどだ。十分もらった。それに対して、私にできることは何かあるだろうか?」

 メリンダは目を伏せて、しばし黙る。

 日にさらされてきらめく宝玉のような目が、不意にあげられる。

「手伝ってとは言えない。できることは、それほどないかな」

「そうか」

「私が勝手に実体化させた……そのままにはできないから、どこかでほどかないとならないんだろうけど」

「分かっている」

 ベリルは、さあいつでも実体化を解いてくれ、と言わんばかりに手を広げる。メリンダが、バカ、と顔をしかめた。

「何も分かってないな、お前は! そう簡単に諦めるなよ」

「諦めるも何も、そもそも私は幽霊だし」

「あーっ分かんない奴だな!」

 話が先へ進まないので、メリンダが別方向へ話を転がす。

「っていうか、私がどこから来たとか、どこで育ったとか、兄弟がいるかとか、そういうことを聞かないね?」

「聞いてほしいのか?」

「そうじゃないんだけど」

 何にも興味がないのかと、メリンダは不機嫌な顔をする。

 マクレーンに対してあれほどクールだったのに、ベリルにはあれこれ絡んでくるのは、やはり、塔の下から引っ張り出したという、手をかけたという、引っかかりがあるからだろうか。

 ベリルは、踏み間違うとどうなるか分からず、少し毛を逆立て気味にした猫みたいに慎重に話し出した。

「貴殿が旅の人間なら、話したければ話すかなと思ったんだ。聞いていいのか分からなかったしな。貴殿は魔術師だろう? 私を引っ張りだした理由を、初めは教えてくれなかった。私を泳がせておくように、野放しにした……何かを、見極めるまでは、私は貴殿にそういう、私的なことを聞いてよいとは思えなかった」

 今は違うだろうか。ベリルを引き出し、実体化させて、悪い魔術を扱っていなかったことが分かった今。

 もはや、実体化させておく意味も義理もないのではないか。会話など望むべくもないのではないか。

 メリンダは何を言っているのだろう。むくれ方が、生前見た、母親が立ち話していて構ってくれなくて騒いでいた子供にそっくりだ。でもベリルはメリンダの親ではないし、子でもない。

(? そうでもないのか)

 実体化の術で、繋がっているのか。

「お前、バカだ。バカバカバカバカ!」

「何だ急に」

 ベリルは、眉を下げて首を傾げる。何でメリンダが文句を言っているのか、分からない。――本当に?

「お前の望みはないのか!」

「私の望み? 私の望みは……」

 風が辺りの草のてっぺんを撫でていく。分け隔てなく、石垣の上も駆けていく。

 日差しの明るさが目を焼いて、ベリルはつかの間、めまいを覚えた。

「……特に、ない……」

「それが言えるだけ、マシになったのかな? 埋まりたいとか言ったら、お尻ぺんぺんだったよ」

 メリンダは、腕をあげて伸びをする。

「あーあ。問答は疲れるなぁ。頭使うと腹が減る」

(私が悪いのか?)

 自責の念に駆られつつも、ベリルは少し不満に思う。望みを聞かれて、思いつかなくて格好悪い思いをして、辛いのはベリルの方だ。どうしてメリンダはベリルより怒っているふうに見えるのだろう。

「あ、好青年」

 メリンダ一本向こうの道を見て、変なあだ名を口にする。なるほど、人の良さそうな男が、女性と並んで歩いている。女性の荷物を持って運んであげているようだ。

 その背後、木陰に立っていた別の女が、ぶつぶつと何か呟いていた。顔は木の葉で隠れて、こちらからは見えなかった。

「あっ」

 女の足下から、影が立ち上がる。本来なら手足があるくらいの、影の顔辺りに、にいっと、三日月型に口が生まれる。手の爪が伸びる。影は、その手を鎌のように振りかざして、己の主とも言える本体に襲いかかった。

 とっさに使える術など思いつかない。ベリルは走った。間に合わないと分かると、手近な石を掴んで投げる。影が避ける、その動きで、主は引っ張られたふうに振り向いた。

 メリンダが冷静に手を突き出して、一撃打つ。指さしは古い術。あやまたず、影の真ん中に穴が開く。攻撃を受けたのは影のはずだが、女本体が胸を押さえてうずくまった。

「ちっ! 別にいる術者の影じゃないのか」

「本人の影だろう!? 本人と繋がっている」

 女がうずくまった拍子に、何かが転がり落ちる。表面がぬめるように光る、怪しげな小石だった。女は急いで石を拾う。

 駆けだした女を、ベリルは追った。

 木陰にもう一人、誰か――エンシェントがいたように思うが、定かではない。

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