第7話

 崖のところで、またマクレーンに出会った。茫洋と足下を見ている様子は、飛び降りそうでやはり怖い。

 ベリルが話しかけようとすると、すっと体を翻して逃げてしまう。

 歩幅が違うので、全く追いつけない。自分が辛い気持ちを抱えていたせいか、マクレーンを見過ごせなくて、ベリルはため息をつく。

 しょぼくれたベリルを見下ろして、ふとメリンダが手を打った。

「ちょっと用事があるんだった。そこで待っててくれるか」

 崖を通り過ぎ、辺りは穀物の平らな畑が広がっている。さやさやと葉ずれが聞こえる中で、ベリルは、身長より低めの石垣に、よじ登るようにして腰掛けた。

 瞼を閉じると、辺りは黄金色に包まれる。幽霊なのに眠くなるのは、なぜだろう。

 うとうとしていると、誰かが呼んでいるような気配がした。

 起きたくはないが、仕方ない。

 よだれを拭いて、ベリルは慌てて辺りをうかがう。

 少し先の方の石垣に、誰かが座っていた。

 ベリルは首を傾げて、そちらに駆け寄る。

「やぁ、また会ったね」

 道端の石垣に腰掛けていたエンシェントが、片手をあげた。ベリルは辺りを見回した。

「こんなところで、何をしている? 御使いともあろう者が……何かあるのか?」

「それは秘密」

 エンシェントは笑って、自分の唇に指を当てた。

「こう言うと、実際にはたまたま歩き疲れて休んでるだけでも、たいそうな秘め事がありそうな感じがするよね」

「そんなに歩き回ったのか?」

「たとえばの話だよ」

「捜し物か?」

 手伝おうか、と言い出しかねない空気を読んでか、エンシェントはゆるりと首を振る。

「まぁ、大体そんなところだけれど。人の手は借りられないし、まだ緊急性がないから。平気。メリンダは?」

「手紙を出すとか何とか言って、ちょっと道を戻っている。私は、ここで待っていろと言われたのでな」

「ふうん。メリンダに用事があったのだけれど、逃げられたか」

「用事?」

「うん。晴れたよ、って。見れば分かると思うけど」

「晴れ?」

 確かに、晴天である。ベリルが空を見上げると、エンシェントも、ゆるりと首をあげた。高いところを、ひばりが飛んでいく。

「じゃあね」

 エンシェントがおもむろに石垣を離れた。

 彼はとらえ所のない笑みを浮かべて、またね、と手を振る。

 しばらく、ベリルはその後ろ姿を見送ったが、唐突に背中に衝撃を受けて、死ぬほど驚いた(幽霊だが)。

「ベーリールー、寂しかったか?」

「メリンダか?」

 ベリルは眉をひそめて聞く。振り返るまでもない。メリンダが酔っぱらいみたいな絡み方をして、ベリルにどっしりと体重を預けて抱きついていた。

「さっきまで、エンシェントがいたのだが。貴殿を捜していたようだ」

「知ってる」

「晴れだとか言っていた」

「だよね」

 メリンダは、ばちんと片目をつぶって合図をしてくれるが、ベリルには意味が分からない。

 怪訝な顔をするベリルを、メリンダは無理矢理、石垣に座らせた。

「悪い。お前を疑ってた」

 謝られ、ベリルは目を丸くする。

「何?」

「この辺りで、ある男に言い寄る女達が、皆、半殺しにされていた」

 物騒な話に、ベリルは思わず声を低くした。

「具合が悪くなるという話なら、貴殿から聞いていたが」

 メリンダが出会いに失敗した原因として言っていたのを知っている。メリンダは頷いた。

「そ。お前には悪意はないが、条件的にも、村人を攻撃できる魔術師は他にいなかった。お前が犯人だな、って言って揺さぶろうと思ったんだが、どうも違うよなーと」

 やたらと、いろんなものを恨んでいないか確認していたのはそのせいだったのか。ベリルは肩の力をなくして、それから顔をあげた。

「かなり長く、疑っていたわけか」

「そうでもないよ。途中から、私が疑ってたのはマクレーンの方」

 確かに、マクレーンは「彼氏」とうまくいっていないようだった。崖から飛び降りそうなほど、悩んでいるようだったのは――。

「別に、深くつきあっているわけでもなくて、単に片思いの思いこみがひどくなってる状態みたいではある」

「そうか……半殺しというのは、その、被害者は……怪我をしているのか? 治るようなものなのだろうか」

「しばらく、具合が悪くて動けない。怪我もあるし」

 そうか、と俯くベリルに、メリンダが平静に続ける。

「男一人のために、道を誤るのもばからしい気がするけど。思いこんでるうちは、それが正しく見えるんだろうね。当人は、魔術師ではないみたいだけど……誰が、どうやって、魔術を悪用してるのか、さっさと突き止めて始末しないと気持ち悪いな」

「始末……」

 マクレーンが悪人かもしれない。そう言われても、ベリルはマクレーンが助かればいいと思ってしまう。犯人にしろ、そうでないにしろ、彼女自身がひどく苦しんでいるように見えたからだ。

 メリンダはベリルの落ち込みに気づかないように、言葉を続けた。

「犯人を見つけて協会に引き渡すなら、早くしないと。犯人から村人への攻撃のたぐいは、エンシェントが何とか防御するだろうが、あいつは犯人特定したら相手に対して容赦しないからな」

「御使いが?」

「悪意を持って害をなす者を、好いてはいないってこと。なよなよしてへらへらしてはいるけど、極端に潔癖な信念もあるから、敵に回すと厄介だぞ」

 頬をつつかれ、ベリルは眉をひそめる。

「何だ、私が御使いを敵に回しかけたかのような言いぐさは」

「回しかけてないとは言えないぞ? 私が先にお前を見つけて、話をするために、余ってた魔石を使って実体化させた。もし先にエンシェントがお前を見つけていたら? 拷問されててもおかしくない。そういう奴なんだから」

 だから御使いなんてあがめるものじゃないと、メリンダは乾いた笑いをもらす。ベリルもようやく、事実を飲み込んだ。

「まさか、彼の言っていた、晴れたというのは……」

「うん、疑惑が晴れた、ってこと」

 あの、優しい笑みを思い返す。ベリルは、ぞっとした。

「疑われるというのは、大変なことだな」

「何言ってんだ。当たり前だろ」

「……マクレーンの話に戻るが。彼女が魔術師ではなく、魔術によって犯行が行われているのなら、誰か他に犯人がいるのではないか」

 ベリルの疑いが晴れたということは、他に疑われる者がいる。マクレーンがあの御使いに、どういう疑われ方をしているのか――エンシェントの、手が綺麗だけれど、身のこなしが普通ではなかったことを思い出すと、ベリルは自然と眉根が寄った。

「確かに、はぐれ魔術師でもなさそうだし。でも、魔術師でなくとも、魔術は使える」

 メリンダが自分の懐に手を突っ込んだ。取り出したのは、青緑に光る石だ。親指と人差し指で丸く囲んだ輪、くらいの大きさをしている。ぬるぬると光沢を放ち、表面に赤紫の照りが滲む。

「何だか、気味の悪い石だな」

「だろ? 元々気味の悪いものだったんだけど、今は浄化されてる。精霊のうち、悪意を好む者が寄りついて、それを人間に配ったりしてるのか何だか知らないが、流通してるみたいでね」

 浄化されているとは言われたが、ベリルは何だかむずむずする。眉間に指を当てられているような、違和感があった。

「しまってくれないか、それ。気持ち悪い」

「まぁ私も好きじゃないんだけど……別件の仕事で見つけてさ、協会に引き渡したら、浄化した人が、お礼って言って中に力を入れてこっちにくれたんだよ。今は空だけど」

「力?」

「そ。お前を、引っ張り出すのに使った」

 ベリルは、しばし硬直した。

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