第6話
*
「さて、夜も更けてきたし……ぐっすり眠って、明日に備えようじゃないか」
店を出て、ベリルがほてった顔を冷やしていると、メリンダが伸びをしながら歩き出した。ベリルは思わずついて行きかけたが、途中で我に返った。
「ん、どうした?」
「いや……貴殿は家に帰るのか?」
「私、この辺りに住んでるとか言ったっけ?」
「言っていない」
「だよね。旅暮らしなんだけど。宿を取ってる。わりと繁華街に近いからやかましいんだけど……まぁ小さい村だし、それだけ賑やかってことは、いい交通の要所ってことだよね。繁盛はよいことだ」
空は、パンくずを散らしたような、ぱらぱらとした星を浮かべている。それを見上げて、ベリルは何だか途方に暮れた。
「私は、塔に戻った方がよいのだろうな」
「うん? 埋まりたいわけ?」
反射的に、ベリルは首を左右に振る。だが、我に返り、ばつの悪い気分になった。
「……元々、埋まっていた身の上だ。帰る場所は、そこしかない」
「おーい、暗いぞー? せっかく私が実体化してあげてるんだから、もう一回埋まりたいとか言ったら叩きのめすぞ?」
メリンダは軽く拳を握っただけだ。だが、身のこなしが軽いから本当にやられそうで、ベリルはきゅっと硬直する。
「ごめんごめん、嘘だよ。嘘」
笑って、メリンダがベリルのすぐ前に立つ。ベリルを、塔の下から引きずり出したときのように、ごく近くに、顔を寄せる。
緑色の、きらきらした目が、ベリルを見ている。――楽しいことがたくさんある。お菓子も、食べ物も飲み物も、笑い声や雑談や、いろんなものがある、そのことを知っている、明るい目だ。
ベリルが、生前の自分の冴えない生活を思い返して、後ろ暗い気持ちになっていると、メリンダはおもむろにベリルの銀髪をひとなでした。
「宿屋はいいぞー? 布団は古いけど、干してふっかふかにしてあった。昨日泊まったけど、悪くない。朝食はついてる」
朝食、と聞いて、ベリルはごくりと喉を鳴らす。自分はこんなに、意地汚かっただろうか。反省して、恥ずかしながらそれを告白すると、あえて告白なんてしなくてもいいだろうし別に気にしてないしと笑われた。
メリンダの笑いはいつも快活で、聞いているこちらの胸がすく。
宿代まで払ってもらって悪いなと言いながらも、塔の下に埋まって夜風に吹かれて目を覚ましたりする日々を思えば、屋根のある、賑やかに人のいる場所で眠るのは、嬉しくてどきどきした。死んでいる身の上で、不謹慎かもしれないが。
浮かれていたベリルだが、宿に着いて、部屋に入って我に返る。
「ん? どうしたの?」
一部屋に、ベッドが一つ。ソファーが一つ、無理矢理隙間に押し込められている。
手足の短い自分がソファーを使うのだろう、それはいい。
問題なのは。
「同じ、部屋か……?」
「そう。節約節約」
「払ってもらっておいて、なんだが、その、私は男だぞ?」
「……男ね?」
上から下まで、じろじろと眺め回されて、ベリルは思わず内股になった。
「何か今、普通の見方じゃ、なくなかったか? こう、服を着ている意味がない感じの気持ち悪い視線を感じたんだが」
「へー、女の子の気持ちが分かるようになったんだなあ」
おっさんみたいな感想を返された。ベリルはきわめて心外である。
「ま、男扱いも女の子扱いも嫌だとしても、一緒に寝たりしないし、ルームシェアということで別に問題ないじゃない?」
メリンダは言うが早いか、薄着になって、荷物をまとめてベッド脇に放る。
慌てたベリルだが、背を向けて「おやすみ」と言われると、あまりのそっけなさに、しばらく呆然とした。
寝息が聞こえるようになって、ようやくベリルも、分厚い底のついたブーツを脱いで、ベストや上着を外して、ある程度身軽になってから、ソファーベッドに横たわった。思ったよりふかふかして、快適だ。
あぁ。じんわりと、涙が浮かぶ。
辺りの喧噪は、のどかなものだ。
濃紺の空は、カーテンに遮られてほとんど見えない。
夜風もない。虫の声も聞こえない。這い回る蛆もいない。
心底ほっとして、ベリルは、すとんと眠りに落ちた。
*
翌日も、付近を歩いた。
畑を耕すのに大きな石が出て困っていた老夫婦を手助けしたり、子供らが木登りしているのを見ていたら、木の実をもらったり、いろいろなことがあった。
ベリルが生前、湿布を処方していた家の孫らが、その当時の人とそっくりな顔で畑にいた。メリンダが、昔湿布を作っていた男の親戚の娘なんだとベリルを指さす。彼らは驚き、祖父らが世話になったと聞いたことがある、と目を細めていた。
ベリルの胸がざわめく。あれから、何百年も過ぎた気がしていた。自分が埋められていたのは、たった、百年にも満たない期間だったのだ。
暗い、憤りめいた感情が揺らいで、ベリルの目を曇らせようとする。
首を振って、嫌な気持ちを追い払おうとしたが、できなかった。
「どうした?」
鮮やかな緑の目が、小道を行きながら振り返る。涼しい風に吹かれて、機嫌よく鼻歌でも歌い出しそうな具合だ。
知らず、ベリルは足を止めていた。泣き出しそうな顔をしているのが、自分で分かる。顔の筋肉が、笑いたいような泣きたいような、どっちつかずで揺れている。
「助けてくれ、メリンダ」
「どうしたんだ?」
怪訝そうに、けれど心配そうに、メリンダがこちらを覗き込む。ばかみたいに泣きそうで、ベリルは唇を噛みしめた。
「あぁ、バカ。そんなことしてどうするんだ、痛いだろ」
「わたっ、私は……皆が無事で、暮らせていたら、よかったんだ。よかったのに、何で、嫌な気持ちになってしまったんだろう。たった、百年にも満たない期間でしかなかった、バカみたいだ、私は、ずっと未来にいるのだと思っていたのに。悲しむこともできないくらい、未来だと、思っていたのに」
「……ほんっとにバカだな」
ぽんとベリルの額に手を当てて、髪をぐしゃぐしゃにして、メリンダがため息をついた。
「苦しいとか、悔しいって、思うんだろ? お前は、誰かのために、勝手に殺されたんだ。恨む気持ちが、あって当たり前なんだよ。それを出さないからおかしいなと思ってたんだ」
「そうか……あっても、いいのか」
「そう。そこで、村人を襲い始めたりしたら、私の出番になるけど」
「襲いたくはない。自分が自分で嫌なだけで」
「面倒な奴だな」
メリンダの顔に、苦笑がにじむ。ベリルは必死で涙を拭った。
「千年も前なら、祖先になった気持ちで見守れたんだ。でも、ほんのちょっと前となると、こう、思ったよりも心が揺れるものだな……」
鼻をすすって、ベリルは俯く。メリンダが身を屈めて、下から覗き込もうとしてきた。
「やめろ、何で見る」
「可愛いから?」
「かわっ、いくない」
笑いながらも、メリンダはしばらくベリルの側にいた。ベリルは、泣きやむまで一人にしておいてほしくなったが、風の吹くのを頬で感じているうち、どうでもよくなっていった。
悔しい気持ちがあるのが現実。百年前に埋められたことも現実だ。どちらか一方を消し去ろうと思えば、辛くなる。
「すまない、取り乱した」
「立ち直るの早いな」
メリンダが驚く。ベリルだって、頭では分かっても、気持ちの整理など急にはつかない。気を紛らわせたくて、多少無理をしてでも歩き出す。
穀物畑、背の低い石垣、緑の茂る小道。
そこここに家が並び、遠くには家畜を放した柵もある。石を並べた墓地もある。子ども達が遊んでいる。
百年経っても、それほど変わらない風景。
ベリルはしばらく考えていて、はたと腿の辺りを手で打った。
「そうか……! 塔と思うから陰鬱なのだ、大きな石ということは、墓石と同じだな! 私はどこかの大王みたいな墓を建ててもらっているのか」
「前向きって言うか何て言うか」
もはや呆れるのを通り越して、笑いながらメリンダが歩を進める。靴底は草を踏み、風は野を渡って二人の肩をかすめていく。
金色の、昼の日差しが、まんべんなく地上に落ちている。
ベリルは前を向く。
私は一人で埋められたが、今はこうして歩いている。
それは決して、悪い気分ではない。
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