第5話
*
「やあ」
ベリルとメリンダが店に入ってすぐのこと。
片手をあげて、隅の方で飲んでいた客が近づいてきた。人目をひく、貴公子然とした青年だった。
ベリルは瞬き、気安げな青年に首を傾げる。
(誰だ?)
彼は全体的に細くて、剣などの武具を持ったことのなさそうな指をしている。そのわりに、油断のない身のこなしだ。何か、戦うすべを心得ているように見受けられる。
メリンダが盛大に嫌な顔をした。
「こっち来るな、あっちへ行け。変態」
「変態とは失礼だな。こちらのひとを、紹介してはくれないの」
青年は微笑んでいるし、目つきも柔らかだ。悪意や敵意は感じられない。
埋められるまでのんきに暮らしていた自分に、人間の機微のいかなるところまで理解できていたのか定かではないが、ベリルは、この男について、悪い人ではなさそうだなと判断する。
一方メリンダは最初から面倒そうに、彼を追い払うつもりのようだった。
「帰れ」
「じゃあ本人に直接言おう。初めまして。僕はエンシェント」
どうやら青年はベリルの方に用事があるようだ。戸惑いながらも、ベリルは挨拶を返すことにした。
「あ、あぁ。私はベリル・カーターと言う。初めまして……メリンダのご友人か?」
握手を求められたので手を差し出したが、握る前に、メリンダが二人の手をはたき落とした。
「ご友人!? やめろ吐き気がする」
「あはは。ご挨拶だな」
エンシェントは、気分のよい調子で笑う。立ったままでは悪いと思い、ベリルは彼に椅子を勧めた。座ろうとしてメリンダに睨まれ、エンシェントは微笑み返す。
「職業柄、旅先でよく出会うんだよ。一緒にご飯を食べるのさえも、疎んじられることがあるけれど、彼女はとても優秀な魔術師で、いろいろな場面で助けられている」
「職業柄?」
乱闘があってもするりと逃げていそうな、無駄な力みのない青年だが、この、それなりに騒がしい女と、どういう繋がりがあるのだろう。
「貴殿は、同業者なのか?」
「違ーう」
真ん中辺りの発音を、引きずるようにのばして、メリンダが遮った。
「そいつは御使いだ」
「みっ、御使い……! しゅご、すごいな!」
「今、お前、噛んだな」
メリンダが異様な冷静さでつっこんでくる。ベリルは、思わずテーブルの縁を掴んで力説した。
「だって御使いだぞ? 精霊やらと直接話ができるとか、加護があるとかいう」
「確かに話はできるね。話が通じるかどうかは別だけど」
「何てことだ!」
ベリルは鼻息荒く、ありったけの知識を動員して口走った。
「精霊は、残酷なものを好む者もあるが、たいていは美しく清らかなものを好む。嘘や偽り、雑多な怒りは望まない……御使いは、神に好かれた愛し子だ……本当に見ることができるとは……!」
「おいやめろ、ありがたいもの見たねってこいつらを拝む田舎の年寄りみたいになってんぞ」
メリンダに額を指ではじかれたが、ベリルの興奮は冷めやらない。
「そうかあ。実際にこのような間近で見るのは初めてだ。あれ? 御使いは宮廷や中央協会にいて、巡業するのは年に数度の祭りのときだけではないのか?」
「うん。まぁ、僕はぶらぶらするのが仕事だから。僕は悪意を好まないものに好かれているし、個人的にもそういうのをどうにかしたくてね」
人の悪意を好まない――どうにかって、どうするんだろう。
ちょっと目を逸らされたので、ベリルは何も聞けなかった。そもそも、御使いはきらびやかな席にいるのでなければ、きっと隠密行動中なのだ。軽々しく外で、仕事のことを聞いてはいけない。そもそも、彼はメリンダの知人。自分の知り合いではない。
「不調法をした。申し訳ない」
「急にどうしたの」
「その……大人げなく騒いで申し訳なかった。隠密でなくても、身の上を騒がれて、不愉快かもしれないとまで考えが至らなかった」
しょんぼりしたベリルを見て、青年は、ちら、とメリンダを見やる。
「何だよ」
「いや、別に……珍しいこともあるものだなと思って」
「こいつが変わり者ってことか。それは賛同する」
「そうじゃなくて、君がこういうのを連れているのが珍しい」
「御使いどもは本当に、正直だよな」
「嘘がつけないんだ」
「嘘つきはみんなそう言う!」
「君のことは信頼しているよ。仕事のできる魔術師は大切だ」
「御使いが清らかって、嘘だなと思うわぁ。清らかな顔と態度で、でも純真無垢に残虐じゃん」
気安く会話して、メリンダはベリルにいくつか、話題を振る。生まれ育った場所のこと、生前の暮らしぶり。自分が埋められていた事情をどこまで話していいのか、分からなかったが、ベリルはできるだけ真面目に答える。尋問されているようで、居心地が悪かった。
その上、最終的には、追加の料理の皿を直接取りに行けと、メリンダに追い払われてしまった。
(何かやらかしただろうか)
離席させられたベリルは、ちらりと二人の方を見やる。
テーブルを囲む、麗しい男女。だが、メリンダの方は、相手と仲がよいとは思えない渋面である。エンシェントは一貫して態度がフラット。
魔術師と、御使い。何か、相談事だろうか。この村に、怪しい点でもあるのだろうか。
(それを言うと、私も塔を放り出している幽霊だしな)
ベリルが悶々としながら、揚げ物の皿を待っている頃。
「なー。お前なんかよりよっぽど、御使いが喜びそうな性格してんだろ」
ベリルの方を指さして、メリンダは緑の目を億劫そうに瞬かせた。
そうだねと、エンシェントは頷き返す。
御使いという言葉は、使う側である精霊と、使われる側の人間、どちらのことも指せる。普段人々が言うのは後者に対してで、今メリンダが言ったのは、前者についてだ。
「やっぱ、顔形か?」
少し陰のある、寂しげな眼差しをした銀髪の少女は、今、揚げ物の皿を待っているところである。エンシェントが、薄く微笑んだままで、メリンダに問いかけた。
「あの人は、元々、風采のあがらない感じの男の人だったの? 話しているのを見ていて思うだけなのだけれど」
「具体的に失礼な表現だと思うけど、そうだな」
「うーん。まぁ、見た目という面があるのも否定できない」
「じゃ、今の姿なら……」
御使いに浚われうるだろうか。メリンダが言葉を濁すと、
「何を危惧しているにせよ、それは、今のところないだろうね」
さらりと切り返して、エンシェントはグラスの水で唇を湿した。
「貴方が使った石には、予め、力が込めてあった。言祝ぎの力だ。貴方は嫌うけれど」
「悪かったな」
「まぁ仕方ない。相性というものは、誰にでもあるよ。ともあれ、しばらくはその力の残滓がある。元の力の主を、精霊は慕っている。けれど、ここにある力が力の持ち主を離れていることも分かっている。つまり、ここにあるのは偽物で、大したことがないと思っている。着目することはないだろう」
「今のところは?」
「今のところは」
「厄介そうなもの作っちゃったな」
「そのわりには楽しそうだね」
まぁねと、メリンダは珍しく素直に頷いた。横目でメリンダをエンシェントが、忘れないでねと、釘をさす。
「何のためにここにいるのか。覚えておいてね」
メリンダは、エンシェントの不思議と静かな瞳を、鋭く睨み返した。
「うるさいな。私はお前に義理もへったくれもない。お前の言うことは聞かないぞ」
「この間の、面倒くさい事務手続きは肩代わりしてあげたのに。そのせいで、ここに来るのが遅くなったんだよ?」
「遅くてもいいじゃないか。どうせお前は何もしやしない」
「町一つ滅ぼすくらいのことならやるよ。でも、調査は君達人間の仕事だよね」
「お前、いつから人間辞めたんだ?」
「そういえば人間だった」
「お前は昔っからそうだ。ふわふわふわふわしやがって」
メリンダの愚痴には答えが返らない。ベリルが戻ってくるのを見て取ると、エンシェントは席を立った。
「ちょっと食べ過ぎたし、先に出るよ」
「あっ、揚げたての芋もあるのだが、食べて行かないのか?」
ベリルは首を伸ばして、エンシェントを呼び止めようとする。だが、両手に掲げた皿のせいで、身動きがとれない。
エンシェントはひっそりと笑みを返した。
「また明日」
ベリルは口を開きかけた状態で、彼を見送る。不思議と綺麗な笑みで言われたので、返事をするのを忘れて、ぼんやりとしてしまっていた。
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