第2話

 ご飯をおごってくれるという。遠慮したが、おいしそうな匂いに、腹が鳴って仕方がない。食堂に来るのも何年ぶりか分からないのだ、涎も出てくる。口を押さえて、必死で首を振ったが、女は一人では食べきれないほど注文を出して、真ん中のテーブルにどっかりと陣取ってしまった。

 注文の品数のことを思う。無論、二人でも食べ切れまい。

「食べ物を粗末にするほうが、悪いだろ?」

 にやりとする女に、ベリルは多少抵抗する。

「確かに、それはそうだが」

 しかし、黄金色のスープや鮮やかな色のサラダが運ばれてくると、簡単に屈してしまった。

 食べ始めたところで、メリンダが急に話を振り向けた。

「で、どうしてあんなとこにいたんだ?」

「知らずに、引っ張り出したのか?」

 メリンダが肩をすくめる。

 魔術師ならば見ただけでも分かっただろうに、こちらに聞いてくると言うことは、ちょっとした話題作りなのだろうか。

 普段(生前)は、老人達の一方的な苦労話や自慢話や健康問題ばかり聞いていたので、自分のことを聞かれると、少し困る。

「面白い話ではないぞ?」

 手にしたパンを見下ろして、ベリルは小さくため息をついた。

 彼は不遇な魔術師だった。

 その村には、魔術協会も存在せず、医者もいなかった。地霊も少なく、地盤も弱いこの地において、塔を一つ建てるためには、安全のために魔術師一人を埋めることになった。その塔が、協会の書庫なのか何なのかは、彼にはあまり分からない。

 ともあれ、塔は建つことになり、人柱が必要になった。

 灰色の目と髪の、うすぼんやりとしたその男は、普段、近くの畑の作物に実りを授ける呪いを施したり、近所の年寄りに湿布薬を出して暮らしていた。

 他地方の術者が――塔のための、地鎮の仕事で呼ばれていた――この、ちっぽけな魔術師に気がついた。ちょうどよい。埋まれ。

 道端で呼び止められ、指示を受けた男は、身辺整理のために家に帰りながら、悩み込んだ。

 父も母も、兄弟もいなかった。気がかりがあるとすれば、村人の面倒のことだ。自分以外の誰が面倒を見てやれるというのか。しかし、この埋められる役を担う者もまた他にないだろう。

 悩んだ末、彼はやっぱり逃げようと考えた。

 夜明け前に、家を出て。そして。

 待ちかまえていた村人と、術者達によって、森の側の、作られたばかりの更地の底へと埋められた。

 恐怖と恨みから、化けて出そうだと思ったが、そういう、大暴れする化け物になることもなく、気がついたら塔の下から、道行く人々を眺めている。

(よい天気だな)

 こうして彼は、非常にのどかな日々を、送っていた。

「……お前さ」

 事情を聞くと、メリンダは盛大なため息をついた。平らげた幾本もの骨付きの肉を、彼女は皿の上に放る。

 軽い音が立って、ベリルは思わず首をすくめた。握っていたパンが、くしゃりと潰れる。

 自分でも分かっている。

「のんきだと、言いたいのだろう。分かっている」

「いや、そうじゃなくて。いや、そうなのか? 何て言うか、もっと早く逃げるとかさ、大暴れするとか、なかったの?」

「なかった。煮えきらない性格だとは、生前よく言われていた」

「生前とか自分で言うか」

「事実だろう。今の私は幽霊みたいなものなんだ」

 困惑しながら、ベリルはパンを置く。メリンダが食えと押しつけてきた塊肉を、ナイフで分解する。

「ほんっと、ちまちました奴だな! 肉くらいちゃんと食え」

「そちらが豪快すぎるのだ」

「そうかあ? 女子会やってると、女ってこんなものだけど」

「……そうなのか?」

 ベリルは、塔の脇の道を行く人々の姿を思い返す。うら若く可愛らしく装った女性達は、時折、盛大に彼氏や夫の悪口を言い合っていたものだ。その激しさに思い至ってから、

「……そうかもしれない」

「だろ? そういうもんだろ」

 ともあれ、とメリンダはくどくどしく言う。

「お人好し。バカ。お前はバカなんだよ」

「仕方がないではないか。私は望んでそうなったわけじゃないし、逃げだそうと決めたのに手遅れで捕まったような人間だ。お人好しじゃない、ただどじを踏んだだけだ。もっと早く逃げていれば、こんなことになってないかもしれない――」

「に、してもだよ」

 メリンダの指先が、ベリルの目玉の直前に振り向けられる。びくりとしたベリルの前で、指がぐるぐる回転した。

「いいか? 塔の下に埋められたんだぞ? お前は殺されたんだ。もっと、連中に恨みや怒りを持ってもおかしくはない」

「そりゃあ、怒ったこともある。でも怒ったってしょうがないじゃないか。現に埋められたし、今更どうにもならない。言い方はおかしいが、どうせ埋められたのなら、塔を支えるしかないだろう」

「前向きなんだか後ろ向きなんだか分からない奴だな!」

 ばん、とメリンダがテーブルを叩く。指は細いが、旅の中で剣でも握ったことがあるのか、皮は厚く、淑女ではなくて生活力のありそうな手だった。じっと見ていると、それが拳の形に変わっていった。

 肉を食べ終えたので、ベリルは脇にあったパンを取り直した。

 メリンダが呻く。

「あー腹立つな。そういうの」

「?」

 もごもごとリスのようにパンにむさぼりついていたベリルは、メリンダに下から睨みあげられて、身を震わせた。

 緑の目が、呪わしいものを見つけたみたいに、ベリルを見ている。その一瞥だけで、ベリルの体中の血が凍り付くようだった。

 揚げ物を運んできた食堂のおかみさんが、眉をあげる。皿をテーブルにどんと置いて、わざとらしくメリンダの視線を遮った。

「どうしたのお客さん! ちっちゃいお連れさんが、怖がってるわよ!」

 ちっちゃいお連れさんと呼ばれた不遇な魔術師は、それでいったん、凍り付いていたのが解除された。ちっちゃくなどない、と言い返したくても、今は銀髪の、小柄な少女姿である。そのまま何も言い返さず、ちょっと泣きそうな、困った顔で丸パンをかじるのを再開した。

 メリンダとベリルを交互に見比べたおかみさんは、ベリルからパンを取り上げた。

 ベリルは慌てるが、誰も何も言ってくれないし、そもそも食事しに来たのではなかったことを思い出す。でも、あのパンは食べたかった。しょんぼりする。

 おかみさんは、すぐに戻ってきてくれた。改めて渡されたパンには、間にサラダと薄切り肉を挟んである。

「ありがとう……!」

 パンを食べるなと取り上げられたわけではなかった。ほっとしたし、おいしかったので、ベリルは微笑んで礼を言う。

 おかみさんは、いいのよいいのよとほがらかに笑って、黒パンや薄切りのハムなど、細々したものを取り分けて置いてくれた。

 ベリルは恐縮し、ますますしょげる。哀れな子どもの様子に、おかみさんが待ってな、もっとおいしいもの出してあげるから、と腕まくりして厨房に戻る。

「その外見、失敗したかなー。成功なのかな」

 ぶつくさ言いながら、メリンダが顔をあげた。

「まぁいっか。新たな人生の門出に、乾杯」

 いつの間にかゴブレットに酒をついで、メリンダがあおっている。

「さっき、塔の脇で吐いてなかったか?」

「飲み過ぎで、吐いた。せっかくただ酒飲んだのに。胃が空っぽ。もったいないなー」

「不健康きわまりないな!」

「悪いか!」

「体質的に酒に強くても、あまり度が過ぎると肝臓に悪いぞ」

「ほんっとに口うるさいおっさんだな。でも美少女にひっそり眉をひそめて言われると何かむずむずする!」

「この姿に変えたのは、貴殿だ」

「そうだけど」

 メリンダは、あっと言う間に全て平らげ、口を拭って勘定を済ませると、振り返ってベリルを見やる。水を飲み終えたベリルも、立ち上がって、おかみさんとメリンダに礼を言って店を出た。

「それで、結局貴殿はなぜ、私を引っ張り出したのだ?」

 自分の話はしたが、メリンダの事情を聞いていない。無舗装の道を歩きながら、ベリルは人が通らないときを狙って、聞いてみた。

「うーん」

 メリンダは煮えきらない。

「実はさぁ、魔術師の手を借りたいというか」

「貴殿も魔術師ではないか」

「そうなんだけど。この辺りについて詳しい奴がいると、便利かなっていうか」

「何をするために便利になる?」

「仕事」

 一瞬、緑の瞳が、冷え冷えと光る。

 魔術師にもいろいろある。人に言えない仕事をする者もいる。ベリルのように、村で湿布薬を作ったり、地域でのんびり暮らした者もある。

 メリンダについては、てっきり、用心棒か何かで生計を立てているのかと思っていたのだが。

 ベリルがバカ正直にそれを言うと、メリンダは一瞬呆れて、

「でもまぁ、そういうこともしなくもないけどさ」

 腹ごなしに歩いていると、わあっと、どこかで人の歓声が聞こえる。

 怒号にかぶせて、やっちまえ、などと楽しげに煽る声が響いていた。

「喧嘩だな」

 ベリルが分かりきったことを呟くと、メリンダがにやりと笑った。

「行ってみるか!」

「何だ、野次馬か?」

「何が起きてんのか、見たいじゃない? せっかくだし」

「いざとなれば、その腕っ節で止めるのだろうな?」

 ベリルは眉をひそめる。

 メリンダは、肩で風を切って歩き出し、少しだけ振り向いた。

「さあ?」

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