魔術師メリンダ、塔の礎を引っこ抜く

せらひかり

第1話


 彼は不遇な魔術師だった。


「ん、捕まえた!」

 森のそば、そこそこ人の通る道で、赤毛の女が笑みを浮かべる。軽い旅装で、マントの下には小型の荷物を隠している。彼女は緑の目をきらきらさせて、自分が地面から引きずり出したものを、満足そうに見つめていた。

(捕まえた、って)

 頭を鷲掴みにされ、宙づりにされたまま、やられた方は呆然とする。

 いったい何が起きたのか。瞬きを繰り返して、記憶を遡る。

 晴天の下、彼は道を通る連中を眺めていた。人々は楽しげに会話したり、悩み事に沈んでいたりと様々だったが、誰もが近隣の村の者で、そのうちまた違う表情をしてこの道を通る。

 ぼんやりしていると、うめき声が聞こえてきた。

 探すまでもなく、近くに、ひときわ目を引く赤い髪の女がいた。高いはずの背を丸めて、道端にしゃがみ込んでいる。具合が悪いように見えた。

(これはいかんな)

 心配になり、気分がよくなる呪いを口ずさむ。

 彼には実体はなくとも、このくらいの簡単な魔術は使えるのだ。魔力とは命の流れ、付近の自然らにも願いをかけて術を口ずさめば、細かな光の粒が、頭一つ分の靄みたいになって宙を滑り、女の肩に寄り添った。

(これで少し、気分がよくなるとよいのだが)

 こちらの楽観とは裏腹に、女は膝を突き、両手で地面を殴り始める。

「あぁああ!」

 具合が悪いというより、怒っているようでもある。何がそんなに悔しいのだろう。

 びっくりしたが、自分がおろおろしても仕方がないことを思い出して、ただ見守る。

 女が叫んだ。

「婚活失敗したあぁ!」

 聞いたことがある。この、古い塔の脇を通る小道でも、若い娘達が、喋っていたものだ――隣町のちょっと格好いい男性達と、よい知り合いになる、そんな出会いを探しに遊びに出かけることを、そのように呼んでいた。

 だとすれば心配いらない。きっと近所の娘達同士で鬱憤をはらして文句を言い合ったり、遊んだり働いたりしているうちに、気が紛れる。

「あーあー」

 女はごろりと横になる。

 往来で、土がつくのも構っていない。

「なぁんか、おもしろいことないかな」

(大丈夫だ、若いうちにはいろいろある。その、心揺れる感性を、大事にしたまえ)

 うんうんと、若いうちに動けなくなってしまった自分が頷いているのも妙な話だが。

 ふと女が、己の肩口に目をやる。まるで、こちらが仕掛けた小さな魔法に、気がついたみたいだった。

 それから振り返った。野生の獣を思わせる素早さだった。

 赤毛の色と対照的な、緑の目。まっすぐに射抜かれた気がして、こちらは慌てて目を逸らした。

(うん? 目が合ったのか?)

 そうだとしたら妙だ。

(私はここにいないもののはずなのに)

 獣達すら、こちらを見ることはない。幽霊みたいにここにいるくせ、自分は誰からも見られることはなかったのだ。

 今までは。

 まさか、彼女も魔術師なのだろうか。

 瞬きして考えて、視線を再度向こうへやる。いない。

 はたと気づくと、女は自分の目の前に立っていた。

 遠目で見たときより、真面目な顔をした分、妖艶に思える。高い位置で結い上げられた赤い髪が、さらりと揺れる。緑の燃えさかる、きらめく瞳。くるくると感情を映す、好奇心に満ちた、不思議な目。

「あんた、埋まってるんだ?」

 女が倒れ伏す。勢いがよすぎて怖い。

 彼女は匍匐前進の格好で、塔と地面の境目に話しかけた。通行人の視線などおかまいなしだ(うめいたり吐いたりしていたときからそうだったが)。

「ふうん、へえ? 今の生活で、楽しい?」

(えっ?)

 楽しいもへったくれもない。実体がないのだから。

 こちらの戸惑いが見えているのか、女は、にやっと、まるで盗賊のような悪辣な笑みを浮かべた。

「辛気くさい顔してんじゃないよ、全く」

(私が? 見えているのか、魔術師なのか?)

「ふふっ」

 酒臭い息を吐いて、女がずいっと地面の底へ腕を突っ込む。腕は地表ではぶつからず、ずぶりと肩まで沈み込んだ。

「ん、捕まえた!」

 呪文一つ使わず、女はこうして、こちらを捕獲したのだった。


 事情は多少思い出した。だが解せない。

「その……貴殿は私を捕まえて、いったいどうしようというのか」

 何年ぶりか覚えていないが、久々に声を出してみたら、なんだか勝手が違う。

 喉の具合が、妙だ。

 こちらを吊りあげていた手が、ゆっくりと地面におろしてくれる。こちらの両足がついて、ちゃんと立ったのを見計らって、女が再び話しかけてきた。

「具合はどう? ちょっと前の仕事で善行しすぎちゃって、私個人には使いづらい魔石もらっちゃってさぁ。捨てるのももったいなくて、でも売ろうにも誰も買ってくれないし、持て余してたんだよねえ。人一人実体化させるには、いい道具になったみたい」

「……私を、実体化させた? 幽霊を?」

「幽霊なの?」

 厳密にはそうではないかもしれないが、幽霊と自分の違いもよく分からない。

「……そもそも、幽霊を見たことがない」

「あっは。私も」

 女の視点は高い。対するこちらはどうか。地面から出てきたので以前よりは高い。だが、生前の景色よりは低い気がした。

 むずむずする。声も高いし、ちょっと手足も短い。足下が落ち着かない。

「?」

 眉をひそめて違和感に悩んでいると、

「どう? かわいい女の子になった感想は」

 女が、爆弾を投げ落とした。

「は? 私は、三十すぎたおっさんなのだが」

「あー、そうなんだ? 今は違うけどね」

 やる気なく、女が辺りを見回した。ちょうどいいものがなかったらしく、通行人に手鏡を借り、こちらに見せる。

 鏡に映るのは、銀色の髪、青みを帯びた目、顎の形もいくらか丸みのある、まだ十数年も生きていなさそうな、少女の姿だった。

 ずいぶん頼りなげに見えるのは、何が起きているか分からなくて不安な気持ちが、あどけない顔に反映されているからだ。

 端的に言って愛らしい。

 女が通行人に手鏡を返してしまったので、百面相をして自分の動きと本当に連動しているか確認できなかった。

 ともあれ、さあ褒めてくれと言わんばかりに得意げな女に、腹が立つ。

「何で、こんな、格好で、実体化、した!?」

「だぁって、つまんないじゃん? おっさんをおっさんのまま連れ歩いたってしょうがないじゃん?」

 小さな掌を、拳の形に握りしめる。それを思い切り振りあげた。

「力の、無駄遣いをして! 分かっているのか!? 本来あるべき姿形を変えることは、摂理を一部曲げることだ。魔術師は命を多少犠牲にして、術を行う。どんなにやさしい魔術でも、それは、変わらない。それを、遊びでよけいに使うとは、どういうことだ……!」

「何それ。心配してんの? 説教? おっさん、面倒くさいよね……」

 目を逸らして、ふっと女がため息をついた。

「私は、真面目な話をしているんだぞ、ちゃんと答えろ……ふぎゅ」

 こちらの短くなった鼻柱を、女の指がぎゅっと押した。黙らされたので、睨んでやる。

「あーかわいいかわいい。ところで名前は何? ゴルゴンとか、ごついこと言ったら、フラワーちゃんとか名付けるから覚悟して」

 ぞっとした。

 一番恐ろしいのは、この女が容赦なく、もっとひどい名前を考えついてそれを抵抗なく実行しそうなことである。

 諦めて素早く名乗ることにした。

「ベリル。ベリル・カーター」

「ふうん。アマンダって感じがするけど」

「それは、今の格好を見て言っているだろう」

「それもそうか。私はメリンダ。旅の魔術師。よろしく?」

 何がよろしくだ。

 折りよく涼しい風が吹いてきて、ベリル・カーターの混沌としてきた頭を冷やしてくれた。

「……それで、貴殿の目的は何だ? 人を実体化させるには、何か理由があってしかるべき、」

「あーそれそれ、ねえ。まぁ立ち話もなんだし、お腹空かない?」

「空かない」

 ベリルはぴしゃりと切り返した。

 すげなくされても、メリンダは諦めない。

「ねえ、一緒にご飯食べに行こうよ?」

 ベリルの頭を一撫でして、笑みを浮かべる。

「散歩でもしようじゃないか。あんなところにいて、疲れただろう?」

「そうもいかない」

「いいじゃないか、な?」

「……」

 何だか久しぶりに人に触れられて、笑顔を向けられて、ベリルはうっかり、ほだされた。

 塔も、急に倒れたりしなさそうだし、少しくらいなら離れてもいいだろう。

「話をするだけなら、行ってもいい」

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