第3話

 結局、酔っぱらいの喧嘩だった。危なくなってきたので、途中でベリルが鎮静の魔術を用いて止めた。賭けをして参戦していた野次馬達も、我に返って、散っていく。

「貴殿は、止めるものと思っていたぞ」

 ベリルが銀色の眉をひそめたまま文句を言うと、

「あーあ。もうちょっとで、こっちが勝ったのに」

 賭け札を放り出して、メリンダが文句を返した。

 つくづく、不真面目な女魔術師である。

 それでいて悪い人ではないのだろうとベリルが思ってしまうのは、たぶん彼女があけすけだからだ。陽気で、彼女が自分から近づいていけばすぐに誰とでも打ち解けられる。

 ため息をつくと、メリンダが素早くこちらを見やる。

「どうした? 疲れたのか?」

 気遣いもできるし、不思議な女だ。

「いや。この不遇な魔術師に対して、貴殿が一体何を望んでいるのか、分からなくてな」

「うん?」

「この辺りに詳しい者がほしいと言っていたが、そんなものいなくても、貴殿は一人で、村の調査ができるだろう」

「まぁ、人望は厚いからなー。どこへ行っても何とかなる」

 自分で言うか。ベリルが内心で呟いたとき、足下がぐらついた。路面にあいた穴に足を取られたのだ。メリンダが手を貸してくれて、転ばずに済む。

「すまない。以前なら、このくらいの段差、何ということもないのだが」

「ずいぶん手足も短いもんなぁ。でも大人の美女だと、それはそれで目立つし」

「女性方面での設定することから離れてくれないか。よもや、私の顔が見えなかったから適当に作ったとは言うまい……」

 目を逸らされた。

 ベリルは半眼になり、繋ぐ形になっていたメリンダの手を、ぎゅう、と引っ張る。

「見えなかった? 私がいるのは分かったのだったよな? つまり私は、元の形を保てていなかったわけだ。幽霊だものな……形が崩れていたのに、元々人間だったとよく分かったな?」

「まぁそうなんだけどさ。男かなーとは思ったけど、ベリル三十歳独身かどうかまで分からないから」

「私は確かに三十代とは言ったが年は限定していない」

「そこ細かいな」

 メリンダが繋いだ手を引っ張り返してくる。吊り上げられて、ベリルは顔をしかめた。

「何だ?」

「いや、よく分からないんだよな」

「何が、だ?」

 ベリルは問い直す。メリンダが不思議そうに首を傾げた。

「人に恨みはないのか? 本当に」

「私は、そんなに恨めしそうに埋まっていたのか?」

「いや……最初から妙っていうか。初めに、私に対して、気分がよくなる簡単な術を投げてよこしただろう」

 ベリルは眉をあげる。

「あの術のせいで、貴殿は私のことに気づいたんだろう?」

「そうなんだけど。気づいたっていうか何て言うか」

 畑仕事の手伝いなどが終わったのか、子ども達がわあっと歓声をあげて、走っていく。

 それらを見送ってから、ベリルはメリンダに地面におろしてもらった。

「ベリルが気づいてるかどうかは知らないけどさ、いろいろあるみたいで」

「何があるんだ?」

 メリンダの唇の端が、むずむずしているのが見て取れる。

 首を傾げつつ待っていると、メリンダが言った。

「パーティーに行った席で、すっごい爽やかな好青年がいたんだけど」

「何の話だ」

「どうしたわけか、そいつと話した奴の具合が、悪くなるらしい」

 ちょっと遠くの方で、子ども達が遊んでいる。小枝を投げたり、小鳥を追いかけたり、たわいない遊びだ。

 ベリルはしばらく考えて、メリンダから目を逸らし、青空を睨みつけて聞いてみた。

「……それが私のせいだと言いたいのか?」

 メリンダの説を受け止めてみる――ベリルが、非常にもてている好青年に対して嫉妬して、周りの具合が悪くなるような魔術をかけている、という話だろうか。

 ベリルは、今日まで塔の下に埋まりっぱなしで、好青年と呼ばれているのがどんな人物なのかも知らないのだが。

「……その好青年と、貴殿はいい感じになったのか?」

「一瞬なった」

「その後、具合が悪くなった、と?」

 どう考えてもそれは、メリンダの八つ当たりではないか。ベリルは、眉間を震わせる。

「貴殿は飲み過ぎたのだ。それで具合が悪くなった。貴殿がよいパートナーと巡り会えなかったことは、残念ながら私のせいではないと思うぞ……」

「哀れみの目で見るな! ベリルに八つ当たりしてるんじゃなくてさ! 実際に、他の子達にもあるみたいで。私がそいつにもてなかった話はこの際置いといて」

「その好青年とやらが塔の前を通過していったときに、私が、その人物周辺の具合が悪くなるよう呪ったと言うのか? ばかばかしくないか? そんなもの呪って、何になるんだ」

「だよなー? ただし世の中には、通りすがりの奴がにこにこしてただけでイライラする奴もいるから、そういうのかなと思ったんだけど、お前あんまりにも不憫っていうか、あんまり怒らないし、呪うどころか呪われてそうな感じするし、何か違うんだよ」

「呪われ……それは多大に失礼なので、私はずいぶん、怒りを覚えるが」

「呪われてるよな?」

「呪われてない」

「変なんだよな」

 一人腕組みをして、メリンダが歩き出す。ベリルも距離を置いて、ついていく。

 ベリルは腹を立てたところで、彼女から離れて塔に戻るくらいしか、他にすることもない。黙って後をついて歩く。

 先程の子ども達が、崖のところで騒いでいる。手前の崖は、ただのなだらかな斜面だが、もっと奥は切り立っていて、高さがあって危ない。

 ベリルは顔をしかめる。誰か落ちたのではないかと思った。だが、子ども達は、緩い方の斜面、大人であれば上り下りできそうなところで、飛び降りたりして遊んでいたようだ。数人、転んだりしたようだが、大した怪我ではない。

 行ってもよいか、メリンダに聞いてからベリルは子ども達に近づく。小さな擦り傷とはいえ、怪我には、当座の術で痛み止めするだけではあまりよくない。薬が必要だが、かといって手持ちがない。

「私は通りすがりの者だが、誰か、この近くにメコの葉がないか、探してもらえないか」

 両手をあげて、子ども達に近づくと、彼らは一様に驚いて、ベリルとメリンダを見比べた。

「何? 旅の人?」

「知らない人と話しちゃだめって言われてるよ?」

 警戒する子ども達に、ベリルは丁寧に説明する。

「葉のある場所を教えてもらえたら、それを使って怪我の手当をさせてほしい」

「お医者さんなの? 子どもなのに?」

「私は、まじゅ、」

 メリンダがゆっくりとベリルの口を背後から塞ぐ。ベリルはうっかり噛みついてしまったので、引きはがして謝ってから、

「この、後ろの魔術師の助手をしている。手当の腕には多少覚えがある。料金も取らないし、私の腕では不安があると言うのならば、具合が悪くなったらすぐに、このメリンダに言ってくれ。きちんとした処置をする」

「怪しいー」

「すごくうさんくさいよねー」

「メコなら、そこにあるよ」

 子ども達が騒ぐ中、一人が教えてくれた。

 ベリルは礼を言って、崖の側に生えている木から、葉を数枚拾いあげる。

「生の葉だから、効果は弱い。だが、膿まずに早く治るだろうから、夕方まではつけておいてくれ」

「うん」

 子ども達はベリルを疑っていたくせ、葉っぱを素直に受け取った。

 不思議そうな顔をして、聞いてくる。

「子どもなのに、魔術師の手伝いをしてるの?」

「まぁ、そういうことになる」

「ふうん、ありがとうね!」

 喜ばれると嬉しいものだ。ベリルは思わず微笑んだ。気をつけて遊ぶように言って、その場を離れて歩き出す。

 しばらく歩いて、メリンダが言った。

「お前、ちゃんと勉強した魔術師なんだな?」

「何を言ってる。エセだと思っていたのか?」

「そうじゃないんだけど……」

 ふとメリンダが表情を改めた。

 ぞっとするほど、妖艶にも見える。

 硬直したベリルに、メリンダが、その先の茂みを指し示した。

「あれ、飛び降りかな?」

「!」

 メリンダが指さす方は、子ども達が遊んでいたところよりは険しく高い崖になっている。その縁に、女が一人、立っていた。

 目を伏せて、崖下を覗いている。息を、吐いて、止めて、そして――。

「待て! 早まるな!」

 ベリルは走り出していた。

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