第3話 灰の村 前編
鈍色の雲から大粒の雨が地上へと降り注ぎ、遮るものがない平野を駆ける一台の大型バイクを容赦なく濡らしていく。
その上に跨る青年は、防水加工を施したレインコートで全身を覆い、ゴーグルを装着して視界を確保し、雨で泥濘んだ地面にタイヤを取られないように慎重にバイクを走らせていく。
そんな、普段よりも何倍も神経を削る作業に集中しているせいか、呼吸が荒くなっていく青年――錬金術師のテオへ、相棒の電子の少女――ティーが通信機越しに声をかけてきた。
『マスター……
あまり無理をなさらず、少し休まれてはどうですか?
この雨の中をバイクで走るという行為は、マスターが思っている以上に体力を消耗します……』
ティーの言葉にゆっくりとバイクを止めたテオは、一度ゴーグルを外し、けれど次々と目に叩きつけてくる雨にうんざりしたように再びゴーグルをつけ直し、大きくため息をついた。
ちなみにティー……というよりも、彼女が搭載されたスマホは、バイクの燃料タンクの上という定位置こそ変わらないものの、テオ特製の生活防水どころか、水深1000メートルを超える深海に1年以上放置しても大丈夫なように作られた完全防水のケースに入っており、この雨の中でも平然としていた。
それはともかくとして、ゴーグルをはめたままぐるりと周囲を見回したテオは、雨宿りができそうな木々や洞窟が見当たらないことに肩を落とし、ついで視界に入った水をたっぷり吸いこんでぐちょぐちょになった地面を見て、野営すらもできそうにないことに深々とため息をついた。
「地面がこんなじゃテントも張れないか……
ティー……近くに村や町はある?」
主の問いに、電子の少女は『お待ちください』と短く返したあと、すぐにGPSから自分たちの位置を割り出し、周辺情報をかき集めていく。そして、
『お待たせいたしました
ここより北西へ8キロほど進んだところに小さな村があるようです』
「そうか……
それじゃそこへ案内を頼める?」
『イエス・マスター』
そうして二人は、相変わらず止む気配のない雨の中をゆっくりと走り出した。
しばらくしてテオとティーが辿り着いたのは、村への出入りを管理する門も無ければ、獣から畑や村を守る柵も無い、それどころか村の名前を示す看板すらも掲げられていない、寂れた空気が漂う村だった。
「……………………」
『……………………』
なんともいえない重苦しい空気に、テオとティーは思わず村の入り口らしきところで立ち止まってしまうが、やがていつまでも雨に打たれるわけにもいかないと考え直し、ゆっくりと村の中へと足を踏み入れた。
普段なら、歓待とまではいかなくとも、少なくとも旅人が村を訪れたということに、あるいは興味深そうな、あるいは攻撃的な、ともかく何がしかの反応がこの時点で返ってくる。
だが、この名も無き村ではそういった反応がまったく見られなかった。
『…………人がいないのでしょうか?』
ティーの、どこか戸惑うような言葉を、テオはゆっくりと首を振って否定する。
「いや……、確かに人はいるみたいだ……
その証拠にほら……」
そういいながらテオが指差した先には、保存のためだろう、軒先に紐で野菜が吊るされているのが見えた(もっとも、激しい雨に濡れて乾燥できていないが)。それは確かに人が住んでいて、日々の生活を営んでいる証拠である。
『では、この雨で皆様が家の中に閉じこもっていて我々に気づいていないとか?』
「それはあるかもしれないね……」
言いながら、少し村を歩き回っていたときだった。
「ざくっ、ざくっ」と規則正しいリズムで土を掘る音が、降りしきる雨の音を掻い潜るように僅かに聞こえてきた。
「なんだ……あっちに人がいるみたいだ……」
呟きながらテオが向かった先は、村の外れにある林の中。
雨に溶けそうな、僅かな音を頼りに林の中を歩いていくと、やがて開けた場所にぽつんと建つ、一軒の建物が見えた。
石造りの建屋にツタが絡みつき、雨に濡れて重い灰色をしたその建物は、場所が場所だけに、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。
雨に濡れた寒さのためか、はたまたその空気に当てられたのか、ともかくテオが思わずぶるり、と体を震わせていると、突然横合いから声をかけられた。
「………だれ……ですか?」
まだ幼く、怯えを含んだその声に誘われるように視線を向けた先には、小柄で痩せた体を雨避けのローブで覆い、その身の丈に合わない大きなシャベルを抱えて不安そうにこちらを見つめてくる一人の少女がいた。
「あ……っと……
俺はテオ……旅の錬金術師で……」
『私は人工知能のティーと申します』
「れん……きん……じゅつし?」
初めて見たのだろう、ことりと首をかしげる少女は、けれど強くシャベルを抱きしめて、警戒するような目でこちらを見ていた。
(まぁ、いきなり知らない大人にあったら誰でも警戒するよな……)
そんなことを考えながら、少女の目線に合わせるようにしゃがみこんでテオは問う。
「それで?
君は誰?」
「わた……しは……」
一瞬、びくりと身を竦ませた少女は、不安そうな顔をしながら何かを探すように視線を彷徨わせ、ふと少女が掘っていたであろう穴の側に置かれた小さなつぼを見て、悲しそうに顔をゆがめながらおずおずと答えた。
「わた……し……は……サク…………」
「サク……
そのツボは?」
サクと名乗った少女の視線に釣られるように見つけたつぼが気になったテオが思わず問うと、サクはびくり、と大きく体を震わせた。
「これ……は……いんちょー……せんせー……」
(院長先生ということは、この建物は病院か何かなのだろうか?
いや、それにしては寂れているし、何より病院としての機能が備わっていない……
ということは……多分、孤児院のような施設なんだろう……
それにしてもつぼが院長先生とは一体……?)
そんなテオの疑問を、目の前の少女は自身の行動で解決して見せた。
すなわち、「院長先生」と呼んでいたつぼをそっと持ち上げると、さっきまで自分が掘っていた穴にいれ、その上から土を被せ始めたのだ。
そして、汗や泥で自分が汚れるのも構わずに土を被せ終えたサクは、どこからか持ってきた石をその上に積み上げた。
そこまできて、ようやくテオは少女が何故穴を掘っていたのか、なぜつぼを「院長先生」と呼んだのか、その理由を理解した。
つまり、少女は院長先生の墓を作り、そこへ院長先生の遺品か何かを納めたつぼを埋めて弔ったのだ。
そして改めてみてみれば、今サクが作り上げた院長先生の墓の周りには、かなりの数の石の墓標(恐らくサクが全て作ったのだろう)が並んでいた。
もしかしたら、それらは全て、かつて孤児院でサクと共に過ごした仲間たちなのかもしれない。
そう思ったテオは、作り終わった墓の前で跪き、眼を閉じて静かに黙祷を捧げる少女をそっと抱き寄せた。
少女の体が細かく震えていたのは、雨の寒さのせいか、はたまた仲間たちを失った悲しみによるものか、それは少女自身にしか分からないことだった。
それからしばらくして孤児院の中に戻って暖炉の暖かな火にあたり、テオが作ってくれたホットミルクを啜るうちに少しずつ気を持ち直したらしく、「ほう」と息をつきながら、ちらちらと視線を向けてくるサクに、テオは苦笑交じりに訊ねる。
「サク……
ここにはお前以外誰もいないのか?
大人は?」
サクは、ゆっくりと首を振る。
「みんな……いなくなった……
みんな……灰になってサクが埋めた……」
(灰に……?
火葬でもしたのかな?)
テオがそんな疑問を抱いたときだった。
突然、孤児院の扉が乱暴に開かれたかと思うと、どかどかと数人の大人たちが無遠慮に孤児院に踏み込んできた。
「っ…………!?」
彼らの放つ剣呑な空気を敏感に察したのか、サクは息を呑んでテオの後ろに隠れる。
「なん……」
「誰だ、お前は!?」
何なんだと聞こうとしたテオの言葉を飲み込んで放たれた言葉に、流石のテオもむっと顔をしかめながら応える。
「俺は旅の錬金術師です
雨に降られてたまたまこの村に立ち寄ったんです
けど、村には人がいなくてどうしようかと思ってたら、ここでこの子と会って、とりあえず雨がやむまではここに滞在させてもらうことになっています」
途端、ざわざわと騒がしくなる大人たちを割るように、一人の老人が歩み出てきた。
「旅のお方でしたか……
わしはこの村の村長をしておるものです……
しかし旅人さんは最悪なときにこられましたな……」
「最悪……?」
首を傾げるテオに、村長は……いや、孤児院に踏み込んできた大人たち全員が肩を落とす。
「そう……最悪なことです……
現在、この村は原因不明の奇病に侵されていましてね……
その病に罹ったものは、子供も大人も男も女も……
皆、灰になって死んでしまうんです……」
「灰に……?
それってまさか……?」
師匠の下で錬金術師として修行をしていたテオには、「灰になって死ぬ」という病について心当たりがあった。
それは、かつて世界を恐怖の渦に叩き込んだ奇病。
名を「
発症すると、全身が灰のようになって崩れ落ちてしまう致死率100%の病気。
ただし現在では予防法も治療法も確立されており、今ではその病気の名を聞くことすらなくなったほどだ。
そして幸いなことに、テオはその治療法も予防法も師匠に叩き込まれていた。
「あの……その病気……」
自分なら、と続けようとしたテオの横をすり抜けて、村の大人たちは乱暴にテオの後ろに隠れていたサクの手を掴んだ。
「痛っ……!」
悲鳴を上げて抵抗するも、大人の力には抗えず、村長の前に引きずり出されるサク。
「何を……!?」
驚くテオに、しかし村長は静かに告げた。
「この娘を森の神の生贄にする」
その言葉の意味を、テオは咄嗟に理解することができなかった。
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