11×風穴を開ける狩人
「な、なんでお前がここに?」
挨拶もそこそこに靴を脱いで部屋にあがりこもうとする狩野に、俺は身体を張って止める。そもそも、俺はこいつに自分の部屋を教えたか? いやいや、そんなけったいな記憶にない。俺がこんな奴に自分の聖域である住所を教えるとは考えづらい。
人間関係は辟易する。
きっと、俺は他の人間よりも許容量が少ないのだ。誰かと一緒にいるだけで疲弊する。別に人間が嫌いってわけじゃない。一緒にいるとじんましんが出てその場に吐いてしまう。……そこまで嫌いなわけではないのだ。だが、自分を保つためには、少しでも他人とまともな人間関係を築くためには自分の時間が必要だ。自分が自分でいられ、整理するための時間を、空間を俺は必要としている。なくてはならないもので、それは他人どころか、家族だって同じ。自分の部屋がないと俺は死んでしまうだろう。
結婚生活なんてもってのほかだろう。
あいつと同じベッドで眠ったことはあるが、それは一日とか二日とかその程度だ。ずっと同じベッド、もしくは同じ空間にいつづけることは俺にとって不可能だ。……うえっ。想像するだけで吐き気がしてきた。あいつのことを思い返すことも俺にとっては今や胸糞悪いことに相違ない。
「なんでって、ずいぶんなご挨拶じゃない? ほら、俺ってば、他ならぬ翔太ちゃんのためにここに来たっていうのにさー」
狩野がスマホをかざしてくるから拝見すると、そこには信じられない文章が色々と目に飛び込んできた。
助けてー。もういやだ。死にたい。あれだよ。ライブに参加していい? この前言っていたやつ。もうカラオケでもいいや。俺、もうとにかく弾けたい。弾けてやり直したい。俺の人生を。俺のことをやり直したい。俺が俺であるために。って、なんだこれ中二病っぽいな。あー。てか、返事ないなー。既読もつかない。なに? なんか用事あるの? お取込み中だった? あの狼みたいな高校生と。てか、住所知らないか。書いておくからここにきて。今日はだめっぽい? 明日の朝とかでもいいから来てください。待ってます。
と、そういうことがつらつらと書かれていた。
うざいくらいに。
数分単位で俺から狩野に対して送られていた。そのことについて俺は全く記憶にない。俺のスマホを借りて誰かが送ったか? いや、ずっと俺はスマホを持っていたはずだ。手元にもある。ってことは、これは俺が酔った勢いで狩野に対してラインを送っていたのか? いやいや、そんなことありえるか? いくら酔ったとしてもこんな気持ち悪い文章を俺が書いたのか?
「うえっ! うそっだろ。ちょっともっとみせてくんない!」
「ああ、いいよん」
パッと、返事が終わるか終らないかぐらいの喰い気味なタイミングで、狩野からスマホを奪い取る。待ちきれなかったのだ。だがどれだけ眼を通しても、入念にチェックしても、そこには俺が送ったという形跡しかなかった。俺のスマホも確かめてみるが、そこには確かに俺が送ったという痕跡があった。
俺は鍵をかけていた。
この部屋に帰る前での記憶だってある。
独りで帰ってそうして、それからの記憶はない。
他の誰かがスマホを奪ってそれを打つ、それから元に戻すなんて面倒なことをやったとは思えない。え? なにこれ? つまり俺は失恋して、その傷心を癒すためにこんな奴に救援要請をしたってことか? いやいや、ないないない。かっこ悪すぎるし、どうせ助けを呼ぶんだったら、もっとましな奴がいるだろ。
ぶっちゃけ、狩野と俺との関係は友達ですらないんだぞ。
俺にとっての友達は――もういない。いないからといって、誰かにおもねるのか? どうして俺は甘えてしまったんだろう。人生で俺はこんなことしたことがなかった。誰にも迷惑をかけないように生きてきたつもりだった。誰かに頼ったり、弱音を吐いたりすることは俺が最も嫌っていた行動の一つだった。
それなのに、どうして俺はこんなことを……。
完全に酔いがさめるほどにショックだ。
ただでさえ自分のことが嫌いなのに、さらに大嫌いになってしまった。
「まじかよ……」
「そう。だから俺は翔太ちゃんに呼び出されたの。助けに来たぜ、親友♡」
「いやいやいやいやいや。ほんとまじ、勘弁。これ、俺じゃないからあああ。酔ってたから! 勝手に送信されているけど、俺じゃない。俺の本心じゃないからあああ!」
「…………なにか、あったんでしょ?」
「なにもないよ」
ぷいっとそっぽを向く。面倒、本当に面倒だ。その一言に尽きる。こいつも、こいつだ。そんな仲良くない奴にここまで粘着されたら気味が悪いと思うだろう。ドン引きするだろう。それなのに、なんでのこのここいつはここに来ているんだ。確かに何かあったのだと悟ることはできるだろうが、あんな長文読んだら誰だって既読スルーする。もしくはブロックするだろう。とんだお人よしだ。だけど、そういうのは迷惑なんだよ。
特に今は。
こいつみたいな人生そのものを楽観視しているような奴には一生理解できないかもしれないが、俺にとって今は頭を冷やす時間なんだ。独りにして欲しいんだ。酔って何かを吐き出したのかもしれない。本心ではない、構ってくださいオーラムンムンの発言を送ってしまったのかもしれない。
だけど、それはただの気の迷いだ。
仮に俺が本心でお前に助けを乞うたとしても、それは間違いだ。ぶっちゃけすっきりしているのだろう。その証拠に昨日に比べて相当楽になっている。あいつのことをすんなりと思い出せるようにはなっている。回想ができるようになっている。痛みを伴いながらも、俺は過去を美化しようとできている。だから、安全なんだ。安心していい。お前は俺に関わるな。どこかに消えて欲しい。
「よし、ちょっと上がるねん」
「ちょ、おい!」
狩野の肩をつかんでやるが、振りほどかれる。狩野はドカドカと足音を立てながら、突き進んでいく。カーテンに手を掛けて思い切り開いた。眩しい日光が差してくる。
「何勝手に――」
「なあ、翔太ちゃんにとって音楽って何?」
「はあ?」
なんだこいつ、頭でも打ったのか?
いきなり何言いだすんだ、こいつは。
「俺にとって音楽ってまだ分からないんだけどさ、でも音楽やっている時は嫌なこと忘れられるんだ。音楽やっているとさ、そんなこと将来の役に立つのか、とか今はもっとやるべきことがあるでしょ、とか。なに、プロになるつもりなの? その程度の腕でとか、色々言われるんだけどさ、そういうのじゃないんだ。俺にとって音楽ってそういうんじゃないんだよ」
「……何がいいたいんだよ」
狩野は窓を開ける。
そこから入ってくるのは清涼な風、空気。
「翔太ちゃん、俺と一緒に風穴をあけてやろうぜ」
振り向いた狩野の顔は爽やかすぎていて、俺は声に詰まってしまった。
狩野は真っ直ぐ、迷いなく俺に視線を合わせてくる。
「ほら、おいしいじゃん、風が。こんな暗いところに閉じこもっていたら、辛いことばかり思い出すだけだって! だけどさ、音楽をやっていると壁をブチ破れるんだ。風穴が空くんだよ。そしたら新鮮な空気が俺の中に入ってきて循環する。弾けられる。楽しくなる。音楽やっていたらそうなるんだよ、俺は。翔太ちゃんはどうなん?」
「俺は……」
狩野はいつもふざけていて何も考えていないような奴だ。
正直、俺が一番嫌いなタイプだ。
軽薄で女遊びが酷くて、いつだって真剣になれない。だけど、今、この時ばかりはこいつの言っていることが胸に来た。どうしようもなく。何かが俺の中で生まれた気がする。
俺は何のために音楽をやってきたか。そこまで問うたことはない。だって適当に始めたから。女の子にもてるんじゃないかとか。好きな奴が振り向いてくれるじゃないかとか、そんなことばかりしか考えていなかった。
そんな俺と比べて、狩野はどうだ? しっかりと考えている。
俺なんかと違ってしっかりと音楽と向き合っていた。
俺は、どうなんだ。
俺とって音楽はなんだ。
正直、やる意味なんてない気がする。俺なんかが音楽をやっていたら、真剣にやっている人達に失礼なぐらいだ。元彼女であるあいつに自作のラブソングを送ったことがある。それもみんなに拡散された。そんなことがあったから、俺は音楽をやりたくない。どうしてもやっているとチラつく。あいつや徳川の顔が。だから俺はもうやりたくないんだ。
もう二度とあいつらと関わらない。断ち切ると決めたのだから。
でも、嫌だな。
動機が不純でも、やり続けていたらそれだけじゃなくなる。俺は飽きっぽいから。勉強とかはずっとやり続けることはできたけど、それは現実逃避するためだった。やっていれば他の人間からとやかく言われることも少なくなったから。だけど、音楽はそこそこ続いたのだ。こんな俺でもそこそこに。他の奴らからすれば数年なんてあっという間だろう。努力なんて言葉で形容できないだろう。俺だってそう思う。
だけど、俺にとって音楽は離れられないものだった。離れても心にずっと留まっていたものだった。
だとしたら俺にとっての音楽って意外に重いものだったのか? 実は熱心になれるもので、好きなものだった。価値のあるものだったのか? 何もかも失くしたその先。そうなって初めて気がついたものだった。
堅苦しい言葉で飾り立てることはできない。
夢を語ることもできない。
だけど、軽く、楽しく言わせてもらえるなら、きっと俺は――
「音楽、好きだよ」
恋人の代わりなんて言えない。音楽こそが俺にとっての恋人とか、そんなこと言えないけれど、それなりに好きだったのだ。嘘をつけないほどに。本当はこいつとなんかずっといたくない。苦手だし、勝手にズカズカ俺のパーソナルスペースに入り込んで、今なんかドヤ顔をしている。風穴を開けてやった。はいはい、素直になったな、俺の言った通りだぜ、とかそんなことを言いたげだったが、不思議と嫌いじゃなかった。不愉快にはならなかった。
「だったら、俺とバンドしようぜ。今度ライブがあるんだ。小さいやつだから安心してよ。客もそんなに収容できないクラブみたいなところでやるんだ。多くても数百人ぐらいしか入れないやつだ。だからさ、やろうぜ! 俺とバンドを!」
「……バンドね、まあ、しかたないな。やってやるか」
「おっ! ほんとにやった!」
「抱きつくな! 気持ち悪い!」
そういいながらも俺は笑っていた。
素直にお礼を言うべきなのに、拒絶することしかできなかった。
そんな態度しか取れない俺のことも、狩野は笑顔で救ってくれた。
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