08✕衝動

 ズルズルと、舌が引きずり出される。だけど、抵抗しないんじゃ面白くないし、艶っぽくない。どうせなら、もっと楽しみたい。だから、まるで鮎のようにぬるぬると舌が逃げる。

 ぬちゃぬちゃと唾液を交換しながら、滑りをよくする。交わって、交わって。キスという行為は、きっと小学生ですらしてしまう。それでも、こんなにも興奮する。大学生だからこそだろうか。もっと大人になってしまったら、興奮しないのだろうか。飽きてしまうのだろうか。少なくとも、今はまだ刺激的だ。ただのキスなのに、繋がっている気がする。

 人は独りで生きていけません。みんなと助け合って生きているのです。

 なんて、どうしようもなくアホな意見があるが、それは正しい。正しいが、それを自覚できる機会なんてそうそうない。うまく実感するのに効率的なのはこういう官能的なことなのかもしれない。

 それも、ただ密室でやるよりも、他の誰かが見ているというシチュエーションが好ましい。二人だけの秘密を共有し合うというのもいいのだが、それを誰かに見せるという背徳感がより一層興奮をもたらす。舐めあっている姿を見せて、心を通わせる姿を見せ、そして、やっている人間と、見ている人間とで、また共有し合う。男と女の行為を。好意を。それがたまらないのだろう。俺には分からないけど、一生分かりたくもないけど、そんな恥知らずなことを平気な顔をしてできるということは、そういうことなのだろう。

 ああ、気持ちが悪い。

 酔いが回ったのではない、これは、ほんとうに、見ているだけで気持ちが悪い。他の客も嫌な顔をしている。きっと、ここにいる連中は、嫉妬だわーとか、こういうことができないから僻んでんだろ? みたいなことを想っているだろう。というか、いつも、そんなことを言ってやっている。

 でも、よく見て欲しい。

 普通にカップルずれだって、うわっ、という顔をしている。こそこそこちらを指差す人たちがいる。恥ずかしい。穴があったら入りたい。そりゃあ、やっている方はいいだろう。のめりこんでいるのだから。でも、こんな飲み会の席でいいぞ、いいぞぉ! もっとやれ! とか言っているのは居酒屋のこの卓ぐらいなものだ。身内だけの面白さだ。

 もっと、そういう行為を推奨できる場所だったら盛り上がったかもしれない。他のカップルだって同じようなことをして、お互いに興奮しあったかもしれない。でも、周りは大学生ばかりで、そういう場所ではない。男連中のグループはわいわい笑ってこっちを見ている奴らもいるにはいたけど、長く、長くキスをしている姿を見て次第に顔が曇ってきている。飽きたのか、スマホを取り出して写しだす奴もでてきた。

 軽く犯罪行為な気がするが、こっちも公然わいせつ罪とかに引っかかるかもしれない。はいはい、どうぞ撮ってください。ツイッターとかにでもアップしてください。そしたら、こいつらも少しはやっていることの異常さを自覚してくれるかもしれないので、とかそんな投げやりな感想しかでてこない。

「あー、気持ち良かった」

 狭い空間の中、足を絡めあいながら、舌を絡めあっていたのは――俺の元彼女だった。俺の彼女と親友であるはずの徳川が、まるで蛇の交尾のように影が交わっていたのだ。

俺の彼女だった荒井のことを、俺は本当に好きだった。好きで好きでたまらなくて、結婚も考えていた。浅い、考えだったのかもしれない。それでも、俺は本気だった。大学生なりに、まだまだ餓鬼な俺なりに、本気で言っていた。愛していたのだ。愛、なんて陳腐な言葉を語り――いや、騙りたくはないが、それでも、俺は語らざるを得ないぐらい愛していたのだ。

 でも、それは荒井にとって酒の肴程度しかなかったらしい。


「お前さあ、結婚しようとか言ったんだってな? うける~」


 これは、実際に俺がかつて言われた言葉だ。友達、友達のはずだ。友達の奴にこういわれたのだ。肘で割と強めに。痛みを感じるぐらいの、手加減をしらない肘鉄をくらって、こんな風にからかわれた。酒の席だったから、どんな言葉を言っても許されると思ったのだろうか。いや、からかいですんではいない。殺されても文句が言えないぐらいのことを言ってのけた。

 俺と荒井花帆との関係はとっくに終わっていた。

 俺の元カノは俺との行為だけでなく、話した言葉も俺の周りにおもしろおかしく話していたのだ。微妙に脚色しているところもあったが、だいたいが本当だったので、俺は否定できなかった。気力もなかった。元カノにそんなことをされて、誰が怒れるのか。人間は本当にキレてしまったら、何も言えない。むしろ、一生関わり合いになりたくないとさえ思ってしまうことを初めて知った。怒鳴るぐらいの元気があるのは、怒りなんかじゃなかったのだ。

 動画も撮っていた。

 結婚しよう、と俺が真剣な顔をして、それから子どもは何人がいいかな? マンションがいいか、一軒家がいいかな? 犬とか、猫とかどっち派? 飼うんだったらどっちにしろマンションは無理だよねー、あっ、でも最近はペット可のマンションもけっこうあるよね? 新しいマンション、そういえばこのへんの近くにできたっぽいし、まだ小奇麗だからいいじゃない? あそこで。駅からも近いし。みんなで幸せになりたいよね。幸せを分かち合いたいし、分け与えたいし。だから、ホームパーティーが開けるようなところがいいんだ。ピザとか七面鳥とかさ、ザ・パーティーみたいなのに憧れているんだよね。それが面倒だったら、焼き肉パーティーとか、たこやきパーティーとかでもいいよね。それだったら簡単に誰でも作れるし。俺も多少、料理はできるよ。どうする? 家事は? もちろん俺も手伝うというか、俺がやるっていうか。どれだけ仕事忙しくても、土日休み仕事を選ぶよ。公務員とかがいいかな? 女性だけに家事をさせるのって嫌なんだ。せめて、土日ぐらいは料理作ったりとか、掃除とか、洗濯とかしたいんだ。うんうん、無理しているとかじゃなくて、好きな人のためだったらさ……どんなことだってしたいんだ。

 ――そんな、俺の理想を語っている姿を動画に撮られていた。そして、嗤われた。晒されて、みんなの笑いものになった。どうして、そこまでするんだろう。今でも目を瞑れば、頭よりも先に身体が憶えている。

 潤んだ瞳の美しさや、唇の感触や、それから先のことだって、ぜんぶ、ぜんぶ。好きだったから、愛していたから、そして、きっと、今でも――。どれだけひどいことをされたって、愛はそんな簡単に割り切れるものじゃない。忘れられるものじゃない。

 でも、みんなで俺の動画を回しみて、それからあらゆるSNSに載せるのって、それって、どうなんだろう? みんなしていいね、とか面白すぎwwwとかコメントのせていて、頭がおかしいんじゃないかって思った。内輪だけならまだわかる。だけど、数十人、それこそ五十人以上の人間がいじめに加担していた。どいつもこいつも、俺のことを馬鹿にしていた。俺が殺人鬼ならまだわかる。そこまで袋田叩きにされても分かる。だけど、俺は何もしていない。ただの被害者だ。飲み会に来て、動画を流されて笑われた時もかなりのショックだったが、それはそれでショックだった。

 誰も味方についてくれなかった。

 確かに俺はそこまで人間関係を構築するのが得意な方ではない。

 誰かに悪口を言われてもいいかえさなかった。

 誰かをいじめることで社会的地位を獲得する。

 リーダーになれる。

 そんなことは分かっている。

 誰かをいじめ、いじることでしかマウントをとる手段を知らないものだ。それに面と向かって反抗しなければならない。だけど、俺にはそれができなかった。誰かを傷つけることなんて嬉々としてできるはずがなかった。

 だから、俺の立場は弱いものだったことは分かる。

 だが、分かりやすくいじめられことは一度もなかった。

 靴を隠されたりとか、パンを買いに行かされたりとか、視界の端でそういう奴を見かけたことはある。だが、俺はそんな分かりやすいいじめなんてされたことはなかった。頻繁にでかける友人は少なかったが、だからといって話し相手が全くいないというわけではなかった。バンド仲間だっていたのだ。

 なのに、寄ってたかって俺はみんなのおもちゃにされたのだ。

 本当に、同じ人間なのかって疑うぐらいのことをされた。

 動画を撮られている時はなんとも思わなかった。私達の一生の思い出にしたいよね? これが記念になる、絆になるとかそんなこと言われたら誰だって止められないはずだ。むしろ、もっといとおしくなるはずだ。それなのに、俺は裏切られた。

 大学で目撃してしまったのだ。

 浮気をしている現場を――。

 妙に冷たくなって、肩に手を乗せて振り払われても、まあ、そんなもんだ。猫みたいに態度がころころ変わるのはいつものことだったから、そんなもんかと思っていた。だけど、清楚だと思っていた彼女が、自分の時とは全く違う乱れ方をしていて、嬌声の艶だっていつもと全然だった。演技だったのだ。全て。嘘だったのだ。俺が好きだった全ては偽者だった。

 浮気現場で。俺が徳川のことをぶん殴ろうとしたら、逆に荒井が怒鳴った。というか逆ギレしてきた。はあ? お前のことなんて最初から好きじゃなかった。告白されたから付き合ってやってあげただけ、と。どうやら荒井はずっと徳川に相談していたらしい。俺のことを。そしたら黙っていようとことになったらしい。本当は、荒井はずっと徳川と付き合っていて、俺との付き合いは嘘にしようぜと。

 最初に付き合ったのは確かに俺だった。

 だが、いつの間にか本命はあちらで浮気はこちらになっていたのだ。

 そして、つまんねーな、という反応をされた。

 なぜなら?

 大切なのは――。

 サプラーイズ。

 楽しもうぜ。もっと泳がせようぜ。小さい魚のままじゃつまらない。もっともっと恋心という名の肴にして魚な奴が大きく肥え太るまで待っていようぜ、とかそういうことを言っていたらしいのだ。

 俺は、助けようとしていた。

 自分の恋人を。

 だって、そうだろ?

 目の前で恋人がとろんとしていた表情をしていたとしても。いつもよりもの嬌声が甘美なものであったとしても。

 きっと、夜の行為を何度も重ねていることが分かるような手際の良さだったとしても。

 それでも、信じていたのだ。

 恋をしていたから。

 どんなことがあっても、どんな場面に出くわしても。

 それでも信じられるのが恋人なのだ。

 俺は、襲われていたのかと思った。

 襲われて助けを求めているものだと思って、拳を握った。

 相手が俺の親友でもだ。

 ずっと、ずっと、信じて、信じぬいていた。

 俺はそこまで人間関係のネットワークを手広くやっているわけではない。俺は、信頼している人間と信頼できない人間を区分けしてきた。差別してきた。

 人間は尊いものだ。絶対のもので、性善説を唱えるような聖人君子に俺はなれなかった。むしろ、俺は性悪説を推していて、人間というものに嫌気すらしていた。

 それでも俺は信じぬける奴を選抜したのだ。

 こいつなら、俺を裏切らないでいてくれるなんて、そんなことを信奉していた。

 だけど、そんな宗教はまやかしだった。

 俺が信じていた奴は全員俺のことを裏切っていた。

 影で笑いものに仕立て上げていた。

 俺は口ではいつも馬鹿にしていた。

 真実や恋とか、そんな今時の小学生ですら鼻で笑うようなことを、それでも俺は信じていた。純粋に、どこまでも。努力さえすれば成功できなくとも、その努力を他の成功のために生かせる。だから無駄な努力なんてこの世には存在しないんだよ。

 いいことをしていれば、きっといいことは返ってくる。

 そんな、ありえないことを信じていた。

 でも、それは嘘だった。

 誰かに恋をすることは尊くなんてなかった。

 よくよく考えればそうだ。

 誰かが誰かに恋をするなんて、そんなのありふれすぎている。

 周りを見れば一目瞭然だ。

 正月に親戚の集まりなんかいくとそう思う。

 結婚するのが当たり前のような言いまわしで、親戚から責められる。どうして彼女いないのか。どうして結婚していないのか。どうして、どうしてと。

 なぜそうなるのか?

 当たり前だからだ。

 誰かが誰かに恋をすることなんて当たり前なのだ。だけど、ありえるのか?

 世界に六十億人以上いるのに、運命の糸に導かれてたった二人の人間が、この広い世界の中で結ばれるなんて、そんなありえない奇跡が本当に起こりうるのだろうか?

 答えは、違う。

 恋なんて、錯覚なのだ。

 誰かに恋されたから、可愛いからとか、適当な理由で恋をしたと錯覚しているに過ぎない。そんな適当な感情のまま人々は愛を囁く。

 そんなものに本当に価値はあるのだろうか?

 ライトノベルとか少女漫画とか、そういうものに執心するような人達の気持ちが分からなかった。気持ち悪すぎる。三次元の恋に絶望したから二次元の恋に逃避しているのだろうか? 理由は分からないが、俺は悟ったのだ。三次元だろうが、二次元だろうが。結局、恋なんて無意味なものだと。

 誰かが誰かを傷つけるような行為でしかない。

 俺は、恋よりももっと、もっと、尊い感情を知った。

 それは、憎悪──。

 だって、周りにいるだろうか?

 誰かを嫌いでいれる人間が。

 誰かを憎んでいられる人間が。

 いない。

 いるわけがない。

 誰もが楽な道を歩みたがるからだ。

 どうして、クリスマスなんかに恋人たちがその辺の道にごった返すのか分かるだろうか? 俺は分かる。

 それは、それが楽だからだ。

 世間から批難されないからだ。

 そのためだったら人間はなんだってする。

 錯覚だってする。

 現実を逃避することだってする。

 そうやって俺達は自分を騙し騙しさせながら、恋に現を抜かす。

 だが、憎むということは並大抵の努力できることではないのだ。

 全身が炎に包まれ、炙られているような感覚。

 怒りではない。

 そんな生易しいものではなく、もっとどす黒いもの。

 憎んで、憎んで。

 どうしようもないほどに身を焦がすこの感覚を、永遠に続けられる人間なんて存在するのだろうか。きっと、そういう奴は狂ってしまう。恋とは違って常にやり続けられるものではない。

 だから、尊いのだ。

 誰かが誰かを憎むということは。

 他人を殺したいほど憎む。

 そんな気持ちなんて分からなかった。分かりたくもなかった。よく、テレビのニュースなんかを観て、人殺しはいけないよなーとか、そんな当たり前の感想しかでてこない。そこには真実が隠されている。殺人者にだってドラマがあるのだ。背景があって、殺人のための動機があるんだ! とか、そんなこと一々考えもしなかった。そんなの一々考えていたら頭がおかしくなる。感情移入なんてしちゃいけない。

 テレビなんかでどういう場面で殺したのか、加害者の過去なんかを洗いざらい流したりするのをみて、気分が悪くなるぐらいはした。アニメを見ているか人殺しをするんだっ! とか極論を放送するくせに、そんな生々しい情報を垂れ流す方がよっぽど悪影響をおこしそうだけど、とか、掘り下げるにしても、そんな感想しか胸中で思い浮かばなかった。

 もちろん、そんなこと他人に話したことなど――ないはずだ。記憶が確かな限り、俺はそれなりに気を遣うタイプだ。思ったことをすぐ口にすることもあるが、けっこう自制はしているつもりだ。

 だって、みんな物事を深くなんて考えない。だから、じっくり考えたことを他人に披露してはいけない。したら、白い眼で見られる。

 だから、考えないようにしたいのに、考えてしまう。

 どうしても。

 どうしても、殺したいと思ってしまう。目の前に、酒瓶がある。これを逆手に持って、思いっきり後頭部を殴りたいと思う。血は、でるだろうか。ちゃんと酒瓶が割れるぐらい力を発揮できるだろうか。酒瓶は冷蔵庫から持ってきたせいか、ちょっと濡れている気がする。滑らせてしまって、威力が出ないかもしれない。ぶん殴って殺す前に、ちゃんと拭いておいた方がいいかもしれない。布巾あるかな? 店員呼べばいいのかな。いや、そもそもこんなところで人を殺すのはあまりよろしくない。別に倫理的に殺したくないとかそういう意味ではない。

 どうせ戦国時代とか戦争している時とかは、人殺しは英雄扱いだったのだ。それをねじまげられたのは、お偉いさん方か統治しやすい国家にするために国民を洗脳した結果だ。倫理とか、そういう言葉なんてとっくに吹っ飛んでいる。俺は心を殺されたのだ。防衛本能。過剰防衛未満の正当防衛だ。

 ともかく。ここで殺すのは得策ではない。だって、止められるから。

 取り巻き連中とか、お店の店員とかそういう邪魔者がいるところではちゃんと殺せない可能性がある。頭を打ったからと言ってすぐ死ぬわけじゃない。そもそも人間の身体は頑丈なのだ。確実に殺すために心臓狙いなんかもありだが、骨が邪魔をしてちゃんと刺せないと聴くし、せめてナイフ持参でもしていればよかった。周りに刃物がない。最初に思いついたのは、酒瓶を割ってそれを突き刺すといったもの。目玉でも潰せばいいのかな、とりあえず。出血多量で殺したいけど、酒瓶ごときじゃやはり確実じゃないし。

 凶器も、場所も悪い。

 凶器なら、どこかで買えばいい。縄でもいいな。後ろから忍び寄って絞殺。刃物なんかも、コンビニとかいけばハサミぐらいあるだろ。足に突き刺して動け失くしてからじっくりやりたいものだ。

 場所は……暗がりがいいか。人通りが少ない方が殺しやすい気がする。帰り道がいいかな。帰り道に、裏路地を通るだろう。みんなが解散してから、それからそろりそろりと後ろから近付いて殺す――前に、やっぱり周りを確認しないと。うーん、どうせだったら見張りなんかもいるな。やはり野外で殺すのはリスクがある。共犯者がいれば話も変わってくるが、残念ながら殺人衝動があるのは俺だけ。俺一人でやらなければならない。

 だったら、やはり場所は屋内の方がいい。

 防音機能があればいいのだが、カラオケとかにはカメラが設置されていると聴くから、やはり自室に招き入れるのがいいか、あっちの部屋にお邪魔するのがいいか。

 こちらが、腰を低くすれば、徳川は調子に乗る。それを利用する。相手の心をコントロールする術は身についている。いやー、お前には敵わないよ、勝ち組の部屋にお邪魔していいかな? とか言えば、どれだけ深夜でも家に入れてくれるだろう。

 分かりやすいのだ。ほんとうに。

 親友だからこそ熟知している。

 集団において一番発言力のある徳川だが、裏を返せば、他人の意見を聴かずに自己発信しかしていない奴ということになる。そりゃあ、リーダーでも、他人の意見を取り入れる人もいるが、俺はたくさんリーダーを観てきたが、そういう人は皆無だ。他人の意見に左右されずに、己のスペックだけでどうにかなってしまうのがリーダーだ。

 そういう人間を正攻法で誘導するのは難しい。ならば、搦め手のカードを切るのみ。賞賛。持ち上げる。プライドの高い奴ほど有効。徳川は自己顕示欲の塊のような奴だ。上にいないと気が済まない。

 今、このグループにおいて、頂点に立つことで優越感を得ている。

 そんな奴に有効なのは、褒めること。別に、凝った褒め言葉など必要ない。その髪いいな? どこの美容院で切ったの? 服かっこいい! とか、そんな一瞬で考えらえるような陳腐な褒め言葉で大丈夫だ。むしろ、そういう単純な褒め言葉の方が効いたりする。こんな適当な褒め言葉で、頬を緩くする。そんなことないって、とか言いながら、目尻が下がっていたりする。

 ある意味かわいそうだ。

 褒められることがないのだろう。大学の話になると言葉が詰まる傾向にある。きっと、大学ではうまくいっていないのだろう。ここでしかはしゃぐことができない。ここでしか偉そうにできない。だから、飢えているのだ。褒められることに。

 だから、それを武器にすれば、簡単に操れる。心を誘導することができる。ちゃんと、殺すことができる。

 冷静に人が殺したい。

 冷徹に人を殺したい。

 一時の感情で殺したくない。

 カッとなって殺してしまいたくない。

 味わいたいのだ。ちゃんとこの手で憎む相手を殺せる喜びを、しっかりと。そうじゃなきゃ、この胸の内にある黒いものが霧散してくれない。チリチリと焼かれているようだった。黒い炎がずっと燃えているようだった。死にたい。それと同時に殺したい。

 サイコパスとは、定義が曖昧であるということ。線引きがないということ。

 誰かと話すことと、誰かと殺すことが地続き。同じであるから、殺せる。

 それが、サイコパスの一つの定義である。

 殺人には罪悪感が必ず付き纏うから、そのように自己防衛本能が働いてもおかしくない。だから、俺は思う。俺はサイコパスなんかじゃない。

 同じなんかじゃない。

 罪の意識を感じてなんかない。

 俺は悪い。

 悪人だ。

 正義ではない。

 殺人はいけないことだ。

 それは分かっている。定義づけもできている。線引きもできている。

 でも、殺したいのだ。

 そもそも、殺人に加担していない人間なんてこの世のどこにも存在しない。殺人は国家が行っている。殺人鬼を殺人している。

 だって、重い罪を犯した人間を今、どうしてる?

 牢獄に閉じ込めて、最悪、殺している。監禁と殺人だ。それは、罪にならないのか? ならないのだ。どうして、許されているのか。許されざることをしているのに、どうして許されているのか?

 それは、権力があるからだ。

 権利があるからだ。

 権利があれば、人を殺してもいい。それを俺は学んだ。俺にだって人を殺す権利があるはずなんだ。これだけ酷いことをされたのだ。酷いことをし返したっていいはずなんだ。

 どうして、俺だけ? どうして俺だけこんなに苦しまないといけないんだろう。

 道ずれにしたい。

 いや、因果応報か。

 ただの天罰。いや、天なんかに任せたくない。復讐なら自分の手でやり遂げたい。

 どうすれば、苦しめることができるんだろう。

 さっ、と殺したくなんてない。

 即死させるのは――やっぱり面白くないな。考えてみたけど、それじゃあ、全然釣り合わない。俺がずっと抱えていた苦悩に比べたら全然だ。それに、楽しくない。あっけなさすぎる。楽しみたい。だって、みんなそうしてきたんだから。笑ってきたんだから。酒の肴にしてきたんだから。

 だったら、俺だってしていいはずだ。

 やられて嫌なことはやっちゃいけません、って小学校の先生に習ったはずだ。いくら馬鹿でもそれぐらいのことを憶えていないはずがない。だからやっていいんだよ。じわりじわりと殺すぐらいのことは。

 色々試したい。

 場所は大体決まった。家だ。それしかない。廃屋とかがあればそれでもベストだが、今、パッと思いつかない。家には防音機能がないから、やっぱり、誰にも使われていない場所を今からでも探すとするか。今はスマホなんかで調べればだいたい出てくるから、そうしようか。

 場所が決まれば、殺人の手段。

 色々考えたけど、あんまり考えがまとまらない。だから、全部試そう。ライター、蝋燭、ガソリン、太い縄、目隠し、ナイフ、包丁、のこぎり、とか、そのへんか。家にあるかな? とにかく色々な殺し方を試したい。苦しめたいなー。できるだけ。だとしたら止血も必要か。包帯も巻いてやらなければならない。

 おお、こうして考えてみると、どんどんアイディアがでてくるものだ。

 なにより、なにより大切なのはシチュエーションだ。殺し方よりか、殺す状況の方を凝った方がいい。具体的に言うならば、一人を殺すのではない。一人ずつころすのではない。一緒に殺してあげるのだ。

 二人一緒にどこかに監禁しよう。それからすぐに殺すのではなく、じわりじわりとなぶり殺しにしたい。とりあえず、食事を与えずに放置してあげたい。暗闇において、太陽の光を浴びせず、目隠しをして、耳栓をさせて、それから何もせずにいたら、どのぐらいの時間で発狂してくれるだろう。排泄物もちゃんと処理せずに、そのままにしておいて、それからこっちがいろいろする。拷問? いや、特に訊きたいこともないし、痛めつけるのはありだ。スタンガンとかあればいいんだけど、あれ、どこに売っているんだろう? 縛り付けて、手の甲に釘打ちなんて古いことでもやればいいか。

 でも、やっぱり俺は素人だ。

 最初の犯行なんだ。

 あまり血が出る系は試さない方がいいかもしれない。加減が分からないから出血多量で死ぬかもしれない。それは、困る。人間の裏の顔。真実を明らかにしたい。二人とも愛し合っているけれど、すぐに他人を裏切る奴が、そんなすぐに結束するわけがない。

 信頼関係なんて、ちょっとしたことで瓦解する。

 追いつめて、追いつめて、追いつめて。

 本性を剥き出しにしてやる。

 見せつけてやりたい。もう一人の人間が苦しむ姿を。そうすれば、確実に自分は助かりたいとか言い出す。相手を貶したり、俺のご機嫌をとったりする奴には褒美を与えるようにすればいい。古今東西、飴と鞭が一番洗脳に向いている。

 労働だって、金という対価をチラつかせているから成り立つのだ。たとえバイトであっても、家に帰れないぐらい働かせて、労働基準法ってなんだっけって思わせても少しの金さえもらえればみんな満足する。

 上等な鞭と飴の使い方をすれば、どんなことだってできる。そうすれば、もう、俺は傷つかなくて済むんだ。


「友達を寝取るのって最高に気持ちいい! 興奮するよなあ!」


 フラッ、と倒れそうになる。意識が遠のきそうになったのは、徳川の言葉で。そのたった一言で、妄想から現実に引き戻された。

「あはは、ばっか」

「まじひくわ~、うけるぅ」

「ちょ、やだあ!」

 ポロリ、と涙がこぼれた。誰にもばれないように、サッと急いで瞳から溢れた涙を拭き取る。おしぼりがあったよかった。おしぼりの絶対ある飲み会でよかった。だけど、そんなに早く拭き取らなくとも、よかった。誰も俺に注意なんて払わなかった。みんな、爆笑していた。俺の付き合っていた彼女も笑っていた。徳川は何の罪の意識もなく、ただ笑っていた。周りの友達も、そうだ。

 ここでは、俺が異端者。

 間違っている。

 これが、多数決の原理。

 民主主義。

 我慢しなきゃ。みんな、笑っているんだから、俺も笑わなきゃ。それが自然なことなんだ。いやー、ひでぇわー、まじでー、とか軽い感じで言えば、もっと盛り上がる。みんなが喜んでくれる。笑ってくれる。自分の心を削れば、みんな幸せになれるんだ。――――――――――――いやだ。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。

 なんで、俺がここまでしてあげなきゃいけないんだ。

 どうして、俺だけ傷ついて、俺だけ我慢しなきゃいけないんだ。

 ころ、したい。

 殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。 殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。


 死んでほしいんじゃなくて、殺したい。


 立ち上がる。

 ここから逃げ出してしまいたかった。

「どこいくんだよ?」

「――トイレ」

 ドンッ、と途中で店員にぶつかった。あっちは特に謝りもせずに、迷惑そうにフラフラしている俺を睨み付けるだけだった。頭がガンガンする。周りのどんちゃん騒ぎが頭に響く。パカッと真っ二つに割れそうだった。

 幸い、男子便所は空いていた。

 駆けて、そして便所に吐しゃ物をぶっかけた。喰ったものが全部でていく。吐いて、吐いて、吐きまくった。鼻水と、涙も勝手にでてきた。なんで吐くと、涙まででるんだろうって思いながら、とにかくずっと――吐いた。これは、ただ辛いから吐いているんじゃない。飲みすぎたのだ。酔っぱらっているせいだ。俺は悲しい人間なんかじゃない。

「が、ぐが」

 吐き過ぎて、吐くものがなくなって、胃液がでてきたみたいだ。喉が焼ける。焼酎の甘ったるい味が気持ち悪い。自分の吐しゃ物の臭いに、さらなる吐き気が誘発される。終わらない、エンドレスループ。吐き過ぎて、腹が痛い。吐くって、こんなにも腹筋を使うものだったのか? 胃が引きつっているようだった。勝手にどんとん、出ていく。

 気分も悪いし、気持ちも悪い。

 こんな風になりたくなかった。俺だってみんなみたいに楽しい人生を送りたかった。だけど、もうだめだ。俺は全て失う。友達も、恋人も。全部、全部。自分を構築していたもの全てが壊れる。

 いや、とっくに破綻していたのだ。

 俺は選択を間違えた。

 どうして、学校の先生や親や、それ以外の大人たちがこぞって友人は多い方がいいというのかが分かった。切り捨てられるためだ。リスク回避。切って、切って。それでも生きていけるように予備が必要なのだ。俺もそうすればよかった。信じなければよかった。もっと誰も信じずに友人を作ればよかった。もしくは、友人を作らなければよかった。

 でも、もうなにかも遅い。

 俺はずっと独りだ。

 今までも、そしてこれからも。

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