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07✕旧友との飲みニケーション

 飲み会。俺が大学生になってもっとも面倒だと思う行事の一つだろう。何故、人は飲み会に参加しようとするのか、理解に苦しむ。日本人は引っ込み思案でいいたことも言えない。ぶぶづけで客人にさっさと帰れっ! とかいう文化が根付くぐらい本音で他人に話すことができない! だから飲み会で、本音でしゃべるのが楽しいっ! とかそういう事情が背景にあることぐらい俺だって理解できる。

 でも、それは、本音で話せる奴が面白いだけであって、俺のようにお酒を飲んでも理性を保つような人間だと苦痛でしかない。酔おうと思っても酔えない。どちらかというと泥酔した友達を介抱することが多く、他人に気遣うことを辞められない。ストレス発散のための飲み会のはずなのに、他人気遣うせいで、ストレスをため込む結果だけが残る。最悪の極みだ。

 それでも、飲みニケーション。つまりに、飲みとコミュニケーションの略となるものが、全くの無意味だとも思えない。

 俺が必要なだと思うのは会社員の人だ。だって、毎日毎日汗だくになって仕事にまい進しているのだ。たまにはそういう息抜きだって必要だ。俺は昔、そういう人種なんて、と馬鹿にしていた時があった。

 だけど、思うのだ。

 サラリーマンこそが大多数。その他の仕事の方が少数派だ。つまり、この社会が成り立っているのはそういう人達のおかげであると。そして、その会社員の人達が何故飲み会なんてするのか。飲み会そのものは俺だって面倒だと思うのだが、やっぱり、必要なことだと思う。

 そこで大切なのは、上下関係の認識だ。

 俺は仕事をしたことがないからそこまで語れることもないのだが、バイトをやりながら思ったことがある。

 最近の若い連中(俺もだが)上下関係というものを知らないのだと。

ニュースなどでよく目にする言葉。ゆとり世代やらさとり世代のことだ。そこで馬鹿にされるのは腹が立つ。ニュースで取り上げられるのは最近の若い連中は、酒瓶の注ぎ方を知らない。上座を知らない、とかそういう話が凄い多い。だけど、俺的にはそういうのはどうでもいいことだと思っている。物事の本質とは遠いことだと思っている。

 上司は偉ぶりたいのだ。

 俺はこれだけ凄いと。年の功があるとか。俺はこれだけ知識を持っているんぞと、言いたいのだ。だって、そんなルールとか今時スマホで検索すればすぐにでる。そんなことを口に出して俺凄いんだぜって言うのって、はっきり言ってまともに考えれば馬鹿丸出しの行為。でも、それには意味がある。

 そこで俺が上、お前は下、とそう思わせることこそが大事。

 情報化社会となって、様々な情報が飛びかう今。テレビだけの時代ではなく、ネットで情報が大量に流れているのだ。あっという間に脳内のキャパはなくなる。だから社会の常識というものはなくなる。

 だから、知識が偏るのはしかたないはず。酒の席でのルールは知らなくて当然だとは思うが、そのせいで上下関係の大切さが消えてしまった気がする。

 普通に年上にため口をきいたり、仕事を与えてもどうして俺がそんなことをやらないといけないんですか? とバイトの後輩に言われたりした時にそう思った。

 上の人間がなんでもかんでも偉そうに言うのはだめだけど、それに従わなかったらどうなるだろうか? そんなの、簡単。――仕事が成り立たないのだ。別に友達関係だったらそれもいい。だけど、仕事は確かに上下関係があり、それが成り立たなければなんの仕事もできない。会社は潰れる一方だ。

 今、会社は新人を雇用するために、会社の説明会に親同伴を許したりするところもあると耳にしたことがある。そういう時代なのだ。とにかく特典をたくさんつけて、会社に引き入れようとしている。新人はお客さん扱いされる時代。でも、そんなことをすればつけあがるに決まっている。

 バブルの頃は生まれていないが、その時の同じのようなものだ。時代は繰り返されるというやつだ。

 だからこその、飲み会だと思う。

 上限関係の構築のために、飲み会は必要。これが俺の答えだ。

 ああ、そういえば。

 大学の教授がこう言っていた。

 接客業の職種に就職を希望している就生徒がたまに嘆くのは、部活やサークルをやっていればよかった! ということらしい。俺からすれば、接客業という選択肢はほとんどないのでよく分からない。自己分析して、俺は人間関係を築くのが苦手だとでている。周りからはたくさんの人間と接することができていると言われる時もあるが、浅い関係で適当に対応するのは得意というだけだ。それに、得意だからといって、人間関係が好きというわけではない。

 どうしても、他人を見下してしまうことが多い。特に勉強をしてこなかった人間には侮蔑すら感じる。勉強しなきゃできないことは多いのに、どうしてサボるのか理解に苦しむ。まあ、そんなんだから、部活やサークルにまい進するのはどうかなって感じ。というか、そういう人種はむしろ嫌いな部類に位置づけできる。

 だけど、過酷な接客業には、そういう人間こそ必要らしい。一日何時間もたち続け、笑顔でいて、そして、他人の相手をする。そんなもの部活をやっていなきゃ話にならないのだという。部活をやっている人間が就職に有利なのは、そういう体力面でも他の生徒より有利ということもあるが、上下関係を知れるのもあるのだという。

 俺はそんなまともに部活などはやっていない。バンドはやってはいたが、そこに上下関係などなかった。だから、もしも俺が接客業なんかやりたいと思ったら、そりゃあ大変なことになるだろう。

 スーパーとかコンビニとかだったらまだいいが、それこそ酒場は大変そうだ。酔っ払いの相手なんてしないといけないし、注文が多いから動く機会が多い。朝や昼間はそうでもないだろうが、深夜帯は地獄だろうな。一番楽なのは常に忙しい時だろうが、たまに暇でたまに忙しいというチェンジオブペースだと、人間は疲弊する。

 飲み会する大学生の相手だってしないといけないとなると、同情を禁じ得ない。

 と、ちょっと紆余曲折したが、それが、今までの俺の理論。飲み会には必要性がある、という考え方。それは、会社員、というか大人が飲み会するのはいいよってことだ。大学生の飲み会については、俺は大反対である。だって、何の意味があるのか。特に、同窓会とか、昔の友達との飲み会。他県に行っている友達が帰省するから、ついでに飲もうぜ! とかいうあの、くだらない飲み会。

 そりゃあ、楽しい。楽しいよ。

 現実逃避ができるから。

 でも、酔いが冷めた時の喪失感が半端ないのだ。飲み会での話もつまらない。とにかく昔の話ばかりになる。同じ会社に勤めていれば、話すことはたくさんある。共有できれば、共感もできる。だから自然と話が盛り上がる。

 でも、違う大学に通っている連中と会えばどうなるか? 結果は決まっている。盛り上がらないに決まっている。

 いや、盛り上がることはあるにはある。それは、昔の話。高校の同級生と会う時は、高校の話。中学の同級生に会う時は中学校時の話で盛り上がる。それだけ。大学の話とかだと一から話さないといけない。深い話などできない。

 できるとするならば、概要。

 ゲームに例えるならば、説明書の話しかできない。より深く突っ込んだ話、ゲーム内容までは話せない。だって、意味が分からない時だってあるし、そもそもそこまで聴いてくれる人間など限られる。一対一なら、それもありだろう。だけど、複数人になると深い話はできない。

 自然と、昔話に逃げることになる。

 そのこと自体、俺はそこまで否定的ではない。だって、しかたない。人間というものはそもそも他人の話を聴かないものだ。興味などないのだ。それでもその場をしのぐために興味がある振りをする。だからどれだけつまらない話をしようともしかたがないことなのだ。

 でも、それを永遠に繰り返されるこっちの身にもなって欲しい。酔っているから、話の内容を忘れるのだ、どいつもこいつも。だから、会った時にはいつも同じ話をされる。それだけならまだしも! 一回の飲み会の間に同じ話を繰り返されるのだ。

 俺にとって、つまり、同級生との久々の邂逅は、無間地獄というわけだ。

 俺だってみんなのようの泥酔状態になってどうでもいいやとなりたいが、お酒が飲めないのだからそうもいかない。それに、一人は飲めない人間は必要だ。介抱とか勘定とか、それすらできないほどに酔いつぶれていることが多い。

 会社員ならば、きっと弁えている人も多いだろう。お酒の量をちゃんとおさえられる。自分がどこまで飲めばいいのかを知っている。でも、大学生で二十歳になった連中っていうのはそういう風になっていない。

 いいや、わざとお酒を浴びるように飲んでいるといっていい。お酒を呑める自分がかっこいいと思い込みたいのだ。お酒は大人になった証。そんな化石みたいな考えに憑りつかれている。本当の大人はそんなこと考えもしないだろうが、お酒を飲める量が多いほど、偉いみたいな考えがどこかにあるのだ。俺はこれだけ飲んでも酔ってないんだぜ、すごいんだぜといいながら、酎ハイを飲んでいる同級生を見ていると、いっそ哀れにすら思える。

 せめて、せめて、日本酒とか飲もうよ。別にワインとか飲めとはいわないけれど、バーとかずに、居酒屋で俺すげえええええ、みたいなことをされると、アイタタとなってしまう。そもそもどんな場所でもお酒強い俺は凄いアピールは嫌なんだが、そんな気持ち誰も分かってもらえないらしい。

「ウェーイ!!」

「いっき! いっき! いっき!」

「かっこいいところ観てみたい!!」

 どこもかしこも騒がしい。

 俺の卓もかなりうるさいのだが、隣との席が近い。それに安価なので学生がよく利用しているのだ。

 ここは、一見すると小さな居酒屋だが、二階ある。入る時には必ず靴をしまう靴箱があって、だいたいが座敷に案内される。スリッパの貸し出しもやっていて、ちゃんと椅子に座るところも三分の一ほどあるが、どっちにしても必ず靴を脱ぐ居酒屋だ。かなり珍しい居酒屋だけど、小奇麗で値段も安く、それに注文の仕方が楽だからという理由で地元の人間には重宝されている。

 注文がデジタル化している。まるで寿司屋のようだ。店員がわざわざ注文を聴きに来るのではなく、備え付けられているタブレットのようなものをタップするだけでいい。

 注文におしぼりや割りばしまであって、かゆいところにも手が届く使用。もちろん、手打ちで、これが欲しいやらなんやら自由に文章を書けるような注文までできる優れもの。大声を出して店員を呼びだしたり、注文をしなくて済むので、自然と周りも声を張り上げるのだろうか? とにかくここは今まで行った居酒屋で一番うるさかった。

 うるさいと思っていても、まあ、いい言い方をすれば、楽しめるってことだ。

 リア充って天才だと思っている。どんな時だって楽しめるのだから。山○線ゲームとか、酷い時にはトランプ持参してきたりとか、今なら面白い動画をスマホで見せてみたりとか、そういうことだけで楽しめるのだ。

 俺は、そういうのは大嫌いだった。

 小道具を使うことによって楽しむのが微妙なのだ。飲み会って何をするべき場所かっていうとは、会話をすること。いや、会話も含め、他人とコミュニケーションをとるべき場所といっていい。

 それをやりたくないのなら、別に釣り堀でも、ラウ○ドワンとかでもいいのだ。バッセンでもサッカーグラウンドでも、漫画喫茶でも、遊園地でも水族館でも、とにかくそういう場所の方が色々とやることが多い。時間が潰せる。簡単に楽しめることができる。

 それなのに、居酒屋というところは基本的に喋ることしかできない。だからこそ、コミュニケーションを一番とらなくてはならない。うまくなくてはならない。

 だけど、いきなり沈黙が下りる。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 さっきまで騒がしかった。うぇーいとか言っていたが、唐突に言葉が尽きてしまっている。

 複数人との会話は難しい。一対一ならばそれなりに会話ができる。だけど、複数人となるとそうはいかない。共通の話題を探さなくてはならない。だから、グループを作るのが一番いいのだ。

 四人で盛り上がれるグループがあるならばいいが、盛り上がることができなければ最悪のパターンになる。沈黙がその場に降りると、天使が通る。そんな言葉があるけれど、そんな生易しいものじゃない。地獄です。

 こんな風に盛り上がりの波がある四人ならば、二人、二人とグループ分けした方がいい気がするのだ。二人ならば、どんな話題でもでき、盛り上がることができる。仮に、どちらかのグループが盛り下がったとしても、もう一方のグループがそのグループの輪に入る。そして、統合されたグループが盛り下がってきたら、また二つのグループに別れればいい。これを繰り返せば無限に盛り上がることができる。

 のだが、なかなかうまくいかない。というか、普通ここまでみんな喋ることを考えないのだ。

 別にお前らは思考停止だな。馬鹿だな、とかそんなことを言いたいのではない。ただ、努力しろといいたいだけだ。努力しない奴をみると虫唾が走る。できる奴が努力しないのは別にいい。怠慢が赦されるのは天才の特権だ。だけど、落ちこぼれやできそこないが努力しないのはおかしい。

 百歩譲ってだ。

 やりたくないことを努力しろとはいわない。勉強とかは別なのだが、たとえば、アレルギーを持っている子どもに給食を全部食えとかいう先生のニュースを最近目にするが、あれは努力うんぬんの話ではない。無理なものは無理だ。

 それか、カナヅチの人間に泳げと言って無理やり泳がせるようなものも意味が分からない。そんなものは虐待だ。だから、そこの線引きとして必要なのは、自分の意志が介在しているか、否か。その二点に限ると思われる。

 この居酒屋、飲み会。

 どう考えても、自分達の意志で行っていることだ。俺は、正直乗り気じゃない。でも、ここに来てしまったのは俺の意志だ。どれだけ嫌だと言っても、ここに来てしまったのは俺の責任だ。だから、それは問題ない。でも、ここにいる連中だってそのことは言える。責任を持てと言いたい。大人ぶって背伸びして、飲み会に来た。ばかだろと言いたい。

 本当に大人だったら、もっと先のことを考えるべきだ。

 飲み会は、ほんとうに、飲み食いと、話をするところなだけだ。それ以外に何もない。せめて、居酒屋だろうと、カラオケがついているところだったらまだましだった。それならば、こんな風に沈黙にならなかった。よしんば沈黙になったとしても、そこまで気にならない。誰かが歌っている時に大声で話すのはマナー違反。だから喋っていなくても違和感はない。それに、スマホや備えつきのデンモクで曲を探しているから、話すことができないという体を装うことができる。

それに、きっと沈黙にはそこまでならないはずだ。だって、話題が作りやすいのだから。

 カラオケの曲が流れれば、この曲知っている、知らない。歌うまいな、下手だな。このマイクもう、充電減ったよ。ちゃんと店員充電してないんじゃないのか? とか言いやすい。それに、カラオケは誰かが歌っているから、内緒話をするように小声になる。自然と肩を寄せ合うような距離感になって、色々面白い話ができる。正直、複数人となると邪魔だ。一対一が一番話しやすい。

 集団の中でのコミュニケーションにおいて大切なものの一要因に『バランス』がある。集団になると好む好まざる関係なく、誰もが役割を演じることになる。司会進行役、話題を膨らませる役、盛り上げ役、否定役、合いの手役、料理の注文役等々、とにかく役割を演じる。これが複数、特にその場を纏める役が二人以上いると、場が破綻してしまう。混乱してしまう。逆に、脇役ともいえる合いの手役が二人以上いたりすると、そもそも話を造りだす者がいなくて話そのものができない、なんてこともある。それらの役割がガッチリ合うのは珍しい。

 普段遊ぶのが四、五人になったりするのは、みんなの役割がガッチリ合うからである。一番盛り上がるのに適した人間達が集まって構成されるのである。一番いいのは、計算してその面子を構成することだ。今、この集団には、この役割の人間が足りないから補充する、といったように、計算すればいいのだ。それができないのならば、そもそも集団になる意味はない。なって欲しくない。適当に面子を選んで適当に集める奴の気がしれない。バンドを組む時にだって普通それぐらいのことを考えるはずだ。みんなの得意不得意を調べて、集まるはずだ。

 それでも面子が集まらない時は、誰かが何かの役割をすればいい。それなのに、それをやろうとしないのはただの怠惰だし、傲慢だ。どうにかなると思っている。誰かがやってくれるだろうと高をくくっているに過ぎない。

 俺はオールマイティにどんな役割だってやってみせるタイプだ。でも、だからこそ疲れてしまう。あらゆる行動を先読みして、そこに落とし込むためにみんなの言動を誘導する。それがなかなか大変で、かなりしんどい。俺にとって、友達と遊ぶことは接待に近い。少なくとも、ここにいるメンバーと遊ぶときはかなり神経を使う。

 俺が何もしなくとも面白くできるのならば、それでいい。そもそも面白くしようとしているのは俺の身勝手なのだから。どうでもいいというのならば、俺は何もしたくない。でも、黙っていると、

「うぇーい! 翔太、なに黙ってんのぉ!」

 うわっ、きた。

 めちゃくちゃめんどくさくて雑いいじり方。こんないじり方していたら、お前、芸人とかにはなれないぞ。本当に嫌だ。こういうの。俺はなんというか、今までずっと偉そうに上から解説役みたいなことを胸中で述べてはいたが、結局のところこの集団の中では底辺に位置している。いじられ役もとい、いじめられ役といったところだろう。

 こいつらが俺を呼び出す理由は、こういう時のためだろう。こいつらは俺をいじめたいのだ。お笑い番組なんかを観ていると、だいたい、いじられ役一人を、よってたかって複数の人間でいじめぬいて笑いをとる、という光景をよく目にする。それは、何故か? 楽しいからだ。誰かをいじめるのは、楽しいのだ。一番楽に笑いをとれる。誰もが幸福になれるのだ。

 いじられと、いじめは俺にとってあまり大差のないものだ。

 俺はいじられるのが本当に嫌いで、本来なら無視したいところなのだが、そういうわけにもいかない。俺がそっぽを向くだけで空気が悪くなる。俺がちょっとでも、いやいや、お前らも黙ってだろとか正論を言うものなら逆ギレされる。おいおい、台本と違うじゃんか、みたいな感じになる。

 だから、俺は何も言えない。

 それは、間違っているのかどうか。俺はずっと悩み続けている。俺は言ったほうがいいんじゃなかって。別に相手は上司というわけではない。友達なのだから、自分の言いたいことは言った方がいいんじゃなかって。だけど、親しき中にも礼儀は必要なはずなのだ。どんなにむかついても、俺は感情をセルフコントロールしなければならないと思っている。どれだけ暴言を吐いても、それに対して暴力で返したら、今の法律上、暴力を働いた方が悪い。そんな風になっているはずだ。だから、やり返すべきではない。少なくとも、俺はそれを頭の悪い行為だと思っている。馬鹿がやることだと思っている。

 だから、我慢するしかない。

 どれだけ悪口を言われても、にへらと作り笑いをやるしかない。もっといいのは、それをネタとして処理することだ。あはは、そうだね。俺がわるいはー、みたいな返答をすると、みんな爆笑する。自分を卑下すればするほどに、みんな喜んでくれる。ああ、本当に馬鹿みたいに笑う。他人を下に見ることでしか、自分を高めることしか能がないだなって思ってしまう。

「――るせぇよ」

「えっ……」

「うるせぇよ! 今面白いこと考えてたんだよ!」

「はあ? 翔太ごときが面白いこととか考えられるわけなだろ!!」

「あはははは!」

 ほら、こんな風に、一丁上がりだ。相手の思考を完全に先読みさせできれば、こんな風にコントロールすることができる。どうにかこうにか、暗礁から乗り上げることに成功した。俺の心を犠牲にさせすれば、みんなを笑わせることができる。この場を盛り上げることができる。

 ああ、こんなことでしか楽しむことができないのだ。

 どうして、こんなことになったのか。その一つの要因はなんというか、俺達は似非リア充なのだ。中学デビューでも、高校デビューでもない。遅咲きの大学デビューというやつだろう。後天的なリア充だからこそ、どこか違和感がある。もしかすれば、大学からこいつらと知り合っていたらそうでもないのかもしれない。だけど、俺はこいつらを高校の時から知っているのだ。

 あの、みんながウェーイしている中、ボソボソと、あいつらうぜーよなー、とか、まるで負け犬の遠吠え――いや、遠吠えではない、負け犬の小声みたいなことをしている情けない姿を知っている。嫌なこと、不満なことがあっても、それを本人たちに言わずに、ただ愚痴をこぼしているだけで満足しているような行動を何度も俺は目撃している。

 俺は、自分のことを省みずに、ただ迷惑行為をする連中が大嫌いだ。考えなしに、ずかずかとなんでもかんでも自分が正しいと思いこむリア充連中が嫌いだ。でも、それよりも嫌いなのは、それを内心羨みながら否定している非リアの連中だった。そんな非リアがリア充になったらどうなる? 最悪の組み合わせだ。とんでもないクズの出来上がりだ。

「てかさ、この前、後輩の女の子喰ったんだけどさー」

「はあ? なになに? 徳川って、彼女いなかったっけ?」

「いや、いるけどさ、別にいいじゃん。恋ってさーすごいいいことじゃん? いいことなら何だってやりたいし。あっちから誘ってきたもんだからな、だからやったよ。そんないい具合でもなかったんだけどさ、ただ、胸が良かったんだよ。ほら、今の俺の彼女って胸がうすっぺらいんだよなー」

「あっ、わかる。足が長くてエロくて、ムラムラするけど、胸、胸がなー。あんなんじゃ揉み応えないだろ。もっと大きい方がいいよな。上に乗ってもらう時とか、やっぱ胸がある方がいいもんな!」

「おい、俺の彼女のことそんな言うなや」

「いいじゃん、そんなことぐらいさ。俺も今日やることやったばかりだから、息子びんびんでさ」

 ああ、気持ち悪い。なんだろう、この会話。別に下ネタ全面的に禁止したいと言っているわけではない。ただ、こういう公共の場でまあまあ大声下ネタをいうのがまず嫌だし、それを百歩譲ってまあ、酒飲んで酔っ払いになっているから、という免罪符があったとしてもだ。それでも、普通にエロ話をするのはいい。いいけど、なんだろう。浮気なんか人間として最低の行為をする俺がかっこいいと思っている節がある。

 俺、昔ヤンキーだったわー。ちょっと睨んだらすぐに泣いて謝ってきたわーとか、あることないこと言い出すような感じ。今はやりの言葉で言うといきりオタク。聴いているこっちが恥ずかしくなってくる。悪いことは悪いことで、自慢するようなことじゃない。

 どうせ修羅場なんかになったら、あわあわ言って何もできないに決まっているのだ。それなのに、どうして自分はクズアピールして偉そうにしているのだろうか。

 反動。

 そうとしか考えられない。自分が今までモテなくて、モテなくて、悔しくて、悔しくて、周りのカップルを見ていることだけしかできなかったから、ようやく自分が幸せになったから、仕返しがしたくなったのだ。過去を取り戻すことができないのだから、今、彼女いない奴に、俺彼女いるんだぜー、浮気できるぐらいモテるんだぜー、すごいだろー、ほめてほめてと言いたいのだろう。

 本当に仕返ししたいのなら、過去にモテていた奴に報告すればいいのに、どうして俺みたいなクラスヒエラルキー的には格下である人間に言ってくるのか分からない。本気で仕返したいのなら、相手が違う。誰にも相手にされないから、子ども相手にむきになってしまうような大人みたいな悲しさを覚える。

 そもそも、モテることが凄いって思っていること自体がおかしい。

 モテて当たり前なのだ。リア充すごいですアピールの無駄さは、年齢を重ねるごとに骨身に染みていく。何故なら、当たり前だからだ。彼女ができたり、結婚したり、子どもができたりって、そんなの当たり前だ。誰もがやっていることで、誰かがやってこなかったら、俺達は今、ここにいないのだ。それなのに、リア充になりました、どやあと言われても、俺今日、二本足で立てましたと言われているのと同じだ。そんなもので褒める奴なんてラノベ主人公の太鼓持ちぐらいなものだ。あの、逆に馬鹿にしてます感を読んでいて誰も不快に思わないのだろうか。

 とか、こんなことを言ったらラノベ読者に失礼か。いや、それよりも前に、当たり前のことを当たり前だと断じてしまうこと自体、人類に失礼なのかもしれない。

 いやいや。分かっているよ。彼女ができたり、嫁ができたり、子どもができるって大変だってことぐらい。尊いってことぐらい。でも、今生きているっていうだけで幸せなんだぜ! とか、とてもくだらないことを言ってしまったら、誰もが顔を顰めるだろう。

 この平和ボケした日本でそんなありふれた言葉を言っても、陳腐に感じるだけだろう。だからこそ、俺は当然なことは当然で、普段はそこまで価値なきものであって欲しい。

 むしろ、日常は尊いものだから、その価値を常に心に留めておくべき、とか宣うような人間は、逆にクソだと思っている。不謹慎厨のような面倒くささがある。だって、日常の良さが分からない人間は幸福な人間であるに違いない。それをわざわざ批判するってことは、幸福な人間の不幸を望んでいるに他ならないのだから。そんな人間の狭い心はきっと、どうしようもなく不幸だ。まっ、そんなことをぐちぐち考えてしまう。誰かを不幸だと断言してしまう俺が、きっと一番不幸なのは間違いない。


「あっ、ごめーん。待ったあ?」


 舌ったらずの声に、雷でもうたれたような衝撃を受ける。喧噪が全て打ち消されて、誰の声も聴こえなくなる。声がずっとリフレインする。な、なんだ、嘘だろ? 全てをなかったことにしたい。どうして、こんなところにいるのか。声のセリフリからして、たまたま偶然、悪夢のような悪運からしてここにいるわけではない。会いたくもない人間に、どうしてこんなところで会ってしまうのか。神様という奴がこの世にいるのなら、呪い殺してやりたいところだ。

 だけど、だけど、だけど。

 今の言葉の表現。きっと、間違いない。一瞬で分かってしまった。誰かが呼んだんだ。ここに。全ての事情を知っているにもかかわらず、こんなところに呼び出したんだ。俺がいるのに、俺がここにいるのに、いや、俺がいるからこそ、か。もしかしたら俺がここに来なかったら、紅一点を呼び出すこともなかったのかもしれない。

 俺を効果的に、今、一番傷つけるためには、彼女が必要だからな。俺、ほんとうにこいつらに何か悪いことをしたのだろうか。だったら謝る。ドケザする。なんでもする。だから、ここから逃げさせてほしい。追い返せとは言わない。全員、いますぐ飲み会解散ともいえない。だから、俺をここから逃げ出して欲しい。

「遅いよ、花帆」

「ごめん、ごめん。――あれ、いたんだ? 佐藤」

「……ああ」

 絶対に嘘だ。俺がここにるって分かってなきゃ、そんな顔できない。絶望した俺の顔を見て、ほくそ笑んだりはできない。楽しいだろうな。俺のことがずっと嫌いだったんだから、俺のこんな顔を見て、嬉しんだろうな。俺は知っている。陰でどれだけ悪口を言われていたか。どれだけ嗤われていたか。知ってしまっている。

 でも、だからと言ってここで悪態をつくことなんてできない。周りには人がいる。別に、プライドとか世間体とか、男の格とか、そんなものを持ち出すわけではない。周りに人がいなくとも、俺は何もできなかったはずだ。それなのに、抑止力として友達を配置して、俺を追いこむようにしているのが、ほんとうに、ガチで、本気で、性格が悪いとしか思えない。こんなにもクズな人間が存在しているかと思うと、吐き気がする。酔っていないはずなのに、ぐわんぐわんと視界が揺らぐ。

 たった一人を相手に、人数を集めて集団で袋叩き。まるで正義のヒーローのようだ。きっと、彼らも自分たちのことを正義のヒーローのように正しいと思っているのだろう。じゃなければ、こんなことはできない。悪人ほど、自分が正しいと思いこむものだ。

 彼女には、よく、私の言葉に共感してよ! とか、思いやりを持って! とよく言われたものだ。でも、それは、本当に正しい言葉なのか?

 共感というよりは、強制だ。私の言葉に従えと言っているようなものだ。どっちの服がいい? と二つの服を持って訊かれて、どっちを答えてもだめ。本当の答えは、どっちがいいってそっちは思う? と一回訊いてから、あっちの意見に従うみたいな、そういうこと。

 相談されたことに答えてはいけない。答えを出すんじゃなくて、悩みを共有すること。辛いよね、頑張っているよね、とか、ものっくそ浅いところで言い合うことこそが大切なんだよ! って彼女に言われたことがある。

 馬鹿なんじゃないかなって思った。

 そんなんじゃ、幼稚園児と何も変わらない。何一つ精神的に成長しないまま、身体だけ成長したようなものだ。全部分かっているならいい。自分の意見に肯定してもらいたいだけ。ストレス解消するだけ。私は悪いところもある。だけど、それでも誰かに認めてもらいたいんだ、と。

 でも、人間はそんな賢くはない。

 肯定してもらえれば、もたえるほどに、私は全部正しいと思い込んでしまう。私は悪くないものだと、どんなことも解釈を捻じ曲げてしまう。最後には記憶を捏造して、他人を糾弾する。集団とはそういうものだ。当たり障りがない会話ばかりしているから、他人の意見を取り入れることができなくなってしまう。平然と弱い者いじめができてしまう。

 今のこの状況みたいに。

「久しぶり、荒井」

 俺は震える声で、久しぶりに彼女の名前を呼んだ。朝でも、昼でも、夜でも、二十四時間いかなる時でも、俺は彼女の名前を呼んだ。何度呼んだことだろう。何度愛を呟いたことだろう。憶えていないし、思い出したくもなかった。今となっては、愛よりも憎の方がより深い。どうしようもなく、殺したいほど憎んでいた。

 荒井花帆、彼女は俺の元カノだった。

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