02✕満点の笑顔をする後輩
大学の構内。
階段状の大講義室の一番後ろで、分厚い教科書を立てている。
この教科書は、今、教壇に立っている禿のおっさんが作った教科書だ。お値段は五千円とかなりお高い。しかも、こういうのは大体古本屋さんに持って行っても買い取ってもらえない。
興味のない講義に、どうしてこんな金を払わないといけないのか。
どうせ毎年同じ講義をするので、後輩に売るぐらいしか金は戻ってこない。
周りではしている奴もいるようだが、生憎、他人と関わり合いの薄い俺にとっては縁遠い話だ。
ならば、何故そもそもこの講義を選んだのか。
そもそも、他の講義を選べばよかっただろう。
コミュ力ゼロで先輩からの助言がもえずとも、最初の講義の説明の段階で早々に見切りをつけて講義受講をキャンセルすればよかっただろう。
とか、もっともな意見を誰かからありがたく頂戴しそうだが、そうはいかない。
大学生というのは、ハリポタのように、講義を自分で選択できるものと勘違いしている奴がいる。
確かにそうだ。
だが、選択科目と、必須科目。
高校と一緒で、それがある。
もっとも、高校と違って、選択科目がほとんどだが、必須科目もあるのだ。
正直、必須科目でこの教科書の値段はぼりすぎだ。
しかも、自分の本を教科書につかうところが、大人の汚さを否応なく意識してしまう。
「色々とだりぃな……」
思わず、ぽつりと独りごちる。
周りには聴かれなかったようだ。
禿のおっさんは、教授ではなく准教授。
教授になるのが念願らしく、たまに講義を休んで自分の研究に勤しむ。
そのせいで、講義を度々前連絡なしに休み、自分の出世のためだけに他の生徒のことはないがしろにする。
それを繰り返すお蔭で、こうして、急遽五限目に講義を受けている。
早く家に帰って寝たいタイプなので、五限目に講義を入れることなどほとんどしないし、しかも三限目と四限目がガッツリ開いていたせいで、めちゃくちゃ暇だった。
サークルにでも入っていれば、暇つぶしできただろうが、だいぶ前に辞めてしまったし。
とりあえず、イヤホンで音楽を聴きながら、図書館でひっそりと読書をして時間を潰した。
そのせいで物凄く眠い。
すっとろく話すあの禿の独特の会話テンポのせいで、眠い。
興味ないし、そもそも自分のことしか考えていない准教授の話など、聴くに価しない。
だから、教科書を隠れ蓑にして、ライトノベルを立てる。
頭をからっぽにして読める、ちょい昔のラブコメハーレムもののラノベ。
タイトルは『俺はモテたくなんてないのに、ゲームヒロインが勝手によってきてモテモテハーレムで困っている件』だ。
文章は終始短文であり、下半分が真っ白でメモ帳代わりにつかえるような代物。
それを左手でめくりながら、右手には別の本。
小説ではなく、ビジネス本。
タイトルは『私が提案する接客業における50の決まり』だ。
内容的には、そこまで難しくない。
専門用語を知らないだけで難しく感じるが、ちゃんと解説してくれているし、箇条書きで書いてくれている部分もある。
堂々と机の腕開いていると、これが意外にばれない。
二冊の本を読み進めながら、板書されている講義の内容をノートに写していく。
マルチタスクは脳に負担がかかり、作業効率は著しく低下する。
結果的に、マツチタスクよりかは個別でやった方が、よりよい結果を導かせることができる。
……っていうのは、まあ、承知の上でやっている。
だって、講義中暇過ぎるのだ。
暇過ぎて、暇過ぎて、死にたくなってくる。
講義の内容にもよるが、この講義はおっさんの書いていることを書き写すだけの簡単なお仕事です。
だから、作業効率がある程度落ちようが、関係ない。
二冊の本を読みながらだったら、余裕で追いつける。
まあ、内容が簡単で、先の展開が読める現代ラブコメラノベじゃなく、設定厨歓喜なちょい昔のファンタジーラノベだったら、内容は全く頭に入ってこないだろう。
だからこそのこのチョイス。
それなりに楽しみながら、講義の時間を浪費できるってもんだ。
給食の三角食いをした時に学んだこと。
それは、嫌いな食べ物も、うまい食べ物と一緒に食べると食べられるということだ。
それと同じで、なんとか退屈すぎるけど、平和な日常を終わらせる。
「あー、今日はここまでとする。質問は? …………ないなら、これで終わりです。出席表は各自ここに持ってきてください」
あっ、やべ。
もう講義終わるところだ。
考え事していたら、いつの間にか終わってしまった。
板書しているやつは……大丈夫、写し終っている。
周りの奴らが席を立ち始める。
急いでラノベやら本をかばんに詰め込んで、出席の紙を教壇に置く。
と同時に気が抜けたチャイムが鳴り始める。
終了の合図だ。
なんだか高校のチャイムと音が違うような気がするんだよな。
最近は流石に慣れたが、入学当時はなんだこの腑抜けたチャイムの音はと思ったものだ。
「佐藤くぅーん。さっき何やってたのお?」
舌足らずな声を発揮するのは――誰?
やっばい。
俺の名前を呼ぶってことは、知り合いのはずだけど。
全く記憶にございません。
一体誰だよ。
人の顔とか名前とか記憶するのが苦手な俺だとしても、ここまで憶えていないっていうのはかなり珍しい。
「それ、私も気になってた。ね、しょーっち」
しょーっち、ってまたまた誰だよ。
俺の名前は、佐藤翔太だよ。
びっくりするわ、いきなりそんな呼ばれ方されたら。
女子二人に道を阻まれる。
長い机の間は狭くて、逃げられそうにない。
無理やり押しのけることや、ルート変更すればとんずらできるが、そうもいかないだろう。
「な、なにやってたって? なんのこと?」
「あれだよ、あれ。講義中に本読んでたやつ? しかも、二冊か、三冊同時に。あれすごくない? 本当に読んでるの?」
ちょっと小馬鹿にした感じで話しかけてくる。
手首には、首長族の人が首に着けていそうなブレスレット。
ここまで匂ってくる香水。
胸元の空いたワンピース。
なんというか、絶対話が合わないタイプだ。
何かの講義で一緒になった人だろうか。
「ああ、あれね。暇だったから読んでたよ、ふつーに」
「暇だったからとか。なにその理由。超ウケるんですけど」
「ぷはっ、ウケるウケる」
めちゃくちゃ笑っていらっしゃる二人は、まるで宇宙人。
どこが面白いのかが分からない。
箸が転がっても笑いそうな二人に、なんで俺は呼び止められているんだろうか。
こんな馬鹿にされるためだけに呼ばれたのかな。
みんなと同じ行動をとらないと、こうやって馬鹿にされるのが嫌だ。
日本人って、常に他人との同調行為を強制されるからな。
だからといって、外国に永住できるほどの言語能力はないし、なんだかなんだでアニメや漫画といった娯楽文化の発達した日本から離れたくないな、うん。
「佐藤くぅんってさー、確かバンドか何かやってたよねぇ?」
ズキンッと胸が痛む。
一瞬、呼吸が止まるが、平静を装って返答する。
「やってないよ」
「嘘、やってたって聴いたよー。ね?」
「うんうん、聴いたよ」
誰にだよ、とは言えなかった。
大体の見当はついている。
それにしても、バンドか。
随分、昔の話を引っ張り出してきたものだ。
「それでさ、ライブがあるんだけどぉ。それに参加してみない? 小さいところでさ。なんというか、バー的なぁクラブ的なところなんだけどぉ。そこで働いているのが私の兄貴でぇ、結構安くでライブできんの! 私が一声かければぁ。ねぇねぇ、どう?」
「どうって言われても……」
なるほどね。
ようやく俺なんかに声をかけてきた理由が分かった。
クラブでバンドが一組か、二組かキャンセルになったか、もしくはそのクラブが経営難なのか。
だから、ライブでもやって儲けようと思うけど、金がないので有名バンドは呼べない。
だが、人数を揃えないとライブとして成り立たない。
誰でもいいぐらいに切羽詰まっている。
だから、俺に白羽の矢が立ったわけだ。
前座ぐらいにはなるだろうと踏んで。
俺なら断りきれないだろうと。
甘いなあ。
俺の心の壁の分厚さは半端じゃないってことを教えてやらないと。
「いや、ホント無理だから。楽器とか全然触ってないし」
「嘘でしょ? 私知っているだから」
「なにを? ほんと、ごめん。無理だから、ごめんっ!!」
逃げる。
なんとかして走って逃げる。
だめだ。
かなり情報がリークしているようだ。
あの瞳の色は、絶対に俺が今でも音楽に未練があることを知っている。確信しているような色だった。
あのままじゃ押し切られていた。
「ちょ、ちょっとぉ」
背後から声をかけられるが、無視。
ああいうのは、話を聴き続けるのが一番ダメで、すぐにこちらからシャットダウンしないとだめだ。
こちらの話なんて全く聞こうとしていなかった。
とにかく、自分の意見を貫き通そうとしていた。
ああいう自己中心的な奴とは付き合うだけ時間の無駄だ。
「よっ」
「うおっ!」
いきなり、ポン、と軽く肩を叩かれた。
蛙みたいに飛び上がったあとに、後ろを恐る恐ると振りかえる。
また、奴らか、と思って強張っていた頬が、彼女を見た瞬間に緩んでしまう。
「なんだ、アリサか」
先ほどの女性達とは違って、顔見知り。
というか、この大学だと一番馬が合って、仲が良い後輩だ。
敢えて笑顔の点数をつけるなら、アリサは百点満点の笑顔をみせる。
「お久しぶりです、先輩」
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