第50話 母成峠の戦い

 それからひと月ほどして土方は怪我が回復し(1867年7月)、福良村の会津本陣へ出張する。旧幕軍の参謀である土方は旧幕府諸隊を統率し、斎藤が率いる新選組とは別行動をとっていた。会津軍とともに斎藤率いる新選組は白河城を攻略していたが、奪還することができず猪苗代湖岸の村に宿陣しているところへ、土方が合流した。

「山口、今までよくやってくれた。」

 土方は斎藤の肩を叩いて、これまでの隊長としての労をねぎらった。土方の姿を見て安心したのか、斎藤の表情も緩んでいる。白河城は新政府軍の手に落ちてしまったが、土方はまったく動じていない。隊士一人ひとりに積極的に言葉をかけていた。

「土方さんが回復したのも、あんたのおかげか。」

 斎藤が真純の横に来て言う。斎藤と会うのは、真純が江戸から追いかけてきて以来である。

「いえ・・・私は何も。療養中も土方さんは次の戦のことばかり考えていました。」

「そうだろうな。だが、あの人は変わった。」

「それを言うなら、斎藤さんもそうですよ。隊長がすっかり板についてますよ。」

「こんな役目はごめんだ。」

 斎藤が渋々隊長を引き受けた様子が目に浮かぶ。

「真純、これから新撰組はおそらく、二本松へ向かうだろう。そして、新政府軍と鳥羽伏見以上の戦になる。土方さんの怪我は回復したが、まだ戦場を駆け回るのは無理だ。あんたがついててやってくれ。」

「はい。・・・斎藤さんも生きて帰ってきてください。あの話、覚えてますか。極上のお酒を飲む約束。」

「そんな話もしたな。少しは金の余裕ができたか。」

「やっぱり・・・斎藤さんがおごってください。」

「生きて帰ってこれたらな。」

 そういい残して斎藤は去っていく。真純は斎藤も以前と変わった気がした。


 その後、二本松方面へ救援へ向かうため、斎藤率いる新選組は会津藩の命により猪苗代城下へ出陣。しかし二本松城が陥落し、いよいよ会津に迫り来る新政府軍を迎え撃つために、母成峠に布陣した。

 土方は母成峠の開戦を前に、猪苗代へ移った。

 会津軍・旧幕府軍に二本松藩や仙台藩の兵士や新選組を加えても総勢800、新政府軍は2200。激戦の末、会津軍・旧幕府軍は母成峠の戦いに敗れた。

 夕方、土方は猪苗代城で戦況を確認し、指示を出したり援軍要請する手紙を書いている。真純は敗走してくる兵士たちの怪我を手当てをした。中には手や足を失っている兵士や体に銃弾を打ち込まれ大量の血を流している兵士達もいて、言葉を失った。目を覆いたくなる惨状であったが傷口を消毒し、さらしを巻いた。

 負傷し疲れ果てた兵士達に食事を配りながら、真純は斎藤の姿を探した。

「斎・・・山口さんはどこにいるかわかりますか。」

 真純は新撰組の隊士たちに尋ねたが、皆首を横に振る。

「引き上げる途中、敵の攻撃を受けて―」

 隊士の一人は隊長の山口(斎藤)を助けられなかった不甲斐無さのせいか、言葉に詰まる。 真純は通りかかった島田魁に斎藤のことを尋ねた。

「私も探したのですが、ここには来ていません。」

「そうですか・・・。」

 真純は母成峠の方角を見上げる。

「島田さん、ちょっと見てきます。」

 真純が陣営を出て行こうとするのを島田があわててとめる。

「綾部君、日が暮れるのに探すのは無理だ!それに敵はこちらに向かってきている。無茶なことはするな。」

「だけど・・・もしかして怪我をして動けなかったら―」

 島田はそれでもだめだと首を振り、真純はあきらめた。勝手な行動は慎まなければならない。

 日が沈み篝火が焚かれ、炎をじっと見つめていると

「山口さん!」

 口々に隊士がその名を呼んだ。真純が土方のもとにかけつけると、斎藤が二人の会津藩士とともに立っていた。

「無事だったか。」

「遅くなりました。」

 斎藤は母成峠から退却する途中、敵兵のしつこい追撃に遭い、山中をさまよい、断崖絶壁にしがみつき、敵に狙われ続けながら死線をくぐり抜けたのだった。斎藤は途中会津藩士と遭遇し猪苗代城下にたどりつくことができた。3人とも額や頬に血の跡があり、服も斬られて血がしみ込んでいる。

「真純、あいつらの手当てを頼む。」

 土方に呼ばれ、真純はさらしを取りに行く。

「あいつは、この暗がりの中、お前を探しにいこうとしていた。」

 土方は真純の方に目を向け、斎藤の肩を叩いて去っていく。入れ替わるように真純が戻ってくると斎藤は、

「二人を先に診てやってくれ。」

 と言い残して、陣営の奥に消えて行った。


 真純が会津藩士の手当てを終え斎藤を探すと、斎藤は木の根元に座り込み、夜空を見ていた。斎藤の黒の軍服は所々破れ、どす黒い血を含んでいた。

「斎藤さん…無事で、よかった…」

 腕にさらしをまく真純の手が止まる。

「俺が死ぬと思ったか。」

「…。」

「いつ死んでもいいと思っているのに、なかなか死ねないものだな。」

「私たちがどれだけ心配したか、ぜんぜん分かってないですよ、斎藤さんは。」 

 真純は傷の箇所をさらしでわざときつく結ぶ。

「…少しは、分かっているつもりだ。」

 斎藤は一点を見つめて、つぶやいた。

 その晩、土方の部隊は猪苗代を発ち、戸ノ口原に向かった。


 次の日、会津藩の大本営となっている「滝沢本陣」で土方の部隊は、会津藩主松平容保と前桑名藩藩主・松平定敬の兄弟と合流した。容保は会津城下に攻め入る新政府軍を戸ノ口原(猪苗代湖北西部、滝沢本陣より東)でくい止めようと白虎隊に出陣を命じた。しかし、新政府軍は、猪苗代、戸ノ口を突破していく。(白虎隊隊士は飯盛山で自刃。)

 土方の部隊と会津藩士は、松平容保とともに滝沢峠に出陣するも、新政府軍に滝沢本陣まで攻めこまれたが、会津藩士をはじめ土方の部隊がなんとか守り抜いた。

 土方は、容保らと今後について協議している。真純は負傷した兵士の手当てをした。協議を終え、負傷した兵士達を労う土方。真純は兵士達に食事を配る。

「土方さんもどうぞ。」

「俺はいいから皆にたくさん食べさせてやってくれ。」

「はい…。」

「明日、斎藤たちがいる天寧寺に行く。そこに近藤さんの墓を立てるから、お前も来い。」

 次の日の早朝。真純は兵士達の朝食を作り終えて、土方とともに天寧寺へ向かう。

「真純、朝餉は済ませてきたか。」

「え…あぁ…私は結構です。ちょっと痩せなきゃいけないんで…。」

「なぜ痩せねばらなん?お前が倒れたら困るのはこっちだ、ちゃんと食べろ。」

 土方は笹にくるんである握り飯を真純に渡す。

「土方さんこそ、昨日から何も召し上がっていないじゃありませんか。鬼隊長が倒れたら、それこそ面倒見れる人なんていませんよ。」

 と言って笹に包んだ握り飯を土方に差し出す。

「同じことを考えてたか。」

 お互い持っているものを交換し、土方は笹の包みにあった梅干を真純に渡す。

「梅干は、体力を回復させる効果があるので、土方さんがどうぞ。」

「…わかったよ。」

 二人は道端の木陰に腰を下ろす。土方は性格に合わず、上品に握り飯を口にする。土方の真横で食べるなんて、初めてだ。緊張してないわけじゃないが、土方のそばにいると安心する。だから、旧幕軍の兵士や新撰組隊士は土方についていこうとするのだろう。真純が水筒の水を入れ差し出すが、土方は食事よりも考え事に夢中だった。

 天寧寺に着くと斎藤や島田、顔なじみの隊士が土方を出迎えた。彼らは天寧寺の裏山を登って行き、会津の町を一望できる山腹に近藤の墓石を積んだ。土方が近藤の遺髪を埋葬し、松平容保から与えられた法号(戒名)を読み上げた。

「貫天院殿 純義 誠忠 大居士」

 法号には新撰組らしい「誠」の文字があった。新撰組の隊士は墓に手を合わせた。

(近藤さん、まだまだ新撰組の戦いは続きますよ。どうか見守っていてください。)

 隊士たちが山を下りていっても、土方は墓石の前に立っていた。


 天寧寺に戻ってきた土方は、斎藤を呼び出し二人だけで話をした。

「俺は庄内に援軍要請に行って来る。戻ってくるまで引き続き、新撰組の指揮を頼む。」

「途中の米沢藩は、新政府に恭順する姿勢を見せており、庄内までたどりつけるかどうか。」

 庄内藩へ行くには米沢を通るしかない。

「行って見なけりゃわからないが、無理なら仙台に向かう。そこで援軍を集めて会津に戦う。」

 斎藤は黙っている。土方はすぐに戻ってくるような口ぶりだが、米沢も仙台もそんな簡単に行って来れる距離ではない。援軍が来るまで会津藩が持ちこたえる保証もない。

「・・・一人で行くんですか。」

「あぁ、その方が身動きが取れる。」

「本当に戻ってくるつもりですか。」

「どういう意味だ。」

「あなたは、死に場所を探しているのではないかと。」

 土方は虚を突かれ言葉を失う。

「お前だってそうだろう・・・。」

 二人の間に沈黙が走る。確かに、斎藤は剣に倒れるなら本望だと思っていたが、母成峠の戦いでは必死に追撃から逃れ、体は生き延びることを選んでいた。土方もそういう覚悟でこれまで戦ってきただろうが、新選組を動かすことを楽しんでいる風情もあった。しかし近藤が死んでからは、魂が抜けてしまったような瞬間がある。潔く死を受け入れた近藤も立派だったが、土方にはまだまだ生きることに貪欲であってほしい。

「新撰組を預かってくれた会津より先に俺が落ちる訳ねぇだろう。お前はいつの間に人の腹を読むようになったんだ。」

 土方は笑みを浮かべて答えた。


 真純は迷っていた。すぐに答えを出さねばならないのに。土方に、庄内まで同行するか会津に斎藤率いる新選組と留まっているか決めるように言われたのだ。土方が援軍を呼ぶまでの短い間だというのに、人生の選択を迫られているような感じがするのだ。

(この先・・・土方さんは会津に戻らず箱館まで行くのかもしれない。会津に戻ってこれないことも想定しているんだ。でも、そしたら会津に残った斎藤さんたちはどうなるの?土方さんの最期はドラマで見たとおりの記憶ならあるけど、斎藤さんのことは何も知らない。斎藤さんはどうなるんだろう・・・)

「真純、庄内でも会津でもない道もある。」

「土方さん、私は・・・土方さんと一緒に行きます。いえ、行かせてください。」

「本当に、いいのか。」

「はい、私は土方さんの小姓ですから。」

 真純は、土方の最期の映像が脳裏に焼きついている以上、土方から離れるわけには行かなかった。

 出発前に斎藤に挨拶に行った。

「これから米沢に向かいます。すぐにまた斎藤さんたちと合流できると思いますが、行ってきます。」

「あぁ、土方さんを頼む。女のあんたでもいないよりはましだ。あの人は心のどこかでいつも近藤さんの死を悔やみ、自分を責め、何もかも一人で抱え込んでいる。そんな土方さんを受け止めてやれるのは、あんたしかいない。」

 斎藤がそこまで土方のことを気にかけているとは思わなかった。

「斎藤さん、何があっても生き延びてください。」

「あぁ。」

 真純は斎藤の背中に飛び込んで生きたい衝動を抑えた。 

 それからすぐ、土方と真純は庄内へ向かった。途中、大塩(※喜多方より東。北塩原近く)に立ち寄り、大鳥圭介に新撰組を預けた。大鳥圭介は、軍学・西洋兵学を学び、幕府陸軍の訓練等を担当し、歩兵奉行にもなった人物である。その大鳥は江戸開城の日、伝習隊(江戸幕府陸軍の精鋭部隊)を率いて江戸を脱走し、ともに戦ってきた人物である。その大鳥も母成峠の戦いで伝習隊を率いていたが、敵の攻撃から逃れて旧幕軍のいる大塩にたどり着いていた。

 早くも新政府軍は若松城城下へ進軍し、松平容保は城下が炎上する最中、なんとか若松城へ入った。斎藤の部隊は、新政府軍の攻撃が激しく城に入れず塩川村(※塩川村は、会津若松から北上7~8キロ)へと転陣し、旧幕軍と合流した。

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