第46話 永の別れ

 夜遅く、松本の住まいに到着した真純は、戸を叩く前に考え込む。

(ここには沖田がさんがいる。もし沖田さんが近藤さんのことを知ったら…命をなげうってでも助けに行くに決まってる。)

「綾部君じゃないか!よく無事だったなぁ・・・」

 幸い中からはすぐに松本が出てきて、優しい顔で迎えてくれた。

「土方君も数刻前、流山から戻ってきて江戸に潜入している。」

 1日会わなかっただけで、土方の名前が懐かしい。

「土方君は勝安房守と会って、近藤さんの助命嘆願を申し出ると言っていた。君のことも心配していたよ。もし戻ってきたら、ここに留まるようにとのこだ。君も新撰組の一員とみなされ、捕縛されるかわからん立場だ。くれぐれも行動には気をつけるように。」

「はい…。松本先生、沖田さんは…。」

「沖田君は私の知り合いがいる千駄ヶ谷に移ったよ。」

 沖田と顔を合わせなくて済んだのは正直ありがたかった。真純一人が戻ってきたことを知れば、沖田はきっと勘ぐるはずだ。

 真純はひとまず部屋を借り、布団を敷いて横になる。

(近藤さんは今、どこにいて、どんな気持ちでいるんだろう。新撰組の屯所に留まることを許可してくれた近藤さん。傲慢だと言われた時もあったけど、いつも明るく優しい言葉をかけてくれた。その恩に報いたい。)

 次の日から毎日、真純は女装し、板橋の総督府へ向かう。真純は総督府の周辺にいる住民に平尾宿にある脇本陣、豊田市右衛門邸に罪人が幽閉されていると聞き、その門前に立つ。いきなり門の中から新政府軍の兵士が数人出てきた。真純は一瞬その一人と目が合い、はっとする。

(あの人は…油小路の時の…加納さんだ。)

 油小路で斬り合いになったとき、名前は知らなかったが斎藤が彼のことを加納と呼んでいた。近藤さんを襲撃した人物の中にもこの加納の名前も挙がっていた。加納も立ち止まって不審な表情をするが、仲間に呼ばれ行ってしまった。

(近藤さんは大久保大和という名前で出頭したはず。もし、新撰組の局長、近藤勇ということがばれたら、近藤さんは…)

 真純は邸に入ろうとする年配の兵士に声をかける。兵士というよりは侍の風情が漂っている男だった。

「あ、あの…すみません」

「何か用か。」

「こちらに…大…久保…さんという方がいるんじゃないかと…。」

「あんた、何者だ。」

「綾部真純といいます。以前、大久保さんに助けていただいたことがある者です。」

 その男は、上から下まで真純を見る。

「近藤さんの知り合いか…。」

 近藤さんの正体は、ばれていたのだ…。その年配の侍兵士は、考え込んでいる。

「明日、滝野川にある石山亀吉方に来なさい。そこでなら…近藤さんと話せる。一人で来い。誰にもいうな。」

「はい、ありがとうございます。」

 次の日、真純は早朝に滝野川に向かう。近くの住人に石山亀吉方の場所を聞いて、真純はその邸の門をくぐった。石山亀吉本人と思われる人物が一度中に入り、戻ってきて通してくれた。案内された部屋に、昨日会った侍と、縄で縛られ髭が伸びている近藤がいた。

「綾部くん!」

「近藤さん!!」

 真純は付き添いの兵士に一礼して、近藤の前に座る。

「横倉殿、彼女に会わせてくれたこと、礼を申す。」

 近藤は、膝をついて礼をのべた。

「いや、礼には及ばん。俺は外の空気を吸ってる。」

 といって、横倉という男は席をはずす。

「綾部くん、よくここまで来てくれた。危険な目にさらされたことだろう・・・。」

「近藤さん…何とか逃げられませんか。」

「…いや、俺は横倉殿を裏切るわけには行かない。あの方が介錯してくれるなら俺は悔いはない。」

 横倉喜三次というのは、美濃の旗本、岡田氏の家臣で、彼も近藤と同様剣術指南の経験があり、近藤を気遣ってくれたという。こうして近藤と会う機会を作ってくれた横倉がいかに懐の深い人物であるかは、真純にもよくわかった。しかし、介錯ということは近藤は死を免れないということになる。

「どうして…。近藤さんは何も悪くないのに。」

「俺は、徳川慶喜公が恭順の姿勢でいるのに、今ここで逃げるわけにはいかんのだ。」

「新撰組は会津に向かいました。土方さんは、伝習隊と合流したそうです。近藤さんも―」

 伝習隊とは、江戸城無血開城を許せず勝海舟に反発している旧江戸幕府軍であった。約3000の伝習隊を率いるのは大鳥圭介で、土方はその参謀になっていた。

「あいつは…それでいい。だが、俺はここですべてを受け入れる。綾部君、歳に会うことがあったら伝えてくれ。農家の三男坊に生まれたこの俺が、新撰組の局長になり、旗本にまでなれた。同じ夢を追いかけてきたのが、歳でよかったと。ただ、歳には俺の尻拭いばかりさせちまったがな。」

 真純は首を振る。

「土方さんだって、近藤さんだったから力を存分に発揮できたのだと思います。近藤さんがいなくなったら、土方さんがどんなに悲しむか…。沖田さんだって―」

 近藤の目にも涙が浮かんでいた。

「総司か…。綾部君、総司のことをよろしく頼む。総司には…わしのことを…知らせないでやってくれ。」

 真純はとめどなく涙がこぼれ、何度も鼻をすする。沖田のことを思うとやりきれない。

「俺のために泣いてくれるのか…綾部くん。前に歳に聞いたことがある。なぜ縁談を破談にしたのかと。歳は、君のことを『空から降ってきた女子をやすやすと手放すわけにはいかない』と言っていた。今はその意味が分かった気がする。君はいつも時勢を達観していた。戦にも果敢に挑み、とても普通の女子とは思えん。我々とは違う何かを持っていた。君は何者なんだね。」

 真純は言葉に詰まる。今の近藤に、本当のことを話してもいいと思った。

「私は、150年後の日本から来ました。池田屋のことは知っていました。」

「何だと?まさか、だから、あの時…。」

 真純はうなずく。普通なら冗談にしか思えない話を、今の近藤は受け入れられた。

「これからの日本がどうなっていくかも、だいたい知っています。」

「そうか…。150年後、日本はどうなっているのかね。」

「みんなが笑って、自由に生きられて、平和です。近藤さんの無念を悲しみ、新撰組は歴史に名を残しています。強くあることへの誇り、主君や仲間達への忠義、新撰組が掲げている『誠』に、150年後の私たちは惹きつけられています。」

「そうか…。綾部くん、私はこの人生を歩んでよかったと心から思える。…そうかぁ…みんなが笑ってすごせる時代が来るのだなぁ。」

 近藤はしみじと、天井を仰いでた。

 横倉が戻ってきて、近藤に合図する。

 真純は近藤との別れが名残惜しく、ゆっくりと石山亀吉邸の玄関を出ようとすると横倉喜三次から紙の包み物を渡される。

「あの人の髪だ。俺にはこれくらいしかしてやれないがな。」

 真純は涙ぐみながら横倉に頭を下げた。近藤が横倉を心から尊敬し信頼しているのが分かった気がした。


 とうとうその日が来た。真純は、一睡も出来ず朝を迎える。土方の必死の説得で、勝安房守は助命嘆願書を書き、土方は隊士の相馬主計にその書簡を板橋の総督府に持って行かせたが、書状は没収され相馬自身も捕らえられてしまったのだった。土佐藩の谷干城が、龍馬暗殺の仇討ちのために、近藤を斬首刑に処してしまったのた。

 板橋の刑場には新政府軍の藩士と見物人が詰め掛けている。真純は、重い足取りで板橋に向かう。近藤の最期など見たくない、信じたくない思いもある一方で、新撰組の一員として見届けるべきだとも思っていた。見物人の間から、ござの上に座らされている近藤と隣にいる横倉の姿が見える。ござの前には、首が落とされる穴が掘られてあった。

  近藤は遠くから見ても落ち着いていて、何か横倉と話しているがこちらには何も聞こえない。

(こんなの、絶対間違ってる!)

 真純は人を掻き分け、前方に突進しようとした時、何者かが真純の肩を強くつかんだ。後ろ振り返った瞬間、刀が振り下ろされ首が落ちる。観衆が一瞬静まり返った。

 「振り向くな、真純。」

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