第43話 隅田川
真純は斎藤とともに医学所を後にした。沖田が二人を寂しそうに見送った顔が目に焼きついている。
「総司はあんたといると、病気であることを忘れると言っていた。それが何よりの薬かもしれんな。」
「そうだといいんですけど…。斎藤さんも大丈夫ですか。鳥羽伏見で怪我をされていたんですね。気がつかなくてすみません。」
「あんたが謝ることじゃない。それに、俺の傷などたいしたことはない。」
「斎藤さんも笑えば傷の治りが早くなりますよ。」
「怪我には関係ないだろう。それに、俺も笑うことくらいある。」
(斎藤さんが笑ったら、どんな顔するんだろう)
真純が隣を歩く斎藤の横顔をのぞき見ると、斎藤もこちらを見た。
「どうした。」
「いえ、何でもないです。…まだまだ寒いですね」
やや強い風が吹きつけ、斎藤の束ねている髪をゆらし、後れ毛がなびいている。真純は思わず見とれてしまう。
「そうだな。今日は特に風が冷たい。」
「この前、江戸に来た時から3年たつんですね。」
当時と今では状況も新撰組の顔ぶれもあまりにも変わってしまった。まさか江戸に敗走することになるとは思っても見なかった。
「あんたがよければ、久しぶりに見て回るか。」
「はい!」
斎藤と真純は、神田川沿いを歩く。現代ではビルの谷間や高架下を流れるイメージの神田川だが、今横を流れる神田川は川幅が広く、川岸の砂利を歩くこともできる。斎藤は周囲の景色には無関心でひたすら前を向いて歩いている。
「あんたも江戸の人間なのに、それほど珍しいか。」
真純は絶えずあたりを見まわす。
「えぇ、それはもう!!。」
「そうか。」
斎藤は、物珍しく辺りを見ている真純の様子が不思議だった。
(斎藤さんは何を考えているんだろう…)
斜め後ろから斎藤の顔をちらっとみるが、何も読み取れない。
しばらく行くと隅田川の河口に出た。
「隅田川ってこんなに大きかったんですね!!」
真純は広々とした景色に大声を発する。
「昔…よくここに来ていた。」
斎藤は澄んだ空を見上げる。
「鍛錬のためにですか?」
「いや、ここで空を見ていると落ち着いたからだ。」
斎藤は無言で歩き出す。真純は初めて斎藤の心に触れた気がした。斎藤は実はロマンチストで、無口と言われながら実は弁舌を振るうのが好きなのかもしれない。首を真上に向けると、150年後の頃より空が近い気がした。
やがて、幕府が鍛冶橋門内の若年寄の屋敷を新撰組の屯所に用意し、隊士達は釜屋から移る事になった。負傷した隊士達も新しい屯所に戻ってきた。やがて新撰組は、江戸に進軍する新政府軍をくい止めるため、「甲陽鎮撫隊」と名を改め、甲府への出陣に備える。土方や幹部達は、屯所の一室で髪を短くし洋装の軍服に身を包んでいた。
真純は洋装姿の隊士達を見かけて、土方に会いに行く。髪結いが、切り落とした土方の髪を集めているのを見かける。
(土方さんの髪の毛…現代に持って帰ったら国宝だろうな。)
「真純、何か用か。」
「土方さん、髪を短くしても、素敵ですね。」
「姿格好で勝負するわけじゃない。」
といいつつ、まんざらでもないようだ。
「じゃぁ、私も洋装にしていいですか。」
真純は、この時代に来てからずっと袴で通してきた。でも、当時来ていたシャツにジーンズの方が遥かに動きやすい。
「いや、あれは駄目だ、目立ちすぎる。それと、お前は江戸で待機だ。総司と松本先生の所にいろ。」
「土方さん…その、沖田さんのことなんですが。」
「総司がどうかしたか。」
真純は言葉に詰まる。
「…今度の戦に沖田さんを―」
「それは無理だ。あいつはまだ充分に回復していない。」
「でも、沖田さんはこのまま…。」
真純は自分が知っている沖田の行く末を言葉にするのが怖かった。
「お前は、総司がどうなるか知っているのか。」
真純は黙っている。
「沖田さんを連れて行ってください。沖田さんのために。」
土方は何も言わずに部屋を出て行った。
次の日、土方と近藤と真純は医学所にいる沖田を訪ねた。
「あれ、みんなそろってどうしたんですか。」
「総司…。」
近藤は沖田の姿を見ると感極まって、沖田の肩を抱く。
「ちゃんと飯は食ってるか。」
「最近はあまり…。」
「それではお前は出陣できんぞ。」
「え?」
沖田は近藤の顔を見る。
「お前も甲陽鎮撫隊の一員として出陣するんだ。途中、多摩にも立ち寄って、お前の元気な姿を見せてやれ。」
「そのために、しっかり飯を食って体力をつけておけよ、総司。」
土方が言う。
「わかってますよ。」
沖田の明るい表情に、真純は思わず目が潤んだ。
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