第40話 それぞれの思い

真純が外に出ると、奉行所の庭で永倉と原田が座り込んで火に当たっていた。

「総司に付き添って来た早々、近藤さんの手当てもして大変だったろう。」

 原田が真純に声をかけるか覇気がなかった。新選組の大将が狙撃されたことは、隊士達には衝撃であった。

 京の町を離れる前、永倉も原田も家族と決別してきたのだ。永倉には半年ほど前、島原の芸妓・小常との間に女児が生まれたが、小常はその後亡くなった。永倉は乳母が連れてきた女児と対面するが、自分が育ててやることは出来ないと、金50両を渡した。

 原田もまさと結婚し、男児が生まれていた。しかし原田が京を離れる時に、まさには二人目の子がお腹にいた。永倉も原田も後ろ髪を引かれる思いで伏見にやって来たに違いない。燃え盛る焚き火を、永倉と原田は無言で見つめていた。

 次の日の早朝、真純は近藤の様子が安定しているのを確かめて、外に出ると霜が降りていた。

寒さに思わず身震いする。中庭に人の気配がし、行ってみると斎藤が居合いの構えをしていた。こんなに寒い時でも、凛々しく刀を振るう斎藤の姿が美しい。

「斎藤さん、おはようございます。」

「あんたか…。近藤さん、総司とともに大坂に行くそうだな。」

「…はい。」

 真純は、主戦場になるかもしれない伏見を離れて大坂に向かうのに気が引けた。大坂に行くのは、真純を安全な場所に避難させようとする土方の措置だと思ったのだ。

「斎藤さんは、死ぬのは怖くないんですか。」

「死を恐れたことはない。戦場で命果てるなら本望だ。」

「斬られた時の痛みはつらくないんですか。それに、斎藤さんが亡くなったら、ご家族や新選組の人達…私も悲しいです。」

「痛みはいつかは消える。悲しみも時とともに癒えていく。俺は残された人間のことなど考えていない。」

 斎藤は刀を見つめ淡々と答える。

「もし、今まで飲んだお酒よりもっとおいしい、極上のお酒があると聞いたら、飲んでみたいって思いませんか。」

 斎藤は一瞬答えに詰まる。

「あんたは何がいいたい。」

「こんな時でも、斎藤さんはお酒に目がないことが分かって、安心しました。斎藤さん、これから戦が始まっても生きて帰ってきてください。そしたら、極上のお酒を一緒に飲みましょう。」

「あんたの懐に極上の酒を買う余裕などあるのか。」

「任せてください!」

「あんたは、生きることに貪欲だな。よほど育ちがいいんだな。」

 斎藤は再び刀を振る。これから起こる戦がどのようなものか、真純は知らない。ただ江戸幕府は消滅することだけはわかっている。となると、幕府側に付く新選組に勝ち目はない。だからといって、彼らに戦うのをやめさせることはできなかった。


 慶応3年(1867年)12月20日、近藤と沖田は駕籠に乗せられて、大坂の奉行屋敷に向かった。山崎と真純も同行したが、山崎は後に伏見に戻った。近藤と沖田は松本良順の治療を受け、真純は松本の手伝いをしながら、近藤と沖田の世話をしていた。

「綾部くん、すまんな。」

 真純は二人の食事を持ってきた。

「いいえ。近藤さんに早くよくなっていただかないと。皆さん、近藤さんが復帰されるのを待っていますよ。沖田さんは、近藤さんと一緒にいられてうれしそうですね。」

「え?君がいてくれるからさ。」

「ん?まさか総司、綾部くんとそういう間柄なのか…?」

 近藤は、沖田と真純の顔を交互に見る。

「そういう間柄じゃまずいですか、近藤さん。」

「いや、それはだなぁ―」

「近藤さん、違いますよ!」

「真純ちゃん、そんなに強く否定しなくたっていいじゃない。」

 こんな他愛のない話ができることを、とても愛おしく感じる。今、京で来るべきものを迎え撃っている新撰組のことを思うと、二人だって居ても立ってもいられないはずだ。

 もうすぐ新しい年を迎えようとしている今、一時休戦とかすべて白紙に戻すとか、できないのだろうかと真純は思う。 庭で洗濯をしている真純は、かじかむ手に息を吹きかけ、澄み渡る空を見上げる。同じ空の下、新撰組の人達は、戦闘に備えているだろう。

 松本良順が現れて、

「綾部くん…年明けには京で戦が起こるだろう。江戸で薩摩藩が庄内藩士を挑発し、戦は避けられないようだ。」

 新選組が負けていく戦に、自分は遠くで見守っているだけなんて、分かっていたことだが真純には耐えられなかった。せめて、負傷した隊士達の手助けぐらいはしたい。

「松本先生、私は伏見に戻ってはいけませんか。」

「何を言っとる。伏見に無事にたどり着ける保障などない。それに、君は女子だろう。もうそのような格好はやめて、女子として生きてはどうだね。その方が、よっぽど幸せに生きていけるはずだ。」

「それはできません。私も新撰組のはしくれです。無力なのは分かっていますが、それでも共に戦いたいんです。」

「絶対に駄目だ。近藤さんだって許可するはずがない。」

 松本は断固として認めない。

 その晩、真純は荷物を抱え、大坂の奉行所を抜け出そうと庭に出る。周りの様子を伺い、誰も居ないのを確かめて、門に向かおうとするが呼び止められてしまう。

「どこに行くの、真純ちゃん。脱走は切腹だよ。」

真純が振り向くと沖田が立っていた。

「沖田さん、どうして…。」

「どうしてはこっちが言いたいよ。まさか、伏見に行くつもりじゃないよね。」

「それは…。」

「今、新選組を率いているのは局長代理の土方さん。その土方さんの命令に背くつもり?」

「沖田さんと近藤さんのお世話も大事な任務ですが、伏見ではもっと人手が必要なはずです。」

「行く途中で、死ぬかもよ。」

「分かってます。それでも―」

「いいや、分かってないよ。恐らくこの戦は、近藤さんや土方さんも経験したことがない、決死の戦いになるだろう。君は、足手まといになるだろうし、自分を守ることすらできないよ。…それでも行くっていうなら、僕を斬ってから行くんだね。」

 沖田は抜刀し、刃先を真純に向ける。体の弱っている沖田から一本取れるとは思えない。しかし、売られた勝負は逃げたくない。

「本気で来ていいよ。万が一にも真純ちゃんに斬られるなら願ったりかなったりだよ。」

 真純も鬼神丸を抜く。沖田の目を見据えて、斬りかかる。しかし、あっけなく沖田の剣で止められ、力づくで跳ね返され峰打ちされてしまう。沖田は床に落ちている鬼神丸を拾って真純に渡す。

「新撰組の隊士として、真純ちゃんの気持ちは分からないでもない…。僕だって戦えるものなら―」

 沖田は横にいる真純を自分のほうへ抱き寄せる。

「でも、男としては、危険な所に君を行かせたくないよ。」

 沖田の心地いい体温が伝わってくる。沖田の優しさも。

 沖田は真純に触れる手に力をこめた。年の瀬の眩しい月が二人を照らしていた。

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