第37話 天満屋
それから3週間ほど過ぎた慶応3年(1867年)12月7日。新撰組は紀州藩より会津藩を通じて、紀州藩士・三浦休太郎の警護を依頼された。三浦休太郎は、坂本龍馬暗殺の黒幕と目され、海援隊(坂本龍馬を中心に結成)・陸援隊(土佐藩出身の中岡慎太郎を中心に結成)から狙われていたのだ。
※慶応3年4月、紀州藩の船「明光丸」と海援隊の船「いろは丸」が瀬戸内海備後鞆の津沖で衝突して、いろは丸が沈没するという事件が起きた。この一件で坂本龍馬は、巨額な賠償金を紀州藩に支払わせた。このことで、海援隊の陸奥宗光は、紀州藩士の三浦休太郎が龍馬に恨みを持ち、龍馬を暗殺したものだと考えていた。その復讐をするために、海援隊・陸援隊は三浦を襲撃する計画を立てた。
新撰組は六条油小路花屋町の天満屋にて、三浦の警護にあたることになり、土方と近藤は隊士を天満屋に送った(斎藤以外、出動隊士諸説あり)。斎藤はすでに三浦のもとにおり、他の隊士達6名が屯所から出向いていったが、一人の隊士が駆け込むように屯所に戻り、地面に伏して丸くなっている。
「どうしましたか、中条さん!」
通りかかった真純が声をかける。倒れていたのは中条常八郎という平隊士だ。
「腹が…痛い。」
中条の息は荒く、しばらくじっとして動かない。
「あんた…綾部くんか…すまんが、代わりに天満屋に行ってくれ。腹の痛みが治まり次第、駆けつける。」
真純は自分に警護の任務が務まるか不安だったが、この不動堂村の屯所から天満屋までは程近く、中条がすぐ戻ってくるならと引き受けた。中条は屯所の厠へ駆け込み、真純は天満屋へ走った。
真純が駆けつけると天満屋の中2階の部屋で、三浦と隊士たちが酒を飲んでいた。
「おぅ、あんたも新撰組か。まぁ、一杯どうだね。」
三浦は真純にも酒を勧めるが、丁重に断った。
「なにゆえ、あんたがここにいる。」
酒を飲んでも冷静な斎藤が尋ねる。
「中条さんが腹痛を起こし、変わりに来ました。回復されたらすぐこちらへ来るそうです。」
「わかった。だが、あんたがいても足手まといになるだけだ。」
「まぁまぁ、山口君、いいじゃないか。少しでも人数が多いほうが心強いぞ。」
三浦は顔を赤くしながら盃を口に運ぶ。皆、警護するのもされているのも忘れて話し込んでいる。この時、三浦を狙っているのが海援隊・陸援隊だと真純は知った。
ふと斎藤が立ち上がり、窓から外の様子をのぞき避難経路の確認をしていたが、当の三浦も隊士たちもお構いなしだ。酒が入ってもそれなりに動けるであろう新撰組とはたいしたものだと真純は思う。
「暑い。」
斎藤がおもむろに着物の下に着てい防具を脱いだので、真純は慌てて目をそらす。斎藤がやっとのことで脱いだ鎖のついた衣服を、真純は手にとって眺める。
「斎藤さん、これって何ですか。」
「鎖帷子だ。鋭利な刀による斬撃を防ぐことが出来る。」
「あの・・・私が着てみてもいいですか。」
「別にかまわん。むしろ、あんたが身に着けていたほうがいいかもしれん。」
真純が実際に小袖の上に鎖帷子を着てみると、思っていた以上に重く動きにくい。しかし、まだ斎藤の体温が残っている鎖帷子は、自分を強くしてれるような気がした。
真純が階下の台所から酒を持って部屋に戻ると、5,6人の侍が三浦の部屋の前に立っていた。中から三浦の声がし、侍たちが中へ押し入ると刀を抜く音や怒声が聞こえてきた。さらに階下から大勢の侍が踏み込んでくる音がしたので、真純は急いで隣の部屋に逃げ込んだ。
三浦の部屋では、斎藤たちが敵を引き付け三浦を窓から屋根伝いに外へ逃がした後、斬り合いが始まった。人数では新撰組とわずかな紀州藩士に比べ、圧倒的に敵の方が多い。真純が隣の部屋の窓から中庭を見ると新撰組と敵の隊士が刀を交えているが、新撰組が劣勢なのは明らかだった。真純は廊下に出ると、三浦の部屋で斎藤が3人の敵を相手にしているところへ不意をつかれ、背後から斬り付ける者がいた。
次の瞬間、
「斎藤さん!」
新撰組の梅戸勝之進という隊士がその男に飛び掛り、動きを止めた。今度は別の敵が、梅戸めがけて刀を振り上げたので、真純はずっと手に持っていた徳利を、その男めがけて投げつけた。
「熱い!貴様!!!」
熱燗を投げ込まれた男はよろけて、梅戸は難を逃れた。斎藤は窓から中庭へ飛び降り、敵がそれを追いかけた。海援隊の一人が不意に真純を肩から胸元まで斬りつけるが、鎖帷子が防いだ。突然、
「三浦を討ち取ったぞ!!」
との声が響き渡り、海援隊と陸援隊は刀を納め撤収していった。実はこの声は新撰組隊士のものだった。
真純は斬り付けられたショックでうずくまり、斬られた箇所を確かめるが傷ひとつ付いていなかった。
「綾部、大丈夫か。」
下の階から斎藤がかけつけた。
「はい…斎藤さんの鎖帷子のおかげです。」
真純はゆっくりと立ち上がった。
この一件で、新撰組は劣勢ながらも三浦を無事逃がすことができた。しかし、新撰組は死者2名を出し、他の隊士も深手を負った。後から援護にかけつけた原田や永倉たち隊士が、梅戸をはじめ負傷した隊士たちに肩を貸して、屯所に戻ってきた。
広間では医学の心得がある山崎が留守番の隊士に指示を出して、真純も傷の手当を手伝った。斎藤は落ち着いた表情で、土方と近藤に報告をしている。中条が、腹を押さえてかがみながら真純のところへ来て、天満屋に行けなかった事を詫びた。
「綾部、お前が勝手に出動するとはどういうことだ。」
そばにいた中条が
「すみません、拙者の痢病が原因で、綾部君に頼んでしまいました。」
というのと同時に真純も
「土方さんに相談するべきでした。申し訳ありません。」
と述べた。土方はため息をつく。
「お前が何でもなかったからよかったものの…。綾部、斎藤の様子を見てやってくれ。あいつも怪我をしているはずだ。」
周囲を見まわすといつの間にか斎藤の姿はなかった。真純は、布と焼酎を入れた徳利を持って斎藤の部屋に行く。斎藤の名前を呼ぶのを一瞬ためらが、思い切って声を出す。
「さ、斎藤さん、大丈夫ですか。」
「……あぁ。」
痛みをこらえているような声が聞こえてくる。
「斎藤さん?」
「こんなの…かすり傷だ…心配ない。」
今まで聞いたことのない、斎藤の辛そうな声に真純は障子戸に手を伸ばす。
「斎藤さん、失礼します。」
中に入ると、斎藤が横向きにぐったりと倒れている。黒い着物で一見目立たなかったが、部屋の明かりが血の含みを照らし出す。
「この程度…時間がたてば治る。」
「出血がひどすぎます。傷口を消毒させてください。」
「俺にかまうな。」
「駄目です。破傷風になるかもしれません。」
「なんだそれは。」
「説明は後です。」
真純は、ゆっくり斎藤を起き上がらせ、上半身の着物を脱ぐのを手伝う。斎藤の肩や腕、背中には無数の傷があった。それは斎藤がこれまでいかに人を斬ってきたかを物語っていた。真純が無数の傷を慈しむように優しく触れると、斎藤は目を閉じた。
「ちょっと我慢してください。」
傷口を焼酎で消毒する。傷口に触れても斎藤は動じない。
真純は斎藤が痛みをこらえているのかと思ったが、斎藤は真純の手の感触で痛みが引いていくのを感じた。
(こんな華奢な、線の細い体で、どうしてあんなに強く剣を振るえるのだろう。)
真純は、背後にまわり、背中の傷の深い箇所にさらしを巻く。
「斎藤さんが鎖帷子をつけていれば、怪我をしなくて済んだのに…申し訳ありませんでした。」
「あんたが斬られずに済んだのなら、それでいい。」
真純は思わず額を斎藤の背に預けたままうつむく。斎藤は自分の肩に触れる真純の手に自分の右手を重ねた。真純には、斎藤の手が優しく暖かく感じられた。
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