第33話 誘惑

幕臣に取り立てられて屯所が活気付いていたのも束の間、それに反対する10人の隊士が新撰組離隊を申し出て、ちょっとした騒ぎになっていた。彼らは幕臣取立てに反対し、離隊の嘆願書を会津藩に提出し、会津藩の公用方は彼らに近藤たちと話し合うよう命じた。近藤や土方は説得に動いたが10人は妥協せず、茨木司ら4人は切腹を図り、ほかの6人は追放となった。切腹した隊士たちの葬儀や西本願寺から不動堂村への屯所の移転で、近藤と土方は忙しくしていた。

 ある日遣いを兼ねて、真純は沖田率いる1番組の巡察に同行していた。巡察中の隊士は、先の一件で離隊し切腹した隊士の話題で持ちきりだった。しかし、沖田はそんなのおかまいなしといった表情で、歩いている。

「近藤さんも大変だなぁ。せっかく幕府直参(取立て)となったのに、こんな騒ぎがあって。」

 と、沖田がつぶやくと

「沖田くん、綾部くん。」

 背後から声をかけてきたのは、武田観柳斎だった。武田は昨年(慶応2年)、新撰組を離隊していた。離隊する前、長州詰問使に同行する近藤や伊東とともに広島方面へ出張していたのだが、この時から討幕思想に火がついのだった。

「やれやれ、会いたくない人に会っちゃったよ。武田さんは、まだ京にいたんだ。」

 武田は近藤に取り入って7番組の組長にもなったことがあり、沖田は武田のことを毛嫌いしていた。

「相変わらずだなぁ、沖田くんは。離隊はしたものの、ともに戦い、同じ釜の飯を食った仲間じゃないですか。」

「僕は、別の釜の飯を食べてたよ。」

 武田は、沖田の冗談に笑うが沖田は無視して行ってしまう。

「綾部君、元気そうですね。」

 武田は馴れ馴れしく真純にくっつくようにして歩く。武田には痛い目に遭っているので、真純は目を合わさない。

「そんなによそよそしくしなくたっていいじゃないですか。先日、伊東さんに会いに行ったら、藤堂くんや斎藤くんを見かけた。」

 真純は二人の名前を聞いて内心動揺するが、黙って歩く。

「そういえば、斎藤くんが君に話したいことがあると言っていた。」

「え?本当ですか。」

「あぁ。明日、暮れ六つ(夕方6時頃)五条橋に来てくれ。私がお膳立てしよう。」

「御陵衛士と新撰組の交流は禁止されています。」

「だから表立って会わないようにすればいい。では、明日。わかっているだろうけど、このことは内密に。」

 真純は武田と別れて、先に進む1番組のところへ駆けて行った。武田はずっと真純の後姿を見送っていた。

 武田は新撰組の軍事方であったが、新撰組でフランス式の調練が採用されるようになると、武田の甲州流軍学(戦争理論の1つ)は影を潜め、立場が弱くなった。武田は表面的には穏便に離隊となったが、新撰組が追い出したようなものだった。尊王思想を持ち、討幕運動に携わっている武田とかかわるのは危険ではあったが、真純は斎藤に会いたかった。それに、藤堂がどうしているかも気になった。


 次の日、真純はやるべきことを早めに片付け、夕方、屯所を抜け出す。豪華な不動堂村の屯所に移り住んだばかりで忙しくしている幹部や隊士たちは、真純の行動には気がつかなかった。真純は五条大橋に着くが斎藤の姿はなかった。

「鐘の音、聞き間違えたかなぁ。」

 この時代に時計はないので、鐘の音の打たれる数によって時刻が決まっていた。暗くなり人の顔も見づらくなってきたころ、聞き覚えのある声がした。

「遅くなったな。」

 その声は斎藤ではなく、武田だった。

「そんなに怖い顔しなくたっていいでしょう。斎藤くんとはこの先で待ち合わせしている。」

 武田は真純を促し鴨川沿いを歩く。

「あの、御陵衛士ってどんなことをするんですか。」

「暮れに亡くなった孝明天皇の陵(皇族の墓所)をお守りするのさ。天皇陵は泉涌寺にある。斎藤くんはちょうどそっちの方へ行っている。」

 泉涌寺と聞いて、真純は重厚な仏殿や舎利殿や御座所庭園、周辺にもたくさんある見所を思い出す。

「武田さんも御陵衛士になったのですか?」

「いや、僕も伊東さんと同じ思想を持っているが、高台寺党(御陵衛士の別称)には入れてくれなかった。近藤さんは僕を利用するだけして、使い物にならなくったらさっさと捨てた。私は、茨木くん達を切腹に追い込んだ新撰組を今は憎んでいる。でも…君は違う。伊東さんも、君を高台寺党に引き入れたかったらしいじゃないか。」

「拙者は新撰組で武士になると決めました。」

「そうか…。それなら、間者にならないか。」

 早歩きをしていた二人はいつしか十条の方まで来ていた。

「斎藤さんとの待ち合わせはこの辺りですか。」

 真純が尋ねると、武田は立ち止まり鴨川の水面に眼をやる。

「君が敬愛する斎藤くんは来ない。だが、彼の役に立ちたいなら、間者になってはどうだい。」

「武田さん、だましたんですね。」

 真純は、斎藤の名前を出されてノコノコついてきてしまった自分に腹が立った。今思えば、斎藤は武田を使って自分を呼び出したりなどしないはずだ。

「だが、斎藤くんもそれを望んでいる。…君だってわかっているんじゃないか。時勢は新撰組にないということを。」

「時勢に負けても、斎藤さんに役に立てなくても…間者になんてなりません。失礼します。」

 真純は武田に背を向けて歩いていくが、突然武田が後ろから抱きついて来た。

「それなら、僕の役に立ってくれないか。…綾部君は…女子なのか!!」

 真純は武田の腕を放そうとするが、武田は抱きしめた腕にいっそう力を入れる。

「君のことがなんとなく気になっていたのは、そのせいだったのか。君は他の隊士と何か違うと…ずっと思っていた。」

 真純は足で武田の弁慶の打ち所を蹴り付け、逃げようとするが武田に腕をつかまれ転んでしまう。それでもすぐ起き上がろうとするが、今度は武田に足をつかまれ体勢を崩す。武田は真純を無理やり仰向けにし、馬乗りする。鞘から刀を抜き、真純の首に刃を向ける。

「死にたくなければ大人しくしろ。」

 暗がりの中で刀が光る。武田は刀を持ち替え、真純の着物の胸元を切り裂く。真純は、手づかみした土を武田の顔に投げつけるが、武田はそれをよける。同時に手に力が入り、真純の鎖骨あたりを斬ってしまう。

「抵抗しても無駄だ。動くと刀が食い込むぞ。」

 刀を投げ捨て、武田が真純の腰紐をつかんだ時、武田の嗚咽が響き渡る。武田が背後を振り返ると顔面にもう一刀浴び、真純の上に倒れた。真純は何が起きたかよくわからず、しばらく動かずにいた。

「もう、そいつは息をしていない。」

 懐かしい声に真純は安心し、武田の体を押しやる。それを手伝い、起き上がれるよう手を差し出してくれたのは斎藤だった。

「なぜ武田とこんな所へ来た。」

 真純はこれまでのいきさつを述べた。

「愚かだな。」

「すみません。斎藤さんに会えるならと、つい。斎藤さんこそ、どうしてここが?」

「武田があんたと五条大橋にいたと、党のやつが言っていたのでな。だが、あんたの行動は軽率すぎる。もし誰も―」

 と言いかけたが斎藤は黙った。真純は恐怖と安堵と悲しみとが混ざって泣けた来た。足元には、武田の死体が転がっている。

「あんたが武士になるというなら金輪際泣くな。」

「はい…。」

 斎藤は真純を屯所の近くまで送った。御陵衛士の人間が、新撰組の屯所に近づくわけには行かなかった。

「斎藤さん、また…助けていただいて、ありがとうございました。」

 斎藤は無言で帰っていった。

 不動堂村の屯所の門が見えてくると、前に土方が立っていた。

「お前、どこに行っていた。門限は過ぎている。」

「すみません。」

 土方は、真純の身なりにはっとする。服に土がついた形跡があり、着物が破れ、襟元に血がついていた。

「何があった。」

 真純は下を向いて黙っている。事のあらましを言い出す勇気がなかった。

「心配させやがって。気分が落ち着いたら部屋に来い。」

 土方はため息をつきながら、先に中へ戻っていった。


「ばかやろう!!」

 夜中の屯所に怒声が響く。

「そんな大事なこと黙ってやがって。小姓だからって雑用やってりゃいいと思っているのか。お前のことは、新撰組の一員と思っているし、それなりに信用している。だから…お前も俺を信じろ。」

「土方さん…すみませんでした。」

 真純は手を付いて謝った。土方がそこまで自分を心配し、信用してくれていたとは思いもしなかった。真純が一礼して退室しようとすると、

「真純、もしや…いや、なんでもねぇ。」

 ――斎藤に会いたかったのか。

 土方はそう聞こうとしたが、思いとどまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る