第32話 女を忘れず

伊東派が屯所を去って数ヵ月後、新撰組は幕臣取立ての内示があり、近藤は「直参旗本」の身分を拝命した。一農民の子だった近藤が、立身出世した出来事であった。それを祝うために島原の角屋に酒の席が設けられ、隊士達は喜んで飲み食いしていた。ここに集まる幹部や一部の隊士の顔ぶれも以前と変わっていた。今回、近藤の幕臣への取立てを受けることによって、新撰組は完全な佐幕派となった。もともと尊皇攘夷集団であった新撰組の変貌に反対の者は、姿を現していない。

 宴会の席では、屯所の稽古場や戦場に居る時と、まったくの別の隊士達の顔がそこにあった。すでに酔っている者もいるし、皆明るく、笑い声が耐えない。

(藤堂さんと斎藤さんはどうしているかなぁ。)

 真純が一点を見つめ、ぼーっとしていると、明るい声が話しかける。

「綾部はん、お久しゅうございます。お酒、足りとりますか?」

 隅にちぢこまっている真純に君菊という芸妓がお酌しに来る。君菊は土方の馴染みの芸妓である。

「綾部はんは、お酒飲んでも全然顔色がかわりまへんなぁ。」

 部屋のあちこちでは、隊士達がどんちゃんさわぎで顔を赤くしている。

「昔からそうなんです。」

「綾部はんも、他の隊士はんみたいに、たまには羽目をはずしたらいいんどす。」

 菊が真純の盃に酒を足しながら耳元でささやく。

「綾部はん、ほんまは女子でっしゃろ?」

 真純は酒を飲もうとした手を止める。

「そうやないかって、ずっと思っていたんどす。そうや、綾部はん、羽目はずすには、女になったらええどす。今から女物の着物をお召しになりまへんか?」

「そ、そんな、無理ですよ!!女だということは、秘密なんです。」

「皆はん、お酒がまわってばれまへんって。うちがなんとかお助けいたします。ずっとそんな格好してはったら、女を忘れます。」

 君菊の最後の一言にはっとする。君菊がまた盃に酒を注いで、考えているうちに真純も気分がよくなってきて話に乗ってしまった。真純は最初、着物を着るだけと告げたが、君菊が無理やり宴会場に連れてきた。

「綾乃と申します。」

 と、真純は手をついて挨拶する。芸妓の着物をまとい、化粧をしてかもじ(添え髪)をつけて現れた真純は、君菊の指示に従い隊士たちに酌するが、顔を見られないよううつむいている。別段、気にしない者もいたし、絡んでくる者もいたが、君菊がとりなしてくれた。

「見かけない顔の人だね。」

 沖田が真純に声をかける。

「ここで働くのも悪くないんじゃない?」

「ど、どういうことですか?」

「その着物、なかなかよく似合ってるし。」

「あ、ありがとうございます。」

「君、京の言葉じゃないね。」

「え、あ、そ、そうでっしゃろか?」

 沖田はしてやったりとした顔をしている。突然、真純の耳元に顔を近づける。

「今から2人で消えようか?」

 真純はびっくりして、手に持っていた徳利を落としてしまう。

「す、すみません!!」

 酒が少しこぼれて、拭くものを探しに立ち上がろうとする真純の手を沖田が握る。

「これくらい大丈夫。」

 そこへ永倉と原田が割り込んでくる。

「めずらしく、芸妓と飲んでるのか、総司。」

「あんまりいじめるなよ。」

「もう、左之さんも新八さんも邪魔しないでくださいよ。」

「あれ?あんた、どこかで見たことあるような…」

 原田が真純をじろじろみる。

「いえ、ないと思います。」

 真純が顔をそむけ、即座に否定する。

「綾乃さんって、真純に似てないか?真純が女の格好したらこんな感じじゃないか?」

「え?そーなのか?」

 原田と永倉が真純に詰め寄る。

「綾部はんって、誰どす?」

 真純はわざとらしく聞き返し、沖田と原田と永倉に酒を注ぎだす。

 原田は男装の真純を探すが見当たらない。

「新撰組の女の隊士だよ。隊士にしておくのはもったいないくらい、きれいな人だよ。このことは一部の人間しか知らないんだけど。」

 沖田が意味深なことをいい、真純はうつむいている。

「おい総司、しゃべりすぎるなよ。」

 原田が酒を飲みながら言う。

「大丈夫、綾乃さんは口が堅いから、ね。」

 沖田が真純と目を合わせる。

「まぁ、真純が女だってことを、他の隊士が知ったら惚れるやつも出てくるだろうな。けど、土方さんはあいつを小姓にしたぐらいだから、やっぱり二人は男と女なんじゃねーの?」

 永倉は酔った勢いで本音をぶちまける。

「それはないですよ!」

 3人が真純の顔を見る。

「た、多分…。土方はんはそんなお人やありまへん。」

「へぇ、新入りの人かと思ったけど、土方さんのこと、よく知ってるんだね。」

「いえ、それは…その…うち、お酒を取りに行ってきます。」

 真純はそそくさと部屋を出て行く。

「まだ、酒は足りてるけどなぁ。」

 沖田が笑み浮かべてつぶやいた。

 外の空気に触れて、真純はほっとする。早く着替えようと廊下を歩いていくと、向こうで土方が中庭の方を見ながら考え事をしている。

(土方さんは、こんな時でも仕事のことで頭がいっぱいなのかぁ。)

 真純は一瞬立ち止まって土方の横顔を見ていると、目が合ってしまう。ドキッとしてそそくさと土方の横を通り過ぎるが、慣れない着物のせいで、転んでしまう。

「大丈夫か?お前…真純??」

 土方が真純のそばにきて、手を貸してくれる。その手が暖かい。土方に間近で見られて真純は目をそらすが、土方はいきなり笑い出す。

「あ!かつらが~!!」

足元に落ちているかつらを拾い、真純は裾をまくって逃げていく。

 土方は、自分が久しぶりに心から笑ったことに気づいた。

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