第29話 酒宴 其の一

三条制札事件で警備を命じられた新撰組は犯人を捕縛する活躍を見せていた。その水面下で伊東は、近藤達とは別行動をとり、陰で何か画策していた。しかし、伊東の勉強会はなかなかの盛況で、その中に藤堂だけでなく、いつしか永倉と斎藤の姿もあった。年の瀬も押し詰まった頃、真純は伊東に呼び止められる。

「綾部くん、正月に一席設けるからぜひあなたもどうぞ。一度、綾部くんとはじっくり話したいと思っていました。」

「お話なら屯所でうかがいます。」

「まぁ、そう言わずに。永倉くんと斎藤くんも呼んでるから。」

 そして慶応3年(1867年)1月。正月早々、永倉と斎藤と真純は角屋に向かった。

「よぉし、伊東の金で、ガンガン飲んでやるぞぅ。」

 永倉は酒の方が気になっていた。

「斎藤さんは伊東さんのことをどう思っているんですか。勉強会にも参加されていましたけど。」

 伊東と斎藤とは、どうも馬が合わない気がするのだが、何かと斎藤は伊東と一緒にいることが多い。

「伊東さんは先見の明があり、新撰組に新風を吹き込んでいて、学ぶことも多い。」

「まぁ…確かに。」

 伊東の先進的な考え方や巧みな弁舌は認めるが、天才肌を見せ付ける態度が鼻につく。真純はどうしてこの顔ぶれが呼ばれたのか図りかねていた。

 宴の会場となっている角屋には、伊東一派が勢ぞろいしていた。伊東の挨拶で酒宴が始まる。芸妓が舞を披露し大いに盛り上がる中、新撰組の「参謀」の立場にある伊東が永倉と斎藤と真純に酒を注ぐよう、女中に言いつけている。

 酒が進むと伊東一派の平隊士達は門限があり一足先に切り上げたが、伊東は永倉と斎藤と真純を引き止めた。

「幹部の皆さんとは、夜が明けるまで飲み明かそうと思いまして。それに…永倉さんと斎藤さんには馴染みの方を呼んであります。」

「おぉ、気が利くなぁ、伊東さんよ。」

 伊東が手を叩いて女中を呼ぶと、続けて芸妓が二人が入ってきた。そのうちの一人は、金吉といい、永倉が贔屓にしている芸妓で、もう一人は以前、斎藤と一緒にいた芸妓で、名を相生太夫といった。芸妓たちはお目当ての相手の所に行き、酒を注ぎ足している。真純は、取り残された格好になった。

「綾部くん、あなたのお相手は、この私。ちょっと隣の部屋へ行きましょう。」

 真純は斎藤と芸妓を横目に、伊東に付いて行く。伊東は隣室に二人の膳を運ぶよう、女中に申し付けた。女中が退室すると、伊東は真純の横に座り、酒を注ぐ。

「綾部くん、お酒は呑めないのかしら?」

「今日は、なんとなく…。」

「あら、どうして?…女子の身で酔っ払ったら危険だから?」

 真純は伊東の顔をまじまじと見つめる。

「大丈夫ですよ。あなたのことは誰にも言うつもりはないから。ただ…あなたが男装してまで新撰組にいる理由を知りたいと思って。」

「皆さん、いい人達ですし…。」

「オホホホ…それだけ?本当にいい人達なのでしょうか。あの山南さんを切腹させる新撰組が。」

 伊東は言葉に詰まり、唇をかむ。伊東は弔歌を書いたほど、山南の死を悼んでいた。

「勘定方の河合さんも公金の紛失というだけで切腹だなんて残忍極まりないことです。それに、近藤さんの目に余る態度に対して、永倉くん達が罪状書を提出したそうじゃないですか。」

 さすが弁が立つ伊東だ。こちらに有無を言わせない。

「切腹は、確かに私もまだ受け入れられません。けど、罪状書は近藤さんを思えばこその行動とも言えます。」

「ほぉ。あなたはそんなふうに思っているんですか。まぁ、いいでしょう。ところでこの前の勉強会で、あなたはエングリッシュをよく知っていましたね。どちらで覚えたの?」

 伊東は、勉強会で隊士達に英語を教えたことがあり、真純にはあまりに簡単すぎる内容だった。伊東は尊王攘夷思想が強かったが、広島出張時に薩長の人間と接触を図り、尊王開国倒幕派に傾いていた。

「あれは…独学です。」

「エングリッシュを独学するとは…あなたもこっち側の人間かしら。あなたみたいな洗練された人が無骨な新撰組にいるなんてもったいないこと。」

「伊東さんは新撰組を抜けるんですか?」

「めったなことを言うものじゃないですよ。」

 しかし伊東は笑みを浮かべている。

「そういえば、綾部くんは身寄りがいないと聞いたけど…あなたが女子に戻りたいなら、私が力になってもいいですよ。男装する女子も、なかなか魅力的だけど。」

 伊東が耳元でささやく。いきなり伊東が真純の手に触れる。

「あなたの手、乾いてて豆だらけね。美しくはないけど、一生懸命生きてる証。そういうのに男はそそられたりするものです。」

 突然、障子が開き、斎藤が入ってくる。

「綾部、あんたは幹部ではない。門限があるから帰れ。」

「斎藤くん、参謀の部屋に勝手に入ってくるとはなんと無礼な。もしかして私が綾部君といて、妬んでいるのですか。」

「斎藤さん、私なら大丈夫です。酒には…呑まれませんから。」

「…そうか。伊東参謀、失礼しました。」

 斎藤は一礼して下がっていったが、斎藤の目は、何かあれば呼べと言ってくれた。

 それから真純は、弁舌を振るう伊東に話を合わせ酒を飲ませた。伊東は上機嫌で、短歌のことや弱腰の幕府の不満を延々と語っていたが、いつしか酔いつぶれて寝てしまった。その最中、伊東は真純にこうつぶやいた。

「あなたもこちら側の人間になるべき人です。」


 真純は廊下に出て、隣の部屋に声をかける。

「斎藤さん。よろしいですか。」

「あぁ、かまわん。」

 障子を開けると相生太夫が斎藤に寄り添って酌をしていた。

「し、失礼しました。ご、ごゆっくり…。」

「待て。いいからこちらに来い。」

「綾部はんも一緒にいかがどす。」

 相生太夫が笑いかけるが真純は、うつむいたままだ。

「悪いが、あんたは下がってくれ。」

 斎藤が相生太夫に告げ、退室させた。

「ほな、ごゆっくり。」

 彼女は、名残惜しそうに出て行く。

「大丈夫か。」

「はい…。」

「伊東さんの様子はどうだ。」

「今は酔いつぶれて寝ています。そういえば、見識を深めたいとかで九州へ偵察に行くと伊東さんが話していました。同行するように言われましたが、お断りしました。」

「そうか。」

 伊東の話が済むと二人は沈黙する。

「さっきの人…相生太夫さんを呼びましょうか。」

「いや、あの芸妓は馴染みといっても、親しい間柄ではない。」

 斎藤はどんな人間に対しても鋭い。何もかも見透かされている自分が、情けない。そして、真純は自分が斎藤に対して特別な感情があること認めざるを得なかった。

「俺は、人を斬って生きている。そんな人間に慰めなどいらんし、女子に興味などない。」

「え?じゃぁ、斎藤さんは男色?」

「あんたはそんなに斬られたいのか。」

「冗談ですよ。斎藤さん、今日は伊東さんの奢りだから、飲めるだけ飲みましょう。」

 真純は勢い余って斎藤に酌をしそうになる。斎藤は常に手酌なのだが、

「一杯くらいかまわん。」

 と言って、真純の注いだ酒を口に運ぶ。

 それから真純と斎藤は、新撰組や隊務のこと、刀のことなど話した。斎藤は口数は少ないが、聞かれたことには答え、酒が入ってもまったく態度が変わらなかった。目の前の徳利の数が増えてくると、真純は酔いが回ってきた。斎藤は底なしに酒を飲んでいる。

「斎藤さん…私…」

 真純は目を開けてられず、座ったままふらっと横にいる斎藤に上半身を預ける。少しして、

「すみません!!」

 元の体勢に戻るがすぐまた斎藤の方に体が傾く。

「あんたらしくないな。」

 斎藤は肩にもたれかかってくる真純の体をそのままにしておいた。

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