第23話 脱走

その晩、山南がいまだに帰ってこないことを心配した真純は、屯所周辺を探し回ったり、他の隊士に山南のことを聞いていた。

「土方さん!」

 真純は返事も待たずに障子を開ける。部屋には近藤と沖田もいた。

「勝手に開けるな。」

「すみません。でも、山南さんがまだ帰ってこなくて。」

 真純は、南禅寺の参道で山南と分かれたことを説明する。

「歳、どうする。」

 近藤が土方に尋ねる。真純は悠長な3人をせきたてる。

「どうするって、探しに行きましょう。何かあったのかもしれないし。」

「真純ちゃん、落ち着いてよ。山南さんは大人だよ。あの人の剣の腕なら―」

 沖田の言葉は続かない。山南の片腕だけでは刀を握るのは困難なのだ。

「山南さんのことは放っておけばいい。山南さんは、江戸に行くと書置きがあった。」

 真純は言葉を失う。昼間、もともと屯所を抜け出すつもりで、真純に付き合ったのだ。

「追いかけなくていいんですか。」

「あぁ。その書置きが山南さんの結論なら、俺たちは何もしない。」

土方は腕を組んで黙り込む。


 まだ空が開け切らない薄暗い寒い中、真純は屯所を抜け出す。思いっきり通りを駆け抜けたいが、変に疾走すると怪しまれそうで、苛立ちながら真純は早歩きする。しかも、この袴が歩きにくい。すると、誰もいない通りを馬のひづめの音が聞こえてきた。

「やっぱり、君か。」

振り向くと馬にまたがる沖田の姿があった。

「山南さんを探しに行くんでしょ。付き合うよ。山南さんがどういう結論を出したのか知らないけど、遠くに行くなら見送りたいしね。」

 沖田は山南に弟のように可愛がられていた。きっと、江戸にいる頃か親しい間柄なのだろうと真純は思う。沖田は真純を馬に乗せ中山道に向かう。

「沖田さん、山南さんはどうして江戸に向かったのですか。」

「…さぁ。本当に江戸に行くのかは分からないけど、これが山南さんの抗議なのは間違いない。」

 馬足は速く、三条大橋を渡り、昨日訪れた南禅寺界隈を通過した。昨日、山南はすでに江戸に行くことを決めていたのに、それに気づけなかった真純は自分がはがゆかった。天智天皇陵、そして蝉丸神社を過ぎて、大津宿に到着した。

 大津の旅籠を当たっていくと、3軒目にあっけなく山南の名前にたどり着いた。沖田と真純が山南の部屋を訪れると淡々とした表情で山南が2人を迎えた。

「もしかして、追っ手が来るのを待ってましたか、山南さん。」

 沖田が尋ねる。

「まさか沖田君が来るとはね。近藤さんか土方君の差し金ですか。」

「いや、真純ちゃんは山南さんを探しに行くだろうと思って、僕は付き合っただけですよ。」

「そうですか。綾部君、心配かけましたね。」

 山南は笑みを浮かべながら真純と沖田を見つめていた。

「山南さん、どうして江戸に行こうとしているのですか。」

 真純は一番気になっている本題を切り出す。

「江戸に帰るところなどありません。ただ、急に試衛館での意気盛んな頃を思い出し、気がついたら置手紙をしたためていました。」

 江戸に帰ると書置きしたのは、近藤や土方に自分たちの原点を思い出してほしかったのかもしれない。しかし、近藤も土方もそんな気配はまったくなかった。山南を迎えに行こうとすらしなかったのだ。

「まぁ、山南さん、慌てて行かなくてもいいじゃない。それより僕、朝餉を食べていないのでお腹がすいちゃって。」

「君も腹が減っているでしょう、綾部君。宿の主人に言って、ここに食事を運ぶように頼んできてくれませんか。」

 真純が退室しいなくなったのを見届けて、山南は話を続ける。

「これは近藤さんと土方君の命令は何か言っていましたか。」

「いえ・・・。何もしないというのが、近藤さんと土方さんの答えです。」

「そうですか・・・。」

「山南さん、本当に江戸に行くつもり?」

「いいえ、私は屯所に戻り…腹を切ります。」


 真純がそのことを知ったのは、山南、沖田と屯所に戻ってきた夜だった。大津の旅籠で、ひとまず屯所に戻ると聞いて、真純は安心していた。道中、2年前に浪士組としてこの中山道を歩いた時のことを、山南は思い出していた。しかし、もう原点には戻れないと悟ったのだった。

山南は、沖田に「頼みましたよ」と言い残し、ひと足先に八木邸に入っていった。

 その晩、真純は、沖田とともに近藤と土方に呼ばれ、山南の処遇を聞かされた。

「隊規に違反したから切腹なのですか?山南さんは脱走したのではなく、お二人に思いを伝えたかっただけです。現に、ちゃんと戻ってきたじゃないですか。」

「切腹は山南さんからの申し出だ。」

 土方は組んで目を閉じたままだ。

「山南さんをなんとか引き止められませんか。」

「山南さん自身が決めたことだ。」

「だからってそれを了承するなんて、おかしいですよ!近藤さんも土方さんも、山南さんが切腹することを望んでいるからですか!」

「黙れ!」

土方が今までにない剣幕で声を張り上げる。

「もう下がっていい。ここにも、山南さんの部屋にも近づくな。近づいたらお前も切腹だ。」

 真純は、重い足取りで自分の部屋へ戻っていく。廊下の先に山南がいる部屋がある。山南に山ほど言いたことがあったが、部屋に近づくことはできなかった。その晩、真純は一睡もできずにいた。

 次の日、山南は自ら前川邸の部屋に閉じこもり、「その時」を待ち受けていた。真純は土方の言いつけを無視して山南の部屋の前に来ると、中から伊東が出てきて首を横に振った。

「山南さんにここから逃げるように言ったのだけど、応じてくれませんでした。あんなに優秀な方が切腹だなんて、なんともったいない・・・。」

 伊東は、着物の袖を目に当てながら去っていった。

 真純は切腹覚悟で外から声をかけて、山南のいる部屋に入る。浅葱色の裃を身にまとった山南の姿があった。この服は 碧血という中国の故事(忠義を貫いて死んだ者の血は、地中で三年経てば碧玉となるという伝説) に因んだものである。

「山南さん、死を持って信念を貫くつもりですか。どうしてそこまでして?山南さんが、なにも切腹することなんてないですよ!」

「それが武士というものです。私は最期まで武士でありたい。」

「それでも、死んでしまったら終わりですよ!」

「えぇ…もう終わりにしたいのです。私は、疲れました。この間、綾部君と南禅寺の庭園を眺めて、心から美しいと思った。何もかも忘れて美しく穏やかな世界に身を置きたい。それにはこの選択しかないのです。」

「それでも、私は山南さんに生きていて欲しいです。」

「自分の志を殺して生きていくのは死んでいるも同然。これ以上話しても無駄です。綾部君、下がりなさい。…早く!」

 真純はなかなか動こうとしない。見かねて山南は真純の腕をひっぱり、廊下に連れ出した。真純は観念して襖を開けようとはしなかった。前川邸の庭に出ると、沖田が刀を磨いていた。山南が沖田に「頼みましたよ」と言っていた意味がわかった。

「まさか、沖田さんが介錯を?」

「その『まさか』だよ。僕ならしくじることなく、山南さんを楽にしてあげられる。」

「そんなこと言わないで、山南さんを思いとどまらせてくれませんか。」

「それは…無理だよ。」

 刀を鞘に収め、沖田は中に入っていく。真純は蔵にもたれかかり、ふと空を見上げる。山南の小姓として、彼のいろんな姿を見てきた。いつも険しい表情ばかりだったが、南禅寺では優しい顔だった。

 もうすぐ自ら命を絶とうとしている人を放っておくことなどできない。真純は、もう一度説得を試みようと山南のいる部屋に行くが、廊下にいる永倉が立ちふさがる。

「あいにくだが、あんたは面会禁止だ。山南さんがあんただけは、この中に入れるなと言っている。」

 中から山南と隊士達が水盃を酌み交わしている声が聞こえてくる。真純はあきらめて行く当てもなく前川邸の外に出るが、通りに面した格子窓の前でふと立ち止まる。この窓の向こうに山南がいるはずだ。真純は思い切って窓をノックする。少しして、中の障子が開いた。

「山南さん、お願いです。生きてください。こんなの、間違っています!!」

「あなたには感謝していますよ。小姓としてよく仕えてくれました。綾部君、これからもあなたの信じる道を行きなさい。そして・・・新選組のことを頼みますよ。」

 山南はか細い声で真純にささやく。時折声を詰まらせながら。

「あなたと食べた湯豆腐、おいしかったですね…。ありがとう、綾部君。」

「山南さん!!」

 そっと障子が閉められた。真純は、格子を掴んでゆらし、泣きながら山南の名前を呼び続けた。

「声を出すな。」

後ろには斎藤が立っていた。

「騒ぐとあんたも切腹だ。自分の立場を忘れるな。」

「どうして誰も切腹を止めないんですか?山南さんも、近藤さんも土方さんも間違ってます!そこまでして武士であり続ける必要があるんですか?」

「そうだ。武士になったらその生き様を全うせねばならん。」

 真純は声を潜めてその場に泣き崩れた。

 山南はこの日の夕方、沖田の介錯のもと、切腹した。


 次の日、山南の葬儀が執り行われた。屯所から程近い光縁寺に山南の遺体は土葬された。山南の死は新撰組隊士だけではなく、多くの近隣住民の悲しみを誘った。

 数日後、真純は花を手向けに光縁寺に行くと、山南の墓石に手を合わせている土方の姿があった。

「あっけなく見つかりやがって…なぜ、もっと遠くまで行かなかった…。」

 土方は墓石に向かって叫び、肩が震えていた。真純はそっとその場を離れた。

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