第22話 南禅寺

この頃から、表立って近藤・土方と山南は、思想の相違で対立するようになっていた。新撰組はもともと尊皇攘夷集団であったが、新撰組が幕府の配下に収まっていくことに山南は納得がいかなかった。さらに、屯所を西本願寺へ移転するという問題でも彼らは対立し、互いに譲らなかった。


 ※西本願寺は勤皇色が強く長州とも関係があり、新撰組が屯所を西本願寺に移すことによって、刺激するのはよくないと山南は考える(山南も勤皇派)。しかし、近藤らは逆に長州をけん制するいい機会だと判断する。


 真純は時間の許す限り、伊東の勉強会に参加していたが、その勉強会に出席している幹部は藤堂と山南だけだった。山南は、尊皇攘夷派の伊東とは楽しそうに歓談していたが、部屋では、イライラしていたりため息が聞こえたりした。

 今日も、山南は屯所の外に出ると愛想がよく、近所の住民や子ども達にも慕われていたが、部屋に入ると一変、疲れきった表情をしたり、眉間にしわを寄せて考え込んでいることが多かった。

「山南さん、お薬をお持ちしました。」

 買出しから戻った真純は、山南の部屋を訪れる。山南は文机の前に座り書き物をしている。

「あぁ、ありがとうございます。」

 薬と水を机に持って行くと、書き損じた和紙がくしゃくしゃになって散らばっていた。

「少し休んだほうが・・・。」

「大丈夫、何かをしている方が楽なんです。」

真純は、山南の背中を見届けて部屋を出ようとする。山南は、筆をおいて左腕をゆっくりさすっていた。

「あの…余計なお世話だと重々承知してますが・・・リハビ…じゃなくて、訓練をすれば腕が動くようになるかもしれません。」

「山崎君からその訓練とやらを教わっていますよ。」

「そうですか・・・。」

 一瞬沈黙する。

「それじゃぁ、山南さん、たまには島原に飲みに行きましょうよ。」

「永倉くんや原田くんに誘われましたよ。」

「それなら…山南さん、私に付き合っていただけませんか。」


 山南と真純は東山・粟田口にある青蓮院門跡に来ていた。真純には、門の前の楠の木が印象に残っていた。石段を上った先の長屋門には警備の人が立っている。

「綾部君、ここは中川宮が門主を務める門跡寺院ですよ。まさかあなたはここに入れると思ったのですか。」

「はい…。」

 現代では拝観料を払って境内を見て回れたが、この時代では皇室関係が門主(住職)となって管理しているのである。また青蓮院門跡は、仮御所となったこともある。

「ここの庭園が素敵で、山南さんにお見せできればと思ったのですが…」

「まるで、御所にもなったこの場所に入ったことがあるような物言いですね。」

「あ、いえ、その・・・聞いた話です。せっかくなので、この近くの南禅寺に行きましょう。」

 真純は気を取り直して三条通を東に進む。山南はやれやれといった表情で真純に続く。南禅寺の参道に入ると湯豆腐の店が目に留まる。

「山南さん、お腹すきませんか?」

「先ほど、あなたの空腹の音を聞きました。」

 真純に誘われ、山南も店に入り腰を下ろす。

「そんなに湯豆腐が珍しいですか。」

「えぇ、南禅寺の湯豆腐は有名ですし。」

「そうでしたか?」

 山南は考え込む。この時代では、まださほど南禅寺湯豆腐の愛好家がいるわけでも、名が知れ渡っているわけでもなかった。

「あなたは私を護衛に使ったわけですね。」

「いえ、そんなつもりは―」

「かまいませんよ。そのおかげで、いい気分転換ができました。」

「山南さんは、この辺りは初めてですか。」

「浪士組に参加して上洛した時、三条通を通りました。あの頃は芹沢さんもいましたし、私もいざこざを起こしたりしましたが、三条大橋から京の町を見たときには感慨深いものがありました。」

 文久3年(1863年)、将軍家茂公が上洛するための幕府が江戸で浪士を募集した時、近藤ら試衛館の面々は参加したのである。あれから1年半が過ぎようとしていた。

 食事が運ばれてきて、真純は老舗の料理を堪能し、150年後にも変わらない味が存在することに感動する。

「そんなにおいしいですか、綾部君。」

「はい!飲み込んでしまうのが惜しいくらいです。」

 豆腐が口に入ったまま答える真純に、山南は笑みを浮かべる。真純も山南がいつもより穏やかな、柔らかい表情をしていることに気づいていた。

 それから店を出て、二人は山門をくぐり境内を歩く。南禅寺の見所の1つでもある水路閣はこの時はまだない。圧巻な方丈庭園を前に、山南は立ち止まる。

「あなたも薄々感じているでしょう…我々上層部の思想が対立していることを。新撰組は尊皇攘夷の思想のもと上洛したのに方向を見失ってしまった。幕府の配下に留まっていても、この国を変えていくことはできません。」

 いづれ幕府は消滅する。この先訪れる出来事を考えれば、山南の見方は間違ってはいない。伊東は外国に対抗できる国にするために、身分を問わず有能な人を活用して新しい政府を作るべきだと言っていた。それが明治維新につながっていく。実際、後に明治天皇が即位し、薩摩の大久保利通や西郷隆盛、長州の木戸孝允(桂小五郎)が明治政府をつくっていく。

「山南さんはこれからどうするつもりですか。伊東さんとは通じるものがあるようですが。」

「綾部君は、ただの小姓というわけではなさそうですね。私の信念を貫くならば、新撰組に私の居場所はない。ただ、新撰組を乗っ取る勢いの伊東さんとも新しい組織を作る気にはなれない。」

「それは、近藤さんや土方さんとは思想の対立はあっても、仲間であり、裏切ることはできないということですか。」

「そんな青臭いものじゃありませんよ。」

 山南は口元に笑みを浮かべている。

「あなたは今後、新撰組がどうあるべきだと考えますか。」

 いきなり山南が尋ねた。

「私には・・・わかりません。はっきりいって、佐幕とか尊王とかよくわからないし、どうでもいいです。同じ日本人同士、戦争するなんてばかげてる。世界には想像もつかないような敵がいるんです。銃や大砲程度じゃ済まない武器を持っている国と戦争する日が来るんです。薩長や朝廷、幕府の動きを探ったり、顔色うかがってるなんて時間とお金の無駄です。町民も農民も侍も参加できる選挙で、政治をやる人を決めればいいんです。」

 真純は早口でまくし立てる。

「・・・というのが、傍観者としての意見です。ただ・・・これから先、幕府が滅びて新しい時代が来ます。その時、新撰組には幕府と運命を共にしてほしくないですけど・・・近藤さんや土方さんは最後まで武士であろうとするかもしれません。信念を貫くのはりっぱだけど・・・正直やりきれない思いもあって・・・すみません。」 

「綾部君、あなたは思いのほか熱い人なのですね。そして、この先に起こる出来事を見てきたかのように語っている。あなたともっと早く出会えていれば―」

 山南は、目の前に広がる庭園から空へ視線を向ける。

「京には、こんなに美しいところがあるのですね。日々の粛清や捕縛、思想の相違などまるで遠い空のことのようだ…。」

「山南さん…。」

「綾部くん、そろそろ行きましょう。」

 先に歩き出す山南の背中が物悲しく見えた。

 参道を戻ってきたところで山南が立ち止まり、真純に面と向かって言う。

「悪いが君は先に帰っていてくれませんか。私はこの近くに住んでいる知り合いに挨拶して行きたいので。」

「はい、わかりました。」

「浮かない顔をしていますが、この時間なら護衛がなくても大丈夫ですよ。」

「いえ、そうではなくて…。」

 いつにない優しい口調の山南に違和感がある。いや、本来この人はこういう人柄なのだろう。

「綾部くん、今日は楽しかったですよ。では、後ほど。」

 山南は真純とは別方向に歩いていってしまう。

 真純は屯所に向かいながら、考えていた。自分が山南の立場ならどうするか…。現代の自分なら世の中こと、国のことなど考えず、自分が楽しく暮らしていくことを優先するだろう。 でもここでは自分も武士として生きると決めた。武士は、自分の信念を曲げない。自分が正しいと思う道を進むしかないのだろう。それが誰か傷つけ、裏切ることになっても貫けるだろうか…。

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