第24話 江戸へ
その後、新撰組は壬生の屯所を西本願寺へ移転させた。真純はお世話になった前川家、八木家の人々に挨拶を済ませ、坊城通りを歩く。壬生寺の表門の前で足を止め、境内を一望する。
(この時代に来て、どれくらいの月日が流れたことだろう。今日が何年の何月何日かなど意識もせず、様々な出来事を駆け抜けてきた気がする。)
思わずため息が出た。実際、真純が前川邸、八木邸に住んでいたのは2年ほどであったが、その年月には収まりきれないような事件があった。2週間前に山南が切腹しそれを受け入れたつもりだったが、ふと思い出すと涙がこみ上げてくる。
「綾部。」
土方に後ろから呼ばれ、真純は急いで目をこすった。山南の墓の前で肩を震わせていた土方の姿が思い出された。
「お前も江戸に行くか。」
2週間後、真純はさらなる隊士募集のため土方、伊東、斎藤ともに江戸へ向けて出発した。
中山道を歩き続けて13日目、一行は大宮宿を通過し、江戸までもうすぐのところまで来た。
「お前は、意外と健脚だな。女の足でよく俺たちについて来れたな。」
「剣客じゃないですけど、健脚なんです、ハハハ・・・。」
土方は「何が面白いんだ?」という顔をしている。
「土方さん、今回同行させてくださってありがとうございます。山南さんのことがあって、落ち込んでいる私を気にかけてくださったんですよね。」
「遊びに連れて来たわけじゃねぇぞ。江戸でもしっかり働いてもらうからな。」
「はい。そのつもりです。」
それでも土方の心遣いは嬉しかった。
「あの、ずっと気になっていたんですが、どうして今回、伊東さんと斎藤さんも江戸に行くことになったのですか?」
「伊東さんが以前やっていた道場から人を集めるんだとよ…っていうのが表向きだが、嫁さんからの手紙で、母上が病気だと知らせがあったらしい。斎藤は…まぁ、たまには遠くに連れ出してやろうと思ってな。」
斎藤は旗本を斬ってしまって江戸から京に逃れたと聞いたが、それでまた江戸に戻って大丈夫なのか。前方に伊東と斎藤が歩いている。伊東の饒舌に斎藤が無理やり付き合っている様子だ。
一行が日本橋に到着した後、伊東は休む暇なく家族のいる本所深川佐賀町(江東区・隅田川沿い)の家に向かい、土方たちは、市谷の試衛館道場へ向かった。道場の留守を預かっている近藤周斎や近藤の妻つねが出迎えてくれた。真純は、新撰組の礎とも言える試衛館道場を感慨深く見て回った。
その晩、しばらく江戸に滞在していた藤堂も合流して4人は居酒屋に入った。
「まさか真純まで江戸に来るとは思わなかったよ。よく土方さん達と来る気になったな。」
「いろいろあって、土方さんが連れて来てくれたんです。」
藤堂は気になって斎藤の顔を見る。
「山南さんは切腹した。」
「えぇ!!どうしてだよ・・・ずっと一緒にやってきた仲間じゃないか…。」
「幕府一辺倒の俺たちへの当てつけさ。」
土方の言い方は、山南への親しみが伝わってくる。
「だからって…」
「山南さんは、伊東さんと思想は同じでも、近藤さんや土方さんは今まで一緒にやってきた仲間だという思いがあって、悩んでおられました。」
しばし沈黙が走り、藤堂は無言で考え込んでいる。
「それより平助、隊士の募集の方はどうだ。」
土方が空気を変える。しかし藤堂の口調は覇気がない。
「新撰組がすっかり有名になったおかげで、20人は確保した。あとは伊東さんの話も聞いてみたいと言ってたヤツもいた。」
「その伊東さんも2,3日は戻ってこないだろうから、今のうちに羽を伸ばしておくか。」
やがて、店を出ながら藤堂が真純の横に来て小声で話しかける。
「山南さんのことだけど、何かあったのか?」
「近藤さんと土方さんに書置きをして、一人江戸へ向かわれましたが・・・自分の信念を貫くために切腹を・・・。」
「そうか…いろいろ変わっちまうんだなぁ。」
久しぶりに見た藤堂も少し変わった気がする。小柄な少年が成長して目つきも鋭くなったようだ。
「藤堂さん、傷の具合はどうですか。」
藤堂は半年前に近藤たちと共に江戸に来ていたが、隊士募集のほかに額の傷の治療をするため江戸に残っていた。藤堂の顔には額を割られた傷跡があったが、前髪で目立たない。
「あぁ、もうなんでもない。」
藤堂は、よほど山南の死がショックでその後も口数の少ない日々が続いた。
しばらく試衛館に寝泊りすることになった土方ら4人は、周斎先生に代わり弟子の稽古をつけたり、道場の切り盛りを手伝いながら、隊士の募集活動を行っていた。江戸の知人を訪ねたり、他の道場で声をかけたりして、少しずつ隊士を増やしていった。
土方たちが江戸に着いて数日後、真純が一人で食材の買い物に出かけようとすると試衛館の門の前に若い女性が立って中の様子をちらっとのぞいていた。真純は、自分と同い年くらいに見えるその女性に声をかけた。
「道場に何か御用でしょうか。」
「あの、こちらに最近、山口という名前の人は来ませんでしたか。」
「山口?…山口さんという方はいないようですけど、私もつい最近、京から来たのでお弟子さんのことはよくわからないんです。」
「京から?その中に、山口一という者はおりませんでしたか。」
真純はその名前を聞いてはっとする。一という名前は一人しかいない。
「斎藤一さんと言う人が一緒に京から来ましたけど、斎藤さんのご家族の方ですか。」
「一は、私の弟です。」
相馬勝と名乗った女性は斎藤一の姉で、実家の母親が息子らしい人物を見かけたと聞きつけて、勝が弟の通っていた試衛館を訪ねてきたのだ。この日、斎藤は外出中でしばらく帰ってこないことを告げると勝はあきらめて帰っていった。真純は、買い物がてら勝と一緒に歩く。
「しばらく江戸にいるので、いつでも試衛館にいらしてください。」
「でも、弟は決して私と口を聞こうとはしないと思います。」
「あの、それって…斎…弟さんが以前、誤って旗本の武士を斬り殺してしまったことと関係あるのですか。」
勝は真純の言葉に顔色を変える。
「弟からそのことをお聞きになったのですか。」
「あ…それは…まぁ…。」
「あの時、父も母も家族の立場を守るために、弟に無理やり旅支度をさせ京に向かわせました。父の知り合いが京で道場を開いていたので、そこに身を寄せていました。しかし、弟を守ってやれなかったことが、兄も私も心残りでした。弟は左利きのために以前、道場の人達と対立し苦労も多かったと思います。きっと京でも…。」
「私は弟さんに、剣術を教わったり、いつも助けていただいています。無口で自分にも他人にも厳しい弟さんですが、新撰組になくてはならない方です。」
「新撰組…。弟は新撰組にいるのですか。」
新撰組の活躍は江戸にも知れ渡っていたが、まさか弟がその一員になっているなどと勝は夢にも思わなかった。
「多分、弟は私達に会いたがらないでしょう。でも皆さんによくしていただいているようで安心しました。これからも弟をよろしくお願いします。」
勝が丁寧に一礼して分かれるが、真純は引き止める。
「一度、弟さんの剣術を見にいらしてください。本当に素晴らしくて、同じ隊士として誇りに思っているんです。お願いします。」
「綾部さん…。ありがとう。」
数日後、真純は斎藤に姉の勝が尋ねてきたことを告げる。斎藤は、中庭で軽く刀を振りながら真純の話を聞いていた。
「俺は家族とは縁を切った。姉などおらん。もし、また訪ねてきても追い返せ。あんたもいちいち話を聞く必要はない。」
「そんなぁ。お姉さんは斎藤さんを守ってやれなかったことが心残りだと――」
斎藤は刃先を真純に向ける。
「黙れ。…いつかあんたは俺に聞いたな。人を誤って斬ったのは本当かと。あの時、俺は人を斬りたくてたまらなかった。旗本から真剣勝負を挑まれ、本気で斬り殺すつもりだった。家族が俺を守る必要などない。それに、俺は昔江戸にいた頃の俺ではない。浪士組に加わる前も、そして新撰組でも多くの人間を死に追いやった。」
斎藤は、しゃべりすぎてしまった自分が意外だった。思い沈黙が走る。
「あの・・・私は、それでも斎藤さんはいい人だと思っています。」
真純は動じずに答え、斎藤は刀を鞘に収める。10代の若さで人を斬っても平気でいられたなんて嘘だ。斎藤なりに必死に生きて来ただけなのだ、自分が生きるためにしてきたことなのだ。斎藤だって本当は家族のことを思っているはずだ。
「こうやって、訪ねて来てくれるお姉さんがいて、いざと言う時に帰れる家があるっていうのは、いいいものですよ。」
真純はしみじみとつぶやく。
「斎藤さん、明日から剣の稽古をお願いします。」
次の日から朝稽古が始まった。斎藤だけでなく藤堂と土方も指導に加わり、真純と他の弟子たちが剣術を学んだ。時折幹部3人が見せた試合は圧巻だった。
「今日はやけに力が入ってたなぁ、一君。そういや、さっき稽古を見に来ていた女の人がいたけど、土方さんの―」
「俺の知り合いじゃねーぞ。」
土方が間髪入れずに答える。
「じゃぁ、一君の?」
「さあな。」
その話を聞いて、真純はひょっとしたら勝が来てくれたのではと思った。
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